2022年
4月
30日
土
これから始めようとしているには、嘗ての私の拙著「笑顔の力」が必要であった。
処が、確か、一冊は手元に残していたはずが、狭い我が家のどこを探しても見つからないのである。
その点、我が家は図書館が隣接しているので、意を決して、恥ずかしながら、借りることとした。
手に取って、我が拙著に対して、信じられないというか、確かに、自分の拙著であるのに、他者の本のような距離感を覚える。
自宅で、改めて読み直して、よくぞ、書き上げたものだという全く経験したことのない想いに駆られながら、読んでいる自分がいる。
我が拙著に、改めて「学び直し」をしているというか、今風でいうところの「学習」をしている。
何とも、思いもつかない不思議な体験をしている。
処で、今日は、1950年(昭和25年)図書館法の公布にちなんでつくられた
「図書館記念日」と知った。
本当に、多々利用している私には、正に図書館は便利であり、狭い我が家にとっては、誠にありがたい存在である。
読みたいと思う図書を現在も数冊リクエストしている時間も、楽しみに繋がっている。
2022年
4月
29日
金
今日からゴールデンウィークが始まる。
4月29日と言えば、まだ私には「昭和天皇の誕生日」という想いから、次は「みどりの日」へ、そして現在は「昭和の日」となっている。
最近、これまでに馴染んできた休日が、ころころと変わり、しっかりと、
祝日を確認しておかないと、しかも名称も変わり、毎日が日曜日のはずであるが、忘れてしまうというお粗末さが露見してしまう私である。
しかし、まだ私にはコロナに対する警戒感が強く、せいぜい、散歩でご近所の花で、季節感を楽しんでいる。
すっかり、メタセコイアも、見上げる先まで新緑が茂り、緑色は目に良いと言われるが、本当に、気持ちが和らぐ。
エンジンがかかった私にとっては、目標に向かって準備期間である。
あれもこれもと思いつくものの、いざ整理して纏めようとするが、意外に
思い通りに進まないもどかしさを感じつつも、引き出しを開く。
かなり以前から、思いついたことはメモに残しているものの、肝心な部分を忘れていたりして、慌てることも多い。
特に、一度、ベッドに入り、そうだと思いついたことを起きてメモしている字が、翌日に見ると、実に自分で書いた字が躍っている。
どうも、今年のゴールデンウィークはそれの繰り返しかなと思いつつも、
目元、手帳を突き合わせながら、パソコンに向かっている。
2022年
4月
28日
木
ゴールデンウィークを前に、冷蔵庫の点検をした。
出来るだけスーパーの購入も計画性を鑑みて、足を運ぶように、冷蔵庫を前にして計画を立ている。
気が付くと、新潟産登米市の胚芽米を使用している私は、連休を控え、購入しておいた方が安全と、スーパーに出かけた。
加齢とともに物忘れの激しい私がいつも購入している「新潟登米市の特別栽培 登米精米 ひとめぼれ」メモを片手にを愛用している。
連休を前に、極力食事の保管を充実したいと想い、登米市の胚芽精米を買い求める。
登米市に対して、私の拙い記憶を思いした。
嘗て、登米市の4月に生じた保育園の素晴らしい対処の記憶であった。
防犯標語の「いかのおすし」であった。
登米市の保育園では、保育園児を無事に「防犯標語」で、無事に収めたとというニュースで報じられていた。
私は無意識に、米の購入は「登米市の胚芽精米ひとめぼれ」の愛用者とし
て、長いお付き合いが続いている。
それだけに、新学期も始まり、世の中が決して子どもに安全な社会とはいいがたい。
「いかのおすし」を思いだして、気をつけようね。
2022年
4月
27日
水
今日で、これまでの一連の検査結果が終わる日である。
待機時間、色々と案じるものの、結果は結果である。
長年の主治医から、私はコロナ禍における「新しい生活スタイル」に順応
出来ない自分に対する抵抗感が、影響している可能性が強い。
よって、出来ることならば、これまでのキャリアを生かし、それが生きがいになるような「生活スタイル」を考えてみてはとのアドバイスに、確かに、自分の想いを抑えてきた。
大体、我慢が出来ない私にとっては、有り難いアドバイスである。
検査結果の満足感に、私は隣接する図書館で、「読みかせボランティア」の掲示板を見付けた。
残念ながら母校での活動は難しく、我が地元に恩返しする時だと思った。
病院ボランティアとして多くの方に「読み聞かせ」をしてきたが、正式な
学びは受けてないと、喜寿の高齢者も受付可能と知り、申し込んだ。
母校との縁も偶然コロナ禍によって、帰郷が許されない状況に、今、私は
改めて、「読み聞かせ」の講座を受ける申し込みをした。
更に、これまで地域包括支援センターで、お手伝いをしてきた関係で、地元の高齢者から声を掛けられる。
「話を聞く」「想いを話す」といった必要性を感じ、一人住まいの高齢者を対象に、これ前の私の体験が生かせればと、準備中で有る。
寧ろ、私が高齢者の皆様から多くの知恵を頂くであろうと、笑顔で帰っていただけるような会にしたいと考えている。
いよいよ、私に「エンジン再開」の日が戻っていた。
2022年
4月
26日
火
昨夕、ポストに思いがけないスマートレターが入っていました。
先出人に、私は急いで封を切りました。
まだ、一か月も満たない私にとっては忘れられない「喜寿」を祝っていただい方から一冊のアルバムでした。
昨夜から何度も何度も見返しながら、涙が止まらなくなり、深夜にも声を出して、泣き出してしまいました。
心溢れる気遣いに、私はどうしても、メールなんて味気ないツールよりも
肉声で嬉しさを伝えたかった。
固定電話から伝わってくる、送り主の表情が声を通して伝わって来ます。
肉声の声を通して、近親感と共に臨場感をたっぷり味わえました。
やはり、私は古い人間かと思われても、やはり、人間本来の人間性を感じ
アナログと言われても、どうも、私はある枠の「新しい生活スタイル」に縛られた日常生活に対し、抵抗感を感じ、私のストレスの原因は、そのあたりにありそうだ。
今日は、明日の検査結果も案じることはないかと、固定電話の相手の方に
元気を頂いた想いでいる。
2022年
4月
25日
月
昨日の日中とは正反対に、明け方から蒸し暑く成り、目が覚めた。
今日は、月曜日で、このままでは、折角今週の予定をこなそうと、メモ帳に書いてあるのに、集中力が欠落すると想い、久しぶりに「朝シャン」を
した。
やはり、正解で、心身ともに、すっきりした。
カーテン越しに日の出が近いせいか、ほんのりと明るくなっているのが分かり、思い切って、ベランダ越しに、日の出によって、空の表情が変化するのを楽しんだ。
嘗て、私は70代前半までは、冬でも「朝シャン」であった。
友人に「湯冷めしないの」と聞かれるが、嘗て、ゴルフ三昧の時代には、
必ず、ゴルフ場での入浴を済ませ、軽食を済ませて帰宅した体験による、
長い習慣になっていた。
まったく、久しぶりに「朝シャン」をして、私の体質にはあっているように、懐かしいリズムを思いだしていた。
その後、散歩に出かけようと玄関を出るや、真夏のような厳しい日差しに
今年初めての日傘の出番となった。
僅か、一か月前は、私はダウンを着ていたが、変わりやすい天気ではあるが、やはり、これからは日傘の利用が多くなるのだろうか。
でも、どうやら明日と明後日は、雨傘の出番との天気予報である。
本当に、くるくると目まぐるしく変わる天気に振り回されている。
間もなく「メイストーム」ともいわれている季節を迎える。
2022年
4月
24日
日
昨夜、友人から、「若竹煮」を頂いた。
今年私は「若竹煮」は初めてであった。
つくづく、私は「人に恵まれている」と、有り難く思う一方で、さてさて
私は「人のために何かしているだろうか」と、申し訳なく思うばかりだ。
午前中、気分転換に近くまで出かけると、正に、青葉若葉と多くの花との
競演の季節である。
恥ずかしい話ですが、数年前「花とエスプリ」というタイトルで、毎日、70文字ほどで、アメブロにアップしていた頃は、撮影したばかりの花の
名前を、隣の図書館から、途切れることなく花の図鑑で調べていた。
処が、加齢も手伝って、最近は身近な花に接しても、お花の名前を思いださないことが多くなった。
更に、恥ずかしい話には続きがあって、「つつじ」と「さつき」の区別が分からないといったお粗末さである。
花を眺めながら、ちょうど、雨が細々と静かに降り始めたのを機に、早速検索をして、納得した。
「つつじ」は春の季語、「さつき」は夏の季語という知識もゲットした。
今朝のエレベーターに、「今日は植物学の父」である牧野富太郎氏の業績を記念した日であったことを思いだした。
処で、「筍梅雨」は、筍が生えるの5月頃の長雨をいうそうだ。
素人の私が、勝手に「筍梅雨」と気象診断するのは、早すぎるのかなあ。
2022年
4月
23日
土
毎朝、ラジオ深夜便から、引き続き、そのまま6時過ぎまでラジオをぼんやりと聞いている。
大体、5時半近くに「今日は何の日」と、歴史的に貴重な出来事を紹介する番組が数分あるが、今日23日はいろいろと思いだす出来事は、この年齢になると、そうか、今日だったのかと思いだす。
しかし、今日、23日は、私は何か忘れているような気持に、目が冴えた。
資源ごみの日でもあり、早めに起きて、朝刊を取りにエレベーターに乗った時、今日は「サンジョルディの日」とあった。
私が、何となく気になっていたのは、スペイン・カタロニア地方のセント
サンジョルディのお祝いとして、女性は男性に本を、男性は女性に赤い薔薇を贈るという風習があるという、母親から聞いた記憶が今だにしっかりと残っている。
というのは、母親からは、「サンジョルディの日」というのは、本をプレゼントする日と聞いていたからだ。
そういえば、新学期が始まって間もなくのこの時期に、本をプレゼントされたことが多く、そのために、23日に対しての記憶が残存していたのではないだろうか。
私は男性に本をプレゼントしたのは、我が拙著しかなかったと気づく。
そういえば2月25日の日本経済新聞の夕刊い、小学生が女性の伝記漫画に人気があり、出版社では売り上げ上位の7割が女性の伝記だそうだ。
一方、今薔薇の花のシーズンだが、最近赤い薔薇を見かけるのが少なく成ったというより、それだけ品種が増えたのではないだろうか。
友人の奥様が還暦を迎えた誕生日に、深紅の薔薇を60本花束にしてプレゼントした素敵なお嬢さんの話を思いだしたが、今日、殿方たちは赤い薔薇をプレゼントするだろうか。
5月に入ると、間もなく「母の日」を迎えるから、恐らく、今日は、スルーするされるのではないだろうか。
近所のお庭に毎年、赤い薔薇が咲くが、まだ、蕾の先が赤くなっている。
もうすぐかなと思いながら、散歩を続けた。
2022年
4月
22日
金
20211年14時46分を前に、10年近く病院ボランティアとして、ホスピスと言われる緩和ケア病棟に設立当初からお手伝いをしていた私は、「話し相手」として、一区切りをつける決心で赴いた。
おかげで、責任者から承諾を受けた途端、9階の緩和ケア病棟に激しい
揺れがあり、もしかして、関東大震災と、恐怖を覚えた。
二度にわたる激しい揺れに、私は自宅のテナントを案じ連絡とるも通じず
私は、緩和ケア病棟の最後の任務を果たさず、自宅に急いだ。
自宅は47年の歴史に、漏電だのあらゆるところにクラックが派生し、即座に日頃の工務店を呼んで、相談、見積もりを結果した結果、修繕費より、
寧ろ、新しく中古マンションを購入した方が良いとの結論に納得した。
なんという巡り合わせか、建設当時から憧れていたマンションのチラシが入っていた。
遡ること、震災数過ぎた摺日後、私は不動産会社に連絡を取り、現場を確認、独り身の私にはふさわしいと判断した私は、結論出した。
そして、「晴れ女」の私には予期せぬ土砂降りの大雨の中、地元の長く続く江戸蕎麦屋のお店で、数人で「引っ越しし蕎麦」を味じわったである。
そして、早や11年問を経て、、現在、前組合理事長から管理組合の理事長として、あちらこちら居住者のために快適な生活を送っていただけるようかなり、厳しいことを敢えて申し上げている。
納得して購入しただけに、思い入れが強いと言われればそれまでだが、必ず、認めらる正論として、理解していただくつもりの覚悟はできている。
そして、その気持ちは、叶うならば、私が責任を持て向き会いたいという想いを持っている。
兎角、集合住宅の管理門が取り上げられており、私順和から心を痛めているが、「甘い」と思わっるかもしれないが、居住者を信頼して、「QOL」に励むのが管理組合の理事長の役目と思っている。
それは「理想論」だと、一笑されそうだが、新米の理事長だからできるのかもしれない。
2022年
4月
21日
木
久しぶりに、元気な朝を迎える。
嗚呼、取り戻せなかった体調に変化というか、さあ、放置していた幾つかの要件に手を付ける元気が出てきた。
季節は衣替えの季節である。
日頃、デスクの戸棚に押し込んでいるそのお引き出しには、思いがけない
埃に、我ながら加齢の恐ろしさを感じるとともに、如何に、目の前のことだけが解決できればという悪い思考に大反省。
腰を据えて、気分転換もかねて、食器棚を決め、デスクなど、日頃、目の届かないところを探し、掃除機と、雑巾で頑張る。
午前中でギブアップしそうな体力に、モチベーションを高め、集中する努力にこれ努めたのである。
恐らく、ブログを読んでくださる方は、「なぜ」という疑問を持たれるかと思う方が多いと思います。
幼少時期から、常に「死」と向き合ってきた私の77歳は、常に、迷惑をかけないで、全て弁護士の先制に死後のことは依頼済みであるが、それ以外にこまごまとした問題が全てが、縁ある他人に御世話をかけるという発想からである。
別に見られて悪いものは何一つなく、「どうぞ」といった想いでいますが
出来るだけ、整理できるものは自助努力の範囲で整理しておきたい。
そのために、ブログにまたかと飽き飽きされるほど、整理整頓をしている
私を理解していただきたい。
最近、とても仲の良いベストカップルにお目にかかった時に、私は家庭を持つという想いを、残念ながら、人生のある辛い思い出を断ちることをベストと選択した決断に早まったかなと思ったりもしている。
しかし、今月末の病院の検査結果によっては、ある計画を考えている。
2022年
4月
20日
水
今日は、24節気の一つ、「穀雨」、自然界にとって元気に育つようにとの
恵みの雨のと言われている。
関東地方は、24節気に相応しく朝から雨模様で20度に達しない肌寒い日が朝から続いている。
散歩にと思ったが、思い切って、我が家で切り抜ていた新聞の整理や会計等々の整理を始めるとした。
何となく肌寒く、暖房する程でもなく、私の一番苦手とする温度である。
そろそろ、楽しみというか、目標にしている「読むカフェ」も、予定より遅れているために、書き始めなければと気になっている。
朝、ちょっとした薄着でいたせいか、くしゃみが止まらなく、檜の花粉も
治まり始めているそうで、やっと、体調が改善途上にあるだけに、兎に角
熱いコーヒー等々で身体を温めることとした。
部屋中に昨日いただいたフリージアの花の香りが、心を慰めてくれる。
もう、今日は、自宅でおとなしく今後のためにと資料整理を始める。
「晴耕雨読」ではないが、独立して美術の仕事をしている時も、雨の日は外出を控え、手紙を認めていた。
こんな日でもないと、落ち着いて、資料に目を通すこともないので、私にとっては肌寒いことを覗いては、有り難い「恵みの雨」と言える。
2022年
4月
19日
火
夕刻、ご無沙汰している友人から、「私、暫くご無沙汰しているパソコンを始めることにした。ところで、使っている品種を教えて」との連絡があり、「私は昔からVAIOよ」と答えた。
友人から「じゃマリ子さんと一緒にするわ」とのことで、利用している量販店の店員さんを紹介した。
私はできれば、固定電話のみのアナログの世界に帰りたいと思っているのに、10歳ほど、若い友人が、70歳のお祝いにと家族からプレゼントしてくれるというわけで、再チャレンジするという。
友人の元気で再チャレンジに挑む友人に、私は、「ノートパソコン」の解説書をプレゼントしようと、昼過ぎに書店まで出かけた。
その疲れか、昼食後、2時過ぎまで、寝込んでしまった。
昼食が消化しないまま、まだ胃に残存している気配に、散歩に出かける。
既に、町の表情はすっかり初夏を思わせる花が競い合っている。
ハナミズキ、さつき、満天星つつじの釣り鐘上の白い小さな花、スズランも咲き始めている。
辺り入り面というか、足元の植え込みから、街路樹に至るまで、青葉若葉の新緑に満ち満ちている。
地方からいらした方が東京に、こんなに多くの咲き乱れているとは想像外と話されたが、例え、意識的に都市の環境のために、各企業が公開空地を利用して、環境つくりに励んでいることに、私は60年以上住んでいる東京に誇り覚えた。
今日も、ノルマの一万歩を達して、帰宅の途中私の大好きなフリージアの手入れをしていた方に、顔なじみもあり、声をかけた。
早速私に、大好きなフリージアの花を下さった私の小さな部屋は、むせるばかりのフリージアの香りに満ちている。
2022年
4月
18日
月
昨日から空模様と相談していたが、一瞬素晴らしい太陽が顔を見せてくれたのをきっかけに、「晴れ女」の私は、嘗て約束していたので、思い切って相手先にお届けしようと決意した。
些か、時折曇り空になるも、やるっきゃないという私の体力がないくせに
鼻ぱっしらが優先する。
最近、タクシーを利用する機会があり、今日の運転手さんは優しく、トランクに乗せた荷物を相手先まで届けるてくれるという優しい心遣いに、心底、有り難いと思った。
久しぶりに利用した神保町付近も、様変わりの傾向がみられ、世代の変化を感じつつ、何気なく、心あったかい運転手さんに、景気動向を測る上で
タクシーの利用車も含まれているので、話しかけた。
目的地まで、他愛無いおしゃべりをしながら、「最近は利用者が増えましたか?」と尋ねたところ、「お陰様で利用者が増えて来ました」と。
一時期、私も小さな経営者だった経験もあり、例え、僅かでも景気が回復途上にあることは、素直に喜ばしく思った。
コロナ禍後、人との「生の会話」が途絶えて、私のようなお喋りには、大変な苦痛であるが、僅かの時間、車中で心穏やかな運転手さんとの会話は
人間らしさを取り戻す貴重な時間になった。
勘というか、閃きというか、「その時」がチャンスであると、相変わらず
生来の性質は変わらないのだと、つくづく思った。
結果次第であるが、勘や閃き感が、私にはとても生きがいでもあり魅力を感じるのである。
2022年
4月
17日
日
コロナ禍で、凡そ2年ぶりに会えなかった親友と、久しぶりに会えた。
再会の気持ちに気持ちは昂るものの、ソウシャルジスタンスを考えると、行動範囲は限られてしまう。
凡そ2年ぶりの再会であろうか。
親友によると、今日こそは、今日こそはと待ち望んでいたという。
色々、私とは異なる私生活で苦労した親友にだけに、一言いえば、理解してくれるという間柄である。
それゆえに、親友の利用する交通機関魔で、散歩をかねて、話に弾む。
今、人との繋がりを断絶したのは、人類の驕りにある様に想える。
時間にして15分から30分の時間ではあるが、お互いが親友としての関係を深め、ともに、次回の再会を楽しみに、マスク越しであるが笑顔で別れを
惜しむということで、残念ながらコロナ禍後、喪失されてしまった。
夕刻、今日は「ピンクムーン」である。
思いだし慌ててベランダから身を乗り出して見上げた時に、ちょうど、正に雲間に閉じこまれようとする「ミンクムーン」を見ることが出来た。
僅か、数秒ではあるが、開間見えた「ピンクムーン」に満足した。
明日からきっとい日が続くであろうという魁のように思えて、満足に見逃したものの、私は明日からの希望を持てそうだと想った。
2022年
4月
16日
土
予報より、雨が速く上がり、時折、眩しい太陽に代わるが、まだ、不安定さは残っている。
スーパーに春野菜を求めて出かけたついでに、数日、散歩に出かけられなく、何となく、体が歩きたいと訴えている。
時刻を追って、空模様も安定しているが、風は冷たく、堪える。
台風一号の雨のお蔭で、僅か、10日ばかりで、すっかり、町の色が「青葉若葉」の瑞々しい新緑一色に衣替えをしている。
昨日まで、部屋の整理をしていた私は、思い切り、空を見上げて深呼吸をした。
気になっていた整理等々も片付いた私は、既にアジサイの葉もすっかり、伸び、マロニエの葉も大きく手を広げたように伸びている。
公園の数種の桜の葉もそれぞれ色が異なり、楽しませてくれる。
相変わらず、ノースボールの葉も花に負けずに、生き生きとしている。
銀杏も既に葉が伸び始めている。
僅か、10日ばかりで、自然は自分の生命の時を知り、耐え蓄えてきた時を経て、私たちを力づけ、楽しませてくれるのだ。
私は、今日も「大葉」と「春キャベツ」と、先ほど、友人が「蕗の味噌和え」を届けてくれた。
明日17日から「春の土用」と知るが、旬の野菜で、私も変わりやすい天候に負けず、無理をしないで、頑張らないで頑張るとしよう。
2022年
4月
15日
金
今年1月17日からのゆうちょ料金新設・改定に伴い、もっぱらクレジットを利用し、お財布にも、取り敢えず、お札は入っているが、小銭入れに硬貨が入っていることが無くなった。
久しぶりにコンビニで数枚のコピーをしようとしたら、硬貨がないことに気が付き、ATMで細かいようだが、千円引き出し、結局、利用している縁もあり、おにぎりを買って硬貨を準備した。
クレジットのみでも、店舗によっては利用規約があり、現金で支払うケースもあるが、硬貨に対しては、ゆうちょ改定に敏感になり、硬貨がたまると、コンビニで使い切るといった生活スタイルになっている。
とはいえ、今回のようにコピー代金一つにしても、最初からお札でも利用できることを知ったのである。
考えてみると、最近、コンビニを利用することが少なく、顔なじみの店員さんからは「お久振り、暫く見えないから、身体でも悪くしたのではと、
心配してたのよ」なんていわれるものだから、自宅に食事の準備はしてあるものの、引き出した千円札で、利用できるところ、一寸、見得を張って
しまった。
改めて硬貨の必要性も感じたのである。
何事も極端になりすぎても、後で、痛い目にあうということだ。
まあ、今回は高がコピー代であるが、良い経験をしたと思っている。
2022年
4月
14日
木
昨日は夕刻から雨模様になるとの予報に、更に季節が3か月ほど逆戻りし、
一気に6月上旬の気温から、3月上旬になるというのである。
そのような季節さの激しさに、昨日、私は頑張って、部屋中を点検したので、恐らく昨夜はよく眠れたと想うのが自然である。
いつもより、早めにベッドインするも、一向に寝付けなく、「ラジオ深夜便」をいつものように、BJM代わりに、何気なく聞いていた。
丁度、0時台のニュースということは、4月14日に日付は代わった。
ニュースが終わる頃には、有り難いことに睡魔が訪れたので、さあ、これで眠れると思った時に、「ご飯の知恵袋」の番組が始まった。
料理研究家で食養生活研究家のパン・ウェイさんの「おばあちゃんの直伝薬膳知恵袋」が、うつらうつらし始めた私に聞こえてきた。
いつも、楽しみにして聞き逃さないように心がけていたが、今日の私は、
些かしっかり聞き取れるか自信はなかったが、現在の私の体調にとっては
とても参考になる内容であると、途中から、ぱっちりと目が覚めた。
11月の初旬の立冬から、約4か月間、体に毒素がたまり、それを解毒するために、肝臓がフル回転するそうだ。
つまり、春は肝臓が弱りがちな季節だと言われ、出来るだけ、「緑」の野菜特に今だと「大葉」「にら」「春キャベツ」「ほうれん草」「小松菜」を取り入れると、弱った肝臓回復に効果があるとのこと。
昨日までの数日間の季節外れの高温に、お豆腐が冷蔵庫にあったことを思い出し、ふるさとの庭には大葉がずふさふさと、葉を風に揺らいでいた風景を思い出し、スーパーが開店するや、早速「大葉」を買った。
なんでも、中国で、難病に近い病気の親を大葉で直したといった話があるくらい、「大葉」の力には効力があるそうだ。
我が家は匂いのある野菜が好物のために、虫の付きやすい山椒の木も必ず
植わっていた。
昼食が楽しみで、急いでいた私の目の前に、霧雨に、これまた大好きな
「八重桜」の花が満開になっていた。
今は亡き知人が八重桜の花で、鮮やかなピンクの「桜飯」を毎年、美味しく頂いたことを、懐かしく思いだした。
春の季節には、花もそれぞれの持っている良さを発揮してくれることによって、人はその恵みを頂いているのだなあと想いを馳せた。
2022年
4月
13日
水
天気予報によれば、昨日12日から、素晴らしいお天気に恵まれる。
また、台風一号が発生したとのニュースに、そろそろ、冬物でも真冬用の厚手のセーターや下着を、合服に入れ替えようと、今日を逃すと、今後、
菜種梅雨の季節にも入り、目まぐるしい毎日が始まる可能性を先回りして
クローゼットやチェストから始めた。
すっかり、防虫剤は空っぽで、やはり、今日、思い切って防虫剤の点検をしてよかった。
数日まで、体調不良が続いていたが、どうも、私は気になっていることは
迷わず取り掛かることが、健康的に良い結果につながるようだ。
「ミニマリスト」ではないが、年齢的にも、コロナ禍で、外出の機会も医療機関と、散歩とスーパーマーケットぐらいに限られている。
今は、有り難いことに、流行を追いかける気持ちより、少々、オーソドックスなデザインでも、風合いや、素材の良さに、満足感を覚える。
特に、カシミヤセーターにしても、手触り、厚さが違って、どっしりとしている。
素材と言われる材質に拘りがあり、綿なら綿、ウールならウール、先ほどのカシミヤならカシミヤが100パーセントという、拘りを意味しているのである。
陽気も絶品で、弾みがついて、事務机にまで及んだ。
個人的には、こまめに整理をしているつもりでいたが、この数か月の机の
引き出しは雑然として統一性が取れていないのが顕著である。
空き箱や、封筒やクリアファイルに、唯、入れてあるというか、突っ込んであるだけで、寧ろ、衣類より時間が掛かってしまった。
根を詰めていると、また、体調を崩すので、この辺りでとお終いにする。
最後に、クローゼットを始め、チェスト、事務机の整理の成果を見ると、
お陰様で、かなり、すっきりしている。
次回はまた、お天気との兼ね合いとしよう。
2022年
4月
12日
火
今、我が家の周辺は道路の両側に、「クリンサムセサムノースボール」と
些か長い花の名札が付いている。
私は、朝は眠そうに花びらを閉ざし、日が当たり始めると、ぱっちりと目覚める素朴ではあるが、この白い花が大好きである。
思わず、「おはよう」と声を駆けたくなる可愛さを感じる。
「ノースボール」と一般的にはいわれ、花言葉は「誠実」「高潔」と言われているのも、納得がいく。
この花を見るたびに、母校の小学校の運営協議会の会議に帰郷した母校のプランターに菜の花と、ノースボールが咲き競っていた。
どちらも大好きな花で、会議が始まる前、写真に撮りまくった。
2019年3月25日に、あさくちブルーの空に生き生きと、咲いている花が、まさか、この日を最後に母校に帰れなくなるとは想像もしていなかった。
その会議の席上でも、マスク着用で始まったのだが、その後、4月に「緊急事態宣言」が全都道府県に拡大するに至った。
そのために、母校の会議にも参加することはできなく、懐かしいふるさとや母校から、断絶せざる得ないまま、とうとう、今日まで、帰郷する機会を失したままである。
「クリンサムセサムノースボール」が咲く季節になると、胸が痛くなるほど、私には大切なふるさととの「縁」の花である。
幸いに、長持ちする花なので、何時しか、心が晴れる。
恐らく、今年もふるさとの母校の校庭の一角に、生き生きと咲いているだろうと、私にとっては忘れることのできない花である。
2022年
4月
11日
月
連日、夏のような暑さが続いている。
昨夜まで、今日は新聞休刊日で、朝刊はお休みと記憶していたはずだが、
いつもと同じ時刻に郵便受けを開けて、思いだす。
どうも、朝刊の休刊に何か、ぽっかりとあながあいたような気持になる。
しかし、終日窓を開放していても、寒さを感じず、一か月早い5月の薫風を思い起こす一日を過ごす。
ちょっと、散歩に出かけても、軽く汗ばんでくる。
まだ、ノルマの1万歩には届かず、「嗚呼、疲れた」といった状態になり
「無理は禁物」と諦めて、横になって、暫しの休憩タイムと決め込む。
ところが、気が付くと、夕刻5時過ぎで、すっかり眠ってしまったようで
夕刊を取りに階下に降りた。
愛読紙の日本経済新聞に「引っ越しそば、記憶のかなた」という見出しに
急に、のど越し爽やかな冷たい日本蕎麦が食べたくなった。
この季節は、引っ越しのシーズンでもあるが、信州大学名誉教授の井上直人氏によれば、「お側(そば)に参りました」という言葉遊びが発祥とされて、新しい隣人に健康食のそばを贈るという意味合いもあったとか。
また、江戸時代には引っ越しそばは長屋住民のマナーだったそうだ。
確かに、今のマンションに住んでも、隣は何をする人ぞで、顔を合わせる機会もない状態であり、「引っ越しそば、記憶のかなた」である。
思い立ったら、即、動く私に、体調が回復途上にあると気づいた。
それならば、健康食のそばを湯がき、のど越しに適度の冷たさが心地よく
美味しく食することが出来た。
2022年
4月
10日
日
昨夕、友人からのカレイの煮つけに、食欲も目覚めたようだ。
今日は、スーパーにでも出かけようと、チラシを見ると、何と春を告げる魚と言われる「鰆」の切り身が掲載されていた。
市場では春は「岡山の鰆」に始まると聞かされていた私は、急いで、出かけるも、既に売り切れとのことだ。
でも、売り切れについて残念な気持ちもあるが、春を味わう人が多くいるという瀬戸内の味に気づいて買い求めてくれたことに嬉しさを覚える。
産地の食材を多く紹介している今日この頃のスーパーに、今度は何が並ぶだろうかと、足を運ぶ楽しみが増えた。
東京は春を飛び越して真夏のような暑さに、私は体が柔軟になって、心地よいが、既に葉桜に代わり、間もなく近くの公園の八重桜というか、牡丹桜の開花が待たれる。
何時しか、ふるさとの華やかな具材の散らし寿司の上に、鰆をちりばめた「鰆寿司」が食べたくなった。
改めて「ふるさとの力」の存在感の重さを認めた。
2022年
4月
09日
土
最近、特に複雑な想いで、新聞を開いている。
必ず、目を通すのは、国内の新型コロナウイルスの感染者数である。
東京を始め、縁のある地域の感染数が、気になっている。
更に紙面を始め、ズシリと観光案内のチラシが増えていることだ。
確かに、桜前線の開花情報とうとう、出かけたいと想うのが当たり前だと理解できる。
更に、新築マンションの案内も多く、設計図を見ながら、楽しんでいる。
人事異動も相変わらず、紙面の多くを占めており、嘗て、会社四季報から
商いのために役立てていたが、現在は、残念ながら、横文字表記の会社が多く、もう、想像がつかない。
特にコロナ禍に始まり、すっかり様変わりした生活様式や、余りにも多くの情報にギブアップである。
寧ろ、年甲斐もなく遮二無二追いかけることはお終いにした。
観光名所の案内も、チラシを見ながら、思い出す懐かしい地域があり、それなりに味覚も蘇ってくる。
考えてみれば、随分安上がりというか、経済に非協力的と言われそうだ。
ヴィヴィアンリーチの「新型コロナウイルスからの手紙」を思い出すのは私だけだろうか。
夕刻、友人が案じて、大好きな「子持ちカレイ」の煮物を届けてくれた。
とても美味しく、大ぶりなカレイを完食しました。
2022年
4月
08日
金
毎週金曜日は、明日の資源回収に前日から、資源になるものの整理をする予定でいる。
昨日遅い遅い「快気祝い」を御恩ある方に届けた安心感もあり、心地よい疲れが残っている。
目の前に、高く積まれた新聞を見ながら、じっくりと時間をかけて読むことなく、取り敢えず、ブログをアップする材料を見付けるだけで、積読状態である。
他にもあるあるとわかっているが、やっと、体調に僅かながら自信を取り戻しつつある状況を慎重に過ごそうと思ったからである。
寒がりの私ですら、春物の上着に着替え、気分転換に、公園から始まり、いつもの散歩コースにトライした。
一万歩には届きませんでしたが、7千歩まで歩く体力が回復したようだ。
最近図書館にもご無沙汰をしていたが、夕刊に関心のある図書を見付け、
早速リクエストしてきた。
図書館からの連絡を楽しみに待っている。
このように、自ら、楽しみを見つけ、現役の時のような「負けん気」と、
「じゃじゃ馬」を控えるように、今回の体調の躓きで肝に銘じた。
2022年
4月
07日
木
昨日の「点滴の効果」が覿面にあらわれ、脳外科の手術の際にわがことの
ように心配をおかけした恩人に、3月の検査結果をお礼と報告に出かけたいと気になっていた。
ところが、3月中旬から、現在4月も自信はないが、何故か、今日なら大丈夫と思った私は、凡そ、2年ぶりに四ツ谷駅に降りた。
四ツ谷駅に降りた私は、長年の月日を費やして再開発事業はすっかり、近代的なビルに変わって居た。
思わず、「すご~い」と見上げた。
嘗ての町の表情からは信じられないほどに、威風堂々としたビルに、時の
流れを感じるとともに、懐かしい四ツ谷駅まで、頑張れた喜びに浸った。
その方は目の前にそびえる再開発ビルに入居していらっしゃる。
昨日までの疲労感はなく、今年で、「喜寿」を迎えるまでに寿命が延びたと報告をすることが出来た。
心から、マスク越しではあるが、満面の笑みで、私を迎えてくれた。
本当に、どんなにか、お目にかかりたく思いながらも、コロナ禍を案じて
我慢していたのであるが、今日は思い切って出かけようと、長い私の思いが叶った嬉しい日に成った。
やっと、「遅い、遅い快気祝い」をお届けできた。
2022年
4月
06日
水
朝から温度が上がり、私も伸び伸びとした日が送れそうな気持が久しぶりに戻ってきた感じがしている。
気持ちばかりで、何かしようかなと手を付けるもすぐダウンしてしまう。
嘗て我々の年齢になると、疲労感が平均して大体三日後に襲われると、同世代の友人たちとの共通項で一致していた。
コロナ禍前、出かけて別れる際の合言葉は「三日後に三日後に気をつけましょうね」と声を掛け合ったものだ。
この共通項によれば、今日からお疲れモードになるところ、翌日から始まり、一向に回復の傾向はみられない。
午後、予約していた待ちに待っていた病院に出かける。
背中を通して、体に温もりを感じながら、桜は既に若々しい葉に代わり、
花街道の花がたわわに満開状態である。
症状を説明し、レントゲン写真と採血の結果は、コロナ感染もなく、ホットするも、疲労回復のために点滴をする。
凡そ、30分間の点滴の時間も、うとうとと、軽い睡魔に襲われる。
こんなに疲労が続くとは、情けなく、友人も案じて、マメに連絡を入れてくれるのが、とても有難く心強く、持つべきものは良き友である。
これまで、一日の時間が長く、特に夜の時間の長さには閉口している。
相変わらず、「ラジオ深夜便」がBGMの役割をしている毎日が続いているが、古い友人のお母さまが、先ず、目が覚めて、就寝後もテレビをつけっぱなしにしているのよと聞いたことを思いだした。
そのお母様に尋ねたところ、人の声や音が聞こえないと不安だからと。
確かにご主人を亡くされた後は、一人住まいもあって、人恋しいのではと
察したが、まさか私がその入り口に正に立っているようである。
引き込まれないように、やはり、頑張らなくちゃね。
お陰様で、点滴の効果は「大」で、体の切れもよくなったように思う。
2022年
4月
05日
火
今日は、昨日と違って、お日様がニコニコと元気に、室内に届く。
もう、今日からは気を取り直して、起き上がろうとするも、直ぐに横に成りたく、やっとの思いで、朝刊を取りに階下まで降りる。
先日2日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に、沖縄では春分から5月10日前後の梅雨入りまえの時季を「うりずん」と呼び、「潤い初め」が語源だそうで、寒からず、暑からず1年で最も過ごしやすいころだからだと。
しかし、その「うりずん」の日に、私は、かなりの疲労感に襲われ、明日の診察が待ち遠しい。
それでも、新聞に目を通す気力は残っているらしい。
愛読紙に「地域のチカラ」という記事には、懐かしい岡山の瀬戸内市が、地元の足である民間のバス会社の2路線が撤退し、市営バスにするという。
「公有民託」という役割分担で、地域の足を守るという考え方で、初めて聞くが、市が車両をもち、地域の交通業者が運航するシステムとのこと。
2路線を撤退する民間バスである両備バスには、確か、2019年ふるさとの「天文のまち」である浅口市で、お山のてっぺんにある天文台のある狭い道路をすいすいと、はらはらしている私にアッという間に、気が付くと、天文台に到着、楽しい一日を過ごした。
読み終えて、少し、心が晴れたようである。
しかし、後はもう、起きているのが辛く、ベッドインとなった。
2022年
4月
04日
月
今日は週の初めの月曜日。
公園の桜も若々しい葉が目立つようになり、いよいよ今年も桜の季節が終わり、花街道の季節に主役が変わった。
私はソメイヨシノより、ボタン桜とか、花街道の方が好みである。
近くの公園には、花街道が多く見られ、私は、今日は、花街道の花を楽しみに待て居たが、何と、朝から、昨日に衰えることのない雨が絶え間なく降り続いている。
いつもの起床タイムに置きあ上がれない。
しまった、脳外科の先生の「頑張らないこと」といった声が聞こえた。
確かに、人ごみを敬遠していていた私が、余りにも、花見の季節とは言え
守るべきルールをスルーしていた。
平熱だし、コロナ特有の症状は見慣れないが、兎に角、ベッドから起きださない症状になってしまった。
友人からの電話にも、普段の症状と異なり、案じてくれるものの、私には寒暖差の激しい二日間を、自分の体力を弁えず、頑張ったことは何よりも私が熟知している。
明日は診察を受けようと想い、病院にアポイントを入れる。
2022年
4月
02日
土
昨日と打って変わったような季節の変化に、私は今年最後の桜との別れを感じ取り、いつもの散歩コースを体力が続く限り、昼食前から自宅を後にて、思い当たる桜のある場所を歩いた。
既に桜から若葉が勢いよくなっている桜、あるいは、まだ、しっかりとビクとも市内で、花をつけている桜を楽しんでいるうちに、私は人生と同じで日当たりの良い場所、一寸、まだ日当たりから逃げ延びている場所に依って、微妙に桜の開花、表情が異なるのである。
すばらしい晴れ晴れの素晴らししい下町ブルーといわれる「浅草ブルー」の空をお供に、「桜」をお供に楽しみました。
それぞれの桜が、それぞれの生き方で生き延びている居る自然の力に対して、私は自分の人世に対してこれで良かったのだと想いながら、歩い続けた土曜日の日でした。
2022年
4月
01日
金
今日から新年度が始まるが、寒く冷たい雨がお出迎えとは、新社会人も、新成人も「試練のスタート」となった。
随分、社会の新たしいスタートが始まったようで、その新しいスタートに対して、新しく希望に燃えた新成人や社会人に対して、迷い道に入った人に対して、これまで77歳の人世の年輪を刻んで私の生き様に、責任少なからずあると想った。
ある意味で、日本人は、それぞれに人生というか、教育を人事異動を始め
リセットする習慣がある。
最近が、これまでの企業も新しく片仮名表記によるイメージチェンジに、時代の流れを感じるとともに、漢字からくみ取れる企業の姿が思い浮かべないというと戸惑いを覚える。
しかし、新生活や今年から18歳が、責任ある新成人になる現実に、抵抗なく受け入れられるものであれば、私がとやかく言う筋合いはない。
兎に角、季節まで冷たい逆戻りに、ありふれた言葉だが、どんな時も適応できるように頑張ってほしい。
77歳に成ってもまだ、適応できないままの私からの、心からの励ましの気持ちとしてお贈りしたい。
決して「頑張って」とは重荷になることなく、それぞれの立場で「背筋を伸ばして参りませんか」
私も、初心に戻って、77歳の人世に対してリセットしてみますね。