早朝何時もの通り、新聞の記事を追っていた時、思わず、記事のタイトルに釘付けになった。
その記事とは、日本経済新聞の9月4日10面に掲載された「ディスクプッチョン」に「自分の余命知りたいですか?」である。
7ヶ月の未熟児で生まれた私は、幼少期から「命」について常に両親と共に私も神経質な日々を現在も過ごしている。
お陰様で「憎まれっ子世に憚る」の通り、世に憚って今日まで生かされている。
曾て、緩和ケア病棟で、「死」と向き合っている多くの病気の方と出会って来た経験から、私自身は
出来得る事なら自分の余命を知っておきたいと、いつしか想う気持ちを強く持って来た。
何故、私がそのように自分の余命を知りたいかと言えば、この世に生を受け、自分なりに精一杯生きて来た後の締めくくり迄、自分の人生に責任を取りたいという考えからである。
そこには、余命を知って諦めるのでは無く、否定的に考えるのでは無く、現実をしっかり受け容れ、それ迄の残された命の時間を大切に生き抜くながら、自分の生涯の精算に要する準備の時間が出来るからだ。
もし、可能ならば、許されるならば、私は知りたいとの想いが強い。
記事によれば、筑波大学の緩和ケア専門医である浜野淳講師は、研究成果は出たが、新しな苦しみが始まり、悩んだ末に至った結論は「生存確率そのものは患者や家族に告げるべきではない。最後まで充実した時を過ごしてもらうために自分たちはやれることをやる」と結んでいる。
緩和ケア病棟のボランティアで、私は「今を大切に」と学んできた。
まさに、先のことは分からないが、兎に角、「今を大切に」に生き続ける大切さを私は自覚する機会になった貴重な記事だと思った。