生前父親から、奈良の東大寺のお水取りが、春を告げると言われた。
瀬戸内の温暖な気候に育まれた私にとっては、、これが春を告げるシンボリックなものとしてして捉えて来た。
全てが、「春」に向かてスタートとして希望にあふれた日であると、認識してきた。
正に、今日はその日である。
伝統ある重い言葉を、亡き父親から聞き継いだ私は、今、自然現象にも、想定外というか、人間の叡智では及ばぬことに、私は人としての驕りを感じている。
もっと、人間は謙虚に接しなければ都、想っているが、残念ながら、このような私の想いは一笑に付されるのが、今の現実である。