三寒四温と言えば、正にジェットコースターのような温度差の激しい桜の季節に特有の日が、繰り返している。
満開の桜を見上げながら、毎日はらはらするところが、散り際の良さを良しとした日本人の生き方の一つとして、この季節、桜の花に自分の生き方を重ね、一喜一憂するのだろうかと想いを馳せている。
そのスリリングさがあるのが桜の季節と言えるのだろうが、私には幼少時から、季節の変化に対する適応性というか、順応性が苦手で、花を愛でる気持ちはあるのだが。
このところ、パソコンとのお付き合いが長く、シグナルを発し始めているのだが、休むに休めない日々が続いている。
お独り様でも、取り敢えず、やるべきことは同じで、量的に、スペース的には少ないのだが、同じである。
調理後の後片付けを、食後、即座にできなくなり、後でといったこれまでは無意識に動いていた作業が、まあ、一寸、休んでからにしましょうと
いった状態になってしまうのである。
これを加齢と片づけるには、まだ77歳という年齢から、些か早すぎるように案じてしまう。
友人の一人は、颯爽と自転車ですいすいと乗り回しているのを見ると、何とか、私も頑張らなければと想うのである。
そんな気持ちのまま、公園に行くと、はらはらと散り始めた桜の花びらを
集めては、また、風が吹くと、拾い上げた花びらを手放し、流れゆくさまを楽しんでいる。
無邪気に桜と共に元気に花びらを追いかけている風景に、何時しか心が
和んでくる。
「子どもの力」に、私は自分を取りもどしている。
毎日の桜情報に、「花曇り」も「花冷え」も、大人の感性なのだろうか。
散り始めた公園の桜の下で、間もなく咲き終わる桜に想いを馳せていた。