2018年
9月
26日
水
東京都心に初の猛暑日が出た日から、私はある想いを心に秘めて、新たに月曜日から金曜日まで、緊急の予定がない限り、これまでの週に2日ないし3日のボランティア活動を、月曜日から金曜日迄再開した。
「量より質の高いボランティア」という考えが私の基本姿勢である。
一番悔しく思うのは、「ボランティアさんだから、仕方がないのよ」と言われる事であった。
また可能であれば、活動日を決めることによって、ある意味でお馴染みのボランティアさんがいる事で、病気の方は安心するのである。
ボランティアを始めた時、私が大変お世話になりなった元院長先生より、
「外来のスタッフが激しく変わることは、好ましくないと思っている。
出来れば時間の許す限り、都合をつけてくれると助かるのだが」と私に
遠慮がちに、自分の病院に対する気持ちを察した。
それ以来、出来るだけ恩のある元院長先生への恩返しとの想いで続けた。
約12年間近くは、講師依頼とか、体調不良でない限り頑張れた。
嘗て、「体験は力なり」に始まり、「継続は力なり」という私の活動を評価してくれる人も増えた。
私は専門的に長年学習や資格を取得しているわけではないし、また素人目線の立場で、目線を病気の方に合わせて接したいと言う気持ちしか持ち合わせていない。
予感めいた想いが脳裏を過ぎった。時間に余裕が出来るのは、恐らく今年の夏の期間から3ヶ月を逃すと、今後は難しくなるなと感じていた。
始めがあれば、終わりもいつか訪れる為に、そろそろ自分なりにある程度の時間を持って準備しておきたいと思うようになっていた。
今年の暑さは格別である。健常人すら身体に、精神的にも疲労感を覚える程の厳しさである。
兎に角、心に封じている想いだけは達成したい一念だった。
拠り所のない苦しみに対し、何処かでひたすら秋を待つ気持ちが宿り始めていた。
一方で、可愛い少女との出逢いに、母校の子どもたちに想いを重ね合わせるように思いがけないプレゼントの機会に、笑顔の力で乗り越える日を迎えた。
2018年
9月
19日
水
先日、尊敬する方からの宿題であった宮川徹志著の「僕は沖縄を取り戻したい~異色の外交官・千葉一夫」についての読後感をお伝えする機会ができました。
素直に私は、「このような時代こそ気骨のある千葉一夫氏のような方がいらしてほしい」と一言だけ、多くを語らなくても、気持ちを受けとめた表情から、私自身ふっと、あのような書籍に巡り合いたいといった虚脱感と、夏の疲れを感じ始めていた。
そういった状況に陥った時は、あれほど断捨離、断捨離といって処分して
いるつもりだが、新聞の資料だけがまだ残っている、残してある。
まだ記憶に新しい新聞の記事を思い出した。
2018年8月14日の日本経済新聞の文化面に、写真家の山村善太郎氏の「街の御神木に根付く伝承」に掲載された写真に見覚えがある。
記事によれば、「岩手県名の由来ともされる岩」の写真である。
2015年9月に岩手県立中央病院の「ボランティアひまわり15周年記念」の講演依頼の翌日、数名のボランティアさんに案内された三ツ石神社の「鬼の手形」といわれる巨岩である。
山村氏の記事にも紹介されている通り、『鬼に「二度と悪さをしない」という誓いの手形を岩に押させ、人々が鬼の退散を喜んだという伝説が残る』とある。
実は、この巨岩に「鬼の手形」が残っているそうで、それを見つけると、幸運に恵まれるとのことで、私もその幸運に挑戦するも、相手は年月も
経ており、またあまりにも巨大すぎる。
欲と道ずれに10分ほど探したが、とても叶わないと知る。
せめてもと、自分の手で感触を確かめるに終わった。
本来、美術の仕事をしている頃は、出張が多く、日曜日にはゴルフにと
生活に変化があったが、最近は同じ日常のリズムに疲れを感じていた時だけに、前日は、病院の院長先生を始め、賑やかに15周年記念を、また郷土料理も十分食した翌日だった。
「石川啄木の新婚の家」や、国立岩手大学では「宮澤賢治センター」で、また大学の構内の自然の樹木の素晴らしさに離れがたいものを覚えながら、帰郷した。
出張が決まり、新幹線では仙台までしか利用の経験がなく、仙台を過ぎた頃から、社内の温度がグンと下がった記憶を思い出した。
本当に、初めての土地で温かく迎えられることは印象深く残る。
さて、私の「手形」は今後の運がどちらになるのだろうか。
また。断捨離に新聞だけは加えていない成果でもある。
2018年
9月
13日
木
思いがけなく診療技術部から「接遇マナー研修」の講師依頼がある。
コメディカルともいえる分野で採血、放射線科、エコーや心電図等の臨床検査科、リハビリテーション科、病院食や栄養指導の栄養管理理士など、それぞれ、幅が広い職種のスタッフへの研修である。
これまで、病院には大変ご縁が深いというか、お世話になっている立場でもある。
しかし、リハビリテーション科とは無縁で、この歳まで過ごしてきた。
幼少期に土地柄から、小魚をよく摂取していたせいか、骨折も捻挫もなく思い起こせば約1年前に、点字ブロックで踵を乗り上げた結果、歩くと痛いので、自宅近くの整形外科に寄った。
アキレス腱周囲炎とかで、湿布薬でお終いといった程度の経験しかない。
病院ボランティアをしていると、入院中の方や、通院の方で、時間的にも長くかかわっている職種はリハビリテーション科ではないだろうか。
「休むと元に戻ってしまうから」とか「痛いけれども、ここでしっかり頑張ってね」とか、かなり辛そうな表情が一番顕著に現れ、長い時間帯のお付き合いもあると、推察される。
もともとは、理論は習得済みのスタッフが対象なので、約2か月近く、密かに病気の方へのスタッフのかかわり方について観察を続けていた。
病気の方の目線で、スタッフを見ていると、いろいろといかがなものかという問題点が見つかった。
講習会とか、講義とかで、私と同様の経験をしている人もいるかと思うが、先に理論ありきは苦手である。
人は不思議に失敗談に理解を示してくれるように、表情から受け取れる。
後に、そういえばと理論につながっている。
新人研修は別だが、お浚い、復習でよいと思っている。
実は、講師依頼には事前に、何倍かの学習が自分に課せられている。
故に感謝し、学び直すのは私の方である。
2018年
9月
04日
火