「やまなし」を学ぶ

どうも、僅か、17年間しかふるさとで、過ごしていない私だが、何故か、60年過ごしている東京になじめなく、心痛む日が続いている。

 

せめて、ふるさとの情報に触れたく、特に、母校の小学校のブログは何より元気の素である。

 

2018年、帰郷時に、6年生の国語の授業が、宮沢賢治の「やまなし」と知った。

 

恥ずかしながら、私は「やまなし」を知らず、隣の図書館に駆け込み、初めて知った次第である。

 

宮沢賢治特有の表現に、新幹線の中でも何度も読み直して、6年生の教室で

先生の指導に耳を傾けたのである。

 

私は「難しい」と自分の感性と読解力のなさに、お手上げ状態であった。

帰京時の新幹線の中でも、読み直すほど、難解で、忘れられないでいた。

 

処が、今日2日のブログに、「やまなし」の世界がふるさとには残っている動画も含めた内容がアップされていたのである。

 

しかも、懐かしい春は桜並木に染まる「里見川」で、宮沢賢治の「やまなし」の世界が生きている。

 

ブログを繰り返し、何度も見ては、帰郷が実現できない悔しさに唇を噛み締めていた。