2022年
3月
31日
木
昨日の点滴の効果があり、朝から、体の切れが良く、昨日までの後片付けを始める。
今日もどうやら、夜には、桜には試練の「桜雨」になるそうだ。
折角「喜寿」と言われる77歳に成ったが、どうも、私には、弥生3月は
「鬼門」のようだ。
丁度、30年前の3月31日の夕刻、腹部内で太鼓を打ち鳴らしている程の激しい痛みに始まり、やがて、太鼓腹のように、スカートのジッパーを
おろしても、見る見るうちに、はち切れんばかりに膨張するばかりで、痛みも激しさを増してきた。
一体、私の体はどうなってしまうのだろうか、もしかしたら破裂するのではと恐怖が走った。
もう限界と、ちょうど、桜が満開の夕刻、かかりつけの病院に駆け込んだところ、検査、即、入院とあれよあれよという間に、気が付いたら、ストレッチャーで、病室に運ばれた。
そして、点滴が一晩中続き、確か、翌日も点滴が続いた。
やがて、MRIの検査の結果、右のチョコレート嚢腫破裂と診断され、もしかしたて、悪性腫瘍であれば、胸部辺りから切り開く手術になる可能性があるとのことである。
然し、翌日が手術という夜の9時過ぎに、執刀医の先生が、「まだ起きてるかい、悪性でなかったから、お臍から下の手術になるから、良かったね」と、先生の表情からも、私はほっとし、明日を待つばかりとなった。
どうも、今日の桜を見ると、30年前の出来事がフラッシュバックする。
お陰様で、今年は何とか、「鬼門」の3月が無事に終わりそうだ。
2022年
3月
30日
水
昨年末から、なかなか、疲労が激しく、検査の数値では見えない。
嘗て、同じ状態に陥ったとき、点滴治療をして、何とか、元気を取り戻した経緯があり、現在、凡そ、2週間に一回通院している。
身体は正直だなあ遠むのだが、もう限界と点滴の日が不思議に重なり、明日に成れば、点滴で元気になると思い、、足取りも軽く、早く、疲労感から解放されたいと。
今日は昨日と違い、日中は温かいので、何となく気持ちも前向きになる。
信号が変わるまで、春霞の空に、久しぶりに銀色の飛行機が、機首を上げ
上昇中である。
最近、何となく晴れていても、レースのカーテンがかかったように、スカッとした空を見る機会が亡くなった。
やはり、黄砂dの、花粉だの、季節柄、春霞特有の春霞なのか、飛行機が
見える空に出合うことがなかった。
然し、ここ数日、日中は何とか、花曇りでも雨が降るところまではいかないのだが、夜になると、雨が降るというお天気のリズムが続く。
明日、3月の終わりも「桜雨」の予報が出ている。
点滴終了後、公園に立ち寄ると、既に、桜の絨毯が広がっていた。
桜に変わって、私の大好きな「花街道」の花が、咲き始めていた。
2022年
3月
29日
火
三寒四温と言えば、正にジェットコースターのような温度差の激しい桜の季節に特有の日が、繰り返している。
満開の桜を見上げながら、毎日はらはらするところが、散り際の良さを良しとした日本人の生き方の一つとして、この季節、桜の花に自分の生き方を重ね、一喜一憂するのだろうかと想いを馳せている。
そのスリリングさがあるのが桜の季節と言えるのだろうが、私には幼少時から、季節の変化に対する適応性というか、順応性が苦手で、花を愛でる気持ちはあるのだが。
このところ、パソコンとのお付き合いが長く、シグナルを発し始めているのだが、休むに休めない日々が続いている。
お独り様でも、取り敢えず、やるべきことは同じで、量的に、スペース的には少ないのだが、同じである。
調理後の後片付けを、食後、即座にできなくなり、後でといったこれまでは無意識に動いていた作業が、まあ、一寸、休んでからにしましょうと
いった状態になってしまうのである。
これを加齢と片づけるには、まだ77歳という年齢から、些か早すぎるように案じてしまう。
友人の一人は、颯爽と自転車ですいすいと乗り回しているのを見ると、何とか、私も頑張らなければと想うのである。
そんな気持ちのまま、公園に行くと、はらはらと散り始めた桜の花びらを
集めては、また、風が吹くと、拾い上げた花びらを手放し、流れゆくさまを楽しんでいる。
無邪気に桜と共に元気に花びらを追いかけている風景に、何時しか心が
和んでくる。
「子どもの力」に、私は自分を取りもどしている。
毎日の桜情報に、「花曇り」も「花冷え」も、大人の感性なのだろうか。
散り始めた公園の桜の下で、間もなく咲き終わる桜に想いを馳せていた。
2022年
3月
28日
月
昨日、隣接する図書館で、リクエストしていた寺田理恵子著「60代、ひとりで前向きに生きる」の案内に、翌日の休館日を考え、急いだ。
タイトルからも、伺えるが、かねてから愚痴をこぼして医療に、これまで
走り続けたノンストップに、恥ずかしながら、未だに我が道を見付けることができなく、体調を崩すほどの闘いを続けている。
タイトルが示すように60代をはるかに超えた77歳の私であるが、出来うることならば、これまでの体験を生かした可能性を模索していた。
77歳の年齢にも、今回リクエストした寺田理恵子著の「60代で、ひとりで生きる」というタイトルに関心を持ち、もしかして「77歳出でも、一人で前向きに生きる」のは可能ではないかとリクエストしたのである。
私は正直言って、時代に抵抗するようだけれも、どうも、固定電話のアナログ生活にできることならば戻りたいという想いが長年の念願である。。
寺田理恵子氏も、「高齢者のスマホ講座をめぐって」いう問題定義を著してが、実は私は自分が必要とする以外には全くのど素人である。
然し、スマホ利用者から教えてといった問いかけに、私は申し訳ないのであるが、応じることが出来ないのである。
寺田理恵子氏によれば「スマホが当たり前になったときに取り残された人達へのケアが必要だと、そこにボランティアの力が必要だ」との提案に対しては、賛成するも、必ずしも、今後がスマホに支配される世の中に対する微妙な反応が、少数派であるも見捨ててはいかないのである。
仰せの如く「取り残された側も、体調を崩すのであれば、ごきげんようをしたいほど、性格的に相性が合わないのである」
私は何時、ごきげんようとしたいかを考えているのである。
実は、私もいつまで、精神的に持ち堪えるだろうかと思っている。
余りにも日本人として変換キーのお粗末さである。
また、情報との適度の「ソウシャルディスタン」が取れるかという敵s綱能力の判断が必要である。
情報の多さに、消化不良を起こしかねないのである。
嘗て病院ボランティアをしている時に、病気の方から愛読書の読み聞かせをしてきました。
棒読みにしている私に対しているにも関わらず、、多くの患者様が喜んで下さったかと思うと、現在77歳に成った私も、今後、「77歳代、ひとりで前向きに生きる」に励ましを頂いたと想っている。
残念なことに、第77歳の自分の生き方と、相容れない自分の持っきたとも思われるに、精神的に生き延びることが出来る出来るだろうかと想う。
2022年
3月
27日
日
いつものように、エレベータの「今日は桜の日」だそうだ。
確かに、散歩コースのコースの桜には、既に代表されるソメイヨシノの花の芯が赤く色づいている。
もしかして、2022年のさくらの満開日ではないかと、いつも散歩コースの公演に出かけた。
確かにかに、見事であるが私が案じていたソメイヨシノの盛りを告げる花びらの奥に宿る赤い印からは、散りゆ自然の信号に気づいた。
スマホに残し、私は、日課の散歩を続けるが、どうも、相変らず、精神t的に不安を隠せないことと、「点滴に力」を仰ぐより仕方にまでに、追い込まれた居る心身の状態というか、極限に達していた。
75歳という「喜寿」が私にとっては、ある意味での体力の分水嶺かと思うほど、心身共に、疲れ果てたのである。
長年の友人も案じて、くれるものの、好意は素直に有難く受け入れるものの、既に、限界を達し、医療の力に頼るしかない。
どうも、私はアナログ人間で、全てが、PCでしか相手に情報が伝わらないという、お世話になった友人のこれまでの私を支えた厚意に対して、報いる気持ちでいたが、もう、限界を感じた。
今後の社会生活で落ちこぼれようと、この疲労感について、敢えてそれぞれ自分に相応しい生活様式があってもいいのではないかと、身をもって感じた次第である。
つまりは、IT社会に乗り遅れるとか等々の、自己顕示欲をなくし、素直に自然との共生を摺ればよいのではないだろうか。
先日、小林弘幸氏が紹介していたヴィヴィアン・リーチのからの「新型コロナウイルスからの手紙」に,私は正にその通りと、人類の驕りの生活がもたらした要因はを心に刻んだ。
そして、公園の素晴らしい自然の織り成す「力の素晴らしさに」に、人の愚かさを感じながらながらも、「東京に満開」に、一人ぼっちで祝いたいとの想いにかられ、スパーに足を延ばした。
彼これ、10年近く、私の食材でもあり、冷蔵庫でもあるスーパーで、何と
通い続けて初めて、「岡山産黒鯛」のお刺身を見付けた。
「黒鯛」ではなくふるさとでは「ちぬ」と言われている、地元の人にいうには「鯛」より美味いとの声を聴いているだけに、即座に買い求めた。
数量は数和少なく利用しているスーパーでは出会うのは初めての経験であり友人の故郷自慢のために、お届けした。
今年の「桜の日」と「東京の満開の日」が奇しくも合い合い待った嬉しい「桜の日」の一日になった。
2022年
3月
26日
土
また、一寸能力オーバー、疲れちゃった。
毎日、一万歩を目標に散歩を心がけているが、脹脛がパンパンに張ってしまい、階段を降りるときに、何と足が伸びないという初めての経験だ。
更に、懐かしい「三ツ矢サイダー」を居ても立っても居られない程、欲している。
こんな不可解な自分の体調というか、味覚の変化に、何となく寝付けなく
再度、小林弘幸氏の「整える習慣」を読んだ。
相変わらず、氏の指導というか、ヒントについて、私も「仰せの如く」で後は自力で「継続は力なり」で、毎日、地道に努力しなければという結論に至るのである。
結局は、夜を明かして読んだ結果、それなりに自分の成すべきことは、私が気づいている部分に重なる。
ということは、自分の努力次第という結論で、精神的にタフになるということに繋がる。
話は懐かしい「三ツ矢サイダー」に戻るが、飲み干した時、気持ちが安らぐのである。
最近連日のように、ふるさとの住まいと、苦虫をつぶしたような無表情の
父親の夢を見る。
別に、夢占いに関心があるわけではないので、嗚呼今日も又と思う程度で
あるが、生前のふるさとの父親や、住まいが、正確に見事に蘇る夢だ。
その一つに「三ツ矢サイダー」も登場するのである。
実際に冷たく冷えた「三ツ矢サイダー」だけは、夢だけではなく、現実として、私は美味しく飲み干しているという不思議な日を過ごした。
2022年
3月
25日
金
今日は、何と、全国的に「お天気」という珍しいとの予報に、かねてから
気がかりだった「浅草」に出かけることにした。
彼これ、20年以上ご無沙汰の「浅草」に、正直言って自信いが、どうしても「浅草」との表記に、念のために、確かめておかなければと、思ったからである。
実は、郵便局の配達員も、「浅草」と「浅草橋」の表記違いがあるそうで
どうも「浅草」の方が知名度があるようで、「浅草橋」の「橋」を付けない人が多いと聞く。
友人関係も「浅草橋」地区が多く、私の活動のテリトリーも秋葉原地区を始め、神田、日本橋、銀座地区なら、地図が頭にインプットされているのだが、「浅草」との縁は薄く、全くの「お上りさん」並みに匹敵する。
兎に角、目的地までにたどり着くまで、きょろきょろ、しかも、20年前の
記憶にあるお店がなかなか見つからないのである。
友人からも、「浅草」と「浅草橋」との違いに苦労したという話を聞いたが、今の私が正にその通りである。
グーグルマップを頼りにする余裕はなく、交番で尋ねたところ、「夜の方が目立つ建物なので、説明がしやすいんだよね」と。
然し昨日までの冬の再来を思うほどの寒さから、今日のおでこがじりじり
するほどの温度差に、体力の限界を感じた。
でも、何とか躓きながらも目的を果たしたので、安堵した。
2022年
3月
24日
木
夕刻から、管理組合の総会の資料に目を通しながら、気持ちが安定しない体調に、先日、図書館にリクエストしていた小林弘幸氏の「整える習慣」を読んで、「心を整えよう」と、読み始めた。
自律神経失調症と言われて久しいが、確かに思い当たるところが数知れずといった次第である。
然し、このもやもやとした釈然としない状況は、改善されないのである。
理由は自分でも十二分に分かっている。
分かっているのであれば、先ず優先すべきものから始めることにした。
それから、夕刻の総会まで、凡そ、気が付くと、6時間近く、インターネットで、検索をしていたことになる。
数日前に、私が女性社会での経験が少なく、病院ボランティアの際に協調性がなく、精神的に苦しんでいる時に、私に「心の休息」をプレゼントした方が、コロナ禍で、当時の私を癒してくださった大切な方が、上京したいとの連絡で、どうやら銀座を希望しているそうだとのこと。
友人から「銀座百点」の編集に在籍したのだから、「もう高齢だし、銀座の情報をリストアップしてね」との依頼が、圧し掛かっていた。
私にとっても、地元の素朴な味で、さり気無いもてなしに心が和んだ記憶が、蘇ってきた。
コロナ禍後の私も、銀座に出かけるのは、3か月に一度のデンタルチェックで、歯科クリニックに足を運ぶ生活が長い。
「銀座百点」の編集部を離れて、凡そ、20年以上に及ぶ時の流れがあり
記憶辿っても、ここ数年のコロナ禍もあり、嘗ての銀座の趣が感じられず
せめてお世話になり、友人からの依頼もあり、必死に検索したのである。
理事会を終了しても、夜明けまで検索して、何とか、友人に納得報告できる内容が出来た。
後は、友人から、私の感謝の気持ちを含めて、喜んで頂ければホットできるのだが。
とうとう、寝付けず、改めて「整える習慣」を読み続けてしまった。
2022年
3月
23日
水
昨日の電力逼迫情報が、今日も延長の可能性がありとの報道に、冷たい雨は止んだものの、相変わらず今日も、窓を開けると、寒い。
起床時の15分前から、朝食が終わるまで22度の設定後は、お天気さえ良ければ、日差しが入るので、暖房を使用することなく、ほんわかとした温もりの余韻で十分である。
午後からは冬の期間は22度の設定で、十分のところ、気まぐれな春特有の三寒四温に振り回されるも、今回、20度に設定とのお達しに対して、急に僅か2度の温度差が応えた。
特にパソコンに向かって手先だけで、他が静止状態の際、背中にゾックと
寒さを感じる。
それが寒さを知らせる合図であり、「ごめんなさい」と心で謝り、22度に
アップして、今度はできるだけ、片付けなどの体を動かす工夫をしながら
15分ほど、ルール違反をして、部屋を暖めた。
確か、私は昼頃に電力逼迫が解除されたと聞き、風水害でも、わが地区は停電になった記憶はなかった。
確かに、私の住まいも全てが電化されているので、頭に入れておかなければと、改めて、「電気の力」を自覚した。
実は、明日、わが住まいの管理組合の総会が開催されるので、蓄電池とか
の何らかの安全の確保が必要だと、提案するつもりでいる。
2022年
3月
22日
火
「花冷え」なんで素敵な表現ではなく、全く東京は「真冬に逆戻り」といった、気象の変動に、初めて、「電力逼迫情報」なんて事態を知った。
桜の開化の時期はとかく、気候が不安定であるが故に、その桜の命を惜しむかのように、この季節は、ある意味でいえば「ソメイヨシノ」のご機嫌を伺っているともいえる。
然し今日の寒さは尋常ではなく、自然に忠実に生きている桜にとっては、誠に気の毒だと想う。
もしかしたら、「停電」になるとの報道に、私は、バッグに懐中電灯を入れ、毎日の常備薬を始め、改めて、点検をした。
もし、必要としている人のためにとの想いもあり、久しぶりに緊張の時を過ごした。
然し、ある意味で「喉元を過ぎれば熱さ忘れる」の例えにある様に、油断してしている時に、不意打ちを受ける。
ふと、私は、「断捨離」とは非常事態の時のヒントはないように感じる。
例えば、普段は「マイ箸」なども、衛生上コンビニやスーパーで渡される「箸」が必要になってくるのではないだろうか。
使い捨てで衛星が守られるという反面も視野に入れておく必要性を思いつくには私だ気だろうか。
いずれにしても、普段22度に設定している私には、クシャミ3回ではないが、体感的に寒さが応える。
然し、非常時に備えて今回の「電力逼迫情報」は、大変貴重な体験になると、大いに身近に感じた貴重な体験と受け止めている。
先日の福島沖地震以来、私は、避難時に必要な点検と、また、エレベーターの利用を止め、階段をリハビリを兼ねて利用することにした。
2022年
3月
21日
月
暑さ寒さも彼岸までと、先人たちの言葉を思い出す「春分の日」である。
また、一寸頑張ったみたいで、なかなかベッドから離れられない。
ああ、また、少し、体調の身の丈を弁えず頑張っちゃったみたい。
もう、「エイ」と決め込めて、ベッドと仲良しになる。
振り返ると、私は、弥生3月は「鬼門の月」である。
現在では問題視されるような主治医からの発言に、抵抗なく素直に受け入れる私がいた。
「淺野さん、君はやはり赤穂浪士の関係ある子孫だね」
「先生、確かに父親から下級武士が落ち延びて来たとは聞いていますが」
「だから、残念ながら切腹することになるということ」
「嗚呼、そうですか、切腹ですか」
といった、今では信じがたいドクターとの会話を交わしているが、それに対して、一抹の不安もなく「わかりました。宜しく」
私は、振り返ると、どうも3月に緊急入院している回数が多いのである。
その点「おひとり様」の今は、自分の判断次第で「まな板の鯉」である。
ある意味で、全ては私個人の考えで決定すということだ。
そんなことを考えながら、お彼岸の時期、そろそろ、コロナで天国が或は極楽で、ボランティアが不足してしているのかなあなんて、様にもならない想いに私は、もうお陰様で、十分生き切ったと思っている私は、「どう
私で宜しければお手伝いに参ります」と。
「おひとり様」の良いところは、友人に羨ましがられるのですが、自分の意思で、余計な神経を使うことなく、自由に決断できるというが、私は、
その決定が正解かどうかという点で迷いを生じる。
然し、自分の人生は責任をもって、相応しい時が来れば、命を引き取ってくれるまで大切に生きることだと想っている。
然し、本当に私は体力というか、頑張れない体質に悔しさを覚える2022年の春分の日となった。
2022年
3月
20日
日
いつものように、新聞を開いた広告の中に、警視庁の一枚のチラシに私は確か数日の新聞記事に「炭鉱のカナリア」という見出しと同様に、一瞬、釘付けになった。
先の「炭鉱のカナリア」は、経済用語として記載されたものだが、私には今朝の警視庁による「地下鉄サリン事件って知っていますか?」という見出しに始まるところの忘れてはいけない日本を震撼とさせた事件が、フラッシュバックする。
慌ただしいテレビの報道に何か起こっているのか、実態がつかめないまま私は、ダダごとではないと思いながらテレビから離れられずに、刻々と報じられる状況を見入っていた。
その時、数年前に結婚した若いカップルの妻から、電話がかかってきた。
「マリ子さん、主人がもしかしたら、いつも出勤の際に利用している地下鉄の時間帯なの、どうしたら」と、後泣くばかりでかき消された、あの声は今でも私の耳に残っている。
凡そ、27年前と言えば、みんながスマホ時代でなく、ガラケーか、ポケベルの時代である。
兎に角、私は彼女の自宅に温かいジャスミンティをポットに、駆け付けたところ、数分前に、いつもの電車に乗り遅れて、幸いに命拾いしたとの連絡が入ったという。
然し、まだ興奮状態の彼女に持参した温かいジャスミンティを飲ませた。
確か、母親から、神経の高ぶりを沈めるためには、温かいジャスミンティは効果があると聞いていたからである。
今、宗教団体ではなく国家と国家の政治的綱引きというか、一触即発とも思われる世界が危険な状況にある。
改めて、警視庁のチラシを知らない人は、それこそ、ネットで正確な情報を検索してほしいと願っている。
拭われない歴史の事実に気持ちが沈みがちなところに、午後に気象庁より
東京のソメイヨシノの開化宣言が発表され、気持ちが和らいだ。
日本人にとって、「桜」というのは特別な想いをそれぞれが持っている。
今日の桜の開花が、事件の被害者の方の心の慰めに少しでも届くようにと願いを込めて。
2022年
3月
19日
土
昨夜の猛烈な雨も上がり、朝からお日様が元気に輝いて眩しいほどの勢いで、東京の空が、見る見るうちに、スカッとした青空に変わった。
いつも、友人と一緒にお墓参りに出かける。
約束の時間、友人は開口一番、「やはり、晴れ女ね。夕べの激しい雨に、
明日はと案じたが、まあ、あなたと一緒だからと、本当に晴れるわね」
東京の桜の開花宣言が、今日、明日と言われているが、まだ、谷中の桜は
遠くから見ると、何となく、淡くピンク色に見えるが、近づいて見上げると、まだ、蕾が固く閉ざしている。
日当たりの良いところでも、目を凝らしてみると、一輪が開花しようかと
迷っている風情がなんとも、奥ゆかしさを感じる。
毎年、墓地の周辺で、土筆を見付けるのが楽しみだが、今年は残念ながら見つけられなかった。
その代わりに、「おおいぬの殖栗」の青い花が咲いていた。
ふるさとの自宅の庭に、春になると辺り一面「おおいぬの殖栗」が隙間なく咲いていた。
長年、お墓参りに出かけているが、初めて見かけたので、そっと、一つだけ、両親の墓に「懐かしいでしょ」と、添えた。
今年は76歳で亡くなった母親の歳を超えて、77歳になったが、世間では
「喜寿」と言っておめでたいそうだが、「苦寿」にならないようにしなければと願っている。
地球もお疲れ気味のようだし、世界は何となくきな臭い不安定な状況が続いている。
出来れば、秋のお墓参りには、笑顔でと想っている。
一歩的に語り掛けるだけだが、不思議に気持ちが落ち着くのである。
2022年
3月
18日
金
既に20年以上の時を経ているが、今日は親友が止む無く実家を転居しなければならない事情が出来て、庭の紅梅の梅の木を引き取っていただきたい先はないかとの相談を受けた。
近くのお庭のあるお宅に相談した処、喜んでと引き受けてくれた、紅梅の梅の木が、例年より、ぎっしりと、色濃く多くの花が満開になっていた。
思わず、素晴らしく勢いのある多くの花が咲き競って、依頼した本人は、若くして突然、心臓麻痺だろうか、詳細は聞いていないが、無くなり、余りの突然の死に奥様も、心の病で、追いかけるように亡くなった。
毎年、私は、この三月のお彼岸を迎える季節、本当に仲睦まじく肩を寄せ合って笑顔の絶えない夫婦のことを思いだす。
亡くなった釣り好きのご主人から「飛び魚」の話で、なんでも、確か八丈島では「飛び魚」をくさやの干物にするとのことで、頂いた。
まさか、飛び魚とは思ってもいなかったが、その味は美味しくて、すっかり、味を占めてしまった。
何となく、散歩の帰りに、スーパーに立ち寄ったところ、鹿児島産の「飛び魚」の刺身を見付けた。
何という巡り合わせだろうか、私は産地も違うし、くさやの干物ではないが、「飛び魚」に違いはない。
瀬戸内育ちの私は、白身の尾頭付きの白身の魚で育った環境もあり、何と
「飛び魚」の刺身も、身が引き締まり、既にこの世にはいなくなったなか睦まじい若き夫婦と、一緒に味わいたかったと、胸が熱くなった。
そういえば、今日から春の彼岸の入りだった。
2022年
3月
17日
木
昨夜の11時36分の福島県沖地震は、寝入り端に対しては、東日本大震災に相当する衝撃に、寝入り端を襲う衝撃であった。
とうとう、瞬時に関東震歳が来たかと思うほどに衝撃を感じた。
来るべきものが来たかと、私は死ぬか、障害を残して生きていくかの判断を瞬時に覚悟した。
時刻的には昨日16日のことであるが、わたしにはその余裕はなかった。
明日にしようと、実は寝付けないでいたのは確かであるが、明日、つまり
17日のブログにしようと思ったのである。
今日から関東地方にも「黄砂の飛来」が予想され確かに「春霞」といった趣のある空の表情ではなかった。
嘗て3年間、福島原発に一番近距離に設営された仮設住宅に「話し相手」としてお訪ねした際に、県民性というか、阪神淡路大震災の仮設住宅の方との違いを感じた体験を思いだした。
3年間の間、折角重い口を開いた被災者の死とか、体調不良でお目にかかれず、どうすることもできない非力さに、心が痛んだ。
その後、スーパーで偶然、友人に出合い、私は「長崎産のカサゴ」を見付け、お刺身の依頼をした時であった。
育ってきた環境には、舌の感覚にも違いを感じ取った。
何となく、東日本大震災がフラッシュバックする私は、いざという時を考え、非常時の点検をしている時、スマホに連絡が入った。
コロナ禍で、我慢していた懐かしい方からの声に、これまで、辛い想いで
いた私に、灯りが届いた。
2022年
3月
16日
水
今朝の朝刊に国税電子申告の納税システム「eーTax]が、前日の15日から接続障害が発生している情報は、知らなかった。
前日、私はホームページの接続がサーバーによって、私自身の確認の時間は遅延したかもしれないが、何と、15日と言えばお国のお財布の収入源ではないか。
15日から障害の解明を「丸一日中」努めるも、故障発生の復旧に至っていないという。
如何して、保険というシステムがある様に、国民の信頼を裏切りかねない
セーフティを準備していないのだろうか、不思議に思う。
昨日の問題にしても、利用者はかなりのリスクを背負ったに違いない私はもうIT社会から距離を置きたい。
出来れば、固定電話一本の生活にしたいと、体調を崩すほど、私には相性が悪い存在なのである。
嗚呼、一番肝心な時にこんな「ドジ」をするとは、私のようにど素人ではないはずである。
情けないなあと嘆いても、個人プレーで独り相撲である。
まああまあ、超カリカリしても、体調を崩し、医療費がお国に嵩むだけとどこかでスルーする力が働く。
憤慨しているには、珍しく睡魔に襲われたので、心を収めて静かに就寝の時間を迎えた。
2022年
3月
15日
火
現在の時刻が、20時過ぎで、本来であれば、「読書タイム」を楽しみにしている時刻に、ブログをアップしている。
本来ならば、パソコンとのお付き合いは、極力遠慮している時間帯であるが、やはり、今日一日がどんなに、悲惨で許せない日であったかを私は、声を大にして訴えたい。
いつものように、自分のホームページを開くも、開けない。
何と、「メンテナス障害情報」が発生したためとわかる。
その情報が確かかどうかを確認したいが、現在の世情から、きな臭い状況に「うっかりして」は危険である。
折角スイッチが入った矢先に、「出鼻を挫かれた」とはこのことである。
恐る恐る「まだだかなあ」と、もしかして、システム障害も回復しているのではと、開くと、更に、私を慌てせる表示に変わっていた。
「インターネットが切断している」との表示に、何度か、再起動を試みるも、私はどうすることもできない状態になってしまった。
幾つかの方法が表示されているが、サイトに対する知識はなく、生半可な
対処は危険だと、量販店の専門家にチェックしてもらうも、私のパソコンには異常は見られず、相手先の障害の回復を待つしかない。
仕方なく、次回の投稿原稿の資料の整理をすることにしたが、外は季節外れの散歩日和、気分転換に2回ほど、あちらこちらと、歩き回っていた先に
白い沈丁花の花が、私を勇気づけるかのように、満開で、大好きな香りが私を包み込んでくれるように想え、心が和んだ。
然し、気になり、夕食後も「まだだよ」である。
そのうち、あまりの精神的に目まぐるしく、転寝をしてしまった。
もう一度と、20時過ぎに諦めた気持ちで、開いたら、回復していました。
お騒がせの一日が終わりましたなんて、穏やかな気持ちには、なかなか
治まりの付かないでいる。
2022年
3月
14日
月
昨日は「縦のものを横にもしない」といった一日を過ごしてしまったが、
今日から気を取り直してと、いつもの時間帯に朝刊を取りに、エレベーターに乗ると、今日は「ホワイトデー」であった。
そういえば、「バレンタインデー」は、早くからビジネス的に華やいでいるが、今は「ホワイトデー」は、影が薄く、寧ろ、四月の「イースター」を宣伝している。
丁度、7時過ぎにエレベーターに乗って、朝刊は休刊日であったと気づいたが、既に遅かった。
丁度、同時刻、通り雨が玄関から見えたが、すぐに日差しが眩しいほどのパワフルなお日様が顔を出した。
さあ、私もキラキラと元気な太陽をパワーにして、頑張るぞと、スイッチオンにして、一昨日のままの書類の整理を始めると、如何に、昨日、体調が優れなかったかが分かる。
暖房の必要もなく、取り敢えず、公園から、朝の散歩をして、綺麗に晴れ上がった青空を胸いっぱいに吸い込むことから、始める。
朝食が進まなかったので、早めに昼食の準備を始めているうちに空腹感を覚えた。
また、今夕は雨と風に見舞われるとの予報に、昼食後、少し、午後の散歩にと足を延ばすと、何と、杏の花がピンクの鮮やかな花が満開であった。
途中、図書館にリクエストしていた3月1日に刊行されたばかりの養老孟司著の「子どもが心配」の連絡が入った。
図書館の前で、友人のご主人から「ハイ」と、チョコレートを頂いた。
まだ、「ホワイトデー」も存在感を残していたのだ。
今夜の読書タイムが、楽しみである。
2022年
3月
13日
日
昨夜、いつものように「読書タイム」を済ませて、眠りについたが、今朝
どうしても、ベッドから、起きる気力がない。
熱もなく、些か、普段より、血圧が上昇気味で、恐らく原因は血圧にありと自覚するも、食欲もなく、兎に角、起きていられなくて、ベッドが恋しくなるといった久しぶりの「お疲れモード」になっている。
嗚呼、季節の変わり目で、体との協調性が苦手な症状が出てきたようだ。
唯、只管、「無」の状態になりたかった。
久しぶりに、すっかり、疲れてしまったようである。
もう、諦めて、時の流れるままに、日曜日だし、大人しくしていようと、
とことんベッドと仲良くしているしかない。
残念ながら、日曜日に予定していたことは全てスルーしたが、一向に、夕刻になっても、回復の兆しはなく、何処までも、ベッドのお世話になる。
不思議と、昔であれば、友人に訴えるのが常であるが、その気力もなく、
じっと、我慢の子で過ごした。
2022年
3月
12日
土
2020年3月25日を最後に、私はふるさとの山陽本線の鴨方駅に下車する機会のないまま、「ふるさとを恋うる一人」である。
今年も春のダイヤ改正と共に、新しい時刻表が刊行されている。
2018年の6月を機に、私はコロナ禍で、規制されるまで、凡そ、月に2回の割合で、ふるさとの母校の小学校に帰郷していた。
母校の後輩のために、あるいはふるさとを関東圏にも周知したいとの想いから、すっかり、様変わりしたふるさとではあるが、新しい発見が楽しみであるとともに、何よりも子どもたちのキラキラ輝く笑顔と瞳に、新幹線に乗っていることもあった。
母校に帰ると、「只今」「お帰りなさい」という、実家の亡くなった私には、何よりも生きがいであり、心の支えになっていた。
何しろ、母校には61年ぶりで、もちろん嘗ての木造の駅舎ではなく、モダンな高架スタイルに変わって居た。
当時は、無人駅ではなく、駅員さんが常駐していた。
気楽に、「私、六条院小学校の卒業生で、昔の面影はないですね」と、話しかけたところ、「じゃ、ふるさとの記念に時刻表をどうぞ」と、バッグに入るコンパクトな時刻表を渡された。
その翌年には、山陽本線は無人化が進み、ふるさとの鴨方駅もラッシュ時のみ、駅員さんがいるといった時代に変わって居た。
2019年、偶然にも昨年の駅員さんが覚えていて、2020年の時刻表をプレゼントしてくれたのですが、とうとう、それを利用することはなかった。
というのも、2020年の3月25日の新幹線の予約は、既に時刻表を開くことなく、購入を済ませていたからである。
渡された時刻表には、山陽本線の時刻表は名刺サイズで挟まれていた、その名刺サイズの山陽本線の時刻表は、未だにどうしても手放すことが出来ず、今でも、引き出しに収まっている。
コンパクトなダイヤ改正も、先月、長引くコロナ禍に、もう、帰郷することはないと、整理した。
2020年の3月25日は、菜の花が私の背丈以上に伸び伸びと、ビタミンカラーの花をつけ、私の大好きなクリサンセマムノースポールの花が真っすぐ「あさくちブルー」を見上げて咲いている。
今や、最後となった母校の花を、永遠に忘れることがない大切な思い出であり続けると想っている。
2022年
3月
11日
金
快晴の空に、自宅前の公園に、毎年、大きい白木蓮の気高く、真っ白い花が溢れるほど、咲き競っている。
やはり、予想通りに、花で幹が隠れ、特に、辛夷より一回り大きな花弁が
奔放に開花している。
青空にキラキラと花が輝いて見える。
素晴らしい季節のプレゼントである「ブルーと白のコラボ」に、魅入ってしまった。
ご近所の私より少し年配の女性の方が、「辛夷ですか、木蓮ですかか?」と、声をかけてきた。
2011年の3月11日の東日本大震災一か月後、私は、長年住み慣れた自宅から、公園前の現在のマンションに移り住むことになったのである。
実は、年配の方から尋ねられるまで、「辛夷」と思い込んでいた。
幹に「白木蓮」との表示に、「白木蓮だそうですよ」
「そうですか。私は、てっきり『辛夷』とばかり思っていましたよ」
思わず、「私もです」
その方は私に「どうもありがとう」と、会釈をして、「北国の春」を口ずさんでいます。
痛ましい自然の脅威による災害と、後の人災に翻弄され多くの方が、故郷を後にした被災者に想いを馳せながら、私も、思わず、「北国の春」を口ずさんでいた。
公園の「白木蓮」は、私には、「辛夷」に見えてしまうのである。
2022年
3月
10日
木
昨夜からの絶食状態で、足元がふわふわしている。
採血に始まり、MTI、更に、腹部のエコーと、院内を時刻を気にしながら
気が付くと、足早がしっかりとしてきた。
人は、というか、私はおよそ、3年前までの時間に追われた慌ただしい生活を体が記憶しているようで、体力もないくせに、緊張感のある日常に、生きているといった感情が捨てきれないでいる。
よって、前夜の不安を通り越して、今日は、スイッチが入っている自分の
持って生まれた性格に振り回されている。
お陰様で、MRI検査には異常が見られなく、お頭の映像を見ながら、出来れば今後「あなた、何方?」にならないように願っている。
採血については、食生活の改善をしなければならない数値が一か所あって
やはり、やはり正直に表出したなあと、また、決意を新たにしなければと
思い、反省している。
最後の腹部エコー検査については、来月の主治医の診療日に、結果が判明される。
期間が長く感じられると共に、採血の検査数値とリンクしないように、こちらは心底祈る思いでいる。
もう、取り敢えず、今年前半の医療イベントは終わったと思うや、今度は
昼食もそこそこに、Windows11のアップグレードの連絡待ちで、ここで
また私の「待つ」のが苦手な性格が現れた。
と、同時に、連絡があり、アップグレードしたPCを引き取りに行った。
既に数日前に、図書館からマニュアル本を借りていたが、実際に試みなければと、興味半分楽しさ半分といった状態で、気が付くと、夜の8時過ぎである。
今日は、「上弦の月」だと、思い出し、空を見上げながら、数か所を歩いたが、残念ながら見逃してしまったようだ。
折角、今日の「上弦の月」から、少しずつ膨らみを増して、ワームムーン
と言われる満月を18日に迎える。
そこで、「上弦の月」に合わせて、体調管理とPCの新しいスタートとしたいと思っていたが、一寸、躓いたのが残念である。
丁度、一つや二つの不備がある生活が、今の私にとっては良いのではと、
想っている。
2022年
3月
09日
水
今日という日は私にとって、明日が1年半ぶりの脳神経外科の検査日である為に、恥ずかしいが前日から落ち着かない朝を迎えていた。
更に,無病息災成らぬもう一つ経過な観察の一病を合わせてするという日に該当していた。
健康診断では表出しないまで、経過措置の診断が必要とされている。
検査結果は、来月の主治医からの判断支持を待つより仕方ない。
こんな状態が私は精神的に苦手である。
午後かねてからの昨年の10月に購入したばかりのWindows10から、Windows11にアップグレイドをすることにした。
このまま、3月6日に77歳を迎えた私にとって、このまま「毎日が日曜日」の生活には耐えられない自分の性分を知っていた。
北里研究所病院で、ボランティアをしている時に、北里三郎様から、命日北里柴三郎博士の6月命日を過ぎると、「爺さんより長生きした」と、話されていた言葉を想いだす。
1977年に亡くなった母親の年齢の8月10日を迎え、間もなく10か月の時の差を迎えることに、私は、母親が生死をかけた想いに、果たして期待に応えだろうかと思い直してみた。
母校の小学校4生の担任の先生の「一言」が今日までの私の生きがいに繋がっている。
その「一言」は、「国語成績が抜擢だから、体が弱くても、国語の勉強を
頑張っていれば」が、今日の私を支えている。
つまり、「文字」に、自分の生きがいを見付けなさいと。
それしかないと思った私は、パソコンをwindow10から、11にアップグレイドして、再度、自分が抵抗なく今後の人生のためにも何らかの適度な緊張感を、思い切って決心したのである。
あすは、ちょうど、脳外科の手術を受けて、一年半の恵果観察の日でもあり、嘗て、「二病息災」といった一病の経過措置のために、腹部エコーがあるという落ち着か居ない前日の夜を過ごしたのである。
然し、私は77歳という年齢に対して、十分生き切ったと思う毎日で、更に何を生き切るために必要かと考えると、回答が出ないのである。
明日のひとまず脳外科の結果次第で、また考えるとしよう。
Windows11にアップグレイドしたパソコンとの、お付き合いが始まる日でもある。
まあ、「無理しないで、頑張るしかないか」
2022年
3月
08日
火
今朝から天気予報士の表現によると、「寒の戻り」「真冬日」「どんよりとぐずぐずした天気」と、いずれにしても、朝7時過ぎから、小雨が静かに降り始め、正に寒く冷たい一日となった。
午後、雨が止んだので、散歩に出かけたが、歯を食いしばるほどの寒さに
早々に踵を返した。
今日は「国際女性デー」で、国連が掲げる今年のテーマは、「持続可能な明日に向けて、ジェンダー平等をいま」だそうだ。
日本経済新聞新聞の紙面の3分の一は国際女性デーの特集で占めている。
現在、各分野で活躍しているように見えるが、働く女性は増えたそうだが
衆院議員や企業の役員などの意思決定の場における女性リーダーの比率は一割にも満たないとの記事に愕然とする。
年齢に関係なく有能な女性はいるのに、残念な想いでいる。
然し、紙面を見ると、多くの日本女性の活躍を知り、世界より遅ればせながらも、今後の女性の活躍を期待して、「ガラスの天井」を打ち砕く勢いのある日本女性の進出を願っている。
さて、今日のエレベーターは「今日は国際女性デー」と思って見上げた先には「今日はエスカレターの日」とある。
1914(大正3)年、東京の上野の「大正博覧会」の会場に日本初のエスカレーターが設置されたとある。
エスカレタと言えば、父親が仕事先の神戸へ出かけた際に、初めてで、なかなか怖くて、一歩が踏み出さなくて、父親が私の体ごと抱えて、階段に乗せてくれた記憶がある。
普段は、苦虫をつぶしたようで、ニコリともしない父親だが、幼少時から
父親と仕事先にあちらこちら出かけた思い出があるのが不思議に思う。
因みに常日頃より話題を提供してくれる「エレベーターの日」は11月10日だそうである。
2022年
3月
07日
月
私は、3か月に1度、銀座の歯科医で、デンタルケアを久しく続けている。
嘗ての職場であった銀座には、現在はデンタルチェックのために出かけるだけになった。
空は晴れているものの、銀座の大通りを冷たい風が吹く抜けている。
思わず、風に向かって身構えるポーズ、つまりアゲインストであると、歯を食いしばっている。
昨年末からわずか、3か月間、いろいろと個人的に忙しく、加齢のせいか、
これまでのように、真面目に歯磨きの手抜きを、ものの見事に見破られてしまった。
長年お世話になっているが、今回の診察結果は、通院以来の問題点が見つかり、反省している。
本来、毎日が日曜日なので、現役時代より、時間もあるのに、何故だろうかと考えてみると、コロナ禍で、おこもり生活と、逆に、外出や人と接する際は、即座にマスク着用ということもあり、以前のように、「笑顔」で
歯を見せる機会が少なく成ったことなどなどが理由であるとわかった。
昔から、無意識に「食いしばっている」のに気づき、リセットするが、更に「歯ぎしり」もありと、歯にその影響が表出しているという。
最近、口腔ケアの重要性が特に健康に影響が大きいことが報じられているが、まさか、長年、ほぼ、健康だった「お口」まで、コロナ禍による影響が著しいとは、「新しい生活スタイル」ならぬ「規則正しい生活」が、今
私には必要とされている。
早速、トレーニングを受けたとおりに、試みると、夕刻には幾分か、効果が見られ、就寝前に再度磨いてみると、改善しているように見えた。
明日からも怠らずに、まだ、お付き合いが必要なので、大切にケアに努めようと想っている。
早期発見で、毎日のケアで治る程度で済んだので何よりだが、折角の銀座の趣を味わう気持ちにはなれずに、次回6月には、楽しい銀座で帰宅したいと願っている。
2022年
3月
06日
日
とうとう、私、今日で77歳になりました。
76歳までにやり残したことはと、昨日は久しぶりに朝から夜まで、新しい歳の初めまでにと、遮二無二頑張って、メモ帳に書いていた予定を一通りやり終えて寝付いたのが、もう、6日の誕生日の朝でした。
早朝の5時近くに、バナナが金づちになるほどの豪雪で寒冷地のカナダからの誕生日祝いのメールが届いた。
最近、階段の利用をさぼっていたので、今日からと、気持ちを切り替えたものの、特に、降りる方にぎこちなさを感じた。
前日までの方が、明日は、誕生日だからと構えていたが、今日は、本当に思いがけなく多くの方からお祝いのメールを頂き、私は人に恵まれていると、胸が熱くなった。
昨年の3月まで、ふるさとの母校の校長先生からも、相変わらずパワフルな近況のメーㇽを頂き、嬉しく、ふるさとの空を懐かしく思いだした。
今日は、昨日に比べて北風が思いのほか強く冷たく、気負わずに大人しくしていようと、新聞でもゆっくり読むと決めた。
日本経済新聞の日曜版「NIKKEI The STYLE」が毎週楽しみで、5周年と知った。
毎回、いろいろ豊富な記事に、こころと知識の栄養剤になっている。
各界で活躍している方のインタビューの紙面に、今日は、現在は富山県の日本酒醸造会社の会長として携わっている、フランスの高級シャンパン「ドン・ペリニヨン」の最高醸造責任者を28年務めた醸造家リシャール・ジョフロワ氏を紹介していた。
氏は毎日、シャンパーニュ地方の自宅周辺を、毎日愛犬と共にさ最低1時間から数時間の散歩を欠かさないそうだ。
車の音が途絶えると、風の音だけになり、氏は「通信、交通だとかあらゆるものが速くなりすぎた現代で、ゆっくり考える時間がいると思うんだ。
運動のためというより、心のためだな」と。
「散歩は自然とつながった感覚を得られる瞬間で、この時間がなかったら、自分の心が危険と言ってもいい状態になる。それくらい大事なんだ」
と、私が今もふるさとの自然との関わりを忘れられずにいるだけに、唯々
頷くばかりである。
心のためにゆったりとした時間と、自然がいかに必要かという辛い体験に苦しみ、つい最近まで、終の住み処も、ふるさとの自然や空が体調の回復に必要かと考えていた。
然し、東京の生活に60年近い歴史を考えると、諦めるしかないと、思いも、決して、苦しみ悩んだ経験は、何時か良き結果として、無駄にならない時が来るであると想っている。
「心のためにも、自然との関わりを東京でも見出す」ことに気づいた77歳の始まりとなった。
2022年
3月
05日
土
今日は24節気の一つ「啓蟄」である。
大体、3月6日ごろと記憶しているせいか、今日という認識が薄い。
冬ごもりしていた虫たちが、春の気配を感じて這い出して来るといわれ、
特に蓑虫が枝にぶら下がっているのを見付けると、そっと顔を近づけて、
恐る恐る中を覗いたふるさとを思いだす。
友人たちから、「啓蟄よ、そろそろじっとしていられない日が来たわね」
と、どうやら私はもぞもぞと動き出すイメージがあるようだ。
別に友人の期待に応えることなく、午前中に2件のスーパーマーケットに
午後は、印刷屋さんとの打ち合わせの後、友人との約束に「読むカフェ」を届け、後に友人との約束が夕刻に迫っている。
翌日の体力とのオーバーワークをを案ながらも、私はメモ帳の予定をクリアすることが、性分に合っている。
メモ通りに予定を進めていく達成感は、体調を超えて、満足感を超えた生きがいを味うのである。
印刷屋さんとの打ち合わせを終えた私に容赦なく、風がつよく、予報士からもしかしたら、関東には「春一番」の可能性が強いとあった。
これではと意気込んでいた関東地方の冬ごもりを終わった虫たちには、首を竦める北風に変わって居た。
どうやら、春一番に、虫たちはどうしたのであろうか。
私は、風の勢いに、これまでの「春一番」とは、記憶の中での季節感と違うと感じた。
散歩コースの都立高等学校の卒業証書授与式の溢れる笑顔に、今後の未来を託する卒業生に、心が和み、心の中でエールを送った。
春一番の強風に負けないでという想いが、この季節特有の「終わりから新しい始まり」に繋がる。
「春一番」と「啓蟄」の偶然性に対して、私は意味があってのことと思い知ったのである。
2022年
3月
04日
金
今朝、エレベーターで今日は「円の日」と知る。
1869(明治2)年、貨幣を円形として鋳造する円貨の制度が定められたそうだが、今、円貨と言われる「硬貨」の取り扱いに頭を働かせている。
コロナ禍後、感染や衛生面から、クレジット払いが主流になってきたご時世に、全国津々浦々まであるという便利さに、私はゆうちょ銀行は絶対的
必要であった。
今年の1月17日からATMの利用時刻、利用料金が改定されたのである。
ATMを利用する際、僅か100円の利用に対しても、料金がかかる。
支払先が、引き落としも送金もできなく、端数が付く金額のために、どうしても硬貨を使わなければならない相手先に、考えてしまったのである。
今日、私は支払いに硬貨を伴う金額で、どうすればよいかと郵便局で尋ねたところ、硬貨の手数料を払わないのであれば、窓口での通帳決済、またはゆうちょ銀行の電子決済のあるクレジットを窓口でとの返事だった。
もう一つは、例えば3300円とすれば、4000円を払い戻しして、窓口で支払うということであれば、手数料はかからないとの方法もあるそうだ。
手元の700円は、そのままで、これまた使い道のなさに頭を悩ます。
最近、近くのコンビニで、硬貨を紙幣に交換をした経緯がある。
嘗て美術の仕事をしている際に、金融関係とのご縁もあり、支店長から
「平残」という言葉を知った。
毎日の残高について、今日は残高が多いとか少ないかと、神経質になるようで、当日の引き出しが多いと、残高が少ないということである。
現在も通用しているかはわからないが、優秀で、その道に長けた方々が考えたことに対して、クレームをつける気持ちはないが、住みにくい世の中になってきたなあと、想うのは私だけだろうか。
2022年
3月
03日
木
昨夜のお湿りで、なんとなく空気がホンワカとして、ゆったりとした気持ちになる。
お日様も朝から、元気に顔を出して、洗濯日和でもある。
母親が、日差しが明るくなると、あちらこちらの汚れが目立つから、お掃除をまめにするようにと言われていた言葉を思い出すも、自動洗濯機といえども、ここで、もう一つ増やして頑張ると、体調にお返しが来る。
「毎日が日曜日」なので、焦ることはないと、言い聞かせ、先ずは洗濯物を花粉の飛散を案じつつも、外干しをする。
折角、「終の住み処」と決めたので、お掃除をと掃除機を出したが、今後長いお付き合いをする住まいなので、これからは目標を決めてと、思いつくまま、メモ帳に書き込むことにした。
今日は、散歩日和でもあり、ちょっと、足を延ばしていきたい先がある。
几帳面に、3月の雛祭りを祝うかのように、大好きな沈丁花が目覚め、八部通り花が開き、マスク越しにも、甘い香りを感じる。
今年も裏切ることなく、いつものように、多くの花が咲き、私を「ウエルカム」してくれるのである。
沈丁花の自然に対しての素直さには、頭が下がると同時に、人は自然界の持つ素晴らしい存在に敬意を払わなければいけないと、考えさせられる。
最近まで、近所の白梅の香りを楽しみに出かけていたが、今は、はらはらと散り始め、寂しく思っていたところ、沈丁花と、香りに、どれほど、心安らぎ、慰められているかと、想った。
既に、桜の開花予報が報じられる季節になり、春が次は私の出番と足踏みをしているようである。
2022年
3月
02日
水
今日は、先月の健康診断の結果をもって、主治医の診察日である。
検査の数値の一つが、届いた日から、今日まで、気になっている。
ところが、主治医の先生から、気になる数値ではなく問題ないとの返事に
緊張の糸が切れて、ほっとした。
午後からは、疲労回復をかねて、点滴でお世話になっている先生からも、何にも心配はなく、元気になって帰りなさいと、励ましの言葉を頂く。
大体、40分の点滴の時間、私は睡魔に襲われて、看護師さんに「済みましたよ、お疲れ様」と起こされる。
今日は、珍しく睡魔に襲われずに、点滴の落ちるのを見つめていた。
ハッと、今日は亡き母親の誕生日だった。
母親は私が、6歳の時、子宮がんで、岡山大学の病院で、手術後、当時は
入院生活が長く、父親と一緒に、何度も訪ねた。
その後、退院した母親は、ちょうど、私が小学校の入学を控え、更に、病弱な私のために、かなりの無理をしていたのではないだろうか。
父親が案じて、お手伝いさんを雇っていましたが、時々、母親が横になって体を休めている風景を記憶している。
今から考えると、私に対する厳しさは、自分の病気を考えての、困らないようにとの「躾」であったと察することが出来る。
その後、私の住まいに、突然の両親の上京には、父親の肺脳腫から体力の
衰えが激しく、輸出業にも支障をきたすようになり、東京での治療を勧められたと、母親から聞き、初めて、私との同居を考えたのである。
お陰様で、父親は健康を取り戻すことが出来たその数年後に、母親が今度は乳がんで手術をしたが、既に手遅れで、一年後には再発、もう手術は
困難との医師からの告知であった。
僅か、3年間に私は父親と母親を看取ることになったのである。
父親の臨終時に、母親は私に、「人が亡くなる」という経緯をしっかりと
私に教育をしたおかげで、闘病中の母親にも、私は気丈に向き合うことが
出来た。
偶然と言えば、偶然で、両親がお世話になった病院は、一昨年私が脳外科の手術をした病院でした。
案じていた検査結果が問題ないという、嬉しい返事こそ、亡き母親からのプレゼントだと想った。
母親の誕生日を忘れる親不孝の私だが先ずは、健康であることが、私からの誕生祝いとしたい。
2022年
3月
01日
火
今朝から、天気予報では盛んに、3月のスタートは「雨模様」との報道に、
思わず、空を見上げたところ、ぼんやりとした「春霞」とは程遠い空だ。
何となく、弥生と聞いて、「菜の花の辛し和え」が食べたくなり、散歩がてら銀行や、郵便局を回り、スーパーに足を延ばした。
店内には、緑色の野菜がとても、生き生きと、存在感を感じた私は、アスパラガスも買い求めて、早速昼食にと、キッチンに立った。
思い切り、春を堪能した美味しい昼食を済ませた。
最近、郵便物の配達時刻が、大体夕刻の6時過ぎにポストに投函されるようになった。
日本経済新聞の夕刊に「あすへの話題」というコラム欄に、火曜日は、作家の井上荒野氏が担当している。
今日のコラム欄のタイトルが「漢字の感じ」とあり、「漢字表記か、ひらがな表記か」について、氏は「ひらがな表記」でないと自分の文章では、なくなっていくと記してある。
実は、昼食で、私は「春を堪能した美味しい」という「美味しい」と「漢字表記」である。
実は、パソコンに打ち込む度に「ひらがな表記」の多さに、何度も変換キーを繰り返すのだが、満足できなくて、愛用の1977年(昭和52年)、ゴルフ場の記念品の三省堂の辞書で、「漢字表記」を探すのである。
「漢字表記」と「ひらがな表記」ではあるが、季節の味わいには変わりがないのでは思うのだが、生意気だが伺ってみたいと想った。
段々、「ひらがな表記」が多くなっている現状に、私としては何となく日本人としての感覚表記にまで、考えが及ぶのは加齢も影響しているのだろうかとも、悩ましく感じたのである。