黄砂の飛来と共に

昨夜の11時36分の福島県沖地震は、寝入り端に対しては、東日本大震災に相当する衝撃に、寝入り端を襲う衝撃であった。

 

とうとう、瞬時に関東震歳が来たかと思うほどに衝撃を感じた。

来るべきものが来たかと、私は死ぬか、障害を残して生きていくかの判断を瞬時に覚悟した。

 

時刻的には昨日16日のことであるが、わたしにはその余裕はなかった。

明日にしようと、実は寝付けないでいたのは確かであるが、明日、つまり

17日のブログにしようと思ったのである。

 

今日から関東地方にも「黄砂の飛来」が予想され確かに「春霞」といった趣のある空の表情ではなかった。

 

嘗て3年間、福島原発に一番近距離に設営された仮設住宅に「話し相手」としてお訪ねした際に、県民性というか、阪神淡路大震災の仮設住宅の方との違いを感じた体験を思いだした。

 

3年間の間、折角重い口を開いた被災者の死とか、体調不良でお目にかかれず、どうすることもできない非力さに、心が痛んだ。

 

その後、スーパーで偶然、友人に出合い、私は「長崎産のカサゴ」を見付け、お刺身の依頼をした時であった。

 

育ってきた環境には、舌の感覚にも違いを感じ取った。

 

何となく、東日本大震災がフラッシュバックする私は、いざという時を考え、非常時の点検をしている時、スマホに連絡が入った。

 

コロナ禍で、我慢していた懐かしい方からの声に、これまで、辛い想いで

いた私に、灯りが届いた。