2022年

7月

31日

長かった文月

文月が始まった時は、今月から、今月こそと前向きに自分なりの心身ともに整理整頓をして、スタートしたつもりであったが。

 

今日文月の最終日を迎え、唯々、日々の期せずして起こる日々に翻弄され

本来の目標は、叶わず、、数日前から、限界を超える血圧の上昇に、私は

原因が分かっているも、なす術もない状況に追い込まれている。

 

昨日も、休養を意識して極力雑音に耳を塞いできたが、逃げられない。

出来れば、連日更新する高温情報と連動するように、私の血圧も上昇にストップがかからない。

 

ドクターから休養といわれても、頭が休養していないのである。

「あっ、そうだ」と思いだすと、ベッドから起き上がって、ネットで検索するや、思い当たる手元の紙資料を取り出している。

 

恐らくこの状態が継続する恐怖を感じている。

 

しかし、後ろ向きにならず、来月、8月葉月に、再度、リセットして何とか

降りかかる火の粉を避けて、本来の自分の日常を取り戻したいと切に願っているのである。

 

又、自分で、そのように努めなければいけないと肝に銘じている。

2022年

7月

30日

ケンタウロスとカロナール

新型コロナウイルスは、次から次へと、変異をしている。

 

ギリシャ神話の「ケンタウロス」に例えられ、その感染力の強さは予想をはるかに超える数値が、毎日更新されている。

 

その治療薬として、カロナールが効果があると報じられている。

 

実は、私は、体調不良になると、左の喉の痛みに、主治医からトランサミンカプセルと今、品不足が報道されているカロナール錠200は、常備薬と

嗽薬のアズノールは手元にストックしている。

 

嘗て、阪神大震災の際に、ビオフェルミンと咳止めのメディコンが地震に依って工場が稼働しなくなり、品不足になった記憶が蘇った。

 

私も、報道を知り、在庫のチェックをした。

在庫に対する見込みは、製薬会社なかなか、悩ましい問題と察し出来る。

 

嘗て、私はドイツのアスピリンを常備薬として服用していたが、ある日、

突然、副作用が発症し、服用を中止、その後、微妙な違いだと思うのだが

カロナールを常備薬にして久しい。

 

今回のケンタウロスが、カロナールで効果があるのであれば、品不足とは

いえ、治療の出口の一つとして希望がみえる。

 

今日は、新型コロナの感染の広がりさえなければ、梅雨明け宣言と同時に

隅田川の花火大会が行われるが、今年も、残念ながら、江戸東京の風物の

一つである花火大会は中止という結論に至った。

 

新型コロナウイルスさん、何処まで、人類の傲慢さに警鐘を喚起するのだろうか。

 

地球上には、様々な考え方の人類の集団で成り立っているが、新型ウイルスの想いに理解している人も多いことを心にとめて下さいねと、伝えたいとの想いがある。

2022年

7月

29日

猛暑と闘う

天気予報によれば、今週一番の暑さで、一気に気温が上昇するとの警戒情報に、うんざりする。

 

元来、私は、瀬戸内の出身で、生れた土地は南斜面で無霜地帯で、冬でも

オーバーを着ることはなく、素足で、板張りの縁側を歩いていた。

 

まったく、穏やかでのんびりとした生活を送ってきた私には、今の東京のヒートアイランド現象で、先日も卵をスーパーで買い求めて帰宅する間に

極端だがゆで卵になるのではといった具合である。

 

東京は、眠らない都市なので、地方都市と異なり、年がら年中、エネルギーの放射が続いている。

 

今朝、蝉の声を聴き、ホットしたが、我がベランダに、青息吐息の大きな

蝉が役目を終えたのだろうか、終末期の状態に、やたらに手出しをすることは自然体系を乱すと考え、「頑張ったね、季節を届けてくれてありがとう」と、声をかけた。

 

友人の一人から、最近、故郷の料理を作ることが多く、東京生まれの東京育ちのご主人から、時折、不満の言葉が出るという。

 

しかし、地域の食文化には、長年の歴史に培った実績をもとに築き上げたもので、私は、スーパーに買い物に行っても、産地を確認している。

 

今、我がふるさとの母校では、私が2年間だけお手伝いをした教育と、家庭と、地域の三者一体となったコミュニティスクールによって、我が後輩たちに継承されている。

 

自分の健康状態を考慮すると、私にはふるさとの自然、空気、風、空などが何よりの治療薬と受け止めている。

 

しかし、ふるさとの17年間、東京の60年の歴史に対して、どのような価値判断をするかという、暑い夏に考えている。

2022年

7月

28日

人差し指が痛い

昨日、パソコンの操作中に、人差し指から痛みが走り、出血している。

正に、「日頃の相棒であるパソコンに嚙まれた」のである。

 

少々の切り傷には、そのまま放置して、水仕事もじゃぶじゃぶと、気にもしないで放置していた。

 

処が、就寝時頃から、ズキンズキンに始まり、傷口が赤く腫れているし、

気のせいか、熱帯夜に関わらず、悪寒というか、寒気のために冷房を切っても、寒気は止まらない。

 

たかが、2ミリにも満たない傷口が、私を終夜睡眠妨害をするに至った。

 

もう、今日は運よく担当医の診療日である。

取り敢えず、まさか、傷口から新型コロナウイルスが侵入するとは思わないが、不安が広がった。

 

担当の先生から、痛い箇所なので、私の気持ちに理解を示し、塗り薬で処理後、一言、パソコンをやめるのは難しいと思うので兎に角、休息が必要との、注意を頂く。

 

いま、私の健康状態は、現在4人の担当医がそれぞれの診療の立場でお世話に成っているが、全て共通しているアドバイスは、今、私に必要なのは

「休養」であるという共通した診断である。

 

同年齢の友人と比較しても、独り身の気楽さから、私は、好き勝手に生活をしているつもりでいるが、これだけ、ドクターの見解が共通するということは、終生、出生時の未熟児による虚弱児の人世なのかもしれない。

 

改めて、じっくりと腰を据えて、生活環境の改善をしなければいけないという警鐘かもしれない。

 

しかし、小指の痛みや諸々の不安は、全て解消され、やはり、プロの力は「ぼっけえ」なあと思った。

2022年

7月

27日

白い雲と飛行機

夏の季節になると、私は日の出とともに目が醒めるという、加齢によるものとは関係なく、昔から不明瞭な表現だが、バイオリズムが設定されているようだ。

 

依って、今日も、ラジオ深夜便の終了とともに、ベッドから離れ、カーテンを開け、ベランダの窓を開けると、夏空が広がっている。

 

やがて間もなく、今日は真っ白い雲が、空をキャンバスにして、芸術性を発揮して、様々な模様を描く。

 

ベランダで雲の流れを楽しんでいると、グレーの雲が白い雲を追い出し、

雲の権力闘争が始まるというのが、この処、続いている。

 

天気予報によると、連日、大気が不安定の為と解説に付け加えている。

我がふるさとの浅口市は、大気が安定しているという地域の特性から、何とお山のてっぺんに、天体望遠鏡を大小4台も鎮座している。

 

いつも、我が母校の小学校のブログを見ても、「あさくち ブルー」の空である。

 

一瞬、重苦しい雲が消え、夏空に変わった時、偶然、私はベランダ越しに

空を見上げた時、銀色の飛行機が、目的地に向かって上昇している。

 

嗚呼、白い雲にふるさとへの想いが募り、何時か、帰郷できる日が来ることを白い雲に乗って、或いは、現実としては飛行機に乗ってと、叶わぬ夢を追いかけている。

 

つくづく、東京という大都会で私は生きていくのは、私にはかなり過酷な

人生なのだろうか。

2022年

7月

26日

空と睨めっこ

最近は、「女心と秋の空」は、死語に近い存在ではないだろうか。

 

実に、刻々と、空の表情が変化するのである。

それと同時に、雲も、まったく容赦なく、奔放に夏空に遠慮会釈なしに振舞っている。

 

しかし、湿気の多い暑さに、エアコンではなく、体の中から冷やしたくなってくる。

 

そういえば、昨日25日は「かき氷の日」だと知った。

 

 父親が生前、私にアイスキャンディー、かき氷、ミルクセーキを禁じていたことを思い出す。

 

ふるさとを離れるまでは、父親の監視が厳しく、私は仲間外れすることが多く、父親を恨んだことを懐かしく思いだす。

 

今は自由にかき氷を食べることができるのだが、近くには「かき氷」を提供する店が見当たらない。

 

かき氷はさて置き、年々、暑さが厳しさを増し、一日中、冷房をかけているにも関わらず、気が付くと、べっとりとした汗をかいている。

 

当然、朝シャンを済ませ、空模様を案じながら、洗濯物はおテントウさまによる日光消毒が習慣となっている。

 

刻々と変わる雲の気まぐれな動きを注視しながら、今日も、ベランダに洗濯物を干すのが、長年の習慣である。

 

夕刻洗濯物を取り込む際に、鼻先に日向臭い匂いが、東京にもまだ、残っていることに、ホット、心が安らぐのである。

2022年

7月

25日

ふるさとの桃

昨晩、リサイクルブックの読破で、ふるさとの桃農家の副会長からのメールに気が付かないで、今朝、メールを開いて、私は浅ましいようだが、今日、ふるさとでも「あさくちブルー」の下で育った桃が届くという。

 

今朝から、一時も自宅を離れずことなく、只管、待ち続けた。

何と、時の神様は意地悪だろうか、僅か、10分ばかり、留守にした時間に

宅急便と入れ違いに成った。

 

メールボックスも何度もチェックしていたはずが、僅かの隙間に、夕刻になってしまった。

 

母校の小学校でも、コミュニティスクールに、我がふるさとで、子どもたちに残しておきたい誇るべき浅口市ならでの、土地と、水と、空気と、安定した天候による産物を、子どもたちに伝えたとの熱き思いから、桃農家の副会長を中心に、2019年の6月、母校での体験学習が始まった。

 

今では、小学校の3年生を対象に体験学習にまで、成就したのである。

 

毎年、白桃といっても、種類があり、毎年、種別の異なった白桃を送って下さるという、心厚き桃農家の方である。

 

今年は、「夢白桃」といわれる品種で、昨夜のメールに記載されていた。

新型コロナ禍で気が重くなる時に、何て素敵な素敵な名前だろうと、夕刻の配達時間を待ち遠しく思った。

 

届いた桃は、紛れもなく、桃農家が愛情をこめて作り上げた我がふるさと

浅口市の白桃であった。

 

暫く、見事な夢白桃を前に、ふるさとの自然と、空気と、水を感じた。

 

いつもふるさとの味を届けて下さる方から、私は自然を共にした桃の栽培に向いているそうだ。

 

出来れば、私は管理組合の理事長を始め、東京の乾ききった町から一刻も

逃げ出したいと思っている。

 

叶うのであれば、パソコンを始め、全てを投げ打って自然の懐に抱かれて居たいと、願う気持ちは日ごとに強くなっている自分を感じている。

 

せめて、今抱えている管理組合、スタートしたばかりのプロジェクトに、

後継者が出来れば、私は、ふるさとの自然の懐に抱かれたいと願ってる。

2022年

7月

24日

久し振りに図書館へ

昨日の新聞の読書欄に、読みたいと思う図書が紹介されていた。

 

図書館のカレンダーを見ると、明日が休館日とわかり、そうなると、私は

居ても立っても居られない性分のために、急いで、リクエストの申し込みに出かけた。

 

丁度、リサイクルブックの案内もあり、書架を見ると、健康ライブラリーに一冊、ストレス関係の図書があった。

手に取ると、イラスト入りで、分かりやすく、ヒントに繋がればと持ち帰った。

 

リサイクルブックの中にも、私には結構お宝的な図書を見付けると、とても得をしたような気持ちになる。

 

早速ページを開くと、明確な回答に私は引き込まれ、とうとう一晩で読み終えた。

 

大体、私の場合、新刊本のリクエストが多く、要望に応えてくれる図書館は、有り難い存在である。

 

私にとっては、隣接する図書館は、知識の宝庫であり、書斎ともいえる。

2022年

7月

23日

鰻の握り

今日は大暑、そして、土用の丑の日。

 

朝から、私も、夏負けしないようにスーパーで、鰻を買ってと思って出かけるが、どうも、購買意欲が無くなってしまう。

 

どうやら、鰻のたれの色がどぎつく、私には見えてしまうからである。

 

であれば、白焼きにと思ったが、一人では持ち余す大きさである。

結局、ぐるぐる店内を見回すと、寿司コーナーに、こじんまりとした握り寿司を見付けた。

 

しかし、何となく鰻という感触がなく、やはり、うな重でなければ、満足感を得られないと思った。

 

まして、肝吸いもなく、寂しい土用の日となった。

 

それにつけても、握りずしに穴子は抵抗ないが、私が、鰻の握りずしに、

期待を持ち過ぎたからだと、妙に納得した土用に丑の日だった。

2022年

7月

22日

ぼっけえ驚いた

エレベーターを待つ間、夕刊を開いて、思わず、紙面に釘付けになった。

 

日本経済新聞の夕刊紙には月曜日から土曜日まで、プロムナードというエッセイ欄が掲載されている。

 

「ぼっけえ岡山」というタイトルに、私は「えっ、岡山弁じゃないの」と

驚いたのである。

 

確か、今月から新メンバーになった美術史家の秋田麻早子氏によるもので

氏によれば、岡山生まれの岡山育ち、父母両系ともに岡山出身の生粋の岡山っ子とある。

 

何故、ぼっけえかといえば、昭和期の作庭家の重森三玲氏の庭に感激したのをきっかけに、ふるさと岡山のすごさを、岡山弁で「ぼっけえ」と、表現している。

 

記憶の片隅にあったが、まさか、堂々と紹介されると、私も、そういえばと懐かしさがこみあげてくる。

 

ぼっけえと同じく「でえれえ(でーれー)」を思いだした。

「ぼっけえ」と「でえれえ」を、声に出すと、未だにイントネーションは

記憶していた。

 

何時しか、ふるさとの夏に想いを馳せる。

2022年

7月

21日

プチ・レビュー

彼是、3年にわたる新型コロナ禍で、私は、人との関わりが少なくなり、今年の2月ごろから、心身ともに疲弊というか、自分でも信じられない程の何とも言えない孤独感と闘う日々が続いた。

 

何故、心身ともに気持ちが落ち込んだか振り返ると、私は75歳を迎えるや、あれもこれも、予定していたことが、長く出口の見えない新型コロナによって、希望が持てなく暗闇の世界に突入したショックが大きかった。

 

恐らく、私と同じように苦しんでいる人がいるのではないか、考えるようになり、この窮地を何とかしなければと、真剣に出口を探し始めていた。

 

唯一の気晴らしといえば、散歩に出かけるのが、唯一の気分転換といっても良かった。

 

偶然にも、散歩の途中で、長年、区役所の高齢者の会議でご一緒していた訪問介護事業の経営者に出会い、数日後、地域包括支援センターの方とも出会い、立ち話であったが、独り住まいの高齢者で、孤独感や、孤立している方に、気さくに話し合える場を作りたい旨を話した。

 

即座に、私の気持ちを理解して、力になっていただけるとの返事を頂き、

私なりの骨子を組み立てた。

 

その矢先、地元の社会福祉協議会に取り次いでいただくという幸運に恵まれ、一気に、6月中旬から、実現に向かう素地ができたのである。

 

幸いに、民生委員からも賛同を頂き、社会福祉協議会のコーヂィネーターにより、今日21日に実現に向かって、小さな歩みから、それぞれの立場の方に支えられ、第一歩を立ち上げるに至ったのである。

 

お陰様で、私は、人に恵まれ、プチ・レビュー出来ました。

プロジェクトの名称は、いずれ、ご報告する時まで、お待ちください。

2022年

7月

20日

脳と運動の関係

今月7月は、地域包括支援センターによるオレンジカフェに参加する機会に恵まれている。

 

というのも、私が認知症を学んでから、かなりの時間が経過している。

又、自分もいつそのような状況に陥るかは、天のみ知るなんて、言い逃れが済まされない年齢になっている。

 

事前に、知識があれば、早期に発見できる可能性が大である。

 

確かに、今日のオレンジカフェで、私は、努力次第で、防げる可能性のある「目から鱗」の内容だった。

 

最新の知見によるデータをもとに、実際に関わっているドクターによる内容には説得力を感じた。

 

ハーバード大学医学大学院准教授・ジョン・J・レイティ博士著の「脳を鍛えるには運動しかない」副題として最新科学でわかった脳細胞の増やし方

を、ベースにして、ドクターにより分かりやすい説明で進んだ。

 

運動をすると、気分がすっきりするという問題に、脳細胞の活性化が大いに影響しているそうだ。

 

嘗ては、脳細胞は再生しないと言われてきたが、准教授によれば、脳細胞は再生し、何と脳細胞は成長するという。

 

その脳細胞の再生のカギを握っているのは運動と、結論付けている。

 

私は、この段階で、自分の中でというか、頭が明確に爽快になっていくのが分かった。

 

私は、毎日できる限り、散歩を続けているが、例えば、文字化に突き当たると、散歩に出かけることにしている。

突如として、そうか、こんな表現があったと気付くのである。

 

恐らく、少なからず、脳細胞を散歩で活性化しているのである。

 

従来の認知症とは、まったく新しい切り口に、自分のことは自分の努力が

如何に大切かと考える場となった。

 

締めくくりに、「脳のために運動している」と、背筋を伸ばして、外に出て、地に足をつけて、しっかり、歩き続けようと想った。

 

新しい知識を得たという満足感に満たされたオレンジカフェだった。

2022年

7月

19日

地球が微笑んだ日

いつものように、新聞に目を通すのが毎朝のルーティンになって久しい。

 

今日は、何故か、一面を開いて、楽しみにしているコラム欄に目を転じて

私はとても幸せな気持ちになった。

 

日本経済新聞の今日、即ち7月19日に掲載されている今日の日についての

内容に、私は小躍りしたいほど、嬉しい想いに満たされた。

 

夜空の星を、しばし見上げるという書き出しに、自分と同じ行動をしているという親しみを感じながら、読み始めた。

 

米欧が共同開発した探査機カッシーニが、7月19日であり、この時刻に担当の科学者が、「この時間に空を見上げて祝福の笑みを浮かべて」とメッセージを投げかけ、各国の多くの人が賛同、参加したと続く。

 

最後に、科学者の呼びかけから、9年前のきょうを「地球が微笑んだ日」

という、結びが「最近では泣きっ面がちの地球を笑顔にするために何が

必要か。考え続けたい」と最後は小気味よい辛口で締めくくっている。

 

まったくその通りで、自然に笑顔になり、頷いてしまう。

 

「今日は何の日」から、これまで多くを知り得たが、今日は格段に私の心に、ひたひたと、砂漠の中でオアシスに巡り合えたような満ち足りた気持ちになった。

2022年

7月

18日

「夢育」という教育

岡山県は、私の知る限り、教育県として知られていた記憶がある。

 

毎日、戻り梅雨でともすれば気持ちがすっきりしない毎日が続いている。

 

いつもの通り、私は母校の小学校と、お山を一つ越えた矢掛町の川面小学校のブログを欠かさずに関心を持って、楽しみにしている。

 

嘗て、コロナ禍の前は、、母校で教頭を勤めていらした先生が、矢掛小学校の校長先生に就任なさって以来、私は母校と同じ様に必ず、川面小学校のブログ、校長先生による一か月の便りを心待ちにしている。

 

母校の小学校の校長先生を始め、それぞれの校長先生の教育に対する情熱が感じられ、思わず引きまれる私である。

 

岡山県は「教育県」との評価が高く、特に今回紹介されていた今、岡山県が取り組んでいる「夢育(ゆめいく)」に、私は明るい未来が開けると、

とても感動というか、もう一度私は「夢育」を、都会の中で、カサカサに

乾ききった心に、とても素晴らしいと、さすが教育県と誇りに思った。

 

纏めて引用紹介すると、「一人ひとりの子どもが、自分の中で「夢」を育みながら、それに挑戦していく経験を通して、「意欲」や「自信」などの

「自分を高める力」を養っていく教育のことだと提議づけてある。

 

自分と向き合う力、自分を高める力、他者と繋がる力、地域と繋がる力の

4点を力を養っていく力を高める教育である。

 

これは、子どもと限定したことではなく、社会人とし欠くべからず必要な問題と思っている。

 

しかし、今日も私は目を背けることのできない国民性の違いというか、カルチャーの違いが「ごみ問題」に如実に現れている。

 

既に、限界を超えている現実に、手をあぐねるしかないもどかしさを感じている。

 

カルチャーの違いというか、あらゆる方法を駆使しても万事急須である。

 

しかし、私は何時かは理解してくれるまで、理解できるように努めていきたいと、体力と相談しながら努めて行きたいと思っている。

 

うっとしいお天気と共に、重苦しい難題に、ともすれば、全てを投げ出して、ふるさとに帰りたいという想いを振りきって。

2022年

7月

17日

マリ子さ~ん

午前中の予定を終えて、自宅に帰ろうとしていた矢先、後ろから、「マリ子さ~ん」と聞き覚えのある声が背中越しに聞こえた。

 

思わず、振り向くと、20歳時代からの親友で、時々、地元の実家に帰っているという友人だった。

 

77歳で、未だに名前を呼び合う友人は少ないうちの一人である。

 

奇しくも、お盆を機に、実家に帰っていたので、私に会えるかなと思っていたらしく、偶然、巡り合ったという次第である。

 

マスク越しで、お互いにそれなりの人世のキャリアが見られるものの、直ぐに、気持ちは嘗ての青春時代に戻るのである。

 

そして、暫くすると、現在の置かれている近況に話が及ぶのである。

 

其の後、私はふるさとの親友が何故か気になり、電話を掛けた。

 

3年前に彼女と、75歳までには後継者を作り、自分の時間を持ちたいねと話し合っていたが、何故か、二人とも、世間の柵に巻き込まれて、その処理に全力を尽くして奮闘していると聞いた。

 

立場こそ、違うが私も、目覚めると、今日は何事もなく穏やかに過ごせますようにと願うのは束の間で、あれよあれよという間に、問題が山積している毎日が続いて久しい。

 

何度、目をつぶって、「もう、これきっり」との願いは届かず、翻弄されている自分に唯々、諦め、明日に希望を繫ぐしかないと言い聞かせて。

 

ふるさとで頑張っている親友に、心から、負けないで、身体に気を付けてと祈る想いでエールを送ると共に、私も頑張ろうと、自分にエールを送ろうと想った。

 

 誰しも何らかの苦労はつきものであり、とにかく、置かれた状況下で、生きていくしかないと、思い乍ら三連休の中日は終わった。

2022年

7月

16日

松花堂弁当

空を見上げながら、お墓参りに出かける。

 

夏休みを前に、駅のホームの人出の多さに、これではコロナの感染拡大は

仕方ないと思った。

 

毎回、同じ墓地の友人と、出かけるのが、常で、今日も、友人は私と一緒に出掛けると、お天気の心配をしないで、助かるという。

 

確かに、一寸、危なげな空模様だが、時折、ぽつぽつと降る程度で、傘を広げるまでもない程度で、「晴れ女」の役目を果たす。

 

コロナ禍の前は、お墓参り後の「お浄め」に、お馴染みの飲食店で、食事をするのが楽しみであったが、彼是、3年近くは、我が家でお弁当を買って

友人と済ませるようになった。

 

立ち寄った店頭に「松花堂弁当」が並んでいた。

「松花堂弁当」とは懐かしいと、買い求めた。

最近、私は疲れると、自炊をスルーして「幕の内弁当」を買い、汁物だけを作り、済ませることがある。

 

エレベーターには「今日は駅弁記念日」と表示されて居た。

食後、私は「松花堂弁当」と「幕の内弁当」との違いが気になり、検索すると、「松花堂弁当」は懐石料理の流れを汲んだ立派なお弁当で、「幕の内弁当」は芝居の休憩時間の幕間に出され、俵型のおにぎりとおかずが定番とされていると知った。

 

因みに、エレベーターの今日の日によれば、1885年(明治18年)の今日、開業した日本鉄道東北線の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売されたとあるり、現在の宇都は、「餃子の町」で有名だが、餃子ではないと、これまた検索した。

 

黒ゴマをまぶした梅干し入りの握り飯2個と、たくあん2切れを竹の皮で包んだものとある。

 

日本本来の伝統食が、今も、引き継がれている。

 

日本初の駅弁は、他の駅でも販売されていたともいわれている。

4月10日は「駅弁の日」とされている。

 

3年前まで、私は帰京の際、懐かしいふるさとの駅弁を買って帰った。

 

久し振りに「松花堂弁当」に出合い、満足した「お浄め」となった。

2022年

7月

15日

4回目のワクチン接種

相変わらず、梅雨期特有の湿気の多いどんよりとした空が、朝から広がっている。

本当に鬱陶しという表現がピッタリで、最高温度は26度と表示されているが、一寸でも体を動かすと、汗が噴き出すといった天候である。

 

新型コロナの第7波が、決定的になり、換気に気を付けているが、空気が

重く、換気扇を回し、窓を開け、冷房を入れている。

 

今日は、午前中に、第4回目の新型コロナウイルスワクチンの予防接種に、

出かける。

 

おかけ様で、まだ「晴れ女」のパワーは維持しているようで、念のために

突然の豪雨にレインコートを着込んで出かけたが、雨には降られずに帰宅することができた。

 

いつも、点滴でお世話に成っている病院で、顔なじみの看護師さんから、

「調子が良さそうね」と、私の顔色から判断して、声をかけてきた。

 

さすが、プロはすごいなあと感心すると共に、確かに、今週の初めから、

心身ともに回復しているのが、自分でもしっかり自覚できる。

 

嘗て、私は自分で自分をケアしてきたのだが、ここ数か月間は、すっかり

リズムが乱れ、取り戻せなかった。

 

今回の何とも言えない、苦しく辛い体験を生かし、忘れないように努めようと想った。

 

明日もお天気がすっきりしないようだが、両親が待っているので、お墓参りに出かける予定でいる。

2022年

7月

14日

7月14日という日

7月14日と言えば、まず、頭に浮かぶのが、「パリ祭」であるが、あるところで、「パリ祭」を話題にした処、周囲の人から反応がなく、時代の流れを感じた。

 

7月14日を語呂合わせで、今日は「内臓脂肪の日」と、新聞の広告欄に紹介されている。

 

常日頃、毎日、ラジオで、「今日は何の日」が報道されているのを、無意識に聞いているが、歴史上の出来事に改めて、そうだったのかと学びの場にもなるし、私も歳を重ねたという複雑な想いも過る。

 

次はエレベータに乗ると、「ひまわりの日」とある。

「ひまわり」というと、私は、今瞬時にウクライナの国花と思うが、目を転じると、1977(昭和52)年、日本初の静止気象衛星「ひまわり」が、

打ち上げられたとある。

 

そういえば私は14日と言えば、パリ祭に続いて、「スーパームーン」を

楽しみにしていたが、梅雨が逆戻りしている状況では、とても、とても、

無理で諦めざるを得ない。

 

来年に期待するより仕方ない。

 

もう一つ、ふるさとの母校の小学校に、いつも、私を歓迎してもてなしを

受けた当時、2年生だった男児の誕生日だ。

 

どうしているだろうかと想いを馳せる。

 

既に、現在は6年生、残すところ、凡そ、半年の日々を最後の小学校生活を

元気に楽しく過ごしてほしいと、願っている。

2022年

7月

13日

ふるさとは青空

まるで、梅雨期が再来したように、独特の湿気と重苦しい雲にすっぽりと

覆われた日が続いている東京地方である。

 

確か、気象病という健康状態を示す言葉を思い出す。

 

そうだ、こんな時は母校の小学校のブログを見るのが何よりの治療薬では

ないかと、開いた。

 

何と、13日の母校の小学校の校庭には、澄み切った青空が広がっている。

子どもたちの元気に満ちた明るい表情が伝わってくる。

 

やはり、やはり、ふるさとは今日も晴れて「あさくち ブルー」だった。

 

案じていた新型コロナの感染が急速に増加傾向にあり、ますます、ふるさとは遠くなってきた。

 

そんな時、母校のブログから、私はパワーを貰い、今日も頑張れるのだと

自分に言い聞かせている。

 

さてさて、今日はどのように「大切な一日」を過ごせるだろうか。

2022年

7月

12日

ドックでチェック

今日は「人間ドック」の日と知る。

 

瞬時に、人間ドックと言えば、健康診断と直結するが、何故「ドック」というのかなと、単純な疑問を持った。

 

昨日、整理をしていると、最近、書店で買い求めたパソコンの本があるのを思いだした。

 

私は、昔から書店で買い求めた書籍は、入手後、目を通したことがないという買い求めることで、既に目的を成し遂げたという、自分でもその根拠が分からないのだが、今回もピカピカの新刊本である。

 

梅雨前線が復活したような、今にも雨が降り出しそうな空を見上げながら

思いついたら、すぐに行動に移すという性格が戻ってきた証拠である。

 

一寸、ご無沙汰をしているので、秋葉原のブック・オフで久しぶりに買い取りに出そうと決めたのである。

 

誰かの役に立てばと、私の手元で眠って居るよりと生かされると思った。

 

散歩を兼ねて、出かける道すがら、やはり「ドック」というと、父親から

「船」に関係があるとの記憶がある。

 

気になって、愛用の辞書で確かめると、本来は船舶の修理、建造用施設と

あり、「ドック」とはdockで船渠を意味するとあった。

 

今、「ドック」が必要なのは、地球全体がそれぞれ未曽有の問題を抱えている。

丸ごと地球を正常に修理する「ドック」はないだろうかと想った。

2022年

7月

11日

柿ピー

凡そ、2か月に亘り、連日のように頭に重くのしかかっていた問題に対して逃げずに、私なりの判断で処理してきた。

 

先週末で、私はこれまでの問題に、解決済みと判断し、今日から自分の時間だけの久しぶりの日常が取り戻せると想うと、スイッチが入った。

 

部屋の空気まで、新鮮に思えるほど、私は素直に嬉しく、何から始めようかと、迷う楽しさを感じていた。

 

先ずは、文章化したい資料が、クリアファイルに纏まりなく突っ込んだままの放置状態になっている。

 

クリアファイルを整理することから始めた私は、如何に自分の生活が置き去りにして、資料を御座なりにしていたか、よくわかった。

 

残念だが、資料の中には、機を逃したものもあり、文章化できなかった悔しさに、唇をかんだ。

 

もう、このような毎日を繰り返したくないと、つくづく猛反省した。

 

お陰様で、ヘルペスも薬でおとなしくなってきた。

 

そうなると、これまでの埋め合わせの作業を始めるしかない。

 

夕刻までに、予定通りに運んだ私は、急にピーナッツが食べたくなった。

 

近くのコンビにで、ピーナッツと柿ピーを買い、夕刊を開いて、驚いた。

 

日本経済新聞の「なるほど!ルーツ調査隊」に、「柿ピー」誕生の記事が

掲載されていたからである。

 

どうも、私のピーナッツ好きは父親譲りのようで、嘗てある月刊誌に3年近く連載を引き受けていた際も、書き終わると、ピーナッツが欲しくなると

いった状態が、時を経て体が求めていた。

 

疲労回復には甘いものという考えがあるが、私は辛いものが欲しくなる。

 

依って、柿ピーも私の疲労回復に必要なのである。

2022年

7月

10日

落ち葉との追いかけっこ

まだ、ヘルペスが私の体調を支配しているようだが、今週を振り返ってみると7日の午前中は、脳神経外科の診察があり、夕刻からは会議だった。

 

翌8日は、認知症疾患医療センターと地元の地域包括支援センターによる

「認知症の方とのコミュニケーション」のオレンジカフェに出かけた。

 

認知症の方との関わりも、私が学んだ頃より既にかなりの時間が経過しているので、新しい知識を学ぶ必要性を感じていたからである。

 

やはり、参加して良かったというのは、「神経心理学的な視点から」で、

これまでと異なった側面からの関わり方であった。

 

正直、全て冷静に数値で結果を導く手法に、一寸、冷たさを感じる箇所もあったが、そこが逆に欠かせない必要な部分ともいえる。

 

翌、土曜日も全く未知の世界を知りえることになり、最近の私には見られなかった嘗ての行動パターンに、何処からともなく、満足感がある。

 

考えてみれば、コロナ禍の前は、かなりパワフルに動いていたので、私には、とても懐かしく充実した三日間を過ごしたのである。

 

その勢いが、日曜日まで持続し、猛暑続きの毎日に街路樹のマロニエの葉が枯れて、道路にカサカサと乾いた音を立てている。

 

私は、嗚呼、今年も又、この落ち葉との闘いが始まるのかと思うと、うんざりする。

 

マロニエというか、栃の木を採用している土地を探して、処理方法を聞いてみたいと思い、検索すると、江戸川区では区の木、栃木県は県木と知り

一度、担当者に電話をかけてみようと思っている。

 

発想者は、友好関係を築くためという目的で植樹されたが、その発想者は既に地元から居を移しており、落ち葉の季節になると、迷惑な置き土産に地元の住民にとっては悩ましい限りの日々が続くのである。

2022年

7月

09日

三大香木の香りがない

隣接する図書館から、リクエストしていた図書が届いたとのメールがあり

持ち帰るや、直ぐに読み始める。

 

今朝、顔を洗うと、右の頬が針を刺したような痛みに、この痛みは覚えがあり、「来たあ」と。

 

やはり、体調が優れなかった理由がわかった。

オーバーワークになると、必ず、ヘルペスを発症するのである。

 

何となく、寒気がしてきたので、熱を計ったが平熱であり、ホットする。

 

今夜は早く休もうと横になったものの、先ほどの図書が早く読みたくて、

ベッドで読むことにした。

 

レビー小体型認知症と診断されるも、思考力は保たれており、執筆活動を

続けている樋口直美氏の4月に刊行された『「できる」と「できない」の間の人』である。

 

サブタイトルに「脳は時間をさかのぼる」とある。

 

現在準備中のプロジェクトの知識として関心があり、読み始めた処、私の

思考回路が時々フリーズしてしまうが、引きこまれしてしまう不思議さを覚えた。

 

「おしゃべりな植物」に、レビー小体病の特徴の一つに三大香木と言われる金木犀、沈丁花の満開の花の前に立っても、その香りはないとある。

 

私の大好きな香りで、季節になると、わざわざ足を伸ばしても、思い切り

香りを吸い込み、季節を楽しむというのに、心が痛んだ。

 

私は、私で、勢いを増してくるヘルペスと闘いながら。

2022年

7月

08日

夏空をキャンバスにして

昨夜に続き、今朝の夏空は、ふるさとの「あさくち ブルー」に引けを取らないような、スカッとした素晴らしい青空が広がっている。

 

見ているうちに、真っ白い雲が自由で様々な勢いで、青空に描き始めた。

なかなか、色々なタッチで描く雲に、芸術家だと思いながら、楽しんだ。

 

日の入りが遅く、昼間のような明るさを残した青空に、雲が描く芸術を見たく、ベランダに出た。

 

青空にふんわりとした雲が広がっている中を縫って、機首を上げた上昇中の飛行機が目に入った。

 

時計を見ると、17時3分だった。

きっと、仕事を終えて、帰宅する時間帯である。

 

其の後、ニュースで、安倍元首相が、凶弾で亡くなられた時刻と知り、私は背筋に寒さを覚えた。

 

偶然とはいえ、言葉にならない不思議な符合である。

2022年

7月

07日

七夕と上弦の月のコラボ

今年、東京は先月29日に、早々と梅雨が明けた。

 

しかし、これまで七夕に織姫と彦星のデートは叶わない場合が多く、もしかして今年も急変があるのではと、信じがたく、夕刻から、空を見上げていた。

 

夕刻より会議があり、8時過ぎに外に出て見上げた夜空に、煌々と上弦の月が輝いている。

 

思わず、この素晴らしい月あかりに、今夜は織姫と彦星の逢瀬、デートが

叶うと想うと、私は素直に良かったねと。

 

会議では、色々と山積されている問題を洗い出し、前向きに解決を検討しなければならなかったが、外に出て、夜空の上弦の月のくっきりと浮かんだ美しさに、晴れ晴れとした。

 

今夜で「もう、これっきり、これっきり」という予感がする。

 

久しぶりの晴れの七夕の宵に、私の願いが叶うのではと思ったのである。

2022年

7月

06日

待望の兎の赤ちゃん誕生

母校の小学校のブログを開くのが、今の私には何よりの楽しみであり、心の拠り所になっている。

 

7月4日に、4年前から取り組んでいたうさぎ「ハッピーライフ計画」が成功したというブログに、私も2018年の6月から2020年3月まで、うさぎの

住まいに、「只今、元気だった」と声をかけていた。

 

何と、待望の赤ちゃんが4羽も誕生したという、何とも、ふるさとを離れ在京の私まで、嬉しいニュースである。

 

まん丸い目をした、可愛い赤ちゃんです。

思わず、触りたくなりますが、それは叶いませんが、いつの間にか、私は孫が誕生したように嬉しく、頬がほころびます。

 

そういえば、長い間、うわうわした感触から遠ざかっていた砂漠のような

殺伐とした都会の生活にとっぷり浸かった生活を繰り返している。

 

コロナ禍によって、犬や猫を飼育する人が多くなっている。

とても、飼育する気持ちが理解できる。

 

近くの公園では、「イヌトモ」が集っている光景に、私もかつてウエストハイランドホワイトテリアと過ごした思い出が蘇ってくる。

 

散歩している時に、ウエストハイランドホワイトテリアに出合うと、駆け寄って触らせていただくことが、一年に一度ぐらいある。

 

2022年7月4日は、母校の小学校で生まれた4羽のうさぎちゃんの誕生日を

忘れないでいたい。

 

処で、うさぎの数え方は「羽」というのも、母校のブログで初めて知ったのである。

2022年

7月

05日

第七波?

新型コロナウイルスが急増してきたというニュースに、案じていた予感が現実に置き換わった。

 

頭をよぎるのは、これまで以上に感染力が強い株のようで、真面目にウイルス対策を心がけてきただけに、気持ちが重くなる。

 

本当にどこまで、ウイルスとの共生生活が続くのだろう。

そろそろ、解放してくれないだろうかと思うのは、私だけではないと。

 

つい弱音を吐きたくなるが、ある記憶が蘇ったのである。

確か、廃棄しないで資料として残してあると、探したところ見つかった。

 

それは、コロナ禍の2020年春に、ヴィヴィアン・リーチという人が書いた

「人類の皆様へ」宛に、「新型コロナウイルスからの手紙」が紹介されて居ているもので、教育の現場でも取り上げられた。

 

新型コロナウイルスは、私たち地球上の人類に、警鐘を鳴らしている。

地球の汚染、争い、物質主義をやめて、地球とすべての生きものを大切しましょうといった内容である。

 

これらを反省して、続けていくならば、さらに強力になって帰ってくるかもしれないと結んでいる。

 

指摘されている点は、どれも、痛いほど、心に刺さる言葉であり、未だに解決していないのである。

 

つまり、第七波は、七通目の新型コロナウイルスからの手紙ではないかと

私は受け留めている。

 

改めて、手紙を読み返す。

2022年

7月

04日

上を向いて歩こう

今日は1776年、アメリカがイギリスから独立して、アメリカ合衆国が誕生した、アメリカ独立記念日だと知る。

 

今日は月曜日、不思議に昨日の体調不良が消え、エネルギーチャージを感じ、さあ頑張ろうという気力が湧いてくる。

 

しかし、血圧の数値はハイのままである。

まだ、回復したというより、自分に暗示をかけて、目の前にニンジンをぶらさげて走る馬になるだけである。

 

その証拠に、動き始めるものの持久力がなく、直ぐ休憩タイムに代わる。

 

何とか、うまくコントロールできないかと歯がゆく思うのが、逆効果で、

ストレスになる一番の要因である。

 

余り、難しく考えることをシャットダウンするには、散歩が一番最適だ。

 

道路で、目玉焼きが出来そうな日中の暑さを避けるには、数枚のクラッカーと、一杯の熱いコーヒーを飲んでから、8時ごろから、散歩に出かけようと、思いついた。

 

まだ、道路はまだ日中の暑さが残っている。

そういえば、最近、ヒートアイランドという言葉を聞かなくなった。

 

そんなことを考えながら、見上げた空に、シャープな月に、点滅しながら飛行機が機首を上げて、上昇中という、月と飛行機のコラボに、これまでのもやもや感が消えていくのが分かった。

 

縁起を担ぐわけではないが、私は月と飛行機に出合うと、きっと何かいいことが起こりそうだと、ウキウキと期待感で楽しみになってくる。

 

更に、空を見上げて、自宅の近くまで来た時、僅かな隙間から、何と何と

スカイツリーが見えた。

 

長年、歩いているのに、気が付かないでいたとは、如何に私は俯いて歩いていたのだろうかと、気が付いた。

 

今夜のスカイツリーは好きな白い装いであり、暫く見上げていた。

 

明日から、「上を向いて歩こう」と思った。

2022年

7月

03日

急に体調に変化

午前中に予定があり、身繕いをして、ドアを開けた途端に、身体が突如として、宙に舞い上がった。

 

急に、出かける自信がなく、友人に連絡を入れて、今日の約束はキャンセルしてもらった。

 

取り敢えず、意識はしっかりしているが、もしかして転倒して頭をぶつけるのは避けなければと、自分に言い聞かせながら、ベッドに辿り着いた。

 

早速、熱を計ると平熱、今回の「火の粉」問題が影響して以来、まるで、

猛暑日のように、血圧がどんどん上昇している。

 

主治医の先生から、私の血圧は実に日頃の生活状態が素直に現われると言われているが、正にその通りである。

 

血圧を測ると、「やめて、やめて」と叫びたくなるほど、数値が高くなっている。

 

実は、私は昔から、前日まで元気でいても、日曜日になると、ガクンと体調が悪くなるという悪い体質と付き合ってきた。

 

しょうがないと、今日は日曜日、取り敢えず、全てに目を瞑って、ベッドで過ごす。

2022年

7月

02日

母校のブログ

新型コロナウイルスにより、ふるさとに帰れない日々が続いて、凡そ、3年という長い日々が続いている。

 

ふるさとには、既に実家はないのだが、忘れられないのは「空と空気」という自然が恋しいのである。

 

その想いを叶えてくれるのが、母校の小学校のブログである。

 

今日は72候の雑節のひとつである「半夏生」である。

 

この「半夏生」までに、田植えを終えておくといわれている。

母校の体験学習の「田植え」はと、気になった。

 

ブログを開くと、先月2日に、種もみを蒔いた苗床を作った苗が育ち、昨日、地域の人に支えられ、無事に田植えにトライしている子どもたちの生き生きとした表情が、こちらにも伝わってくる。

 

さすが、米つくりの名人と言われる地域の人は、自然に対する忠実さを、

心得ていると、何だか、ふるさとの風に、植えたばかりの若い苗の香りが

届いてきた。

2022年

7月

01日

文月に想う

今日から文月が始まった。

一年の折り返しに当たる月で、私は、今日から、叶うならば、今月からは

自分の本来のペースというか、自分の生活スタイルを取り戻したい。

 

何度も、ブログに訴えてきたが、凡そ、2か月近く、「火の粉」を被って

しまったのである。

 

焦れば焦るほど、マイナスのスパイラルに陥ってしまい、藻掻けばもがくほど、泥沼からはい出さない日々が続き、体調も忠実に反応している。

 

さあさあ、今日から、自分を取り戻して、穏やかな日を迎えたいと想う。

 

朝刊を取りにエレベーターに乗り、「今日は何の日」が目に入った。

何と、私が願っている「日」ではないか。

 

1960年(昭和35年)制定された「国民安全の日」とあり、今日1日から

1週間を「全国安全週間」だと知った。

 

まるで、私の気持ちを察するかのようである。

 

一年の折り返し地点である文月から、「安寧で安穏」な毎日が続きますようにと願った。