今日で「逃げる」と言われる如月こと2月の最後の日である。
振り返るのが苦手な私であるが、何故ゆえに2月という月に対しての様々な過ぎ去った出来事に逃げないで向き合いことが、次なる新しい想いの自分がいると気付いたからだ。
それには長く続いた私の思考回路に、依存という言われる部分が大であるという事である。
つまり、2年前の脳外科の手術から、常に再発の恐怖に怯えるあまり、嘗ての負けず嫌いの私は、腰が引けていた状態のまま、コロナ禍に突入したのである。
いま、来月新しく年輪を刻む私は、何としても、如月で思い当たる数々の
不甲斐無さに終止符を打ちたいとの想いが強く成った。
全ては発想の転換というか、心身共の再構築、リストラクチュアリングが
必要であると気付いた。
2023年もスタートして2か月と思えば、残された10か月を如何に生きるかという事である。
時間はまだ十分にあると想った私は、来月早々に年輪を刻む弥生に望みを託そうと想った。
しかし、之こそ、先送りであり、ちっとも、反省してないともいえるのである。
これぞ、私に対する喫緊の必要とされるリストラクチュアリングではないだろう。