2021年

6月

30日

三ケ月の毎日が日曜日を迎えて

今年の3月で、76歳になった私は、これまでに予てから、全ての繋がりのあるお役目を辞退、退任する決心をしていた。

 

唯一つ、致し方ないのが、新型コロナ感染の広がりにより、生活スタイルの変化に対応するのに、時間がかかった。

 

既に遡ること、凡そ、1年前の4月に緊急宣言という事態は、私には、今年からでなく、三ケ月なんてものではなく、一年2か月に亙るということ。

 

想定外の一年早く「毎日が日曜日」が始まったのである。

 

その頃の私のブログを読んでいた友人から、「どうしたの、いつもの淺野さんはどうしたの」と、心配して電話をかけてくれた有難い友人もいた。

 

自分では、それほど、いつも通りだと想っていたが、文字には正直に表れていたのである。

 

然も、昨年の3月までは、目標というか、約束があったので、気力は続いていたのだが、ちょうど、それも一先ず解決した途端、4月ごろから、精神的にシグナルを発していたようだ。

 

やがて、そのシグナルは、9月に脳神経外科の手術に至るほどに、自覚症状がないままに影響を及ぼしていたことが、術後の体調の変化によって自覚できたのである。

 

術後の私は、執刀医から、ハラハラするほど、「頑張れる」体調に、正直

自分でも、驚くほど、数々のシグナルの減少に気が付いた。

 

一日の予定をすらすらと片付けられる自分のパワーに驚いた次第である。

 

その体調の変化で、思いがけなく、昨年内の術後からは、予定通り、今年の3月までには、と予定していた主要な案件は片付いたのである。

 

さあ、予定通り4月から「毎日が日曜日」と、喜んだものの、目標がなくなったことにより、リズムを掴めないでこれまた、難しいと悩んだ。

 

未だ、新型コロナは、人が慌てふためいている姿を嘲るかのように、更に

どんどん進化を続けているなかで、唯一の切り札はワクチン接種である。

 

既にテレワークにも、縁の無くなった私には、活字の世界が唯一の生甲斐でもあり、僅か、4月だけ、ブログを休んだが、やはり落ち着かない。

 

偶然、私にスイッチが入る「新聞科学研究所」の「仕事脳をオンに キッカケは活字」という5月8日の日本新聞協会のプロジェクトキャンペーンに

ハッと、活を入れられた思いである。

 

確かに、「Everyday is Sunday]の楽しみは、毎日新聞を読み、その日のヒントを得るのを目的にしていたのである。

 

キャンペーンに、「朝起きたら、いきなりパソコンを開くより、新聞を開いてみるのもおすすめだ」とあるではないか。

 

この三ケ月の生活スタイルの総括をすると、「活字文化、文字化に励む」という目標が辛くなる時が、時々あるが、不思議に体調のシグナルと符号するのである。

 

その時は、即、頑張らず「疲れたら 休め」を実行することにしている。

 

明日は、新型コロナウイルスワクチンの2回目の接種日である。

 

「文月」の始まりと共に、何かと、「マイペース」を保つのが難しい状況になりそうな予感がするが、先ずは、「頑張らないで、頑張るとしよう」

 

2021年

6月

29日

キャンパスに笑い声

朝から、梅雨特有の雨に匂いが、窓を開けると、部屋の中まで、入ってくる湿気に、改めて、しっかり、「梅雨」と認識、梅雨寒も感じた。

 

朝のルーティンである、日本経済新聞の朝刊の社会面に、思わず、本当かしらと疑いたくなるような記事のタイトルが、飛び込んできた。

 

『大学「密」を避け対面授業増』とあるではありませんか。

記事によれば、「まん延防止等重点措置」に移行した東京や関西の大学でも再開の傾向にあり、歓迎の声と、一方では感染拡大への警戒の両立を

続けているそうだ。

 

大学名は省略するが、記事による歓迎の声を紹介すると、「笑い声がキャンパスから聞こえて、改めて大学には人の声が必要だと想った」

 

「オンラインだと先生の声が聞き取りづらいことがあった。友達にも会いたかったのでキャンパスに来られてよかった」

 

大学側としても、感染にはそれなりの工夫を駆使している事情も記載され、改めて、それぞれの立場で、コロナ禍と闘っている。

 

コロナ禍では、今は、新型コロナワクチン接種にできる限り、大学側では

多くの学生に接種をすすめていく方法しかないが、キャンパスに明るい声が一日も早く聞こえるように、期待をしている。

 

一昨年まで、岡山の母校の小学校の學校運営協議会の委員を務めている時に、長年、母校のPTA会長さんをなさった高齢の委員から、「いつも、子どもの声が聞こえているというのは、え~えもんじゃね」と、嬉しそうに笑顔で話された時を、今、改めて、その言葉の重さを感じる。

 

昨日の日本経済新聞の夕刊に、「コロナ後のオフィス戦略」の記事の文末に、オフィスは不可欠なリアルな対面の場であると。

更に、「ワクチン接種が進む米国では、社員に週数日程度のオフィス出勤を求める動きが出ている。サイバー空間でのやりとりはワクワク感が湧かず、イノベーションが起きづらいからだ。

テレワークを進めると同時に、オフィスでは濃密な対面コミュニケーションを促進する工夫が必要だ」と、編集委員の石塚由紀夫氏の取材記事に

少しづつ、コロナ禍からコロナ後の新しいスタイルを考える時代に移りつつあるのかなあと、少し、心が和らいできた。

2021年

6月

28日

寝付けない夜のプレゼント

鶴岡市から、東京の嫁ぎ先で知り合い、凡そ、50年以上の長い付き合いの友人がいる。

 

コロナ禍で、地元の老人介護センターに入居している90歳を超える母親に

2年以上も会えないでいる。

私も、友人の実家で数度、お世話になっている。

 

友人は、じっと耐えている、その我慢強さには、雪国特有の、「いつか、春が来るまではじっと待つ」というのが、当たり前とさらりと話す。

 

テレビを手放して、もう、2年近くなる私が、何気なく、テレビの番組に目をやると、NHK Eテレの午後11時から、ETV特集で、「山伏、現代(いま)をかける~コロナ禍の中一年間、出羽三山の羽黒山伏の知られざる日常に密着▽庄内地方の美しい四季とともに山岳信仰の原点に迫る」と。

 

夕食の準備中かと案じながらも、彼女にすぐ連絡した。

彼女に、ふるさとの特集番組を伝えるや、明るく弾んだ声が返ってきた。

 

私は、相変わらず、「ラジオ深夜便」が、寝付けぬ私の相棒である。

まだ、時間的には、27日の11時過ぎの「ナイトガイド」で、スポーツライターの小林信也氏が、残すところ、25日になった東京オリパラを、コロナ禍の中で、開催する根拠を知ったのである。

 

2019年国連総会において、187か国が、東京オリパラ開催中は「平和の祭典」といわれるところの「オリンピック休戦」が採決されたと、小林信也氏から、初めて聞き、その決定のために、頑張って、開催を進めているのだと、知った。

なぜ、そんな約束をしているのであれば、胸を張って、できるだけ、多くの国民にアピールしたらと思った。

 

そうでなくても、あちこちで、一触即発の可能性がある世界情勢というのにと思ったが、私だけが知らないでいたのかもしれない。

 

今、コロナ禍で、旅行もままならずにいるので、「列島くらしのたより」は、ラジオなので、聴覚から各地の表情に想いを馳せている。

 

その後、私のふるさとの浅口市は「天文のまち あさくち」で、大小4台の天文台を、お山のてっぺんに鎮座しているのである。

 

既に28日今日の0時台に、「ようこそ 宇宙へ」と、国立天文台の天文情報センター・普及室長の縣秀彦氏によって、今回は「暦」と、宇宙の関係について話の途中で、私は、寝付けないので、カーテンを開けて夜空を見上げた処、我がベランダから、久しぶりに、満月に近いまん丸い大きな

オレンジ色のお月様がみえた。

 

今月は25日が満月で「ストロベリームーン」だったが、見逃してしまっただけに、今日の満月は、私には、満月に見えた。

 

然も、ラジオでは、「ようこそ 宇宙へ」の時間帯に、素晴らしく輝いているお月様と出会えるなんて、寝付けなくて苦にならなかった。

 

話は前後するが、27日の日曜日に、「しっかり、ふるさとの良さを味わい、思いだして、本当に、ありがとう」と、どこか、元気に振舞っている彼女だが、マスク越しにも、満面の笑顔を感じ取れた。

 

友人は友人なりに、私は、ふるさとの天文台で、あのオレンジ色に輝いた

お月様を観測していることだろうと、東京の空は、ふるさとの空と続いているのだからと想いを馳せていた。

 

毎日、真面目に引きこもっている友人も私も、「ふるさとの力」を感じ、心が和む二日間といえるのではないだろうか。

 

2021年

6月

27日

束の間の夢が始まり

眠れないままの昨夜から、僅か時間にして、数分間、ウトウトとしたようで、「ラジオ深夜便」の5時の時報で目が覚めた。

 

昨日、6月26日は、「露天風呂の日」で、岡山県の真庭市の湯原温泉が、「ろ(6)てん(・)ぶ(2)ろ(6)」の語呂合わせにより、1987年に制定したという、エレベーターの「何の日」が頭に残っていたようだ。

 

確か、小学校の高学年の時、父親が得意先から温泉に招待された際に、あのいつも気難しい父親が、なぜか、今風に言えば、度々出張先に連れて行ってくれたのである。

 

その時、得意先の宴会先が、湯原温泉だったと記憶している。

なんでも、男女混浴ということで、父親としては、気まずいとの思いか、

「娘は風邪気味なので、風呂は遠慮させます」と、風呂場に案内する中居さんに伝えていた。

 

実は、この場面が、夢なのか、現実なのかは、今朝からはっきりしたいと想っているのだが、どうも、話の辻褄が合わないような気もしている。

 

どうも、気になるので、検索するも、凡そ、60年以上前の出来事なので、すっかり、当時の記憶にはたどり着かなかった。

 

寧ろ、真庭市は、ドイツのホストタウンと知った。

後に、美術の仕事で、ドイツで有名なハイクラスの「バーデンバーデン」という保養地について、学ぶ機会があった。

 

「バーデン」とはドイツ語で「温泉」という意味だそうで、更に日本でも企業等が、保養施設ブームで、「クアハウス」という企画提案が求められ

ドイツ語で温泉を利用した療養の家を意味しているという。

 

つまり、福利厚生施設として、社員や家族のための保養や、健康増進施設の建築ブームが、各企業で競うかのように林立した時代であった。

 

流石、真庭市とドイツとのホストタウンは、ベストだと、これまた、検索したが、ドイツとの縁はないようであるが、コロナ禍でなければ、日本の

「バーデンバーデン」として、練習後の疲れを癒していただきたいが。

 

父親とは夢なのか、はたまた、思い出だったのかは、さて置き思いがけない美術時代の懐かしく楽しい現実を思い出すことになった。

 

2021年

6月

26日

ホストタウンの存在

大変、日頃から口幅ったい言葉を発しているいる私は、「ホストタウン」の存在を知らなかった。

 

来日したウガンダの選手団の2人が新型ウイルスに感染しているニュースに、はっと気が付いた。

 

事前合宿のために19日に選手団の9人が到着後、検疫検査で、1人の陽性が、分かり、8人はバスで、ホストタウンである泉佐野市に、更に23日に選手の一人がインド型の変異ウイルスに感染していたのである。

 

実は、ネットで、「ホストタウン」を検索してみると、全国に大変な数であることが分かった。

 

本来、コロナ禍でなければ、東京誘致のキーワードともいえる「おもてなし」が発揮できるところ、残念である。

恐らく、「ホストタウン」の市町村では、残り少なくなった日々を、感染予防の知恵を絞っているのではないでしょうか。

 

ついでに、我が出身地の岡山県も、確か、5か所の「ホストタウン」が準備されているように記憶している。

 

既に、7月11日の蔓延防止等重点措置の解除、更に感染の増加傾向がみられる地域では、月内に、緊急事態宣言もあり得るとの、意見もちらほら、

聞かれるようになってきた。

 

嗚呼、コロナにより、人としての大切な要素をもぎ取られているように

感じるのは、私だけであろうか。

 

昨晩は、何か、重なるように降りかかる不安に、「ふるさと深夜便」を聞きながら、寝付けない夜を過ごす。

 

明日は、きっと、良い日に変わるように、願いながら。

2021年

6月

25日

新型コロナウイルス速報

新型コロナウイルスの発生以来、既に1年半の時を経るが、連日の途絶えることのない感染人数の報道の定期的時刻、追ってその日の感染数に、私は

精神的に疲れを覚え始めている自分に気づいている。

 

出来れば、ケアのケアを試みているが、せめて、7月11日の蔓延防止等の重要措置の解除までのいづれかの日に、ふるさとの空気を胸いっぱいに、そして、思い切り、「あさくちブルー」の空を仰ぎたいという想いに駆られている。

 

6月の23日の東京の感染数は、619人と、前日の435人より急激に増加の一途をたどり始め、現在まで、平均570人、562人といった状況で、下火になるとは考えにくい。

 

然も、6月初旬に既に変異型といわれるイギリス株からインド株への増加、いわゆる第5波のリバウンドが生じているとの情報に、ふるさとの空気や空が何よりの「良薬」との願いは叶わないであろう現実に、辛い。

 

今、私の手元に日本経済新聞の第一面に掲載される論説委員会のコラム欄「春秋」の2021年、4月17日の切り抜きを、なぜか、見逃せずに、今まで

持ち続けていたのだ。

 

紙面に掲載されている記事の紹介を、許可をしていただきたく、多くの

読者も、記憶に新しく事実である貴重な内容であると、受け止めたのではないでしょうか。

 

「今となっては、ほとんど忘れ去られているが、、1964年の東京五輪のひと月半前、千葉でコレラ騒動があった。

外国旅行者とは何ら関係のない1人の工員が死亡した。当時、コレラはまだ恐るべき流行(はや)り病。予防接種の会場には行列ができ、住民はパニックに陥った。

 

感染源はつかめず、広がり方もわからない。にもかかわらず、厚生省(現厚生労働省)は1週間後に突如として幕引きをはかった。

共同通信の記者だった原寿雄氏が小和田次郎名で書いた「デスク日記」の

行間に憤りがにじむ。

「厚生省がコレラ終結宣言、感染経路もつきとめずに。オリンピックの前なので急いだようだ」

 

敢て、このような記事を、76歳の高齢者の一愛読者の女性が、何となく、歴史は繰り返されているキナ臭さを覚えたのである。

 

「安全・安心」を基調に、進められているだけに、恐怖を煽るための情報発信でなく、早く出来る限り、専門家の知識を強力にしてほしいと願っているからである。

 

イスラエル・インドのデルタ株・ブラジルのラムダ株と、コロナ株は変異を緩めず、益々、変異をしていく新型株に対して、科学や専門家の英知で

出来るだけ、早期に対処してほしく、ワクチン接種についても、わかりやすい説明で、納得してもらうために、さらなる専門家の力を借りる必要があるのではないでしょうか。

 

批判的と捉えられても、「人の命は地球より重い」といった政治家の言葉を思い出す。

 

一方では、東京オリパラのために、力の限りに頑張っているアスリートの努力には期待を削がないためにも、私なりに勇気を必要とした。

2021年

6月

24日

緩和ケアを選んだ「知の巨人」

ジャーナリストでもあり、評論家でもある「知の巨人」のニックネームの立花隆氏が、既に4月30日に死去していたという報道に、驚いた。

 

強靭なパワーの持ち主とのイメージを持っていただけに、まだまだ活躍して、「新型コロナ」の発覚から、そのうち、ドカンと重厚な書籍が出版されるであろうと想っていた。

 

何かと、クレーム続きというか、とやかく見過ごせない問題点が多すぎる

東京オリンピックについても、ちょっと「静かだな、大人しいな」とも、想っていた矢先である。

 

24日の日本経済新聞の朝刊の青木慎一編集委員の記事によれば、2007年の膀胱がんの手術後も、多くの病気を抱え、入退院を繰り返したとある。

 

然し、最後は「生活の質を下げてまでも、治療する必要はない」と、最後の治療を拒否したと記載され、情報を集め、深く考えたうえでの結論だったのだろうと、記事は結ばれている。

 

「知の巨人」が、自分なりに、納得のいく結論を導くまでには、、これまでに、多くのがん患者に接し、自ら、体験したと、私は想ったのである。

 

私にとって、ライフワークといっても過言でない病院ボランティアでも、特に緩和ケア、終末期の患者様の体験が多く、緩和ケア病棟で、凡、10年近く、主にがん患者様の「話し相手」をしてきた。

 

人は積極的な治療も必要だが、私は、これまでに「人は、苦痛といわれる痛みを取り去ること」によって、穏やかな気持ちを取り戻した患者様と接してきた。

 

昨日まで、苦痛に苦しみ、眉間にしわを寄せ、耐えていた患者様が、笑顔で、好きな食べ物すら、口にできなかった方が「ボランティアさん、今朝大好きな西瓜がデザートに出たの、何と食べられたのよ、嬉しくて」と。

積極的治療しなくても、病棟での日常の生活を続けていけるのが緩和ケア病棟なのだ。

 

或いは、できるだけ、今は緩和ケアチームで、できうる限り、自宅で過ごすように支援を続けてもいる。

 

「知の巨人」の死は、残念であるが、緩和ケア病棟でボランティアをしてきた私にとっては、素晴らしい選択に、又、機会と、体力が続けばであるが、緩和ケア病棟のボランティアをしたいと改めて想ったのである。

2021年

6月

23日

6月23日という日

今日は、いよいよ、東京オリンピック・パラリンピックの開催日ちょうど

一か月となった。

 

恐らく、新聞の全紙に一面広告で、「感染対策異例ずくめ」と題し、「入国後の選手と大会関係者の感染対策」が掲載されていた。

 

6月23日は、1894年、国際オリンピック委員会(IOC)が、パリで創立された「オリンピック・デー」であることも知った。

 

今日を以って、東京オリパラの発車ベルは、鳴らされ、揺ぎ無い日になったのである。

 

その前日の、日本日経新聞の夕刊に「あすへの話題」というコラム欄に、前法政大学総長の田中優子氏が、「忘れてはならない日」というタイトルに目が留まった。

 

現天皇陛下が皇太子時代、「日本人として忘れてはならない4つの日」として、6月23日、8月6日、8月9日、8月15日とおっしゃったと記載されている。

 

その6月23日は、「沖縄慰霊の日」のことである。

田中優子氏は、「明日は、沖縄を二度と犠牲にも捨て石にもしてはならない、と『「日本人として』心にとどめる日である」と締めくくっている。

 

心が複雑に揺れ動く日で、一つ、心を和ませてくれるニュースがある。

上野動物園の「シンシン」が4年ぶりに、双子を出産したという。

母子共に元気と、今後の成長ぶりが待たれる。

 

折角、お姉ちゃんになる「シャンシャン」は、中国との約束で、確か年末には、返還されると記憶しているが。

 

考えようによっては、今日6月23日は、各人によって「忘れられない日」

になり得るのではないだろうか。

2021年

6月

22日

安心・安全の優先順位

明日で、東京オリンピックは残すところ、一か月となる。

 

批判ではなく、「安心・安全」あるいは「安全・安心」という表現を国民に向かって発信しているが、私は、常々、疑問視してきた。

 

オリンピックを開催するにあたって、「安心」と「安全」について、すべてに関わる人に対して、どちらが優先順位を持つ表現、言葉だろうかと、ず~と気になっていた。

 

愛用する時代物の辞書によれば、「安全」は即、反対語として「危険」という言葉で明確に処理、追って「危ない」こととある。

 

一方の「安心」は心に心配がなく、安らかなことと明記されている。

 

そこで、私は、まずは「危険」を排除する「安全」に始まることによって、初めて「安心」を得るのではないだろうかと想うのである。

 

既に、耳にタコができるほど「安心・安全」或いは「安全・安心」のどちらにしても、東京オリンピックは、行われることは明白である。

 

「自助・共助・公助」と、言われて、いつの間にか、この言葉の存在感も薄くなっているように思われる。

 

自然災害の際には、やたらに使用されてきたが、このコロナもある種の災害、人災という人もいるが、今回も一種の災害、人災ではないだろうか。

 

然し、ワクチン接種の力に望みを託すしかないのが、残念ながら、現状段階では方策がないのである。

 

科学者やノーベル賞受賞者の警告にも、ある意味で取り上げない、何といっても東京オリンピックありき何である。

 

確かにアスリートの努力には、何とかして、滲ましい努力をしてきただけの成果を実らせてあげたいという気持ちは、私にさえ理解できるのだが。

 

つまり、ワクチンの予防接種に一縷の望みに賭けるという「自助」努力しか残されていないのである。

2021年

6月

21日

夏至の日で終わる

私は、ある問題で、私なりに心を痛め、悩んでいた。

 

今日は24節気の「夏至」の日もあり、気のせいか、いつまでも明るく、日暮れを見逃すほどの明るい東京の夕刻であった。

 

なんでも、日本気象協会によれば、4時間越えは110年ぶりとの報道に、私の感覚も衰えていないと、思った。

 

その、今日の夏至から、米一粒ずつ、日暮れが早くなると、ホームコースのゴルフ場のキャディーさんから聞いた。

何時もワンハーフラウンドしていたので、案じての忠告と受け止めた。

 

東京の日暮れは、確かに、いつまでも明るく、私も時間の認識を失した。

 

でも、どうしても、私は今日中にメールを送信したい相手がいた。

その相手から、これまでの私の肩の重荷を降ろしてくれる返事が来た。

 

自惚れではないが、75歳、無駄に過ごしてはいないと自負している私は

相手から、同じ返事が返ってきたことで、解放感と、人を見抜く共通項に、私は、案じていたことから解放されたという想いに祝杯を挙げたい。

 

これで、一つ、懸案のピリオドが打たれたのである。

2021年

6月

20日

ペパーミントの日

6月の第3日曜日は、「父の日」で、今夜は、各家庭で、日頃の父を労っていることでしょうね。

 

たまたま、今年は20日になりましたが、今朝エレベーターのインフォメーションの「今日の日はペパーミントの日」と表示されていました。

 

二十日(ハッカ)の語呂合わせから、又、北海道の北見市では「薄荷」が特産品で、1987年に制定された経緯があるそうです。

 

現在、長い日本列島は、梅雨特有のジメジメした湿気っぽい日々が続いていますが、6月の北海道には、梅雨がなく、さわやかで、すっきりした香りに、このコロナ禍では、ずいぶん気分転換に役立っています。

 

アロマセラピーでも、スーッとした香りに、多くの方が癒されています。

そういえば、今でも薄荷の入った飴とか、ガムとか、色々、精神的にも

恐らくリセットできる要素が、薄荷の葉にあるそうです。

 

因みに、花言葉は「心の温かさ・温かい心」だそうです。

「父の日」に相応しい花言葉でありますように。

 

2021年

6月

19日

読書の種まき

ふるさとの母校の小学校では、間もなく「もみまき」した若緑に育った苗を、田んぼに植える時期が近いのではと、思いだす。

 

長い日本列島も本格的な梅雨に入り、じめじめと鬱陶しいが、田植えにはこの梅雨特有の雨が必要なのである。

 

その「もみまき」で、今日の日本経済新聞の朝刊と夕刊に、偶然だが、私には、歓迎すべき記事が掲載されていた。

 

毎週土曜日の朝刊の読書欄に「活字の海で」という、出版関係の情報を取り上げるコラム欄といってよいのだろうか。

 

その「活字の海で」によれば、スマートフォンなどで、子どもたちが紙の書籍に触れる機会が減っている現在、出版関連業界から、教育や食品などの他業界に亙り、キャンペーンが、20日から始まるという。

 

「本で心に豊かな森を作ろう」を合言葉に、子どもの人格形成と書籍市場のテコ入れを目指すと記載されている。

 

「こどものための100冊」には、子育て経験のある著名人25人が4冊ずつを選んだもので、特に、小学校低学年までを読者に想定していると紹介されているが、確か、私も、出版社からの「100冊の本」を買い求め、狭い

部屋に、文庫版で、並べているだけで、満足感を味わった。

 

然し、恥ずかしいが、すべてを読み切るには時間がかなり掛かった。

少しずつ、背表紙のタイトルと、作家から、読んだものだ。

 

夕刊に、人事院総裁に、川本裕子氏を起用するとの記事に、私は、嘗て、川本裕子氏の「親子読書のすすめ 忙しくても毎日続けたい幸せな習慣」という著書に出会い、想像を絶するような忙しく活躍している川本氏は

子どもとの時間を作り、母親として子どもとの関りを大切にしていると、知り、特に絵本の好きな私は、夢中になって読んだ記憶がある。

 

忙しいなんて言い訳は通用しないのだと、自分を反省した想いをした。

今日、改めて、体調と相談しながら、マイペースで、活字の世界とお付き合いをしようと、想ったのである。

 

2021年

6月

18日

諦観・傍観・静観

毎朝測定している血圧が、前日から上昇傾向に変わる。

主治医からは、本来は、高血圧症ではなく、それなりの高齢化による傾向はあるものの、何か、気になることには、敏感に反応する「過過敏症」といわれて長い。

 

今回も、昨日、入浴後、うっかり入浴後、転寝をしたせいもあり、久しぶりに喉の痛みを感じ、薬の力を借りることにした。

 

残念ながら、いつも相性良く薬は、すぐ回復する症状がみられない。

 

その、理由は、私には、主治医ではないが、自分の体質を心得ているので、根拠がある程度理解しているからだ。。

 

ある会議の行方を数日前から案じていたのである。

 

そこで、私は、「傍観・静観・諦観」の三点に、なるのではないかと察していた。

 

私は、ある時期をゴルフ三昧をしていた時に、確か、ゴルフ場開設記念の

記念品の「三省堂」の昭和第52年の第二版の特装版を愛用している。

 

なぜならは、初版本は、昭和32年2月15日といえば、我が母校を卒業する年であるからだ。

 

この日は、既に私には「関わりのねえことでござんす」であるが、何となく気になる情報が、耳にはいって来たからである。

 

そこで、まず、私は、「傍観・静観・諦観」の向き合い方の言葉を思い出したのである。

 

結果が分からないので、何とも、解答や結論を出ないままに終わっているのかもしれないが、いずれにしても、血圧が上昇するほどの私の立場の時代は終わっていると、私なりに突き放したような結論であるが、それが「わが身を守る」ことではないかと、想っている。

 

おかげさまで、「諦観・傍観・静観」を学んだだけでも、有意義だと想っ

いるのが、結論である。

2021年

6月

17日

空と睨めっこ

朝から真っ黒い大きな雲が、空を覆い、流れも速いといった、大気の不安定の空を眺め、急な雨にあっても良しと、洗濯物を外干した。

 

やがて、2時間後、驟雨というか、スコール状態の雨が勢いよく、あれよあれよという前に降り出した。

 

急いで洗濯物を取り込みながら、やはり、今日は無理かなと思いながら、ティータイムでもと、コーヒーを飲んでいるうちに、雨音が段々、静かになり、大粒の雨が、糸のように細くなり、やがて、降り止んだ。

 

雨が上がっても、まだ、僅かに怪しげな雲が流れている。

ここは、慌てず、ゆっくりと思っているうちに、レースのカーテン越しから、眩いほどの青空が広がって、雲一つない空に変わっていた。

 

このチャンスを逃してはと、また、外干しをした。

見上げた空は、すっかり、朝方の雨に洗い流されて、とても綺麗だ。

 

いま、夕刻の5時の現在も、ふるさとの「あさくちブルー」にも劣らない

雲一つない空が広がっている。

 

矢張り、何たって、夏空の青空が、最高だと、気持ちもいつも青空のように、すっきりとした日々が続くといいなあと、空を見上げている。

2021年

6月

16日

和菓子の力

今朝、エレベーターに乗って、「今日は和菓子の日」とのインフォメーションに、嘗て、美術の仕事をしている時、画家をはじめ、得意先の販路を広める際に、「和菓子」を利用したことを思いだした。

 

今の時代と違い、足を運び、企業の秘書室に、必ず、同じお店の和菓子を

持参したのである。

 

また、当時は、女性が商いをするということは、微妙な部分があった。

 

そこで、私は、故事ことわざにある「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」

ではないが、画家の先生には、奥様が喜んでいただけるもの、企業には

重役や上席の方に、取り次いで戴くためには、秘書室に、顔を繋いでいることがキーポイントとの想いから「和菓子」と決めていた。

 

時には、企業の役員のご自宅に、奥様におやつタイムのアポイントを取り、御一緒したりしたものだ。

 

たとえ、留守でも、玄関先に、同じお店の袋で、私が、訪ねたことを察しすまでに至ったのである。

 

和菓子でも、その季節に因んだ和菓子を選び、この作戦は成功したと今でも思っている。

 

因みに、今日は疫病退散の祈願をしたといわれ、16種類の和菓子を神前に

備え、16日を「嘉祥菓子」の故事から、制定されたそうだ。

 

然もその制定日は1979年とあり、私が、美術の仕事を始めた年でもあり、

「和菓子」との不思議な縁を感じた。

 

改めて、「和菓子の力」の恩恵に感謝しなければと想った。

 

 

2021年

6月

15日

「初めまして」も変わる

2018年の夕刻、私は、ふるさとの母校のPTA70周年記念に、翌日の16日に、講演の依頼を受け、母校卒業後、61年ぶりに帰郷した。

 

校長先生から、講演の依頼は、1月に、メールでいただいていた。

あまりの突然の話に、戸惑いが優先して、数日、悩んでいた。

時が流れすぎて、母校に対する実感が湧かなかったのである。

 

既に、実家はなく、小学校時代の同級生すら、思いだせないほどに、時が過ぎていたからである。

 

ただ、中学校の友人に会いたいという想いが、私の迷いをかき消してくれたのである。

 

校長先生に、承諾の返事をして以来、16日の講演までの細部にわたる打合せは、すべて、メールで済ませた。

 

本来であれば、直ぐに、ネットで母校のホームページを検索する私であるが、今回は、自分の目で確かめたいと、スルーしたのである。

 

時を経ること凡そ、5か月後に、初めて、校長先生とは宿泊先の文政10年創業の和風旅館のロビーでお目に掛かった次第である。

 

お互いに、初めて「初めまして」と挨拶を交わしたのであった。

 

現在のコロナ禍では、オンラインで、可能な時代であるが、私には、忙しい中を、わざわざ、足を運んでくださったことが、とても嬉しかった。

 

今では、アナログといわれそうだが、私には、温かい「笑顔」で、私に、挨拶してくださった僅か、15分ほどの時間であったが、今も私にとって

忘れることのない、61年ぶりの故郷での懐かしい思い出である。

2021年

6月

14日

ビー玉遊び

昨日の冷蔵庫のネットによる冷蔵庫探しは、かなり堪えた。

 

何時もの通り、朝刊を取りにポストに行って、そうだ、今日の朝刊は休刊日だったといった具合で、疲労が残っている。

 

今日、関東、甲信地方の梅雨入り宣言となった。

 

朝刊の休刊日は、夕刊が待ち遠しく思われる。

 

その夕刊に、「明日への話題」というコラム欄が、一面にあるが、毎日、楽しみに読んでいるが、今日の夕刊は伊藤忠商事会長CEOの岡藤正弘氏により「ビー玉工場の思い出」に、懐かしい「ビー玉」を思い出した。

 

今も、「ビー玉」の存在があるかは、不明であるが、私は、子どもの頃、

気難しい父親、そして私の顔色ばかり観察している母親と、信じがたいのだが、「ビー玉」遊びをした思い出がある。

 

その時代の「ビー玉」によるカラフルなガラスの色に魅せられていたのだろうか、美術商時代に、ガラスのオブジェを必ずと言っていいほど、提案し、ガラスの魅力を多くの建造物に収めた記憶が蘇ってくる。

 

今も、ガラスの魅力は、忘れなく、私の心を豊かにしてくれる存在だ。

2021年

6月

13日

寿命との駆け引き

昨日の疲労感が残っているのか、睡魔と闘いながらも、頭だけは妙に目まぐるしく働くという、全く不可思議な日曜日を迎える。

 

現在の住まいであるマンションに引っ越して、10年を迎えると、私同様に

各方面の手入れが必要になってくる。

 

その一つが、引っ越し前からの冷蔵庫の寿命が案じられていた。

然し、これといった問題は、なく、寧ろレンジ台は、限界と判断し、交換することになったのだが、ついでに、冷蔵庫もと、考えたのである。

 

確かに、レンジ台とは、異なり、全く今のところ、冷蔵庫は良く働いてくれているが、私が、案じたというか、考えたのは、今後の冷蔵庫の寿命と

私の寿命との関連である。

 

日曜日もあって、終日、ネットで、冷蔵庫について探し求めたが、「帯には短し、襷には長し」といった具合で、マッチングしないのである。

 

今回、初めて知ったのであるが、「電子冷蔵庫」である。

そういえば、9月に入院した時も、その後、静養のためにホテルに宿泊した時も、今から考えれば、「電子冷蔵庫」であったのだ。

 

結局、妙に、体力もないのに、凡そ、終日、冷蔵庫探しに費やした。

後期高齢者になると、自分の寿命と、所有物との駆け引きが、今後は更に

数多くなっていくのだろうと、想った。

 

然し、私は、それを見込んで、断捨離に努めているが、電化製品、家具類等々の、自力ではかなわないものに対する処分の判断を改めて考えた。

2021年

6月

12日

時代を綴った二つの日記

今日は、シャンシャンの4歳の誕生日だと、愛くるしい表情が浮かび、思わず、心が和んでいた。

 

一方で、今日12日は、「アンネの日記」のアンネ・フランクが、6月12日の誕生日のお祝いに、1942年、両親から日記をプレゼントされ、その日を機に、日記をつけ始めたと知る。

 

同時に、日本でも日本経済新聞の6月9日に、2019年に亡くなった田辺聖子氏の「終戦前後の日記」が見つかったという記事に、アンネ・フランクの日記と、私の中で重なった。

 

ユダヤ系のドイツ人のアンネ・フランクの日記は、1942年6月12日から1944年8月1日までである。

田辺聖子氏の日記は、1945年4月1日から1947年3月10日までで、「十八歳の日の記録」として残っていたのである。

 

年代的には、僅かの差があるが、戦争という時代は共通している。

 

奇しくも、文藝春秋から、アンネ・フランクの記録が、英語本から日本語に翻訳した「光ほのかに―アンネの日記」として、1952年から日本語訳として出版されたのが、日本では初めてだそうだ。

 

田辺聖子氏の「十八歳の日の記録」の一部が、文藝春秋の7月号に掲載されているとの記事に、不思議な時代を超えた符号を感じたのである。

2021年

6月

11日

ジグソーパズル

毎週金曜日は、区内による資源回収日の前日に当たり、朝から、仕分け作業をしている。

 

日頃より、かなり整理整頓はしているはずなのだが、ペットボトルのシールを、剝がしたりしていると、結構時間を要する。

 

最近は、年齢もあり、忘れないように忠実(まめ)に、思いつくや、すぐにメモを取るようにしている。

 

ここから、友人からも私も認める断捨離というか、シュレッターが故障後は、手動のシュレッター、つまり、チョキチョキと、小さく鋏を入れる手作業が、私には、心地よく、気分転換になっている。

 

処が、心地よさから、一転、不思議に処分したメモ用紙が、必要になる。

 

慌てて、ビニール袋から、大きなお盆に取り出して、必要となったメモ用紙を探し出すのである。

 

この作業は、ジグソーパズルを思わせる世界といっても、過言ではない。

 

「シマッタ」という思いが、先行して、まずは深呼吸をして、精神的に

落ち着きを取り戻すために、コーヒーを飲んだりして、一息ついてから、ジグソーパズルに取り掛かるようにしている。

 

コロナ禍の今は、室内の風通りをよくするために、風の影響にも注意を払わなければならない。

 

メモ用紙を拾い上げながら、可能性のあるメモだけを残して、繋ぎ合せる作業に取り掛かる。

 

これまでに、金曜日は、かなり、時間を取られるが、不思議と、必要とされるメモが見つかるから、何度も、同じ過ちを繰り返しているのである。

 

負け惜しみや言い訳でなく、頭の活性化になるのではと思っている。

2021年

6月

10日

ブルーのジャケット

今日は、待ちに待った新型コロナウイルスワクチンの第1回目の接種日だ。

 

午後の予約だが、何となく何度も「予診票」を確認したり、インフルエンザの予防接種は、毎年のことなので、平然としていたのに、今回は、落ち着きがなく、複雑な気持ちで、予約の時間までを、過ごした。

 

接種にあたり、「肩を出しやすい服装で」とある。

「肩を出しやすい」となると、さてさて、私は、夏でも長袖のシャツブラウスをきている。

 

Tシャツなるものを持っていない私は、いつも通りのスタイルで出かけるより仕方ないが、シャツブラウスからも十分、肩は出しやい。

 

唯、何となく、今日は、いつも通りの黒のジャケットを着るのに、理由もなく、拘っていた。

 

ならば、真夏日でもあり、午後3時過ぎの時間帯なので、久しぶりに、ブルーのジャケットを着ていこうと決めた。

 

素材が「麻」なので、皺になるのが、特徴でもある素材のために、出張時等には、避けていたが、今日は、「肩を出す」行為のために、脱いで待っていればよいのだと思い付いたからである。

 

日傘を差していても、日差しが強く、ギラギラするが、今日は麻のジャケットで正解だ。

 

「青い山脈」の歌詞に、「古い上衣よ さようなら」ではないが、今夏は

黒のジャケットから、ブルーのジャケットにしようかなと、道すがら、訳も無く口ずさんでいた。

2021年

6月

09日

真夏日に2万5千歩越え

東京は2目連続の真夏日の予報通り、朝から日傘が離せない暑さだ。

 

一か月に一度の診察日に、汗をかかないように、病院まで、ゆっくり、ゆっくりと歩いたので、ぴったり診療時刻に到着。

 

5月中に、外出の機会が少なく、毎日の日課の散歩も怠けていたせいで、左足の底豆も、いつになく少なかった。

ところが、それからが、思いがけなく急用が重なり、タクシーを利用する距離ではないと、日傘をさして、目的地に向かった。

 

今、自宅に帰ってスマホの歩数を見て、びっくり。

あちらこちら、近距離の積み重ねで、2万5千歩を超えるとは、「塵も積もれば」である。

 

なぜか、忙しいうえに、忙しさが追いかけてくるし、即決をしなければいけないものもあり、久しぶりに良く、頭も働かせ、良く動いた。

 

矢張り、私は暑くなるほど、体調がよくなる傾向にある。

人は「春」や「秋」が住みやすいといわれているが、私は、ある意味で、「寒いか」「暑いか」のはっきりした季節の方が過ごし易い。

 

おかげさまで、真夏日に歩ける、動けることは、体調が順調だという証拠で感謝をすべきことではないかと、思っている。

 

明日は、私も新型コロナワクチンの第一回目の接種日である。

でき得れば、新型コロナワクチンの副反応が出ないことを願っている。

2021年

6月

08日

子ガエルよ 頑張れ

2018年の今頃、私は母校のPTA70周年記念に、お話をする約束のために、パワーポイントに向かって、闘っていた時期だ。

 

昨日の日本経済新聞の夕刊の記事によれば、福岡県太宰府市と筑紫野市にまたがる宝満山に、この季節に1センチ弱のヒキガエルの子ども数万匹が宝満山の頂上を目指して、ひたむきに山を登るそうだ。

 

麓の池で孵化し、人も利用する登山道に沿って、一斉に登るそうで、30日から40日かけて、約2・5キロの頂上にたどり着くのは、僅か数百匹になっているという。

 

天敵といわれる蛇、登山道で、人に踏まれることだって起こりうる危険極まりない頂上までを這い上がっていくそうだ。

 

昨年、太宰府市の市民遺産に認定され、「宝満山ヒキガエルを守る会」によって、「子ガエルの命がけの挑戦を温かく見守ってほしい」との配慮を

お願いする看板を登山道に設置したとある。

 

子ヒキガエルの珍しい行動については、真相は分かっていないという。

 

文科省の教育方針に、コミュニティスクールで、貴重な地域の伝統、作物、生き物等を大切にしましょうという教育を、推進しているが、将来、子ガエルの「登山」に興味を持つ子どもたちに、是非引き継がれてほしいと、昨年まで、母校のコミュニテイースクールの委員を務めていた私の想いである。

 

多くの苦難にめげない子ガエルの頑張りに、かつては、自然を愛し、共に営んできた人間も、コロナウイルスに負けてはいられない。

2021年

6月

07日

いかなごのくぎ煮

今朝も関東近県で、地震があったとニュースで知る。

 

日本列島は、逃げ場はないほどの地震国だから、この国に生を受けて以上は、仕方ないのである。

 

先週から、スーパーで、淡路加工の「いかなごのくぎ煮」が店頭に並んでいるのを見かけている。

 

1995年1月17日の「阪神淡路大震災」から、ちょうど、26年の時が流れ、私の友人も被害にあい、悲しい想いをしています。

 

無事に難を逃れた友人が、毎年、「いかなごのくぎ煮」を送ってくれていたのですが、その友人から地震以来、いかなごが取れなくなって送れなくなったの」との、連絡があった。

 

その時の友人の地震の影響による恐ろしさと、毎年、食膳に当たり前のように並んでいた郷土の産物が食べられなくなった悔しさが、電話口から

伝わってきた。

 

昨年まで、気が付かなかったのかもしれないが、今年は、先週から、淡路加工の「いかなごのくぎ煮」を、見つけて、嬉しく買い求めた。

 

友人に連絡すると、催促しているように思われ、気を遣わせてはと、一人

黙食としよう。

 

2021年

6月

06日

新書案内の魅力

新聞の楽しみの一つに、各出版社の新刊案内を一通り目を通す。

 

5日付の日本経済新聞の夕刊に小学館の紹介欄に、「土門拳」の名前に目が留まった。

 

「小学館SUMO本第2弾」に、興味を持った私は、何と「ビックリ!超巨大、見開き横1メートル‼」とは、一瞬、私の読み違いかと思った。

 

実際にスケールで、1メートルの大きさを確認した。

 

これまで、些か、編集に関わってきたが、海外では「巨大本」はあったように聞いたことがあるが、日本では、「超巨大アート本」と言えるのではないでしょうか。

瞬間的に、「重そう」という、些末な感想しか思い浮かばなかった。

 

確か、2003年だと記憶しているのだが、友人の郷里が鶴岡出身で、かねてから私は、羽黒山の五重塔を見たいと思っていた。

 

その私の憧れに近い想いに、夏の帰郷時の誘いに、やっと願いが叶った。

 

酒田空港に降りると、友人の妹さんが迎えに来て、酒田市には、飯森山公園にある「土門拳記念館」を案内してくれるという。

 

土門拳の作品は、「腕白小僧がいた」という東京の下町の子どもたちの

元気な表情と、「筑豊のこどもたち」の作品が好きだった。

 

そのほかの室生寺、法隆寺の作品や、仏像等の作品は、崇高さと、迫力があり、日本の独特の寺院仏閣のバランスの素晴らしさに、どの作品からもレンズを通して途轍もないエネルギーと心眼に近い情熱が感じ取れた。

 

記念館の素晴らしい建築に関心を持った私は、年配の学芸員の方に、設計者は谷口吉生氏と知り、質問を続けた。

 

何と、日本を代表する錚錚たるメンバーに、驚いた。

1964年の東京オリンピックの選手たちの競い合うポスターのグラフィックデザイナーの亀倉雄策氏による銘板をはじめ、庭には、草月流の勅使河原宏氏、イサムノグチの彫刻、草野心平氏の銘石など、丁寧に、また誇らしげに、二人を案内、説明をしてくださった。

 

今でも、私は、東京にいても、なかなか、これほどの素晴らしい芸術家の作品に接する機会は、ありえないといっても過言ではない。

 

また、別室の展示室で、私の好きな「こどたち」シリーズも、手に取って

見せて頂いた。

 

記念館の前面には、白鳥湖(拳湖)に、夏空が湖面に写り、遠くには鳥海山も見えるそうで、、美しい飯森山の自然林が茂った、素晴らしいの一言に尽きる「土門記念館」を、今は、懐かしく貴重な思い出になった。

 

新書案内で、コロナ禍の現在、「思い出の旅」に浸ることができた。

2021年

6月

05日

内輪の出番

東京の梅雨入り宣言は、まだ発表されず、今年は遅くなるのだろうか。

 

今日は24節気の一つ「芒種」だから、まだ、本格的な梅雨入りしない方が、不思議でなく、自然界の理に適っているのかもしれない。

 

ここ、一週間ほど、決まって深夜の2時過ぎから3時過ぎのどちらかの時間帯で、目が覚め、BGM代わりの「ラジオ深夜便」のちょうど、ミュージックタイムにあたる時刻である。

 

「暑い」と思って扇子を探したが、見つからず、内輪にした。

 

それ以来、不思議と同時刻に暑さに襲われるようになった。

 

今まで、6月の初旬、暑さを感じた記憶がないだけに、室内の温度を見ると平均して、25度から26度である。

 

矢張り、温暖化の傾向と、既にヒートショックが始まっているのだろうかと思ったりしていると、眠気が覚めてくる。

 

しかし、最近は、毎日が日曜日の生活スタイルのために、焦らず、ベッドのそばにあるペットボトルから、一口水分補給して、横になると、いつの間にか眠れるようになった。

 

ということは、あまり、考えることが無くなってきたせいかと、認知症にならないように、せめて、日中は、緊張感のある生活をしなければと思っている。

 

日傘は、既に使用しているが、内輪を使うのは久しぶりだし、扇子より

自宅では便利だと想った。

 

昔は、ちらし寿司を作る時は、内輪ですし飯を冷ます手伝いをした「渋団扇」も、懐かしい思い出となってしまった。

2021年

6月

04日

喜怒哀楽の一日

朝8時過ぎに、スマホに弾んだ声が飛び込んできた。

何と、図書館で、私の拙著で、2015年9月ににミネルヴァ書房で刊行した「医療ボランティアをめざす人に今伝えたいこと」を見つけてたそうで、つい嬉しくなって電話をしてきてくれたのである。

 

「ちょうど、今日は雨模様だから、雨読に励んでね」と。返事した。

梅雨入りを思わせるような、鬱陶しい朝に、本当に嬉しく想った。

 

処が、最近、グローバル化しているせいか、想像を絶する場所にごみを

見い出すことが、気になっていた。

 

我がふるさとの浅口市と同じく、東京都では一番小さい「区」であるが、友人によれば、区内を「大江戸清掃隊」と称して、ご近所や、向こう三軒両隣等々を掃除するボランティア組織があるそうだ。

 

確かに、散歩に足を延ばすと、あちらこちらで、ごみを拾う住民の姿を見かけるので、私も見習いたいと想ったが、集合住宅には、管理人さんの

職種と聞いて、目についても放置しておかなければ、越権行為になるのかと、改めて、「お互い様」なんて、温もりのある日常は戻ってこないのかなあと、些か、社会の組織化や、文化の違いに怒りや寂しさを覚えた。

 

以前、医療ボランティアを始めたころ、小さなごみはセロテープで取りなさいと教育された時代を思い出す。

 

今、コロナ禍の時代、管理人さんも、危険だからもしものことがあってはいけないので、任せて下さいとの、私を案じる心遣いを有難く受け取ることが、迷惑をかけないと一方では考えられる。

 

母校でお世話になった教頭先生が、宿場町で栄えた小学校の校長先生に昇任なさった。

 

学童数も先生方も、母校より少ないが、校長先生によると「周りは田んぼばかりですが、良い処ですよ」と。

 

確かに、ブログを見る限り、自然が多く残っていた母校の風景がある。

特に、クラブ活動で、近くを流れる川に生息する生物を、自分たちで作った「箱めがね」を使って、観察するという。

 

何とその学習のために、地域の人たちが、雑草を刈り取り、その土手には

二つの「ハートマーク」が、雑草を利用して作られていたのである。

 

地域の皆さんの子どもたちへの愛情の深さと、優しい気持が込められているのだろうと、私は、胸が熱くなった。

 

正に「喜怒哀楽の一日」となった。

 

2021年

6月

03日

一つの操作ミスで大惨事

もしかしたら、ブログのたった一つの操作ミスで、全くお恥ずかしい状況に、大ショックを受けた。

 

実は、もともと、機械類に弱いというか、特にデジタル生活を始めて以来何年になるのだろうか。

 

出来れば、コロナ禍で、「昭和の時代に戻らないでください」と発言した

メディアの報道が記憶に新しいが、私は、できることなら、ファックス機能もない固定電話一つで済ませたいくらい、苦手なのである。

 

故に、操作手順のメモ帳を見ながら、パソコンとスマホに付き合っているというのが実情である。

 

そのメモ帳に、たった一つの操作ミス「クリック」を忘れたために、考えられないミスに繋がったのである。

 

恐らく、数日間のブログを開けた方には、お分かり頂いたことと、我が恥ながら、情けなくもあり、落ち込みもあり、ひどく疲れた。

 

ふと、思いだしたのは、お料理学校で、ケーキを作る時に、分量をきちんと量って、その通りにすれば、美味しいケーキが出来上がると、実習前の

講義での先生の注告を思い出した。

 

今、多くの目の覚めるようなスイーツにも、必要とされているのだろうかと、尋ねてみたいと思っている。

2021年

6月

02日

狐寿司と中華そば

今日2日は父親の誕生日である。

 

亡き父親は、未熟児で生まれた私を案じ、優しい表情を見せた記憶がなく、本来であれば、神戸で貿易の輸出業をしていたのであるが、神戸も空襲の危険性があると、身ごもの母親と、生家の岡山に疎開したのだ。

 

その後、父親は、これまでの輸出業の仕事で、当時、バンコック帽子といわれる和紙のを撚糸状態にした材料で作る、紳士帽子をその工場のある津山まで、私を連れて行ってくれた。

 

また、小学校時代には、麦踏休みがあった大麦の茎で作ったストローを

主に、アメリカに輸出を生業にしていた。

 

当然「六条麦茶」は、当然、ふるさとによって命名されたと思っていたがネットによると、異なっており、、六条院という名前が悔しく思う。

 

改めてネットで確認すると、日本発祥の地は寄島町で、現在の浅口市で、

区役所の手前に、シバセ工業さんによると、麦の茎を「わらお」と称し

ストローの丸い形を表すのに、アルファベットの「O」を使ったと造語と父親の仕事を、今日の誕生日で知った次第である。

 

日頃、苦虫を潰したような父親が、なぜか、職場に連れて行ってくれたのである。

 

多くの藁から、その藁の整った「0」に合格した大きさをスケールで仕分けしている姿は尊敬に値した。

 

小学校で人気のない運動場で、従業員から自転車の練習をして、お陰様で自転車を乗れるようになった、ある日、浅口市に隣接する現在も寄島町で、自宅以外に、今風で言うところの出張先の里庄町にも、父親の職場があり、定期的に検査に出かけていた。

 

なぜか、その里庄町に初めて出かけたとき、「昼飯に行こうか」と。

小さな、10人も入れないほどの食堂であるが、父親は常連らしく、「今日は、娘をつれてきた。いつものを頼む」と。

 

「いつもの通り」とは、「中華ぞばと狐寿司」のセットである。

記憶をたどると、しょうゆ味で、一枚の名刺サイズの海苔と鳴門巻きと、もう一薄い肉系が入っていた。

然も、入っている麺の色は黄色く、うどんより少し硬く、太さもうどんと

素麵の間といった、初めて見た私は恐る恐る、口に運んだ。

 

父親は、「初めてじゃろうが、うまいじゃろう」と。

 

その隣には、油揚げを半分にした三角の油揚げ狐寿司の大きさに驚いた。

 

初めての経験もあり、量の多さもあり、食べ残している私の分も父親は

平らげてしまった。

 

懐かしいふるさとの昭和の味である。

 

しかし、あの時の父親は、私が当然喜ぶとの親心があったと、今は、気が付かなかった父親の愛情を、ありがたく思っている。

2021年

6月

01日

衣替えは心変えのスタート

お恥ずかしいのだが、兼ね兼ね、陰暦6月を「水無月」というのか、いつか納得したいと想っていた。

 

検索して、「水無月」は、「水の日で、田んぼに水を引く月」の意味で、

つまり「無」は「の」ということだそうだ。

 

ならば「水有月」にすればと、浅はかな屁理屈が頭に擡げてくる。

どうも、先月の怠け癖を、早く払しょくしたいと、散歩に出かける。

 

昨夜の激しい雨に、すっかり空が洗われ、五月晴れのようだと見上げていたところに、自分でも不思議に思うのだが、降ってわいたように、凡そ、二十数年前にテレビの放映で見た「フラッシュダンス」の映画の数場面を思い出したのである。

 

取り敢えず、「毎日が日曜日」なんていう言い訳から、卒業しなければと

想っていたのだが。

 

プロダンサーをめざす18歳の主人公の女性は、昼は男性でも厳しい溶接工をして、夜は夜で、キャバレーとなるバーでダンサーをしている。

 

生活も切り詰め、確か倉庫か何かの広い場所で、一匹の愛犬と過ごしているのだが、この愛犬は、彼女の練習を静かに目で追いかけている。

 

ただ、独学で、自分の納得のいくダンスに挑んでいるのだが、なかなか、

オーディションの評論家から、相手にされない日々が続くのである。

 

しかし、あるオーディションの審査員たちが、彼女のダンスにどんどん

惹きつけられて、やがて彼女は、これまでの努力が認められるといった

ストーリーだと記憶している。

 

特に、ダンスの練習のために、血のにじむような、体を痛めつけるほどの

厳しいダンスにトライするシーンがある。

 

当時、私は、目的を達成するための彼女の努力が、強烈に残っていた。

 

18歳の彼女のように、体力的には、無理だが、頭の方は年相応の努力が

できるのではないかと、空を見上げながら、もう一度、間もなく、昨年の9月の脳神経外科の手術から、三か月で、一年になる。

 

「頑張らないで、頑張る」時期が始まったように思えてきた。

 

そのスタートを応援してくれるとも取れるような、素晴らしく晴れやかなふるさとの「あさくちブルー」の空に近い空が高く広がっていた。。