来月、故郷の小学校での講演は、母校の校長先生のメールに始まる。
驚きと戸惑いと嬉しさが同時に込み上げてきた。
やがて、嬉しさが日を追って広がった。
現在の通信手段はメールに始まり、メールに終わると言っても過言ではない。
今回、「メールの力」というか「メールの存在力」によるところが大である。
この年齢になると、ともすればデジタル化のスピードに追いつかず、「デジタル疲労」という言葉が生まれている。私も漏れなくその一人である。
時々、私のデジタル能力を買い被らないでと、叫びたくなる。
然し、今回はメールの力を持って、此処まで漕ぎ着いたのだ。
あと2週間で、61年ぶりの懐かしい故郷と「メールの校長先生」に逢える。
日を追って故郷で過ごした日々が走馬灯のように蘇っている。