2年前の2019年午前9時、私は長年付き合っていた髄膜種が成長して、今が手術をしなければ、身体に影響が出てくるためのぎりぎりの段階という瀬戸際に、この時刻、私が脳外科の手術室に運ばれた時刻である。
今回の手術に対し、担当部署の皆様から、私の緊張を解き解すようにと、笑顔で対応して頂きました。
その時、間もなく始まる目前に、私は「先生、私は三つの『腫』に該当するもので、これで、2つ解除できますが、もう一つやはり同年に「左血管脂肪膿腫1.4ミリ」と検査結果でわかりました。
麻酔にかけれれる前に、私は「体質的に『腫』に縁がある体質ですか」と
問いかけた後は、麻酔医により、記憶が突如と消えている。
当初6時間の予定が、12時間近くに及んだことを知り、改めて、これは
大変な現実を知りました。
術後HPCといわれる部屋で翌日の午後、病室に戻り、「生きていた」と、
暫くお世話に成る病室で、既にスマホを見ていた。
話は前後するのですが、翌朝麻酔科のドクターが、「淺野さん、私が誰だかわかりますか」との問いかけに、私は「昨日お世話に成った麻酔科の先生です」と答えました。
素敵な麻酔科の女医先生は「覚えていたので、もう、大丈夫」と、軽く
私の方に合図を送ってくれました。
かねてから、希望した、空と、スカイツリーが真直に見える病室に帰った私は、「これで良かった」と、HPCで眠りに就けなかった私には、自宅に帰ったような安心感を覚えたことを今も、しっかり記憶している。
もう一つ左血管筋脂肪腫は、今も、経過観察を続けているが、高血圧を除き、まあ一病息災と考えて、今月から恐らく私の人世に置いて長年のボランティアとしての最後の責任が私を待っている。
兎に角、私の周囲にはストレスになる材料がそろっているように思うのだが、友人に言わせると、「気が付きやすい、見逃せない、自分を犠牲にしても、相手に気遣う」という3点セットだと、指摘している。
正にわが友人の仰せの如く、わが友人は名医である。
そして、術後2年間を過ごせた医療者に感謝の気持ちを記しておきたい。