浅口郡六条院村(現浅口市)出身で、孤高を貫いた漢詩人「阿藤伯海」先生を地元では「はっかい先生」と親しみを持って呼ばれています。
私の手元に、わが故郷の出身の阿藤伯海に関する興味深い内容に、セピア色のなった日本経済新聞の切り抜きを残していた。
2011年3月7日の日本経済新聞の夕刊に、元日銀総裁の故三重野康氏が、旧制第一高等学校時代の恩師の阿藤伯海先生との思い出を記している。
阿藤先生は戦争が色濃くなった1944年に、故郷の鴨方町に帰られた。
1965年(昭和40年)4月4日の午前4時44分、奇しくも4が連なる時間に亡くなったとの記載している。
「はっかい先生」は、「4」という数字との不思議な符号に、敢えて、平成が4月30日でお別することもあって、ご紹介しました。
明治から昭和に活躍なさった「はっかい先生」を讃えて鴨方町に「阿藤伯海記念公園」があります。
「はっかい先生」の足跡を「あさくちブルー」の下で訪ねて見ませんか。
「はっかい先生」は梅を愛でた「流芳の丘」からは、新緑の季節を迎えた遙照山が遠くに臨めます。
間も無く、公園内には古代大賀蓮のうすピンクの開花が待たれます。
公園は旧居はいつでも開放されています。
亡き孤高の漢詩人の「はっかい先生」に想いを馳せ、「あさくちブルー」に映える新緑のもとで、去りゆく平成と新元号の「令和」を静かに迎えてはいかがですか。