2016年

9月

30日

マッチョなスマホ

昨夜の日経新聞にブラックベリーがスマホの自社生産から撤退するニュースが、小さく掲載されていました

スマホが現在のように主流になり始める前、私もすぐ新し物好きといいますか、興味を持って、通勤電車の中で利用している人のスマホが気になっていました。
そのような時に、隣にばっしと決まったマッチョなビジネスマンのマッチョなスマホに思わず、なんてカッコいいスマホだろうと思いましたが 、そのまま時が流れてしまいました。
帰宅中に、チョット粋な居酒屋の前に、見かけたことのない強烈な房に赤と黒の実がぶら下がっています。
せっかちな私はその強烈な実が気にかかり、図書館に立ち寄り調べましたところ、「ブラックベリー」とわかりました。
検索したところ 、なんと私が胸をときめかしたマッチョなスマホも「ブラックベリー」とあります。
なんという偶然でしょう。
かつてテレビの番組で、政治評論家の竹村健一氏が 、新聞の記事の中で 小さく片隅にある記事には思わぬ、今風で言えばお宝的な収穫があると話していましたことが、実感としてズシリと応えました。
そういえばと、検索しましたところ、「高齢のため、竹村健一資料館を9月30日で閉鎖」とのお知らせに、またもう一つ偶然が重なりました。

2016年

9月

29日

ちょっと、美術館まで

帰りの地下鉄の車内で、私より少し年配の夫婦が「そういえば、この地下鉄で上野まで行って、ほら世界遺産になった美術館に行ってみようか。なんという有名な建築家 の建物らしよ」「お父さん、見たいならいいわよ」

思わず、私は「ル・コルビュジェの国立西洋美術館ですよ」口を挟みたいところですが 、夫婦のなんと言えない歴史を感じる会話に入るのは、お節介極まりありません。
急に私が午後の予定があるのですが 、牛に引かれてではないのですが 、とうとう上野まで。
世界遺産決定後、間もなくコミュニティーバスで近くまで出かけたのですが、閉館時間になって諦めました。
その道の両側に白いムクゲと薄紫のムクゲが向き合って思わず見とれましたが、今は、多分盛りが過たことでしょう。
確か中学生の頃、両親と「松方コレクション」を観覧した記憶があります。
帰宅してロダンの「考える人」のポーズを真似したことを懐かしく思い出します。
時間がないので 、建物を改めて観てきました。
なんとなくそのまま帰宅する気持ちもなく、考えるマリ子のモードになりフラフラ歩いていました。
その道には、花びらに水滴の残った華やかなマリーゴールドの花が咲いていました。

2016年

9月

28日

変わりゆく街

月に一度、昔の職場だった紀尾井町に出かけるたびに、意欲的な勢いで街並みが変わっています。

かつての大手町もアレヨアレヨという間に見上げる建物に、小柄な私は自分が小さくなる想いに見舞われました。
大手町はかつての勢いがひと段落した感がしています。
夕刻の時間帯もあって、紀尾井町界隈は飲食店がが増えてきたせいもあり、なんとなくどっしりとしていた雰囲気から多くの人の賑わいを感じます。
さらに四ツ谷方面に向かう大通りも大きく変化しています。確かにここはといった記憶に自信をなくしそうです。
約2週間前には青い実をつけていた「ツリバナ」が赤い実になっています。
自然も街並みも休むことなく進化していますが、最近の私は少し普段よりピッチが落ちています。

2016年

9月

27日

香りをキャッチ

今日は先週までのメールラッシュから解放されて、久しぶりにのんびりできる予感がしました。

その予感は見事に外れました。
iPadに記載されているメモを確認したのが運のツキです。
すっかり忘れていることが幾つもあります。
確かではないのですが、脳が疲れると物忘れがひどくなる、脳にゴミが溜まるとやはり忘れることが起こるなどなど。
確かに頭がいっぱいになるといった友人がいますが、まさに脳にも容量があるのでしょうね。
一区切りついたので、郵便局まで出かける途中で、どこからともなく、大好きな金木犀の香りがします。
金木犀とクチナシの花の香りが大好きな私は、早速金木犀の香りを探して見つけました。
思い切り好きな香りをいっぱいにしているうちに、疲れが取れたようです。お陰様で気を取り直し残りのノルマを達成できました。

2016年

9月

26日

小さな冬が近くなる

毎年、この季節に楽しみにしている花があります。

赤い曼珠沙華は今盛りですが、私は白い曼珠沙華が好きです。ノーブルで、赤に比べて逆に華やぎさえ感じます。
気がついてみると、白い花が視界に入ると、必ずと言っても良いくらいにその花が気になります。
花ばかりでなく、ベースに白を基調としている私の好みがあるようです。
白と私のラッキーカラーといわれる緑の組み合わせとか、またせいぜい3色ぐらいで多色には拒否反応があります。
いよいよ富士山も初冠雪の便りや白身の魚のフグの初競りと、長期天気予報によればドカ雪もありとのこと。ドカ雪は困りますが、ソロソロ 秋 そして小さな冬が近づく季節になるのでしょうか。
しかし、今日はまた残暑が戻ってきました。
本当に気まぐれな季節が続いていますので、体調に気をつけましょう。

2016年

9月

25日

久しぶりの太陽

最近は、朝 部屋のカーテンをわ開けることに期待感をなくしていました。

今朝は雲っていましたが、天気予報を信じて期待していましたところ、日射しに気持ちが晴れ晴れしました。
1年前の25日、ミネルヴァ書房から刊行した日にあたります。単行本としては2冊目です。
できれば多くの皆さまの目に止まり、手に取っていただきたいとの想いがあります。ちょうど刊行後1年になりますが、その想いは続いています。
「星の王子さま」の著者のサン・テグジュベリは「書くことは考えることである」と。私は「書くことは悩むことである」ように思います。
なにごともこの世の中は甘くないということですね。わかっていてもやめられないからこそ、また懲りないでいられるのでしょうか。
井上ひさし氏が、ときどき散歩にいらした公園に、昨夜の雨の水滴を残したキバナコスモスが、太陽の光に生き生きと咲いています。

2016年

9月

24日

食欲の秋です

やはり少し気温が低いせいか、ボリュウムのある鍋物が恋しくなりました。

9月に入ってから、なんとなく慌ただしい日々が続いていたせいもあり、エネルギーーをと思い、牛肉と玉ねぎを買って帰り、煮込みでもと思っていました時に、友人から夕食に誘われ ました。
体力と栄養不足にならないようにと夕食を誘ってくれる有難い友人です。
お互いに遠慮なくおしゃべりをしながら、最後は昔のようにバイタリティーがなくなったねとの結論でお開きになります。
振り返ってみると、私は小学校の低学年までは すき焼きを始め、肉類がくどくて、受けつけなかったのですが、今はすき焼き大好きと成長しました。

2016年

9月

23日

カランコエの花

朝から私は今日23日が秋分の日と思い違いしていました。

慌てて玄関を出るや、まあなんと大粒の雨に慌てて引き返して大ぶりの傘とレインシューズに履き替えて、レッツゴーです。
今年の秋のお彼岸には、なぜか両親やご縁のあった方のことを思い出します。
最近、自宅の近くに、夕刻になると行列のできるメロンパンの店がおみ見えしました。
そのちょっと先に、生前父親と花屋さんに行くのが、交通事故で一人で出かけることができなくなったために、リハビリをかねての習慣でした。
残念ながら、その花屋さんは立派なマンションに建て替わっていますが、最後に買い求めた花がカランコエだったと記憶しています。
そして もう少しリハビリのためにと足を運んで、焼きたてのフランスパンを買って帰るためでした。
20日の日経新聞の夕刊に、港町の食として神戸のパンの記事がありました。
神戸で生まれ育った母が父とのお見合いの時「神戸のパンは美味しいですね」と話しかけたそうですが、母は「はい」と愛想ない返事にがっかりしたと 。
後に私に喜ぶと思ったのにと話してくれたことを思い出しました。

2016年

9月

22日

相棒はエクセル

今日はお休みです。秋分の日で大安です。

躍起になって始めた新聞の記事の切り抜きも整理が進んだので、久しぶりにエクセルに入力をすることにしました。
実は 私はエクセルが苦手なのです。理由は私の性格がエクセルのようにキチンと枠に収まることに、どうしても窮屈さを感じるからなのです。
でも今日は朝から決心して、積もり積もった記事をデータ化しておきたい、今日を逃すとまた折角の決意が揺らぎ、先延ばしします。
しかし、その心配は入力が進むうちに、目の前の切り抜きが片付き始めました。
お陰様で今日の相棒のエクセルとは、グッドパートナーでした。

2016年

9月

21日

自然の予知能力

暑さ寒さも彼岸までといわれますが、朝、夕の風が少し涼しく感じます。しかし湿度には、もうこりごりといったところです。

街のショーウインドーは既に秋モードに変わっていますが、まだ楽しむだけで実感は伴わないというのが本音です。
思いがけなく予定より早く用事が片付いたので、のんびり歩いていました。
ふと気がついたのですが、フォー・オフロックともいわれる白粉花が、その名前の通り夕刻の4時頃にパッチリと咲いています。
暦では秋の彼岸ですが、まだ自然の予知能力は夏の感覚が強いのでしょうか。
確かに私が苦手とする中途半端な季節と同じように、白粉花もまだ朝に開花する秋には時間がかかりそうですね。

2016年

9月

20日

心静かな一日

台風16号が関東地方にも今夜接近との予報を案じながらも、今日は昨日の墓参りで精神的に落ち着いたせいか、静かな一日を過ごせそうです。

美術の仕事をしていました時は、雨の日は約束以外は外出を控え、もっぱらお得意先に手紙を書いていました。お得意様によっては、その行動パターンを知って、「今日は雨だからいるとの思ってね」なんて嬉しい電話をしてくださる方もいました。
しかし、今の私は電話といえばセールスの電話と決まっています。
時代が変わり、必要とあればメールが電話の代わりに、声なき声の連絡が入ります。
そのような次第で、メールも珍しくなく今日は朝から一言も、一声も発していません。
こんな日が私にとっては、時には必要のようで、色々な意味でエネルギーチャージにもなります。

2016年

9月

19日

墓参してきました

今日は秋の彼岸の入りです。空模様を気にしながらも、今回は是非、両親に久しぶりに私の気持ちを伝えたいことがあります。

来年3月で、72歳になる前に、話しておきたかったのです。
日頃からあまりこんな殊勝なことを考えないのですが、なぜか、72歳になるまでに整理しておきたいという珍しくこだわりを持ってきました。
古希を迎えた70歳から始めたデジタル終活を、72歳を迎えるまでに終えるということを目標に、今年の秋の彼岸までにはある程度の目安をつけたいと考えていました。
70年近い人生を丁寧に整理することは体力が未だ残っているうちにとの思いとも重なり、頑張ったつもりです。
整理することは心を整理しなければができないとか、心の整理そのものと様々な考え方がありますが、不思議に私の場合は、霧が晴れるように物事がハッキリ見えてきました。
確か仏教では「諦める」ことは「明らかになる、明らかにする」ことだと言われているそうです。
まさにその通り、明らかになり、しっかりと自分を見つめることができたように思います。
申し訳ないのですが、私が見出した結論は明らかにできませんが、両親にやっと報告することができました。
どこからともなく小さな蝶が、淡いオレンジの薔薇の花にそっと羽根を休めていました。

2016年

9月

18日

白玉ぜんざい

日本人は 一過性というか熱しやすく冷めやすい国民性があるように思えてきます。

9月に入ると新聞やテレビなどのメディアに、高齢者関連を取り上げた報道が目に付きます。
昭和23年から2002年までは、9月の15日が「敬老の日」でしたが、翌年よりハッピーマンデー制度により、9月の第3月曜日に変わりました。今年は明日の彼岸の入りの日にあたります。
未だ9月15日の「敬老の日」に、地元でご縁のある高齢の方に昼食時にお招きするのが長く続いてきました。亡くなりました母親は「敬老の日」を楽しみにしていました。
昼食は仕出し屋さんにお願いするのですが、その後のデザートに白玉ぜんざいを作るのが先輩たちから受け継がれてきました。
私を含めて数名で役割分担して作ります。私の担当は白玉作りです。白玉粉を耳たぶぐらいの柔らかさにこねた白玉を約100個ほど作ります。
ある時、折角だから「栗」を一粒加えることが提案され、私が一粒づつお碗に予め入れることになりましたところ、一つだけ栗が無くなり、そのお椀を別にしていたのですが、うっかりして紛れてしまいました。
気が付いた時は既に遅しです。あるおばあちゃまから「栗が入っていると聞いたけど、私には入ってない」とお隣の人に訴えています。
その表情がとても悔しそうで、申し訳ないことをしてしまいました。今でも苦い思い出としてしっかりと残っています。

2016年

9月

17日

青い空があった

梅雨の晴れ間は鬱陶しい梅雨期には歓迎される表現ですが、今年の長い秋雨前線には辟易しています。

爽やかという秋はどこかに行ってしまって、今日も曇り、場所によっては局所的な豪雨に変わるという
パターンに、気がつかないうちに心身にも影響を受けるように思うのは、私だけでしょうか。
今日は久しぶりに早朝から、太陽の光を感じます。
ー思わず見上げた空が青く、百点満点の秋の空とは言えないまでも、とにかく貴重な晴れ間です。
それとばかりに窓を開け、重苦しい部屋の空気を追い出し、何はさておき洗濯をしなければと、不思議と昨日までの気だるだがなくなっています。
台風がやたらに日本列島をめがけて近ずいている中での、今日の晴れ間を有効に使いたいと思った人は私以外にも大勢待ちに待っていたことではないでしょうか。
数時間でしたが、久しぶりに東京に青い空がありました。
そしてつかの間ですが、納得のいく爽やかな土曜日になりました。

2016年

9月

16日

黄色のアサガオ

最近ご近所のアサガオの花が弱々しく見えます。そろそろ季節が移ろっているのでしょう。

収穫の季節には「読書の秋」もあります。どうも未だに悪質な胸のときめきに時々悩まされています。
歯がゆい限りですが、体質的にサーモスタットが正常に稼動しないのです。
まあ 仲良く共生していきましょうかね。
9月11日の日経新聞の「かがくアグラ」欄に東野圭吾の小説「夢幻花」で、江戸時代に幻の花「黄色のアサガオ」にトライする研究者の姿を描いていることに始まり、基礎生物学研究所の星野敦助教授らは黄色のアサガオを作り出したとの記事が紹介されていました。
また「脳にきく色  身体にきく色」の著者の入倉隆教授によれば 、「黄色く弱い色はくつろぎと心地よさをもたらす」さらに「人は黄色い光を温かく感じる」ともあります。
是非とも早く黄色のアサガオが市場に出る日を楽しみにしています。
黄色はビタミンカラーとも言われています。私は恐らくビタミン不足なのだと結論を出しています。
近所で「黄色のアサガオ」っぽい花が咲いていました。

2016年

9月

15日

ススキの値段

今日は「中秋の名月」と「十五夜」が重なるという珍しい日だそうです。

かつて、緩和ケア 病棟(ホスピス)では毎月季節の行事を行いますが、9月は「お月見」です。
ご存知のように、お月見にはススキとお団子を用意するのですが、一歩郊外に足を運べばススキが簡単に手に入ります。
ところが、都内ではなかなか、お月見の行事に合わせることは困難な為に、事前に花屋さんに依頼しておきます。
最初のお月見の時のことです、予約していた花屋さんに行くと、既に持ちやすく包装済みでした。
依頼したススキは10本です。花屋の店主いわく、「ありがとうございます、10本で4000円です」
思わず私はのけぞりました。「エッ、1本400円ということ?」絶句してしまいました。
その時懐かしいススキの思い出が頭をよぎりました。
未だ、美術の仕事をしている頃、毎週のように通い続けていた、龍ヶ崎カントリークラブには常磐線の佐貫という駅からクラブバスを利用することが常でした。
ところが、その日はプレー後の集まりでクラブバスに乗り遅れ、龍ヶ崎にお住いのメンバーの方に龍ヶ崎の駅まで送っていただきました。
駅の柱にポリバケツにススキが沢山あり、その柱には「どうぞよろしければお持ち帰りください」との貼り紙があります。なんとも言えない土地の温もりを感じました。
今となってはススキあっての季節の思い出です。

2016年

9月

14日

ラニーニャ現象と銀杏

先日、気象庁からラニーニャ発生、秋は気温高めとの見通しが発表されました。

いささか私は台風のラッシュにちょっと疲れてきました。
これは体力をつけなければとの思いが強くなります。
食欲の秋、芸術の秋と心身共に夏の疲れを癒す季節ですが、どうやら、季節のリズムも乱れがちと感じるのは私だけでしょうか。
父親の影響のせいか、はたまた本能的なものなのか、アクの強い木の実や牛蒡などの根菜類にスーパーに
行くと手が無意識に手に取っています。
雨の多い連日の天候に、見上げるほどの大きなイチョウの木に耐えきれなくなったのでしょうか。未だ熟していない青い銀杏の実が落ちていました。
周囲にはあの黄色く色付いた葉には程遠い、無惨にくすんだ落葉が重なり合うように落ちています。
最近の混沌としている東京都の都政のように、似ているなあと思いながらも、早く美味しい銀杏を食べたいと思う自分がいます。

2016年

9月

13日

秋雨前線の中で

季節は時には迷いながらも、秋雨前線を味方につけて確実に秋の力をつけ始めています。

昨夜からの気まぐれな雨に振り回されながら、朝から雨靴で出かけることにしました。
運悪く、強い雨の中をうつむき加減に歩いていると、雑草に囲まれた中に、取り残されたかのように小さな花が雨の中でポツンと咲いています。
なんとも言えない愛おしさを感じてしまいます。たまたまうつむいて歩いていたから気がついたものの、急いでいれば見落としてしまいます。
医療ボランティアを始めてかれこれ25年近くなりますが、あらためて小さな見落としがちなことに「気づく」ということの大切さを学びました。
治療のため、予約のためには、悪天候でも足を運ぶことにはなります。
特に病院では予約が優先され、今日のような不安定な日に体調を崩す方が多くなります。
そんなことを考えながら歩いている時に、見つけた小さなピンクの花に私は病気の方への想いをはせていました。

2016年

9月

12日

二つの卵事件

今日は1992年に亡くなった母の誕生日です。健在でいれば、今年で86歳になります。

2日ほど前の日経新聞に、最近は飲んだ後の締めにサンドイッチを食べる「締めサンド」が人気との記事が紹介されていました。
もともと、サンドイッチが好きな私は、今日の午後はタマゴサンドを作ろうと朝から思い続けていました。ちょうど昨日でタマゴを切らしていたために、出先のスーパーで買い求め、郵便局にも立ち寄りました。
そのまま、一度帰宅したのちに郵便局に行っても良かったのですが、空模様を気にしていたために雨に会わないうちにと立ち寄ったのが、事件の始まりでした。
支払いの際に、カウンターから滑り落ちてものの見事にケースの中のタマゴは全部傷ついてしまい、すでに卵白が流れています。
ハッと思い出しました。確か家族で出かけた帰りに夕食の材料の一つにタマゴもありました。今のようにプラスチックのケースではなく、赤いネットの袋だったと記憶しています。
用心深い母は、タマゴだけは割れやすいからと、別にして母が持って当時の国電に乗りました。
次の駅で下車するので、母が最後に乗り込んだのとほぼ同時にドアが閉まった時、母が「タマゴがドアに挟まれた」と周囲が驚くほどの叫び声をあげたのです。
既に時遅しです。紙袋から卵白が糸を引くように流れています。
親子揃って、似れば似るものですね。偶然すぎますが、なんとも情けない気持ちで、とうとうタマゴサンドはオアズケとなりました。

2016年

9月

11日

「赤い」色

昨日夕刻に図書館から 、予約していた図書が届いたとの連絡がありました。2冊のうちの一冊で、楽しみに待ち望んでいた図書でした。

芝浦工業大学工学部電気工学科教授の入倉隆博士による「脳にきく色 身体にきく色」です。
まず私は、タイトルに惹かれ、早速読んでいる時、つけっぱなしにしているテレビから広島カープのリーグ優勝が流れてきました。
まさに25年ぶりの優勝で周囲はファンにテレビの画面は赤一色に染まっています。
入倉教授の著書によれば、「赤は近くに見える」と著わしています。
さらに「最も近く見える赤ともっとも遠くに見える青とでは見える距離が10%以上の差があるという結果になっています」とも述べています。
広島カープの優勝は、入倉教授には失礼を承知の上で、選手と熱いファン自らが近ずけるパワーを近づけた結果ではないでしょうか。
一方で忘れてはいけないのは、11日と奇しくも年月の経過は異なりますが、9・11と3・11のことです。
「千日紅」は「仏花」とも言われています。非常に複雑な気持ちにかられる一日です。

2016年

9月

10日

二百十日と二百二十日

今年は台風の発生が少ないと思っていましたが、とんでもなく立て続けに日本を狙い撃ちしています。

最近では、気象予報士からも台風の発生時期にあたるを9月1日頃を二百十日、今日9月10日を二百二十日と言って、特に農家や漁師にとっては注意喚起を促したものです。
特に実りの秋を迎え、たくさんの果物が実をつけています。そんな大切な時期に台風の被害にあったらたまったものではありません。
通り道に幾つの実がぶら下がっています木を初めての見かけました。
なんとなく季節がらどんな味がするのだろうかと興味がありましたが、小学生の頃、苦い経験をしています。
「メジロ」の餌と言われる紫色の小粒の木の実を、同級生の男の子に勧められるままに摘んで数粒食べました。味もなく、ただ皮が固いことは記憶していました。
帰宅した途端に気持ちが悪くなり、母親は私の口を開けさせるや、舌が紫色になっていることに私を激しく問いただしました。
経緯を聞くや母親は私をおぶってかかりつけの医者に連れて行くや、先生は素早く処置をしてくれたそうです。
と言いますのは、その時には私は意識がはっきりしない状態でぐったりしていたと、母親から聞かされ、ひどくひどく叱られた記憶が蘇りました。
私には木の実と実の危険を経験した9月は厄日の思い出です。
念のため「ツリバナ」は赤い実になるそうです。

2016年

9月

09日

菊の節句

今日は五節句のひとつ「重陽の節句」だそうです。実はこの年齢で初めて知ったからです。

ずいぶん重々しい表現が、また気になります。
調べると、「菊の節句」とあり、近親感を覚えました。最近は、素朴な菊の花を見かけることが少なくなりましたよね。
疎開先では蚊取り線香の材料としての「除虫菊」しか知らなかった私が、食用菊の存在を知る機会がきました。
 小学生の時に父親の晩酌のつまみとして出された黄色の菊の酢の物を 、母親が私にも一口勧めてくれました。
恐る恐る口にした私は子供心に「美味しい」と思い、食用菊の季節を待ち遠しく思うほどでした。
その後、鶴岡の友人宅で「もってのほか」といわれるうす紫のシャキシャキとした歯ざわりの酢の物をいただくことがあり、ますます菊に対して私はハマってしまいました。
この「菊の節句」には、お酒に菊の花びらを入れることも知り、想像ですが、菊の香りに包まれ季節を感じるのではないでしょうか。やはりお酒は日本酒でしょう。
ところで、最近のお刺身のツマに添えて小さな菊の花を見かけなくなったように思うのですが。
菊の季節になると、毎年父親は私を「菊人形展」に連れて行ってくれたことを懐かしく思い出します。

2016年

9月

08日

ロマンティックな天文学者

今朝、出かける前にとても興味深い記事を見つけました。

今月は中秋の名月や十三夜、十六夜などと宇宙とのご縁も深い9月です。
興味深いといいますのは、水星のクレーターの名前が掲載されている日経新聞の「春秋」欄によれば、古今東西の芸術家たちの一覧表だと記載されています。
興味以上に驚いたのは、なんとクレーターの一つに「紫式部」、「狩野永徳」の名前も付けられていつということです。
しかし、その名付けた根拠も知りたい気持ちになりました。
ちょうど今、紫式部が記事の掲載に満を記したように生き生きとしています。

2016年

9月

07日

アベリアの通り

かれこれ15年前に教育関係の立場で訪れたことがある上野駅に近い社会教育センターに、やはり今回も将来の2020年を迎え、さらなる将来の教育についての委員会に伺いました。

運良く雨にもあわずに、逆に残暑特有の陽射しが厳しいので、日陰を選んで左右の道路を行き交っていた時に気がつきました。
その通りの両側がアゼリアの花が咲き誇っているのです。駅から駅のひと区間ですが、ぎっしりと白い花をつけたアゼリアの道です。
最近は、あちらこちらで季節季節の街路樹や公共施設の周辺も花や緑など様々な工夫がされています。
特に、最近ブログを始めてから今まで関心もなく通り過ぎていましたが、大いにキョロキョロしています。
物の本で読んだ記憶があるのですが、江戸時代に下町で軒先や路地に草花といいますか、今日の園芸が盛んであったとありましたが、下町にはもう一つの「演芸」も盛んだったようです。
お寒くなりますが 、園芸も演芸もというわけですね。

2016年

9月

06日

ガラスの天井がない

年々年を追って学生ボランティアの希望者が増加しています。

高校生の学生さんでもすでに、将来を見据えて医療職を目指して 、また特に著しいのは女子大生です。
大学院まで進み専門職に就きたいとか、研究に励みたいとか、その中でも女医希望との学生さんが多いという現状に、日本もいよいよ「ガラスの天井」がなくなる時代の予感を感じています。
頑張って欲しいと願う気持ちと、私たちの年代では、まず大学を卒業したら、次は結婚という認識が当たり前としてまかり通る時代でした。
私の両親などは、当時女性は結婚の適齢期は24歳までとの制約が根強く、適齢期までに結婚できないと、バーゲンセールにかける事態になると、時間があれば懇々と諭され続きました。
今の女子学生さんがとても羨ましく思います。
医療ボランティアを希望する学生さんには、男女の性別を問わず、私は大歓迎です。私が体験したことを少しでも伝えることによって、私は生きがいを学生さんから頂いています。
そして、本当に困って手を差し出す病気の方から「ありがとう」という感謝の気持ちの重さを忘れないで社会で羽ばたいていって欲しいと、思っています。
このノーゼンカズラの花言葉のように「花のある人生」を送れますようにと願っています。

2016年

9月

05日

月曜日はリセットデー

今朝、起床するや何故かウオーターヒヤシンスともいわれるホテイアオイの花が浮かんできました。

週の始めが、日曜日なのか、月曜日なのか、各人各様だと思うのですが、私は月曜日が一週間のスタートと思い続けています。
かつて毎週、日曜日にはホームコースでゴルフで下手なりにプレーを楽しみ、月曜日にはいつもスカッとして、仕事についたものです。ところが 最近はその爽快感といいますか、スカッとさがなくなっています。
しかし、世の中はそんなに捨てたものではなく、地下鉄の日比谷線の広尾駅から外苑西通りといわれる418号線の天現寺橋交差点までの左側に、ゴルフウエアの店が確か5店舗ほどあり、ウインドーショッピングを楽しんでいます。
特に月曜日の朝は私なら 来週はこのウエアを着てといった具合に、臨場感を味わっています。
また、三ヶ月に一度もは月曜日に銀座に出かけるのですが、地下鉄の銀座線の銀座駅から歌舞伎座のある東銀座迄の地下街にある銀座プロムナード・ギャラリーの作品にとの出会いがこれまた楽しみです。
今日は手作り木版画の中桐ヒロミさんの作品に目がとまりました。
と同時に頭をかすめるのが、作品に対しての建物を考えていますかつての自分に気が付き、そうか、もう過ぎ去った時代でしたと、現実の世界に呼び戻されるのですが。
おかげさまで久しぶりにスカッとした月曜日になりました。
やはりまだゴルフと美術に未練があるようです。
ホテイアオイの花言葉は「揺れる心」とありました。

2016年

9月

04日

初めての宇宙育ちの花

テレビで夕食の時間帯に、にぎり寿司の番組を見ていたら 、是が非でもにぎり寿司が食べたくなり、スーパーに走りました。

最近は出かける時、特に台風12号が接近しているので空を見上げたところ、遠くに飛行機が見えました。また、スーパーに着くまでに、今年の1月に国際宇宙ステーションで、初めての宇宙育ちのヒャクニチソウの花が咲いたという記事を思い出しました。
念願叶い、にぎり寿司をいただきました。
本来私は夕食は軽めで、普段ですと6時ごろのライフサイクルですが、、今日は誘惑に負けました。
ところで今度はその記事が掲載された日経新聞を探し、確認し終えて今、無事終了です。
今週は残暑バテと台風疲れ気味なので、明日へのエネルギーーのチャージになればと思うのですが。

2016年

9月

03日

宝くじと虎

昨日9月2日は宝くじの日でした。今週月曜日に地下鉄で宝くじの社会貢献事業の助成で作成されたという「虎」のポスターの作品がとても穏やかな表情で、多分雌の虎ではと勝手な想像をして、電車の振動に任せて見ていました。やはり長年の美術商の魂が抜けきらず、作家のサインが気になりました。

家族や特に娘さんの成長を題材に温かく愛情があふれた作品のイメージがあったので、虎とは珍しく思いましたが、精悍さが感じられないのです。サインがわかって納得しました。
大津英敏氏の作品でした。降りるまで微笑ましく温もりを感じる楽しむことができました。
虎の話はこのくらいにして、私は一度も宝くじを買った経験がないのです。
有楽町で長蛇の列に出会うと、驚いてひいてしまいます。
でも買えば欲張り根性を出しそうで、たくさんの実りを期待しそうです。
恐らく私がゲームを始め、宝くじの類に関心を持たないのは、外れたり、負けることが大嫌いの小心者だからです。

2016年

9月

02日

またもや時刻の符合

異例のコースを辿った台風10号の岩手県岩泉町の高齢者施設、特に認知症のグループホーム「楽ん楽ん」の内部の被害状況が報道された時、偶然にも時計が午後7時46(45)分で止まっている映像に、阪神淡路大震災、東日本大震災との自然災害の時刻が符合しているではありませんか。

また、建物爪跡を見た時、東日本大震災で津波に被災された南相馬市の老人保健施設がフラッシュバックしました。やはり、建物の壁には、津波が押し寄せてきた高さが黒くはっきりと残っています。また、ちょうど三月のひな祭りを楽しんだと思われる入所者の手製のひな飾りがまだそのままの状態です。
私が南相馬市の小高地区の鹿島仮設住宅をお訪ねしたのは、地震発生後1年を経てのこの光景です。
台風の上陸が珍しい土地に、しかも本来であれば、くつろいでいる時刻です。どんなにか、突然のことだけに入所者の恐怖には言葉が失してしまいます。
また台風12号が九州方面に上陸との予報ですが、収穫の秋を迎えています。できれば予報が外れることを願うばかりです。

2016年

9月

01日

見ざる・聞かざる・言わざる

今日は防災の日。命あっての物種とは言いますが、メンタルな部分も防災の一つとも考えています。

私の友人で、初めて妊娠した時に、今まで何ら抵抗なく聞くことが出来た長年の知人の声を聞くと、つわりのせいで急に吐き気をもよおすようになったという話を思い出しました。
私の周辺で、ある人の話なのか声なのかが耳障りになるという。聞くところによれば、その人が話を始めると耳を塞ぐそうです。なんとその状況は5カ月も経ているのでした。
その行為に気づいていたのですが、まさか自分にのみの行為とは考えられなかったのですが、どうやら該当するのは自分のみと察したのです。
それぞれの必要上の事情があってのことでこれといった結論は出ない問題です。
今年は、申年、そういえばハタと思いついたのが、日光東照宮の左甚五郎作と伝えられている「三猿」の「見ざる・聞かざる・言わざる」にヒントを見出したのです。
礼儀作法はキチンと隙のないようにすれば良いのであって、関わりが少なければ、必要なことだけを落ち度なく礼を尽くして行動すれば良いのではないでしょうか。
ただ、日光東照宮には左甚五郎作の「眠猫」は傑作と言われていますが、「三猿」は?。
都内のマンションとマンションの隙間に「フランネルソウ」が咲いています。花言葉は「強い気持ち」だそうです。
これは私のことで、カナリヤの声と自惚れていましたが。まあ人生も声もいろいろあっていいのでは。
9月からこのスローガンを掲げて参りましょうか。相手は手強いので私の独り相撲かなぁ。