暑さ寒さも彼岸までと、先人たちの言葉を思い出す「春分の日」である。
また、一寸頑張ったみたいで、なかなかベッドから離れられない。
ああ、また、少し、体調の身の丈を弁えず頑張っちゃったみたい。
もう、「エイ」と決め込めて、ベッドと仲良しになる。
振り返ると、私は、弥生3月は「鬼門の月」である。
現在では問題視されるような主治医からの発言に、抵抗なく素直に受け入れる私がいた。
「淺野さん、君はやはり赤穂浪士の関係ある子孫だね」
「先生、確かに父親から下級武士が落ち延びて来たとは聞いていますが」
「だから、残念ながら切腹することになるということ」
「嗚呼、そうですか、切腹ですか」
といった、今では信じがたいドクターとの会話を交わしているが、それに対して、一抹の不安もなく「わかりました。宜しく」
私は、振り返ると、どうも3月に緊急入院している回数が多いのである。
その点「おひとり様」の今は、自分の判断次第で「まな板の鯉」である。
ある意味で、全ては私個人の考えで決定すということだ。
そんなことを考えながら、お彼岸の時期、そろそろ、コロナで天国が或は極楽で、ボランティアが不足してしているのかなあなんて、様にもならない想いに私は、もうお陰様で、十分生き切ったと思っている私は、「どう
私で宜しければお手伝いに参ります」と。
「おひとり様」の良いところは、友人に羨ましがられるのですが、自分の意思で、余計な神経を使うことなく、自由に決断できるというが、私は、
その決定が正解かどうかという点で迷いを生じる。
然し、自分の人生は責任をもって、相応しい時が来れば、命を引き取ってくれるまで大切に生きることだと想っている。
然し、本当に私は体力というか、頑張れない体質に悔しさを覚える2022年の春分の日となった。