季節は純粋で従順

数日前から、散歩コースの公園や学校の植え込みの彼岸花が、茎は真っ直ぐ伸ばしているものの、まだ、開化までには時間が掛かるかなと、自分なりに予測をしていた。

 

ところが、今年は、両親の墓参をやめて、散歩に出た途端、公園や学校の植え込みにある彼岸花がまるで、今日が私の主役ですと言わんばかりに開化しているではないですか。

 

私は、今日の新聞に、「デジタル教育で自ら学ぶ」という日本経済新聞の24年度から小中英語で導入するといった記事に、歳のせいと常に言い訳をしている自分が情けなるが、もっと、子どもたちの信じられない「底力」

を信じるという信頼の元、伸び伸びと二度と帰らない学校生活について、

考えrrないかと私は、疑問に思う。

 

もっと、もっと、子どもは自然に自ら気づき、自らを築いていく力を持っているように思えて仕方がない。

 

自然の道理を知り尽くした季節の花のように、子どもたちは知っているのではないだろうか。

 

残念ながら、、それを発言できないどんどん既成かしている社会に、私はのんびりと自由に過ごした子ども時代を幸せに思っている。