自分としては、昨日の終の住み処について、信頼している不動産会社からの返事は全く、まるで打ち合わせをしたかのような回答に納得していた。
今朝は、既に「春が来た」ような、陽気に、気持ちも晴れ晴れとして、散歩も足取りが軽く、毎日、こんな日が続くといいなあと空を見上げた。
空を見ると、ふるさとの空「あさくちブルー」と、ついつい我が住まいと決めたはずの東京の空と比較している自分に気が付く。
友人からは「断捨離のマリ子」と言われているが、実は、ふるさとの鴨方ではないが、観光地で知られる倉敷市内にある2か所の住宅型有料法人の
資料が、机の奥に収めたままである。
どちらも医療施設が母体のために、安心ではあり、近年は東京からの移住者が多いとの担当者からの、案内に、心は揺れ動いたものだが、既に私は
社会的に何ら、ふるさとの地に役立つよりはお荷物になる存在である。
分かっちゃいるけど、なかなか、ウロチョロしている自分が情けない。
午前中張りきって、動き過ぎたせいか、頭の回転が回らなくなったので、
早めに読者タイムに切り替えた。
山陽本線で4年間通学していた、ミッションスクールの素晴らしい指導者でいらした渡辺和子著の「置かれた場所で咲きなさい」を、先日、図書館のリサイクルコーナーで、見つけた私は、何か巡り合わせと想った。
まだ、私が在学中は、渡辺先生は岡山に赴任なさる前で、東京でお目にかかる機会が多く、状況の際も、私にボランティアの必要性、重要性を指導して下さったのである。
現在、私がライフワークともいえる「ボランティア」を続けることが出来たのは、如何に渡辺先生の存在が大きかっただろうか。
何処からか、聞こえて来ます。
「淺野さん、あなたの置かれた場所はどこか、分かっていますよね。あなたが咲く場所はどこかということを」
しっかりと何処に私は根を下ろしていくべきか、改めて学び直した。
明日は三月「別れと始まり」の月を迎えるが、大変意義ある言葉であり、
私も年齢的に「別れと始まり」を間もなく迎えるのである。