丁度、一年前の今日9日に、国立新美術館でのメトロポリタン美術館展のパンフレットが、クリアーファイルに挟まれたままである。
新聞紙上でも、ジョルジュ・ド・ツウールの「女占い師」に、私は強い衝撃を受けていたからである。
それ以来、私はある種の思い付きが広がっていくのが分かり、何時かはと
想い乍ら、何故か、踏ん切りがつかないまま、時は流れてしまった。
そのころ、私は長引く新型コロナウイルスとの生活に、心身ともに何とも言えない苦痛を覚えていたのである。
友人からもいつもの私ではないとの心配をかけるほどに、精神的に異常だったのである。
勿論、自分でも重々分かっていたのであるが、泥沼に嵌ったように、藻掻いても藻掻いても這い上がれないでいた。
その時に、私のようにコロナとの共生を受け入れるのが苦手な同世代の人がいるのではないだろうかと思った。
嘗て、病院ボランティアで、「お話相手」として、病気の方に接し、誰かに話すことによって、一瞬でも、眉間の皺が消えてほしいとの想いを思い出したのである。
「一年前の宿題」は、まだ、どちらも積み残したままといった情けない状況が続いているが、想いは絶え間なく私に揺さぶりをかけて来る。