今日は、1964年、日本初の旅客用モノレールが、浜松町と、羽田空港間で開幕した日と知った。
かつて、現役で美術の仕事をしている時、父親が神戸で仕事をしていた関係もあり、関西の顧客が多く、月に一度のペースで、羽田空港の早朝初の
第一便で、同日の最終便を利用するといった生活をしていた。
それ以降、私は医療ボランティアという関わりに変わり、美術の世界から去り、病気の方の「話し相手」という立場で、今日に至っている。
ある方の上京に羽田空港を利用すると伺い、お迎えに出かけたが、余りにも民間までの多くの航空業界の進展により、まあ、目的地までたどり着くことの長いこと、まるで、お上りさんです。
きょろきょろ、目的地にはたどり着いたものの、不安は無ぐえない。
しかも、手荷物の有無によって、異なるのである。
仕方なく、相手に確認して、私は、精神的に落ち着いたものの、どうやら
私は、既に世の中のリズムに取り残されたのだという悲哀を感じた。
一方では、久しぶりにお迎えする方の変わらぬ笑顔に、ホットした。
久し振りにお目にかかり、浜松町までのモノレールないでのおしゃべりは
マスクもなく、とても楽く尽きなかった。