2019年

2月

28日

如月の雨に想う

今日は平成年号としては、最後の如月の日である。
朝から静かに降り出した雨は、間も無く白い糸を思わせる程の真っ直ぐで強い雨に変わった。
雨は苦手の私だが、今日はこの降りしきる雨を快く思っていた。
静かに迫り来る姿の見えない私の変化を、静かに見つめたいと思っていた。

私には既に実家は無いが、24日に私が実家と心安らぐ小学校の校長先生が都内とその近県の小学校見学で上京の日だ。
いつも笑顔を絶やさない我が母校の小学校の校長先生が、羽田空港の到着口から出てきました。
久し振りの東京出張に、実家での温かい思い遣りの心に、此処は私がお返しの場である。

校長先生との二日間、私の万歩計は4万歩になっていた。
気がつくと校長先生の背中を追いかけて小走りに走っている私は、虚弱体質の小学生に戻っていた。
私の加齢とは認めながらも、東京に居ながらにして故郷の運動場で先生と生徒の風景だ。

東京で訪問した小学校の校長先生が、小学校の教育が如何に大切かとの言葉が残っている。

校長先生曰く、東京での二日間を「4万歩のコラボ」と。
私の背中を押してくれた約束を果たす日に如月の今日の雨は最適だった。

二つの宿題の一つにトライした。また肉筆の手紙を携えで雨に濡れたポストに投函した。
返事が返って来るまでが、結果云々より楽しみなのである。

残す「1500字」へのチャレンジも、校長先生の励まし、応援に曾ての卒業生は、気負う事なく私らしさでトライするスイッチが入るのも近い



2019年

2月

22日

金曜日に動く

今朝も同じ時刻に信号待ちをしていたところ、いつもより低飛行している飛行機が視界に入る。
一瞬、今日はスピード感も異なり、気のせいか飛行機のコースも僅かながら違いを感じる。
次の大通りの信号待ちで、お馴染みの飛行機が凛として飛行しているのに、安堵した。

然しである。最初に見た飛行機は何処に向かっているのだろうか。
もしかしたら、今、私が熱くなっている目的に変化が起こるのかも知れないと、自分に都合の良い予感を感じていた。

予感は当たり、先ず第一歩を踏み出せる待ちに待った返事だった。
さて、相手を納得する為には、どの様にと考える時が私は最高に楽しい時だ。

兎に角失敗を恐れず、やり抜く気持ちが高まって来る。
然し、そのまま走り出す私を、編集時代に冷静さを失いがちな弱点を注意されていた。

相手の求めるハードルも高く、攻め所というか、如何に言葉による表現に懸かって来る。
後戻りは出来ない。
「誠意」が相手に伝わる様にとの結論が出た。

ある意味で、間も無く後期高齢者に近ずく私に与えられたミッションかな。
「頑張る」という言葉を好まない私だが、頑張るしか無い。

2019年

2月

15日

静かに変化が起こっている

生来、体力も実力もないくせに、人様から頼まれると「ノー」と言えない性格がある。
昨夜も、ある会合で思いがけなく長年責任ある役職を務めていた方が今回で辞退したい申し出があった。
気がつくと、何と出席者の視線が私の方に集まっているでは有りませんか。

これも私の性格というか考え方が、未経験の世界に対して、関心というか興味を持ってしまうのだ。
この歳で、また新しい目的が出来るとは、楽しみという思考が働くのである。
誰しも、初めから完成しているわけでなく、生を受けて後に徐々に積み重なっていくものである。
よって、始めてから次への自分のステップに繋がると思えば、失敗も恐れず、それも貴重な世界が広がる貴重な体験と考えれば良い。

確かに、数年前から朧げに感じていたことに、何となくその時が近ずく足音が大きくなっている。
年齢的にも、引き受けた役目には責任を持たなければとの想いから、これまでの人生における取捨選択を考慮しなければならない。
時間を見つけて、断捨離前に整理を始めて気が付いた。

本当に必要なものが如何に少ないかということだ。
曾て、ある友人と自分の人生をUSBメモリースティックに纏めるたらと話題が弾んだ。
整理を始めると、自己満足や未練などの思い切りが悪い が為に「4GB」かなと自惚れていたが、「1GB」で済んでしまう程度だ。

これは、物質的な整理であり、見えない「心の整理」は簡単にメモリースティックでは解決出来ない。
この整理こそ形に表せないだけに、本来はこれまでの人生体験の大切な資産でもあると同時に、私は「心の整理」が大きな意味を持っていると思っている。

目に見えるものと見えないもの整理をして、次のステップを引き受ける責任があると考えている。

2019年

2月

08日

2月8日の朝刊

最近、新聞の死亡欄を見るのがとても怖く辛い。
現役時代は、人事異動が欠かせない習慣というか、日課になっていた。
今は、まるで几帳面に平成の年号に区切りをつけるかの様に亡くなる方が多い。

何時もの様に、6時に朝刊を広げた時、死亡欄に日本画家の堀文子先生の死を報じた記事が目に入った。
私が思い切って、1979年から銀座で小さな小さな画廊の準備していた。
父親の友人の日本画の画商さんから、堀文子先生を紹介して戴いた。

未だ画廊は工事中だったが、大磯の堀文子先生をお訪ねした。
応接間に通されて、間も無く先生が「いらっしゃい」と、穏やかな笑顔で迎えて下さった。

「今日は貴女が画商さんになるお祝いをしましょう」と。
私には未だ先生の好意を理解してなかった。
気がつくと、テーブルに赤ワインとグラスが用意されていたのである。
思いがけない状況に、驚いている私のグラスにワインを注いで「乾杯、おめでとう」と。

お暇の挨拶をする私に、「私はね、学生に絵を描こうとしている時は、先ず花や草木などの対象物をしっかり見つめることが大切と言っているけれども、なかなかそれが出来ないのね」
「命あるものをよく見つめるということを言い続けているのよ」

かれこれ40年前の時を経て、堀文子先生が私に何を伝えたかったのか、この歳になって心当たりがある。
堀文子先生の含蓄のある深い想いを大切に、心に納めておきたいと今感謝を込めて思っている。

2019年

2月

01日

見上げた空の先に

最近東京の空もスッキリした冬晴れの日が続いている。
また金曜日の午前中に仕事が再開し、同じ時間に出掛けるようになった。
健康も兼ねて、約30分目的地迄歩くと、いくつかの信号待ちをする。

気がつくと、2カ月近く、立ち止まると、無意識に空を見上げている。
私の歩く速度と、信号待ちの時刻が何と不思議としか思えない風景が、見上げた先にある。
一機のキラキラと輝く飛行機が青空の中を、何時も垂直というか真っ直ぐな状態で飛んでいる。
必ず時間帯が符号する。

こんな偶然性に、また私は色々と想い巡らすのである。
新たなターニングポイントを感じ始めているだけに、一機の飛行機に自分を重ねている。
恐らく、目的地に向かっているだけと言えば、それまでのことかも知れないが。
人命を預かっているという大きなミッションを担っていることを忘れてはいけないのである。

そのミッションを私も明確に形にする途上である。
青空を味方に、前を向いて飛べる時を信号待ちしている私がいる。