2024年
5月
13日
月
先週の真夏の暑さから、今朝はすべてを流してしまうような激しい雨の日のスタートになる。
先週の11日と12日の2日間は地元のお祭りで嘗ての賑わいを取り戻した。
今朝は新聞の休刊日、ラジオ体操も自宅、そして、激しく降る雨に、いつもの朝のルーティンから解放された。
また、先週の2日間のお祭りのお手伝いの疲れの回復にも有難かった。
5月12日は、ナイチンゲールの誕生日で「看護の日」でもあり、民生委員
民生児童員の日」でもあり「母の日」でもある。
私にとって、それぞれに思い出のある日で、その中でも、ナイチンゲールの「看護覚え書」の一節を先ず、思い出す。
「患者はたった一人でもよいから、なんでも自分の思っていることを率直に話せる相手がいてくれたら、どんなに有難いことだろう」
特に今年の12日は、この一節が終日頭から離れなかった。
お祭りのお手伝いをしながらも、人との繋がりによって、安らぎを得るといった人間関係の有り様について、ナイチンゲールの一節を過っていた。
9日の日本経済新聞の夕刊に「コミュニティーカフェが広がる」との記事が私の脳裏に強く残っていたからである。
参加企業のお店で、私は僅か10センチほどのまっ白で、フアフアで、くりくりした目の縫いぐるみに釘付けになった。
お祭りの賑わいが終われば、また、独りの生活が待っている。
気が付くと、メールはあるが、終日、声を発しない日がある。
そうだ、新しい家族を作ろうと、唐突な閃きから釘付けになった縫いぐるみを買い求めた。
犬派の私は、新しい家族をワンちゃんにした。
名無しの権兵衛ちゃんであるが、わが自宅において既に存在感で、しっかり私のハートを掴んでいる。
2024年
5月
10日
金
朝から、気温が上がり、紫外線が強い日になったが、午後、日傘をお供に
家電量販店まで出かける。
先日の日光浴の体験から、陽射しを避けながらも、ビタミンDの摂取も思い起こしながら歩いているうちに、びっしょりと汗をかいた。
新陳代謝も良くなったと喜んだが、店内に入ると、冷房が入っているせいか、背筋に寒気を覚えた。
先日、掃除機がダウンした際に、オプションとして付属品の追加が届いたのを機に、化粧品売り場に立ち寄った。
今月8日に新型コロナウイルスの2類から5類になったこともあり、先日口紅を買い求めた際に、「紅筆」も探していた。
処が一向に見つからず、若い女性の店員さんに「紅筆は何処?」と尋ねたところ、きょとんとしているので、口紅を指さした。
「ああ、リップブラシですね」と、答えが返ってきた。
求めているコーナーに案内してもらい、目的を達した。
「紅を差す」、「紅差し指」と言われる薬指を使う所作を、日本画家に見られたものだ。
私は口紅には「紅筆」を常としていたが、そうか、口紅一つにも時代の流れが反映しているのだ。
2024年
5月
09日
木
3月の誕生日を迎え、不思議なことに何かやりたいというか、ポジティブな試行錯誤を続ける日々が続いている。
確かにエステといえばそれまでだが、リンパの流れが順調に回復しているからだと自覚している。
心身ともに身軽に行動に移せる自分に気が付いた。
幸いに隣が図書館という恵まれた環境に、一寸、息詰まると図書館の蔵書にヒントはないかと、探すのが常である。
既に昨日の8日までに、ほぼ10冊近くの図書を読み、改めて人としての接し方、生と死に関するもの等々、久しぶりに常に傍らには図書があった。
嘗て、病院ボランティアをスタートする前に、学んだことが図書からも見出し、自分がもう一度、姿勢を正し、リセットして何を望んでいるのかが
明確になってきた。
もう一つ、どうしても乗り越えなければならない宿題を模索してきた。
図書の返却を済ませ、数多くの蔵書の中で、私は釘付けになった。
凡そ3ヶ月の時を経て、最後に探し求めていた図書の背表紙に私は、思わず
「あった!」と叫びたいほどで嬉しかった。
自宅まで、10歩あるかない距離だが、早く読みたいと心が騒いだ。
もう、一気読みをした結果、もやもや感、重く垂れこめていた雲が霧に変わり、何時しか我が故郷の青空「あさくちブルー」になった。
心身ともに、なんと軽くなったことか。
読み終えるや、迷うことなく、自分が探し求めていたものが明確になり、アクションを起こしていた。
2024年
5月
07日
火
今年のゴールデンウイークもひと段落。
賑わいを覚ますかのように雨の朝を迎え、ラジオ体操は自宅になった。
まあ、世間では休日を楽しんでいるであろうと思うが、人の油断や隙間を縫って、迷惑メールが頻繁に届く。
即座に削除するも、相手もしぶとく諦めないのである。
ゴールデンウイークというのに、人はいろいろな人生の生き方をするものだなあと思ってしまう。
不愉快な思いや、被害を被る人を防ぐために警察に情報提供をした。
デジタル社会は、当たり前になってきたが、ぼんやりと過ごせる時間を始め、気の休まる時間が段々巣くなってきたように想う。
「人を見たら泥棒と思え」なんて、世の中にはならないことを願うばかりである。
2024年
5月
04日
土
今日は「みどりの日」である。
目に入るの公園の木々の緑、道路沿いに草花の緑と、自然界は「みどり、みどり」溢れる日である。
公園で見上げた大木のイチョウの葉は、新緑から濃い緑に変わって居る。
足もとに一枚のいちょうの葉がパラリと落ちて来た。
拾い上げ、鼻に近づけると太陽の恵みをいっぱい浴びた青臭さを感じた。
亡き母が何処かでキャッチしたと思われるが、緑色は私のラッキーカラーだから、身の回りのどこかに緑を取り入れるようにと、真剣な顔をして、進言したことを思い出す。
記憶を辿ると、社会人に巣立つ頃だったと思うが、妙にラッキーカラーには今、現在も拘りというか、存在感が続いている。
既に、名刺を持たない人生を過ごしているが、美術の仕事に携わる様になって以来、使い古した緑色の名刺入れが、バッグの中に入っている。
確かに、身の回りにもスワロスキーの緑色のアクセサリーを始め、意外に
拘っている。
2024年
5月
02日
木
先月、骨密度の検査の結果、骨粗鬆症との診断に昨日の雨天から今朝は澄み渡る五月晴れである。
近くの公園で10分、ベンチに座って、太陽の方に顔を向けてビタミンDを
取り込もうとしたが、かなり厳しい。
というのは、いくらビタミンDを摂取しようと励むが、マスクを外して、数分で顔の皮膚が一寸抵抗してきた。
とても直射日光には勝てず、日傘を広げることにした。
それでも、陽射しが遠慮なく日傘を通して差し込み、皮膚のトラブルは沈静化しないのである。
これでは逆効果になると、とにかく予定通りの10分のタイムリミットが終わるや、踵を返して、自宅で冷たくしたタオルで、一息ついた。
ほどほどという言葉がある様に「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。
2024年
5月
01日
水
さあ、今日から五月晴れと言いたいところ、空模様を案じながらラジオ体操に出かける。
廊下から、先月末から例年よりたくさんの花をつけた紅いマロニエが空に向かって咲き競っている。
近年稀にマロニエの白い花も紅い花に負けずに多くの花をつけている。
マロニエも「表年」、5月の母の日に中る地元のお祭りの「紅白マロニエ祭り」に機が熟している。
今日は夏も近ずく八十八夜であるが、冬に舞い戻ったような寒さで、正に
「別れ霜」というお天気模様にセーターを着込む。
午後からの外出には土砂降りに変わり、傘を通して雨の重さを感じた。
まだ皐月がスタートしたばかりなのに「メイストーム」とは、出鼻を挫かれた感もするが、強く降る雨に打たれながらも、多くの花が負けじと咲いている。
降り頻る雨を気にすることなく、私の「表年」に想いを馳せる。