昨日の夕刻、散歩に出かけると見上げた空にくっきりとシャープな三日月が煌々と輝いていた。
想うと随分月と出会うことがなく、きょろきょろして探していると、すれ違う人が怪訝な表情をして通り過ぎていく。
その先に夜間飛行になるのだろうか、ちらちらと明かりをつけた飛行機が見えた。
こちらも想うに、験担ぎをするつもりは無いが、今年の長月は、月も飛行機にも見放されているようで、寂しい気持ちになっていた。
41日の闘い後の私は、喉元過ぎればといった生活スタイル等々に逆戻りをしたが、月と飛行機の出会いで奮い立つことができた。
近くの学校の植え込みには、夕空に季節の花曼殊沙華が茎をのばし、開化している。
明日から秋の彼岸入りに律義に開花するとは、温暖化で不安視しているというのに曼殊沙華が咲いている。
嘗ての「雑記帳」に曼殊沙華はサンスクリット語で「天界に咲く花」という意味で、花言葉は「また会う日を楽しみに」と書き留めていた。
来年、この季節が廻り、曼殊沙華に出会えるとは限らない。
この辺りでもう一度、仕切り直しをしようと気付かされた散歩になった。
このような気づきから、グダグダと先延ばしすることは止めて、エイヤーとやると決めた私は、自分でも驚くほど、パワフルに、スムースに進めることができた。
今夜も日課である夕刻の散歩に出かけると、風が心なしか秋風だった。
途中、スカイツリーが見えるところまで足を伸ばした先に、鮮やかでカラフルな光のモニュメントに、心安らいだ。
明日は彼岸入り、季節も変わり目、私も変わらなくちゃ。