2022年

5月

31日

五月もお終い

嗚呼、やっと五月が終わったという想いでいる。

 

花咲き乱れる素敵な季節のイメージがあるが、今年の五月は、メイストームと言われるように、私にとっては、実のところ、苦しかった。

 

見えない心の痛みを感じながらも、どうすることもできないスパイラルに

押し込まれてしまった。

 

その中で、絵本との楽しさを見出したことは、大きな収穫であった。

 

隣接する図書館は、私の救いの場であり、特に、「言葉」に触れることで

自分を豊かにしてくれる。

 

特に、齋藤孝著の「なぜ日本語はなくなってはいけないのか」は、頷く点が多く、何度も、読み返した。

 

事例にも説得力があり、やはり、日本語を守っていきたいとの想いを強く自信を持てた。

 

更に、「読み聞かせボランティア」で改めて、絵本の素晴らしい世界にふれ、何時しか、読み聞かせができるようにとの想いを持っている。

 

今年の初めから考えている問題も、それなりにであるが、徐々に歩み始めた気配を感じている。

 

結局のところ、用意されている次なるために必要とされ、生み出すまでの苦しみと思っている。

2022年

5月

30日

思いがけない心遣い

数日前、階段を使いましょうと決心したのに、今朝はゴミ出しの日なので

無意識にエレベーターにポンと乗ってしまった。

 

既に上階の若い女性が乗って居た時、「あっ、いけない、マスクを忘れちゃったと片腕で口を押え、女性に頭を下げた。

 

その女性は何やらバッグの中を探しているのである。

 

マスクを忘れた私のために、予備に持っていた自分のマスクをさりげなく差し出したに違いないと察した。。

 

何て、心優しい女性だろうと、感謝の気持ちで清々しい朝を迎えた。

 

今日は「ごみゼロの日」だそうだが、たまたま珍しく、おおきなごみ袋を持っていたために、エレベーターに乗った出来事である。

2022年

5月

29日

いなだのお造り

日本経済新聞に1930年代「日本の風景写真」が掲載されている。

日本カメラ財団調査研究部長 白山眞理氏が解説をしている。

 

1930年代は、私もまだ、生れていない時代で、毎回、とても楽しみにしている。

 

5月24日の名取洋之助「奥浦村(『キリスト教徒の村』より)」に写っている木に掛けられたカンカン帽に、目が留まった。

 

「カンカン帽」は、父親がふるさとの岡山で、カンカン帽のもとになる素材の麦わらの検査の仕事に関わっていたからである。

 

麦の太さや色目とか、割れていないかといった細かい検査をしていた姿を

思いだしたのである。

 

しかし、よくよく考えると、1930年代には神戸で輸出業をしていたのだが

もしかしたら、神戸でも扱っていたからこそ、疎開先でも同種の仕事に就いていたのかもしれないのである。

 

そうすると、写真に写っている多くの「カンカン帽」は、父親も関わっていたのではないだろうかと、どんどん、想像が膨らんでくる。

 

今夜は、亡き父親をしのんで、ふるさとの魚でもあればと、スーパーに出かけると、鳥取県の「いなだのお造り」があった。

 

ご近所だし、懐かしい味なので、今夜の夕食にと買い求め、日曜日の夜の食卓とした。

2022年

5月

28日

心強い婦人警察官

先月27日は、1946年(昭和21年)、日本で最初の婦人警官62人が警視庁勤務についた日だった。

 

両親をふるさとに残して、私は17歳で独り上京することになった。

理由は、父親から東京の土地に住まいを準備するために、私に将来は東京で住まうためであったことを、父親の死後、母親から初めてきいて知ったのである。

 

処が、東日本大震災で、東京の我が家のペンシルビルは、漏電を発生し、住まいとして危険と工務店からの回答で、僅か、500m圏内の現在の住まいに転居したのである。

 

数年後の日曜日、ユーセン放送が建築当初から設置されている。

朝、スイッチを入れると、天井から、轟音が響き渡り、どうしてよいかわからず、てっきり、上階の部屋で何か起こっているとしか思わなかった。

 

管理組合の緊急相談先に連絡をすると、警察にとの指示で、警察官が来るまで、頭からガンガン鳴り響く音に部屋に入れず、廊下で、早く来てほしいと祈る気持ちで待っていた。

 

「淺野マリ子さんですか」と、廊下の先から、婦人警官が一人で現れた。

 

「ちょっと、上の部屋を確認してきます」と言ったので、「実は既に私が

チャイムを鳴らしたのですが、いらっしゃらないようです」

 

「私が、もう一度、確認してきます。暫く押し続けてみます」と言い残して、降りてきた婦人警官は「いらっしゃいましたので、確認しましたが、

問題はないですね」と。

 

やがて上司に事情を報告した結果、「淺野さん、ユーセンに問題があるようで、主電源を切ってみます」

 

どうなるかと心配していたが、何と主電源を切った途端に、恐ろしい音はぴたりと消え去りました。

 

落ち着いた対処に、大慌てしている私が恥ずかしく成りました。

 

今日も、マンションの駐輪場に心当たりのない自転車が放置されているので、管理員が連絡を取りましたところ、婦人警官が来てくれました。

 

実に、しっかりとてきぱきと、管理員に指示している姿に、嘗て、土曜日の朝、お世話に成ったことを思い出し、安心、安全に尽力している婦人警官に、改めて、感謝の気持ちと、どうか、気を付けて、頑張ってと。

2022年

5月

27日

階段の利用

毎日のように、日本列島のどこかで地震が発生している昨今、メディアを始め、各種の広報誌等で、災害に対する警戒を発している。

 

我が東京も首都圏直下地震の新たな被害想定が発表された。

それによれば、エレベーターが2万台が停止するという。

 

散歩をしていると、地上げ屋の横行が激しく、あちらこちらで解体作業を見かける。

 

恐らく商業ビルではなく、集合住宅の建築が多く、段々、競う様に高層化の傾向に、必ず、エレベーターは欠かせない。

 

想定外という言葉が一時盛んに使われたが、今また、災害による想定外の

被害が素人の私にでも案じられる。

 

先日も、エレベーターに閉じ込められた長時間の報道に、最近、喉元過ぎればで、エレベーターを使用している。

 

脳外科の術後、リハビリを兼ねて、毎日の散歩の際に、階段を利用していたが、つい、便利さと怠け心で、階段の使用を怠っている。

 

閉じ込められた時の恐怖感を想像すると、今は収まりつつあるコロナでは

あるが、色々、考えてみると、足元に注意しながら、健康の為にも、改めて、階段を使用しようと決めた。

2022年

5月

26日

お土産は保命酒

日本経済新聞の第二部に、「人生100年の羅針盤 オフライフ」に、ふるさとから山陽本線で4駅先に広島県福山市がある。

 

今、旅行案内でも、必ず、福山市の鞆の浦がコースに入っている程、有名であり、桜鯛でも知られ、宮島、厳島神社と、紹介されている。

 

最近、亡くなった父親の夢を何故かよく見る。

 

いよいよ、人生も百年時代に突入したのかと、自分の歳に重ね合わせると複雑な気持ちに捉われてしまう。

 

そんな想いで、新聞を追いかけて読んでいるうちに、鞆の浦の名物である

「保命酒」の懐かしい文字に、思わず、身を実を乗り出した。

 

記事によれば、生薬を漬け込んだ甘い酒で約360年の伝統があるそうだ。

 

亡くなった父親は、仕事で福山に出かけると、必ず、「保命酒」をお土産と言って私に手渡してくれた。

 

母親はお酒だからと、私に手渡す父親に対して、「マリ子にですか」と、

仏頂面をする母親と父親の会話を、妙に鮮明に記憶している。

 

父親は「からだに良いから、お湯に割って少し飲ませるのだから、大丈夫だよ」と、言いながら「滋養になるから」とも。

 

「保命酒」には、このような思い出があるだけに、何と、1854年、下田に寄港したペリー提督にも供されたという記録があるそうだ。

 

父親はまさかそのような歴史があるとは知らず、唯々、病弱の私に対して恐らく風邪薬のつもりで、お土産に買ってきてくれたのだろうと想う。

2022年

5月

25日

充実した疲労感

昨夜で「読み聞かせボランティア」の講座が終了した。

今回は、未就学児向けで、私にとっては一番受講したかっただけに、満足感で、次なるステップに進めるヒントになった。

 

処が、凡そ、10年近く、夜の講座に参加することがなかっただけに、今日は、一寸疲れを覚える。

 

今日も昨日に続き、真夏日を理由に、一寸散歩のノルマをカットした。

身体が「点滴」の必要性を求めているのが分かる。

 

凡そ、40分間、点滴中の時間が、私にとって、何よりの休息タイムでもあり、リセットの時間にも繋がるのである。

 

気のせいと言われればそれまでだが、エネルギーチャージを終えた後は、

さあ、これでまた、頑張れるといった想いと共に、足取りまで軽くなってくるのである。

 

なんでも、今日は「主婦休日の日」と知り、主婦ではないが、取り敢えず

「読み聞かせボランティア」が終わり、次なる目標に向かうために、今日一日はのんびりしようかなと決める。

 

しかし、今日の疲れは、心の疲れというより、満足感による疲労のように

想える。

2022年

5月

24日

馬刺し

今日は三日連続の真夏日と言われるだけあって、マスクをかけての散歩は日傘をさしても、何となく、全身が熱っぽくなる。

 

数日前に、マスクについて、政府の見解によれば、屋外で距離が2メートルあればとのことだが、例え、一人で散歩をしていても、なかなか、マスクを外す気にはならない。

 

もともと、呼吸器系が弱く、体調不良のシグナルの一つに、いつも、何故か、左の喉が赤くなるのである。

 

嗽をするのも、左に重心をかけて、ガラガラすといった次第である。

日差しの強さにまだ慣れていないので、踵を返して、夕刻にノルマ達成に

再挑戦すると決めた。

 

夕刻、まだ、足元には日中の真夏日の余韻が残っていたが、一寸、コースを変えて歩いていた先に、居酒屋があった。

マスクは何処か、美味しそうに、楽しそうに、数人の仲間と、ビールを飲

んでいる風景に出合った。

 

ついつい、私もあまりにも、コロナ禍前を思わせる居酒屋の賑わいに、店先のメニューが気になった。

 

メニューを追っていると、「馬刺し」が目に飛び込んだ。

 

嘗て、年に一度、数人のゴルフ仲間と、各地のゴルフ場に出かける中で、

地元の名物であるランチタイムに、楽しさが増すのである。

 

誰ともなく、ランチは何たって「馬刺し」で決まりといったのだが、私は

「馬刺し」は、まだ食べたことがなく、不安な気持ちが過った。

 

しかし、「馬刺し」を一口、口に運んだ時、一瞬にして、私の不安は払拭したのである。

 

「美味しい」と声に出して、一気に平らげた。

 

それ以来、「馬刺し」を食べる機会がないが、何と、我が散歩のテリトリーにあるかとわかり、何時か、友人と一緒にと、その日が来るのが楽しみにしている。

2022年

5月

23日

昭和の歴史を残す小学校

2019年の五月のこの季節、その前年に61年ぶりにふるさとの小学校の母校に帰る機会があった。

 

嘗ての面影はない母校に、時の流れを感じたが、間もなく、空気に、ふるさとの懐かしい記憶が蘇った。

 

その日から、61年の空白は何の抵抗もなく、寧ろ、新鮮さの中に懐かしさを覚えると共に、なんとも言えない郷愁が溢れてきた。

 

又、ふるさとに帰りたいという想いが、帰京の新幹線の中で溢れ、自分でもこんなにふるさとに目覚めるとは意外だった。

 

幸いに、2019年になって、願いが叶い、母校の小学校のコミュニティスクールのお手伝いをする機会に恵まれた。

 

私の時代は運動会は、天高くの秋だったが、現在は5月に変わった。

小学校時代の私は、病気がちで運動会に参加した記憶が、高学年になって

から、参加した記憶がぼんやり残っているだけである。

 

母校の運動会を機に、ふるさとの素晴らしさを改めて訪ねてみたいと思い

1週間近く、宿泊して、ふるさとを堪能しようと計画した。

 

5月22日の日本経済新聞の日曜版に、重要文化財として「木造校舎」の小学校の記事が目に留まった。

紹介されている3校は、重文に指定された今も小学校で学んでいるという。

 

記事に私は、新緑のふるさとの今は、閉校になっているが、浅口市立鴨方西小学校阿部山分校を思いだした。

 

昭和19年から4月から、昭和48年までの29年間、学び舎であったこじんまりとした校舎の前は、小さな運動場、ブランコがあり、何といっても

素晴らしい桜の木が、その歴史を物語っている。

 

嘗ては、葉たばこの栽培をしていたそうだが、私は車から降り、思い切り

運動場で深呼吸し、桜の太い幹に触れているうちに、気のせいか、元気な

子どもたちの声が聞こえてきた。

 

何とも言えない、温もりを残した小さな小学校の校舎に、すっかり魅せられた忘れないふるさとの小学校の息遣いを感じた。

 

次回はあの歴史を刻んで大木の桜咲く季節に訪れたいと思っている。

2022年

5月

22日

傷つく言葉

高齢化が進んでいるのか、長びくコロナ禍でコミュニケーションにおいて

表現力が乏しくなってきたのか、受け止め方に問題があるのか、私はかなり、友人の言葉に傷ついていた。

 

近況報告のやり取りの中で、必ず「私は心配していないから」と言われると、私には返す言葉が見つからないのである。

 

関心のあることについては、私の返事を待っているが、個人的に返事に困る場合も、お互いにそれぞれの事情で話せないこともある。

 

問いかけて来た内容に話を続けると、必ず、「私は心配していないから」

という返事が返ってくる。

 

長年の友人で、一人住まいの私を案じて、忙しい立場でありながら、本当に一所懸命支えてくれるのだが。

 

既に、口癖と思って我慢していたが、頻繁に発するあまり私は、とうとう

堪忍袋の緒が切れた。

 

友人曰く「あなたを必要としている人がいる限り、私はやり抜くであろうと、信頼しているから、『心配していない』と言い切れるし、あなたにはまだまだ、使命が残っているから」との返事である。

 

5月11日の日本経済新聞のコラム欄「あすへの話題」に文化人類学者の

上田紀行氏による「傷つく意味」を切り抜いてあったことを思いだした。

 

文末に、「傷つくことは次なる成長へとつながっている。それが人生を深め、新たな世界を開いていく」とある。

 

されば、わが友人は私を更なる人生に、エールを送ってくれていると、受け止めて、寧ろ感謝しなければならぬと、心に修めた。

2022年

5月

21日

ドクダミの花

自宅の周辺はドクダミの花が真っすぐに空を見上げて咲いている。

 

生来、私は白い花が好きなせいもあり、ドクダミの花が密集していると、足を止めて見つめてしまう。

薬草ともいわれているだけに、私のこじ付けだが、元気を取り戻すことができる。

 

先週から「絵本の読み聞かせボランティア」の講座に参加している。

幼少期、病弱だった私は、母親が枕もとで、読み聞かせをしてくれた。

 

私の目色、顔色を見ながら、一寸、演技っぽく読んでくれた記憶があり、

絵本が大好き人間である。

 

散歩をしながら、嘗て、コロナ禍にあっては一人住まいの私は、終日声を発しない日があるために、童謡を、声を出して唄う様に心がけたということをブログにアップした。

 

読み聞かせボランティアで、絵本との触れ合いが多くなり、気が付くと、

5大昔話と言われる一つである「花咲じじい」を口ずさんでいる。

 

5月7日の日本経済新聞に「子供向けの絵本・雑誌で復刊」という記事に、

母親が枕もとで読んでくれた絵本に出合えるだろうかと、楽しみである。

 

群生しているドクダミの花の前で、口ずさんでいた。

ドクダミの花が、忙しく過ごした一週間の心を癒してくれたのである。

2022年

5月

20日

パスワードレスに期待

5月の中旬から、猛烈に忙しい日々が続いている。

 

兎に角、4時に起き、積み残したお役目に励むも、追いつかないというか、

捗らない。

 

これが加齢かと思いたくないが、認めざるを得ないかと想うと、頭が垂れてしまう。

 

しかし、そんなことではと、奮い立たせている次第である。

 

先日アップル、グーグル、マイクロソフトがパスワードレスで連携という

新聞記事に、現在、パスワードが増える一方である。

 

恐らく、同様の想いをしている人は多いのではないだろうか。

 

カードにもそれぞれパスワードが必要となっている。

 

特に、名刺の使用をやめた私にとっては、マイナンバーカードを提示する場合、有効期限が5年ということ、数点のパスワードの登録を忘れないようにしておかなければならない。

 

パスワードを安全に、保存するには良い方法はないかと、ナーバスになりがちである。

 

カード社会の現在、せめて、3社のパスワードレスに期待している。

 

最近、地震発生が頻繁な報道に、いざといった時の非常時に対するパスワードの管理、安全を考えておかないといけない。

 

すべては自助努力で、纏めておかなければ、困るのは本人である私が慎重に保存しておくしか、目下のところ、良い知恵は出てこない。

 

数人の友人から、「よく体力が持っているわね」と案じているが、責任を果たすというだけであるが、頑張る日がいつまで続くのだろうか。

2022年

5月

19日

責任とは

凡そ一週間近く、私は「責任」とは何ぞやと、考えている。

 

愛用の辞書によれば、責任とは「引き受けてなすべき任務、義務と」と明瞭に表示している。

 

まったく、愛用の辞書が示す通りであると解釈していた。

処が、処がである。

 

「責任」が意味することを理解していない年代ではない、突然とは言え、わが身に降りかかってくるとは思わなかった。

 

しかし、私の性質からいって逃げることができない現実が山積している。

苦境に強いと、友人は私を評価してくれるのは有難いことだが、それぞれのテリトリーがあるために、「責任」という御旗を立てて解決できない。

 

特に、コロナ禍に老いて他者とのコミュニケーションは遮断された状態が続いている。

 

任務を果たすには、個人情報等々の個人の情報が守られている以上、数人のルール違反に対しても、お手上げである。

 

本当に、これで日本人としてのブランドは守られるのだろうかと、案じるのは私だけであろうか。

 

これまでの日本伝統の歴史を持ちだすと一蹴される時代の流れに、私は、不安を覚えると共に、より良く年を重ねるという問題に、頭を抱えてしま

う今日この頃である

2022年

5月

18日

長寿が幸せか

コロナ禍の現状にあり、地元の地域包活支援センーでも活動を制限していた中で、久しぶりに私にもご案内が届いた。

 

大変今後の高齢化、介護問題に等々するテーマで担当の現実的な問題に対してハードな現実の状況の提示がなされた。

 

コロナ禍もあり人数制限の中で、参加した受講者の多くは、現実の厳しい金銭を伴う提示に対して、受講後の表情に置かれている現状が示した。

 

これまで必死に働き続け、お国が手を差し伸べてくれると安心していた人にとっては、かなりのショックに成ったと推察される。

 

実は、私も老後の人世生活を考えなければならないという現実に、またまた思い悩むことが増えたのである。

 

なまじな知識を知らなければよかったという気持ちに襲われた。

 

特に、来月からの物価値上げの目白押しに、戸惑うばかりである。

友人が「値上げをコロナ太りに、ダイエットにトライすると想うしかないと思わない」と。

 

確かに私もストレス太りというか、コロナ太り出ることは否めなく、前向きに昔のスリムな体型にと考えるのも、前向きと一考の価値はありと、考えるのも良しと受け止めている。

2022年

5月

17日

去り行く人

連日、新聞の企業の人事異動の多さに見劣りがちである。

というか、企業名が片仮名表示により、私のような「カラバコス」的な存在に対して、企業名からこれまでは企業が何をしているかが分からない。

 

しかし、今、人事異動が真っ盛りであるが、もう私には限界である。

時代に落ちこぼれを自覚している私に、今朝の朝刊の死亡欄に、お世話になった方のお名前を偶然にも数名知った。

 

今日は朝から雲の主役であるが、私の心も曇った。

今日、私が、取り敢えず迷惑をかけずに、日常生活を送ることができている方の死亡欄に、心が痛んだ。

 

唯、心の中で「有難うございます」という想いしか、出来ないコロナ禍に

本当に、残念と思った。

 

確かに、もう私は必ず、まだ関わりを持った方、お世話になった方に目を通しても、皆無と言っても良い年齢に成ったという現実を受け入れなけれ

ばならない状況にある。

 

如何に歳を重ねることについて、「自己責任」で残された命に対する宿題を頂いたような想いでいる。

 

いかなる状況においても、決してやせ我慢でなく、前向きに考える姿勢で

乗り越えたいと想った。

2022年

5月

16日

いかなごのくぎ煮

楽しみにしていた今月の満月である「フラワームーン」には縁がなく、がっかりしていた夕刻近く、神戸の友人から「いかなごのくぎ煮」が届く。

 

阪神淡路大震災を機に水揚げが落ちていたのは残念で、早く、鰆と同じ様に瀬戸内沿岸で春の訪れを告げる「いかなごのくぎ煮」が、何時に成ったらかつてのような活気を戻すのだろうと案じていた。

 

瀬戸内沿岸で育った私は、特に兵庫県の明石で捕れるいかなごのくぎ煮は神戸の名物でもあり、瀬戸内沿岸の郷土料理の風物詩でもある。

 

幸いに、神戸の空襲を免れて、私たちは父親のふるさとの岡山でも広島に近い小さな漁村の町に疎開したのである。

 

その頃は、まだ、祖父が元気で、毎日市場に水揚げした魚を求めて、私にすり身にして、口に運んでくれて育った。

 

おかげ様で、歯と骨に関してはすこぶる未だに、問題なく硬い物も抵抗なく食している。

 

後に仕事の関係で、現在の浅口市に3歳の時に移り、17年間を過ごした。

そのころから、神戸での取引先から「いかなごのくぎ煮」が送っれて来たのである。

 

更に、友人が神戸に嫁ぎ、毎年、「懐かしいでしょ」と明石で捕れた「いかなごのくぎ煮」を送ってくれていた。

 

久しぶりに、ふるさとの味に、コロナ禍でなければ、飛んで帰り、旧交を温めたいところだが、我慢、我慢。

 

フラワームーンには縁がなかったが、私はふるさとの味に満足した。

2022年

5月

15日

話せばわかる

今日は岡山県出身の犬養毅の1932年に暗殺された5.15事件の日である。

母校の小学校の校長室にも、犬養毅の言葉がある。

 

残念ながら帰郷時に、関心がなく、岡山県の教育関係には、同様に近い額装で収められていると聞いた。

 

奇しくも今日は検索すると、日曜日で総理公邸でくつろいでいたそうだ。関心のあるかたは、検索すれば、孫の評論家の犬養道子氏による経緯が分かる。

 

嘗て父親から、正に暗殺される身に在りながら、向き合い続け、「話せばわかる」と言ったそうだと話してくれた。

 

いかなる時も、動揺せずに、先ずは相手に向き合う姿勢を私に残してくれたように、やっと、その言葉の深い意味と度量を教わったような気がして

今、私の置かれている環境の支えになっている。

 

まして、61年ぶりにふるさとの母校の小学校に掲げてあるという経緯からも、ふるさとの賢人の生きざまを、慌ただしい東京生活でともすれば、

自分を見失いがちである。

 

更に、長く続くコロナ禍で、落ち着きを失いがちな私には、とても、父親に会いたいと願った日になった。

2022年

5月

14日

温度差と体調

今日は水銀温度計を発明したドイツの物理学者ファーレンハイトの誕生日と知る。

 

私は幼少期に猩紅熱による発熱で、水銀温度計は、限界を超え、破裂したという体験を持っている。

 

その時の母親の動揺とは異なり、水銀のコロコロと転がる灰色の水銀の色に「綺麗」と感じた記憶が鮮明に母親の動揺とに反して「綺麗」といっ病状の重さとは異なり鮮やかに残っている。

 

其の後、高齢期になる今も、体調のバロメーターとして、起床時に検温を怠らないでいる。

 

現在は長年使用していた水銀体温計と電子体温計の温度差に、私のために努めてくれた水銀体温計に別れを告げた。

 

コロナ禍の時代、少しでも感染を怠ることによって、他者への弊害を対し

いわば朝のリューティーンの一つとして、目覚めるとまず、検温を確認後

今日も大丈夫と弾みをつけて、朝の更なるリューティーンに繫ぐ。

 

しかし、まあ毎日温度差と思わぬ気候の変化に惑わされることの多いことかと、バッグには「晴れ女のマリ子」と言えども、自信が持てない。

 

やはり、メイストームと言われる所以であろうか。

2022年

5月

13日

責任の認識

昨日の午後から、当マンションは管理人が不在という状態が発生し、本社から派遣される「代行管理人」が、毎日日替わり定食ならぬ代行人が替わるという状況に成った。

 

しかし、さすが、「代行管理人」という立場のプロであることをまざまざと見せられた。

実に、臨機応変であり、私はこれまで知りえなかった知識を学ぶことが出来たのである。

 

土曜日、日曜日は管理人さんも休日であり、緊急事態が発生した際の連絡先も把握はしている。

 

しかし、これまで、私はそれぞれ異なるものの基礎的なところでは統一しているのである。

 

取り敢えず、「片づけ魔のマリ子」として、長年のプロである代行管理人にとして、私にエールを送るのである。

 

「あなたでなければ、解決できないことなのだから、適役だ」とまで言われるものの、とかく個人情報など、きめの細かい神経を行き渡らせながらならない世の中である。

 

兎角、責任よりは自分の個人情報を重視する世の中がまかり通ている。

 

いやはや、コロナが少し治まったかと思ったが、今の私には管理人さんが定着するまで、一寸、レディらしからぬ「腹をくくる」より仕方ない日々が続く。

 

しかし、私から言えば、毎日コツコツと仕事に向き合っていれば、現在の状況は免れたとして、理事長の責任は重いと反省している。

 

今後の私が案じている「人生の引き際」にも参考なった貴重な経験として前向きに取り組んでいる。

2022年

5月

12日

急変の日

今日は近代化介護養育の母でもある白衣の天使のナイチンゲールの誕生日である。

 

病院ボランティアをしている日には、来院した患者様に気持ちばかりのプレゼントなどを渡して、「看護」についての振り返る日である。

 

ナイチンゲールの「看護覚書き」を現在読み直しても、時代遅れを感じない知識と、病気の人への理解ある言葉に溢れている。

 

いわば、私にとっても、「座右の書」というか、大切な自分自分の病気の方に対する教示本である。

 

偶々、期せずして、これから私が新しく企画している高齢者の一人住まいで、外出するチャンスや、話相手のない方に、これまでの病院ボランティアの経験が役に立てればと、「喜寿」にして、立ち上げようとしている。

幸い、私の計画に対して、心強い協力者が手を挙げて下さった。

 

常々、私は人に恵まれていると想い、有り難く、経験豊富な助っ人に指導を仰ぎながら、来月には骨子案まで成立したいと思っている。

 

取り敢えず、一歩前進した喜びと安心感に、ウキウキして帰宅した。

我がマンションで、取り敢えず、私は2年前から組合の理事長をしている。

 

玄関に入るや、管理人さんの交代を知らされ、それからが、大変である。

若葉マークの理事長としては、唯々、うろうろするばかりである。

 

今、わが地区にも、あれよあれよというほどの集合住宅が工事中である。

しかし、入居者も、様々な国籍によるカルチャーの違いで、ごみ処理一つにしても、異なるのである。

 

周囲を見回すと、素晴らしいデザインの集合住宅が林立しているが、果たして見えない部分で、縁の下の力持ちで、住環境のために努めている人、

つまり、管理人さんに感謝をする共に、死語になっているかもしれないが

「郷に入っては郷に従う」という言葉が頭をよぎる私である。

 

変化の多い一日となり、明日から一つサポートする「お役目」が増える。

2022年

5月

11日

学ぶ楽しさ

昨夕の「絵本の読み聞かせボランティア」の講座を受講して、改めて、私が記憶している絵本を思い出しながら、つくづく、コロナ禍における、子どもたちの成長期における弊害を感じていた。

 

手元の資料から取り出してみると、私は母親から溢れんばかりの図書というか、絵本や児童書によって、何とか、小学校を卒業できたといっても過言では内と、「読書の知から」というか「図書の知から」というか「絵本の知から」を身を以って体験した。

 

昨日の講座から、推薦図書にいくつも私は支えられてきたと気付く。

未だに健康に対する自信はないが、声は多く入れ歯もなくなく発声には自信がある。

 

嘗て、病院ボランティアでは、病気の方に対して愛読書を読んで差し上げ

喜んで頂いた。

 

既にサイドテーブルにはセピア色に成った愛読書が積んでありも、現在の

体力では読める状態ではない方に多く接してきた。

 

特に時代小説には、掲載された初回にルビは振ってあるのだが、次ページからはルビが振ってなく、私は必死に頭をフル回転して思いだそうとするが限界である。

 

患者様はにやりと私に対して、「どこが読めなくなったのかな」と。

私が、「此処です」というと、嬉しそうな表情を浮かべて教えてくれるのである。

 

それこそ、まだ、私のように未熟な存在にルビを振ってない立場のある人に、「まだ、自分は必要とされている」という生きがいともとれる表情を

するのである。

 

今、私は小学生と未就学児対象の講座であるが、その学びから、高齢者や

病気の方を対象にした「読み聞かせ」を、体験を通してと考えている。

2022年

5月

10日

絵本の魅力

幼少期、虚弱体質だった私に、母親は枕もとで絵本を始め、何処から入手するのか不思議に思いながらも、体調が思わしくないないが、母親による

「読み聞かせ」は、楽しみであった。

 

幼児体験に合わせ、長びくコロナ禍にによって、私を支えて下さった校長先生の定年退職と重なり、私は母校の可愛い後輩に出合う機会を失してしまい、精神的に心穏やかに過ごせる日々がなかったといっても過言ではない、鬱々とした歯ぎしりをしたい毎日を過ごしていた。

 

隣接する環境から「読書聞き聞かせボランティア」に目が留ま待った。

 

今日から私の心の生きがいに対して「読み聞かせボランティアの養成講」が夕刻から始まる。

 

遠くなったふるさとの母校の後輩を思い出しながら私は、講座を受けること楽しみにしていた。

 

恐らく、ふるさとの母校や子ども園での「読み聞かせ」はできないものの

地域の子どもたちにできればと考えたのである。

 

体力的に、母親は「絵本」の読み聞かについても実に行き届いた図書の選書に今から振り返ると、「読み聞かせ」しながら、常に母親は私に対する表情に気遣いながら、時には相応しくない時は、打ち切った記憶がある。

 

いま、私はこれから、どの程度の命の限界があるかも神のみぞ知ることであるが、それまで、私は、一つの生きがいを見出した日でもある。 

2022年

5月

09日

3月並みの寒さ

今日から日常生活に戻った人が多いが、東京は、分厚い雲に覆われた朝をむかえたままで、出かける際も、私はダウンを取り出して、散歩に、また

冷蔵庫の食材の補給に出かけた。

 

「八十八夜の別れ霜」と言われた5月2日、6日は「蛙始鳴」という72候で蛙が泣き始めるといった、「梅雨入り」前の貴重な日差しの季節のはずであるが、一方では5月は意外に「晴れ」の日は少ないそうだ。

 

「メイストーム」と言われるお天気が朝から続いている。

 

早朝に雨が降ったが、取り敢えず、頭から、重い雲をのせているような状態が続いているが、さあ、今日からと予定していたことは、天気に左右されないように、自分と闘っている日中を過ごしている。

 

隣接しているも、図書館を始め、郵便局、コンビニにコピーを取りに、雨がいつ振り出しても良いようにと、昼食後も慌ただしい。

 

今月5月から、現役時代ほどではないが、手帳の余白が少なく、何となく、毎日予定が入っている。

 

昨日、久しぶりに会った友人が、「また、何か始めたの? 生き生きとして見えるけど」と。

 

私自身は、兎に角、気負わないで、急がないで、無理をしないで、適度に休んでと言い聞かせながら、今日のノルマは達したいと願っているが。

 

夕刻から、冷たい雨との予報なので、それまでに片づけなければと、目下

やはり頑張るしかないのである。

2022年

5月

08日

微笑ましい風景

2022年、3年目を迎え、行動規制のないゴールデンウイーク、大型連休、

大型休日などと言われたが、いよいよ、今日が最終日に成った。

 

5月の第二日曜日は、「母の日」、散歩がてら、近所の花屋さんは、さすが

道路にまで、カーネーションに限らず、様々な花が並んでいる。

 

暫く、反対側で見ていると、若い父親と子ども連れが、にこやかな表情で

鉢植えや花束を抱えている。

 

コロナ禍以来、若い父親と子どもの風景を、休日以外でも、非常に多く見かけるようになった。

 

これまでは、休日の公園などで見かけていたが、最近ではスーパーマーケットや、ベビーカーであやし乍らといった、あちらこちらで、父親と子ども連れに、「新しい生活様式」が浸透してきたのではないかと思える。

 

特に、今日の「母の日」の何と微笑ましく、しかも紫陽花や薔薇や寧ろ、

カーネーション以外の花を抱えている。

 

花を抱えているのは、ほとんど、低学年の小学生や未就学児に近い子どもが、父親の顔を見上げながら、語り変えながら、満面の笑顔で。

 

時間にして30分くらい立ち止まって見ていたが、プレゼントをもっている

父親と子どもの嬉しそうな表情を見ている私も、幸せな気持ちになる。

 

一寸、不思議に思ったのは、30分間の間、若い父親と子どもは全て男児であった。

 

来月は「父の日」だが、どんな風景に出合うだろうか。

2022年

5月

07日

今日は自宅で

昨日の五月晴れから、ご機嫌斜めの空に、今日は、自宅で、これからスタートする予定の準備をすると決め込む。

 

毎度のことであるが、自分では毎日細目に整理し、纏めていると自負しているが、いざ、始めようとすると必要な資料は何処にといった具合であり

要する時間に、悔しさと焦りが生じる。

 

しかし乍ら、連休に出かける計画はないとはいえ、どこかで自分なりの締め切りを決めておかないと、ともすれば甘やかしてしまう。

 

幸いに、空模様と交渉しながら、いつもより少ない散歩で済ませながらも閃きを期待しながら歩いている。

 

やがて、私の苦手とする風が冷たくなって、背中に堪える。

此処で、やせ我慢は禁物と、自宅に着くと共に、雨が追いかけてきた。

 

幸いにタッチの差で、濡れないで済んだ。

 

夕刻、友人から、焼き豚をゲットしたから届けるとの連絡に、今日の夕食も、後は野菜類を用意すれば良しと、安心した。

 

今年は、どうも、寒暖の差が激しく、サーモスタットが正常過ぎて、体が

相変わらず、悲鳴を上げながら、友人たちに助けられながら、何とか過ごした一日に成った。

 

お陰様で、計画の一つは、ほぼ骨格が出来上がった。

残すは、「頑張らないで、頑張る」を肝に銘じていくということである。

2022年

5月

06日

素晴らしい空を見上げながら

昨日に続き、素晴らしい空に、早速、先月からの計画に着手しようというこれまでにない、湧き上がるパワーに、自分でも驚くほどである。

 

今日は、日常の生活を過ごしている人もあり、街ゆく人の表情もマスク越しであるが、何となく気持ちがくみ取れる。

 

早速、今日のようなベストな体調を逃してはと、今回の計画について、尊敬している方のオフィスを訪ねた。

 

1年半になる私の脳外科の手術について、案じて下さった一人であり、私の計画には、経験からも力になってほしい方です。

 

計画について、即座に賛同して、協力をしてくださるという元気が出る返事を頂き、先ずは、一つクリアーできたという嬉しさで幸せに思った。

 

心がウキウキして、これまで兎角体調不良を起こしていた自分を不思議に

想うほど、足取りも軽く、何時もお馴染みの散歩のコースで自宅に向かった時に、今日は違った華やかな風景が目に飛び込んできた。。

 

唯、今日は帰路を変更してだけである。

処が反対方向から思わぬ発見に、バランス感覚の必要性を改めて認識をしたのである。

 

これまで気が付かなかった近所のお庭に、昨日の薔薇とは異なり、大輪の数色の花から、甘い香りがマスク越しにも届いた。

 

暫く、盛りを迎えている数種の大輪の薔薇の何と、美しく、豪華で、風格すら感じる薔薇の前で、立ち止まってしまった。

 

今後の私に、2日間にわたる薔薇の花を通して、物事を進めていくうえで

バランス感覚を学んだような貴重な体験をした。

2022年

5月

05日

季節の花の饗宴

今日は24節気の一つ「立夏」と「こどもの日」というダブルのおめでたい日である。

 

嘗て、友人が5月5日に結婚式を挙げるという理由が、この日は、晴れの確立が高いからだとの言葉に、彼これ50年近くの時を経ているが、懐かしく

思いだした。

 

今年は既に2日続きの真夏日というが、寒がりの私も、合服から、夏服に取り換えても良いと思うほどに、この日を逃してはと、いつもより、散歩の

コースを変更して、地元探検をした。

 

先月、「赤い薔薇」のブログをアップした際は、時期尚早だったと気が付いたのである。

 

あちらこちらで、「薔薇が咲いた、薔薇が咲いた」状態で、どちらかと言えば、小ぶりの野ばらというか、つる薔薇の多くが「真っ赤な薔薇」で、

思い切り楽しんだ。

 

これから、成し遂げようとしている計画が頭の隅にあるものの、可愛く、

微かに吹く抜ける風に、委ねながらも、ゆったりと、咲き競っている赤い

薔薇の花に、心がいつしか穏やかになっている。

 

風薫る季節に身を置いているうちに、思いがけないアイデアに、急いで、

立ち止まり、バッグからメモを取り出し書き留めた。

 

行動制限のないとはいえ、改めて、人は自然の力の中で、本来の人間として取り戻せることを感じた素晴らしい一日になった。

2022年

5月

04日

学び直し

行動制限のない連休も、残すところ、明日の「子どもの日」で、取り敢えずお終いになる。

 

東京は、先月の30日には「結露」に驚いたが、今朝は清々しい朝を迎えるも、日中との気温差が激しく、どうも、朝はひんやりとして、ウールのベストを着たまま、日中散歩に出かけ、汗をかいてしまった。

 

街路樹のマロニエの木にも、今年は紅白の花がいきいきと、空に向かって伸びている。

 

今月の2日から日本経済新聞に教育岩盤というテーマで揺らぐ人材立国として、「低学歴国」ニッポンという記事が第一面を占めている。

 

博士減 研究衰退30年で、産学官で意識改革が必要とのことだ。

3日の記事には、「学び直し」が学校でも、企業でも実施をしているといった実例が記載されている。

 

「空洞化する卒業証書」というショックな見出しに、私は愕然とする。

病弱だった私は、小学校の卒業証書を、「無事に卒業出来ました」と報告した時の父親の表情を思いだしたからである。

 

私から、渡された卒業証書をしみじみと見続けていた。

今、喜寿に成った私は、もう一度これまでの体験を生かした「学び直し」を始めようとしている。

 

処で、今日が「みどりの日」とされているが、「ラムネの日」とエレベーターの「今日は何の日」で知った。

 

そのラムネで父親は、アイスキャンデーとミルクセーキは絶対に、買って飲ませて貰った記憶がないが、ラムネはよく買ってくれた。

 

なかなかうまく飲めない私を楽しそうに眺めながらも、最後は私に飲み方を教えてくれるといった父親を懐かしく思いだした。

 

今日はラムネが欲しくなる暑さだが、天気予報によれば、沖縄では11年ぶりの早い梅雨入りとの報道である。

2022年

5月

03日

食材のバランス

今月5月から日本経済新聞の朝刊に、マンガ家の里中満智子氏の「私の履歴書」の連載が始まった。

 

身体が弱く寝込むことの多かった母親に代わり、調理師だった父親から10歳の頃から料理の手ほどきを受けたと記載されている。

 

父親から栄養のバランスを考えて、白黒緑黄赤の5色のものを食するようにと教えられたそうだ。

 

財布と相談しながら、旬のものを献立に取り入れるために考えたそうだ。

例えば、豆腐、ゴマ、ピーマン、卵、トマトと、5色揃っている。

 

気が付くと、私の食材も似たり寄ったりで、非常に近親感を覚えるとともに、父親は今でいうところの「食育」だと、記している。

 

今月から、書き込んでいる手帳の予定から、やはり、忙しくても旬のもので自炊を心がけようと決めた。

 

早速、冷蔵庫の食材を点検しながら、独り住まいというのは、食材によっては、新鮮さを失う危険性もあり、そのあたりで、私は乾物類を利用することが多い。

 

兎に角、美味しいと想う様に、工夫するには、だし汁を使用することで、

不思議なほど旨味が増してくる、

 

瀬戸内で育った私は、ふるさとの煮干しを使う場合が多い。

ついつい、産地を見て買い求めている私である。

2022年

5月

02日

貴重な一日

3年ぶりの行動制限のない後半の連休日を前に、平常通りの営業日である処の区役所に出かけると、月初でもあり、色々な手続等の日でもある。

 

混雑状況から、午後に出直すこととした。

いよいよ、エンジンをかけるために、折角隣接している区の施設を利用するために、理解が困難な箇所があり、尋ねておきたかった。

 

恐らく、6月に立ち上がればと考えているが、相手のあることで、納得して

喜んで頂くためには、嘗て、民生委員の発祥の地である岡山で、しかも、

ふるさとでお話をした機会から、既に、4年の時を経ている。

 

コロナ禍で、民生委員の活動も制約があり、十分な成果が達成できないと

いうのが現状であると聞く。

 

今、コロナが少しずつ、減少状況にあるものの、独り住まいの高齢者が、

話し相手もなく、声を出すこともなく、心にストレスを抱えている方が

多いと察している。

 

例えば、独り住まいでなくても、スーパーで出会うと、懐かしそうに話しかけてくる。

不思議と、冷凍のきいたお魚コーナーであり、15分の話していると、寒くなってくるので、お店の隅っこで、話を聴くといった状況が多く続く。

 

嘗て病院ボランティアをしていた私は、もっぱら病気の方の「お話相手」として、接してきた。

 

そこで、隣接する区の施設を利用して、日頃、独り住まいの方を対象に、

月に一回、井戸端会議のようなおしゃべりタイムを考えている。

 

そのための準備として、今日は、明日からの後半の連休を前に、貴重な日

として有効に活用したいと、思い当たる方に相談をすることが出来た。

 

今後は、張り切りすぎて体調を崩さないように注意しながら、目的を果たすための準備に時間を要すると覚悟をしている。

急がずに慎重に落ちついて行動するつもりでいる。

 

又、母校は残念ながら、遠い存在になりつつあるように思い、せめてその

寂しい想いを、小学生と、就学児童前の子どもたちに「読み聞かせボランティア」を学び、これまでは、病気の方に本を読んできたが、正式に学んだ経験はなく、こちらも5月に受講する予定でいる。

 

そのような次第で、「別れ霜」と言われる今日は、八十八夜、八が重なることから物事を始めるには、特に農業にとっては縁起の良い日とされているそうだ。

 

喜寿になって、又、新しい土地を耕すに等しいと考えているが、何よりも

自分にとって「学びの場」になると、楽しみにしている。

2022年

5月

01日

生きがい改革

風薫る5月が始まるというのに、朝から天気が思わしくなく、午前中に予定していたが、何となく出掛ける足が重く感じる。

 

しかし、予定の11時までは、段々雲が重くなっているが、久しぶりに会う

友人たちから、「やはり、あなたは晴れ女ね、あなたが来るから、何とか

雨に合わないで済みそうね」と煽てられて悪い気はしない。

 

更に私は今月より改めて「生きがい改革」に取り込むことにした。

既に、主治医から本来の私に戻るアドバイスを頂き、さあ、やるぞと勢い付いたが、気が付くと、日曜日の休日であった。

 

久しぶりに会う友人に、敢えて、これからスタートしようとしている計画を話した時の友人夫妻のマスク越しであるが、「大賛成」との意見を聞き

喜寿を迎える私にもまだ、「働き改革」とは異なるが、「生きがい改革」

の想いに自信を持つ。

 

明日からに行動を起こそうと、久しぶりに5月の手帳には予定が目白押しに書き込まれている。

 

コロナ禍と共に、私の心身面の事情も重なった、やっと、「私」に戻れるという喜びのスタートとなった。

 

奇しくも、日本経済新聞に「働き改革」道半ばという大見出しで、「仕事に熱意」は6割弱どまりとあり、海外との差が埋まらずという記事に、私の時代は、「企業戦士」と言われる企業人にある意味で、憧れを持った。

 

しかし、現在は死語と言っても過言と言っても良いのではないだろうか。

そういえば、今日は「メーデーの日」として、代々木公園で気勢を上げていた風景が記憶に残っている。

 

まだ、継続しているのだろうか。

メディアでも取り上げられた報道に気づかないほどに、「新しい働き方改革」へと変化をしているのだろうと、想いを馳せている。