今回の帰郷について、現在は母校の定年退職後、セカンドステーとして、活躍している嘗ての母校の校長先生に、私は精神的安定を求めていた。
かならず、これまでもじゃじゃ馬の渡しを、常に「笑顔」でコントロールして下さった、嘗ての校長先生、コロナ前に、母校に帰ると、必ず、私を見付けて「お帰えりなさい」と迎えて下さった教頭先生が、現在は隣接している小学校の校長先生に就任していらっしゃる。
「幻冬舎の読むカフェ」にアップ紹介済みである。
そのような母校の土壌に私は、改めて「ふるさとの持つ力」を実感していたのである。
母校を卒業して、迷いや苦悩が生じた時は、母校の小学校が受け止めてくれる存在であることを知った、私は新しく就任した母校の校長先生に御目に掛かることを何よりも楽しみにしていた。
幸いに、「稲刈り」の体験学習を機に、新しく校長先生に御目に掛かることを楽しみにしていた。
さらに、毎年、故郷の「桃」を贈って下さる母校のコミュニティー委員の現在、体験学習として「桃の袋掛け」の指導をしている方に御目に掛かることが、何よりの治療薬と思っていた。
どうやら、私には多くの「故郷の温もり」を、帰郷によって吸収したいとの想いがあった。
そのくらい、私に取っては「東京」が苦しめる土地になっていた。