2022年
11月
30日
水
永年を振り返ると、私にとっては11月と言われる霜月は、これまでは「鬼門の月」である。
それを払拭すかのように、私はどうしても我が大切な故郷に帰りたく、本来の自分を取り戻すために、コロナ禍であろうが、救いを求めていた。
新幹線では富士山を始め、姫路城とウェルカムであった。
やはり、このタイミングを逃すことは、私は壊れてしまうという程の心の苦しみを事態に追い込まれていた。
これまで、ご縁のある先々で、内心は最後のお別れを心に秘めてご挨拶に伺いました。
しかし、お目に掛かった皆様から故郷の温もりに私の心は揺らぎました。
私は、まだ、之だけ故郷に対して、自分の愛情を思いきることはできませんでした。
母校の小学校の子どもたちが、まだ、私を覚えていてくれたり、「また、来てね~」という純粋な子どもたちを裏切れないと、痛感しました。
故郷から、その母校の子どもたちの純粋無垢な想いを私は大切にしていかなければならないと、自分に再認した霜月でした。
とんでもない、故郷への思いがますます強く成った。
2022年
11月
29日
火
ポストに分厚い通販のカタログが入っていた。
年齢から言って、最近は、ドレッサーや箪笥の中で、眠っている袖を通したこともない洋服類もあり、極力それらを着用しようと決めている。
しかし、下着類やパジャマは消耗が激しく、定期的に購入をしているために縁は切れないで、今日まで凡そ、25年近いお付き合いである。
ところで、今冬は今夏に続き、節電の要請というか、要望が在るせいか、
またまた、小池都知事のクールビズに変わり、今回はタートルネックという具体的な事例が提唱されている。
その成果、カタログにも、タートルネックに匹敵する商品の紹介が多く、
目につくが、私は、そのタートルネック類が、苦手である。
というのは、加齢もあってか、前開きのカーデガンの方が着脱が楽であり
もっぱら、被り物は避けている。
日本経済新聞の11月24日のコラム欄「春秋」に、編集者時代に何度か、撮影時にご一緒させていただいた写真家の林忠彦氏は、文士の肖像を撮り続けたと記載されている。
さらに、1960年代後半の売れっ子文士になると、タートルネックのセーターが目立つのだと。
開高健、安部公房、遠藤周作、丸谷才一に続き、今も、五木寛之氏は着用しているとの、編集時代に御目に掛かった作家の方々を懐かしく思いだして、そういえば確かに、タートルネックだった。
林忠彦氏も愛用していらした記憶があり、撮影の前に、編集部の隣にあったお店の「蒸寿司」を美味しそうに召し上がっていらしたタートルネックの姿が思いだされるのである。
2022年
11月
26日
土
間もなく今年も一か月と5日ほどに成り、資源回収日に当たり、早めに整理を始めようと、これまでの新聞の切り抜き等々を、未練がましく持っていたが、もう、思い切って整理した方がすっきりすると、いつもの断捨離を始めた。
今回かなり重いため、エレベーターの床に置いて、久しぶりに「今日は何の日」に目が行った。
今日は、1935年(昭和10年)に国際的な文学者団体「日本ペンクラブ」が創立された日で、初代会長は島崎藤村で、私が生まれる10年前と知り、もっと歴史があると思っていたが、それは数字に弱い私の勘違いである。
というのは現在私の年齢に10年プラスすると、87年の歴史があるという事であり、相変わらずの私の粗忽さは治りそうもない。
最近の私は、落ち着いて、文字化する時間がなく、一刻も早く「下手の横好き」の日常を取り戻したいと、些か、焦りを感じている日々が続く。
2022年
11月
25日
金
今回のワールドカップカタール大会でも、試合後のロッカールームをピカピカに片付けた報道に、私は、当マンションの少数の入居者によるゴミについて、情けなくもあり、腹立たしさを覚えている。
確かに、多民族の入居者によるものの理解を示そうと、理事長の私としては黙々と、少数派のごみ処理をしている管理員に、頭を下げるしかない、
自分の無力さに心が痛むのである。
入居者側から言えば、そのための経費は支払っているという言い分もわかるのであるが、「目に余る」という現象が見受けられるからである。
こんな自分の住まいの「恥」をブログにアップするについては、かなりの
ゆうきと覚悟を承知の上で、現状に手を施せないでいると、何とか、改善できないかと想っているからである。
全くの偶然であるが、ある優良不動産会社から、当マンションについての
訪問があった。
マンション内の各部分を確認後、最後にごみ置き場を見たいとの要望があったと、後に管理員からの報告を聞いて、さすが、見えない部分としてスルーしがちな、部分にまで、確認する企業の姿勢に、やはり、社員の質の高さを感じた。
2022年
11月
22日
火
確か、10月のブログに、新聞の切り抜きを止めようと決意した。
いつも、数日間、自宅を留守にするときは、新聞の配達から取り置きを依頼している。
今回も、僅か日数にすれば、3日間ほどの朝刊、夕刊であるが、私にとっては、地方紙を読むのも楽しみではあるが、やはり、彼是、40年近く愛読している記事が、気がかりである。
帰宅後、一息入れた夕刻、取り置きの新聞がポストを占めていた。
開いた文化面に、丁度、私がふるさとの「あさくちブルー」を見あげた7日の朝刊から、哲学者の小林康夫氏による「空を見上げて 十選」が掲載されている。
今朝の朝刊のルネ・マグリット「大家族」が最終章になった。
11日の「空」に対して、哲学者の素晴らしい書き出しで始まるのである。
氏によれば、私の故郷「あさくちブルー」についても、『空はいつでも、どこでも、ある。でも、決して同じではない。それは、いま、あなたが見上げる空、「あなたの空』だ!と手厳しい。
十選の書き出しの数行に、哲学者ならでの何とも言えないぴっりとした歯切れの良さに、私は魅入られてしまった。
しかし、納得できるのである。
22日までの最後のルネ・マグリットの「大家族」まで、私は「空」に対して、我がふるさとの「空」から、多くの生きがいを頂いた。
このシリーズに関しては、私の「空」に対する貴重な資料として、切り抜きをしておきたいと、約束に違反するが、私にとってはふるさとの空との
関わりに大切な資料として、残しておきたい想いにご理解を。
2022年
11月
19日
土
今朝、散歩の帰り、見上げた自宅のマンションの植え込みの山茶花の花が
白から赤く変わり、数輪咲いている。
赤い山茶花の方が、どちらかといえば、花自体が大きく、どっしりとしていて、存在感があるが、私はやはり、白の山茶花の花の方が好きだ。
周囲の植え込みを見渡すと、やはりピンクをはじめとする暖色系の花の方が多く、既に、花屋さんには、小ぶりのシクラメンの鉢植えが並んでいる
し、クリスマスツリーも、見かける季節に様変わりしてきた。
まだ、クリスマスソングは聞こえないが、恐らく、来月の中旬に銀座の
歯科医での健康チェックの頃は、何処からともなく聞こえるクリスマスソングに年末の慌ただしさの中に、気持ちが華やいでくる。
今日の夕刊に、東京都は、上野動物園で生まれた雌のジャイアントパンダの「シャンシャン」を来年の2月中旬から3月上旬に、中国に返還するとの
記事に、日本で最後のクリスマスを楽しんでほしいと、想った。
2022年
11月
15日
火
昨日、近畿地方では、木枯らし1号が吹いたそうだ。
今朝の東京は2か月も早く季節が進んで、師走並みの寒さに全身が強張る。
帰郷中に美味しい食生活を過ごしたので、そろそろ、自炊に切り替えようと、スーパーに出かけると、何と、店内は、クリスマスモード一色であり
気ぜわしさを感じながら、鮮魚コーナーに立ち寄ると、故郷で楽しみにしていた「イサキの煮魚」に、縁がなかったことを思いだした。
チャンスを逃した「イサキ」が並んでいた。
煮魚ではなく「お造り」であったが、これで、目的達成と買い求めて帰宅した。
そういえば、今日は「七五三」の子どもたちの成長をお祝いする日ではと
気が付いた。
「七五三」といえば、もう、随分長い間「千歳飴」を見かけていない。
段々、培われてきた風習が廃れていく現実に、私の心に木枯らしが吹いているかのように、気持ちが荒立っている。
2022年
11月
11日
金
今朝の日本経済新聞朝刊のお馴染みのコラム欄「春秋」に、最近「み」が増殖中だという。
「み」とは、一瞬理解できなかった。
記事によれば『「すごみ」「おかしみ」「ありがたみ」などというときの接尾辞「み」である。
一部の形容詞に付いて名詞をつくるのだが、これが最近はいろいろな言葉にくっついている。「やばい」から「やばみ」が生じ、「つらい」から「つらみ」が出現した』
さらに丁寧に具体例が紹介されているが、私の感覚では対処できないというか、飲み込めないというか、理解できなくなってしまった。
嗚呼、これが加齢かと諦めるも、私にも一つだけ、使えるのは「つらみ」で、恐らく私の中では、「恨み辛み」という常識的な感情表と重なっているだけだと、想っている。
帰京後の生活の現実の重さに、私は「つらみ」の日々から解放されたいと
願うばかりである。
どうも「つらみがあふれ、わかりみが深い」と言えそうだ。
2022年
11月
10日
木
宿先のホテルの朝食を担当する方から、「今日で、東京に帰りますが、故郷の皆様の心遣いは忘れません、有難う」と、感謝の気持ちを伝えたところ、私が岡山出身であると知り、「また、帰ってきてなあ」と、笑顔で送り出してくれました。
私は、予約はもう少し、時間の余裕を持っていたのですが、管理員がいる時間帯に帰宅したいと、予感が走った。
幸いに、予定より早く帰京できると、予約を変更した。
充実に満ちた3日間であったが、それなりに疲労もあったのは現実である。
岡山から乗車後、姫路城のある姫路駅も気づかず、名古屋駅での乗客のざわめきに、ぼんやりを目を覚ましたが、とうとう品川駅まで、うとうととしてしまった。
ああああ、現実が待っていた。
管理員より、私が不在にしていた期間の報告を渡された。
その段階で、私は、故郷での栄養補給が生かされなかったと、残念に思うと共に、改めて、自分の生き方に正直にありたいと願った。
2022年
11月
09日
水
とうとう3年間待ちわびた故郷を、今日を最後にまた、都会の喧騒が待っている東京に、明日の朝、私は帰らなければならない。
今日一日の私は、ブログにアップしようかどうしようかと考えあぐねているのだ。
今日の9時から夜の11時近くまでの出来事をどうしても躊躇するからだ。
7日、8日については、さらりと筆が進んだのだが、今日一日をオープンに
するには、勿体なくて、そっと、心の引き出しに大切にしまっておきたい気持ちが強く働くのである。
人には、私も77歳も残り少なくなったが、決して「忘れられないもの」を
持っている。
楽しいこと、辛いこと等など、必ずや心当たりがあると思うのだが。
振り返ってみると、結果に到達するまでの道のりを経ている。
私の今日一日は、久しぶりに心から笑顔に包まれた至福の一日と言える。
恐らく、永遠に忘れられないと想っているため、この幸せをお裾分けできない事情を察して頂ければと想っている。
終日、私のために零れんばかりのおもてなしをしてくださった方に、心から感謝の気持ちを申し上げます。
薄っぺらな表現ですが、私に、笑顔を取り戻して下って「有難うございます」しか言えない悔しさがあります。
今回の帰郷に関して、全ての方に、故郷のすばらしさ、故郷があって良かったと実感しています。
もう一度、故郷の皆様、「有難う」
2022年
11月
08日
火
今日は、母校の教頭先生が、矢掛町立川面小学校の校長先生に着任して以来、相変わらず、コロナ感染の為に、やっと、実現する日が来ました。
いつもブログで我慢してきましたが、今日は「蛍に会える小学校」、宿場町として歴史の溢れた町に、私は、宿泊地の倉敷駅から一駅、伯備線に乗って、清音駅で、ローカル溢れた一両電車の井笠鉄道で、矢掛まで約20分乗って矢掛駅に下車。
車両は数種あるそうだが実は、定刻より4分遅れとの表示に、乗り換え時間に4分しかなく、私はホームで、いらいらしながら待つより仕方ない。
案じるよりも、遅れに対応して待っていてくれたのである。
改札口には、駅員さんが切符のテェックして、記念にと可愛い車両の写真を撮ろうとしたら、発車しますのでと急がされ、残念と想った。
車内を見回すと、内部には、星座が描かれており、車両の揺れが激しくて
やっと、探したと同時に矢掛駅の案内の表示が出たが何とかセーフ。
駅には、母校を定年退職後、矢掛町立中学校で、セカンドステージで、活躍中の「笑顔の校長先生」が、待っていてくださいました。
先ずはと、9時過ぎのお忙しい時間帯にも関わらず、矢掛町立中学校の校長先生にご挨拶をして、いよいよ、川面小学校まで送っていただきました。
凡そ、3年ぶりに御目に掛かる校長先生は、いつもの通りの優しい笑顔に
懐かしく、又、校内を隈なく案内してくださいました。
願いが叶った私に、校長先生は「次に帰るときは、只今ですよ」との一言に、私は、多くの故郷の恵みを頂いていると、目頭が熱くなった。
昼食後は、浅口教育委員会でお世話に成った現在は地元の浅口市立中学校の校長先生に、お目に掛かり、再度、母校の校長先生に御目に掛かる約束をしていましたので、「タクシー」の御世話に成る。
昨日、校長室に入った時に、づらりと指導活躍なさった歴代の校長先生の写真が掛かっている前で、「只今、今日はこれからお尻を向けて失礼します」と挨拶出来ました。
現在はコミュニティスクールと言われる前の、学校運営協議会委員の時からの副会長様が同席して下さって、色々と、お話が出来ました。
不思議に、私が今、母校の校長室に帰る機会はないと、一度は諦めた私ですが、やはり、「母校の力」は私にとっては忘れがたい宝物だった。
校内活動を拝見して、私のことを覚えている子どもたちが、「また、来てね」と、言われた時、本当に幸せで、胸が熱く成りました。
満足感で胸いっぱいになった私は、初めて副会長様の「軽トラ」で、宿泊先まで送っていただくことになり、気が付くと、母校の校庭に、校長先生、教頭先生、心待ちにしているブログ担当の理科の先生が、見えなくなるまで手を振ってくださいました。
こんなに恵まれた見送りを写真にと想ったのですが、私は、深く深く心に刻む方が忘れられないと想って、見えなくなるまで、別れを惜しんだ。
「軽トラ」から見るふるさとの景色は、新鮮でした。
そして、今夜は皆既月食、宿泊先を向けだして、暮れなずむ空を見上げて
居ましたが、残念ながら宇宙ショーは見逃してしまいました。
2022年
11月
07日
月
欧米では「楽しい会話は、おいしいごちそうと同じくらい食欲を満たす」という言葉があるそうだ。
5日の日本経済新聞のNIKKEIプラス1の「マナーのツボ」にマナーデザイナー岩下宣子氏による「食事中の会話」が紹介されていたものだ。
さらに、会話が途切れたときにフランスでは「今、天使が通りすぎましたね」というそうだ。
前夜、正に楽しい会話と、美味しいごちそうの至福の時を過ごした。
故郷のパワーに弾みがついた私は、山陽本線で「あさくちブルー」の鴨方駅に降り立った私は、思わず、空を見上げた。
間違いなく、まだ、「晴れ女」の力は3年ぶりでも健全だった。
母校の「稲刈り」は、午後の予定にして、市役所に「お久振り」で~す。
偶然、市長様にもお目に掛かれ、ラッキーでした。
時刻も昼食、事前に調べていたお店に「イサキの煮魚定食」を楽しみに
母校の後輩の卒業生がタクシー運転手で、いつも、私の無理を聞いてくれる頼もしい存在である。
何と、お目当てのお店は定休日でアウト。
どうしても、私の希望を叶えてあげたいと、彼は心当たりのお店に連れて行ってくれたのである。
そして、「今日の煮つけ定食は、鯛の頭です」に、私は飛び上がるほど、
嬉しく、値段もリーズナブルで、問い返した。
今回の目的の「稲刈り」まで、時間の余裕ができたので、母校に立ち寄り
コロナ禍で、帰郷できなかった為に、校長先生にまだ、挨拶を失していたからである。
思わず、「只今」と言いかけてが、「こんにちは」に切り替えた先に、教員室から懐かしい先生が飛び出してきてくださった時の嬉しかったこと。
やがて、5年生の体験学習の「稲刈り」では、嘗てコミュニティスクールの
委員さんが、私を覚えていてくださった。
子どもたちの元気に動いている姿に、私は帰郷して良かったと想った。
さらに、我が母校の活動に表彰式があるとのことで、校長先生の車にご一緒させていただいて、色々と、お話をさせて頂き、改めて私は帰郷して良かったと想った校長先生との充実したひと時を過ごした。
2022年
11月
06日
日
11月を迎えた私には、頭の中はふるさと以外のことは考えられず、もういくつ寝るとといった心境の日々を過ごしていた。
よって、取り上げるほどの話題もなく、私は「ふるさと帰りたい病」のみであった。
アナログながら、レクチャーを受けながら、入手した「のぞみ87号」に、乗って、座席に着席した時、夢ではなく紛れもなく、私は、凡そ3年近く
新型コロナウイルスによる為に、帰郷できなかったが実現可能になった。
やっと、我慢していたふるさとに向かって、動き始めた。
車内放送で、「右手に今日は素晴らしい富士山は見えます」とのアナウンスに、これまで何回と帰郷した私にとっては、初めてのご案内であった。
其の後、姫路城が、建物の隙間を縫って見えるのに期待したというのは、これまでの帰郷でも見落としがちであった。
何とか、記憶を辿り、4回も、建物の間を縫って、姿を見せてくれた。
私は、こんな恵まれた帰郷は無いと、今回の里帰り計画に自信を持った。
2022年
11月
02日
水
昨日、疲れて、自宅の近くのコンビニに、新製品として並んでいた。
貝類の好きな私は、陳列棚の「深川めし風弁当」、新製品として、私は、
即座に興味を示し、買い求めた。
偶然とはいえ、東京都とファミマが7項目で、包括連携したという小さな
新聞記事に、私は、「深川めし風弁当」に満足した。
私は、「コラボ」という表現が好きであるというか、建築業界のジョイントベンチャーという関わりも良しとしている考え方に傾く。
カビ臭い話になるが、母校の小学校の通信簿には、永年協調性に欠けると
いう評価が免れないでいた私であるが、色々、社会の荒波に揉まれたからではなかろうかと、私自身が不思議に思っている。
2022年
11月
01日
火
いよいよ、今週末には、待ち焦がれていた帰郷できる。
主治医から国民健康診断は、来年の1月にとの指示で、2023年1月23日に申し込んだ。
精神的には、私はふるさとの空「あさくちブルー」のように、爽やかであるが、結果は、この6が月の自分の時間が出来ない為に、予定が相手先から
崩れてしまうことに、私は限界を感じながらも、職務を全うしようと想いつつも、もう限界で分かった。
そのために、私は62年ぶり母校でのお役目を終えてプラットホームで、待っていた私に、一陣の風が私を包み込んだ。
それは、17年間しかいなかったが、私の故郷の馴染親しんできた香りで、私を包み込んでくれた。
その時以来、私は、自分のメンタル的な問題について、気付かされた。