天まで届け

朝から、近所の小学校から元気な声が自宅に届いてくる。

 

一方で今朝から、今年も残す日数を数えると、やり残している問題やスムースに進んでいないことなど、書き出してみた。

 

優先順位を考えながら、コロナ禍の時のような、先行きの不安感はなく、体力が続けば、自由に動けるのが、何より収穫に繋がる希望がある。

 

しかし、キラキラと輝く子どもたちの運動会が気になり、集中できない。

というのは詭弁であり、毎月月末に、価格不安定な事情に1か月ごとにお財布の収支を確認をしている。

 

先月パーフェクトに終了していたはずのスマホの利用料が、通帳には記載されていることに疑問を持った。

 

手続きをした代理店に連絡を取るも、自動音声による余りにも多いナビに

怒りを覚えるともに体力の限界を感じた。

 

そのようなもやもや状態から脱出するために、地元の小学校の運動会に、

故郷の小学校の運動会が、2019年62年ぶりに帰校した母校の小学校の運動会がオーバーラップする。

 

来賓席の私にも、玉入れの誘いがあり、私は白組を選んだ。

 

玉入れの籠は意外に高く、頑張ってみるも一度も籠には入らない。

 

その後、無様な私の玉入れを見ていた子どもたちから、「下手だなあ、来年は教えてあげるから」と何とも恥ずかしさやら嬉しさに故郷の温もりを感じた思い出がある。

 

地域の元気な子どもたちの声をかき消すかのように、私は利用している通信企業に対する不信感を持ってしまった。

 

後ろ向きな想いを吹っ切る様に、ただ、夕闇迫る中を散歩し続けた。

 

手帳の書き込みを見ると、枠からはみ出るぐらいの動きをしている。

しからば、実りがあったかというと、微妙である。

拘ることなく「バイバイ長月」である。

 

明日から新しい月、神無月が始まる。

どんな月にしようかなと、既に来月に想いを馳せている。