2月25日の日本経済新聞第二部に、「人生100年の羅針盤」を、今日、ゆっくりと目を通す時間が出来た。
というのは第二部に高齢者の住まい選びのポイントとして、高齢者ホームを取り上げている。
最近、特に、有料老人ホームの広告が盛んに掲載されている。
実は、私も、終の住み処について、考えることが多くなった。
というのは、全くの身内のいない私は、何かが起きた時の不安を覚えるようになってきた。
昨年末から、終の住み処について真剣に考え、情報を入手する作業に取り掛かった。
弁護士、税理士を始め、信用している不動産会社にも相談するが、東京の金額には太刀打ちできないことと、僅か、17年であったが、何故か私には、60年近い東京の生活より、ふるさとの方が忘れないのである。コロナ禍も容赦なくふるさとも免れることなく、2020年3月をもって、心の中でそっとふるさとに永遠の別れを告げたのである。。
紹介されている「京都、ゆうゆうの里」には、病院ボランティアで、「お話し相手」という関わり方をて来た、私に依頼に、入居者に対して、一日も話をしないでいる利用者のために、「話し相手」としての必要を紹介する仕事であった。
汗がじっとして滲みでる夏のある日、訪ねた「京都、ゆうゆうの里」は、近年まで倉本聰氏によるテレビドラマ「安らぎの郷」と言えば、理解しやすい素晴らしい、個人の人生を大切にした施設で在った。
各人の白い独立した住まいに、私は魅力を感じた。
丁寧な支配人からの有料老人ホームの姿勢を伺い、後に宇治駅前の喫茶店で喉を潤した宇治茶の味は今も、残っている。
情報溢れる東京の生活には、未練はなく、ふるさとのシニア介護住宅を希望したが、果たして、60年近くの東京での生活の実績を棒にして、唯、
ふるさとというだけは、賭けに近い。
まして、高齢になってからの住まいを変えるということは、認知症にもなりかねないといわれている。
いずれにしても、身内のいない独り者は、やはり60年住み慣れた「東京砂漠」で生きていくしかないかと、考えている。
「砂漠にオアシスを求める」といった日々を続けていくしかないと。