昨日6日の入学式では、あちらこちらでマスクを外し、伸び伸びとした笑顔がメディアで報道されていた。
今朝は新年度初の雨がお迎えると共に、一番温かい朝を迎えたと報じられていた。
凡そ、一か月前の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に掲載されていた「安心」と「信頼」について、先日来からの私が、熱くなって訴えていることをまるで代弁しているかに想えた。
振り返ってみると、既にこのコラム欄の掲載日は3月9日である。
既に私の中では、ふつふつと信頼を消失していたのではないかと思える。
現在、住まいに対して、地元の新築マンションを見ていると、分譲は見かけないで、賃貸がほとんどである。
永遠の棲家という時代ではなく、故に、賃貸であれば、ある意味で、棲家に対する認識も異なるのではないだろうか。
一定期間利用して、自分の生活スタイルに合わせて、自由に転居していくといった時代かと思ったりする。
しかし、賃貸であろうが、分譲であろうが、「安心」して過ごしたいという気持ちは変わらないと想う。
そこには賃貸にしろ、購入するにしろ、納得して棲家とするはずであり、納得したという事は「信頼」をした結果、棲家にしたわけである。
「春秋」によれば、新型コロナとインフルエンザが流行期の為、かかりつけの診療所で、「陰性」といわれ、何も施されていないのに、胸のなかに
日だまりのような温かい場所が出来た。これが「安心」なのだという。
さらに人を安心させる力は何だろうと、「信頼」の2文字が浮かび、もし異変が起きても、すぐにそうだんできる。
その頼もしさが心を鎮める。反対に言葉を発する相手が信用できなくなったとき、不安は雲のごとく湧き上がると記している。
数年間、マンションの管理組合の理事長を務めた際に、管理組合と管理会社がともに住民のために「安心」と「信頼」の提供を、怠りなく継続していくことが如何に必要かと思い知った。
今後も、一住民として両者が機能してもらうことを願っている。