現在の住まいに移って、間もなく10年を過ぎる。
当初は、東日本大震災の間接被害者で、47年住み慣れた自宅から、転居したのだが、予定以上に長居をしてしまった。
いわゆる等価交換方式で、分譲住宅の居住者も、高齢化により、どんどん
手放し、現在は投資用マンションとして様変わりをしてしまった。
故に、入居者の入れ替わりが激しく、まるで、共有部分の廊下は道路と見紛うほどの状態である。
何と、表現していいか戸惑いながら、パワフルマンションと称している。
そのパワフルマンションから排出される「ごみ」の量は、パワフルな入居者の食欲に代表される。
特に、コロナ拡大により、在宅ワーク者の増加、外出規制などで、食事の買い出しを控え、デリーなどの配達により、結果的に、容器の増加等々、
ごみは増える一方である。
月曜日と、木曜日が燃えるごみの回収日で、管理人さんは、日を追って、山積するごみと闘っている。
多様な入居者を前に、言葉の問題もあり、その苦労は傍で見ていて、唯、
通り一遍の「いつも、ありがとう」では済まされない程の限界である。
4月2日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に、京都市の条例が紹介されていた。
「ごみを撤去して終わり、ではない。当事者が抱える課題を解決し、地域で支えあうことを目的に掲げている」とある。
確かに自分だけが良ければという自己中心的な考えから、死語になりつつある「おたがいさま」というゆとりある感性を取り戻したいと、想う。