2023年

9月

30日

天まで届け

朝から、近所の小学校から元気な声が自宅に届いてくる。

 

一方で今朝から、今年も残す日数を数えると、やり残している問題やスムースに進んでいないことなど、書き出してみた。

 

優先順位を考えながら、コロナ禍の時のような、先行きの不安感はなく、体力が続けば、自由に動けるのが、何より収穫に繋がる希望がある。

 

しかし、キラキラと輝く子どもたちの運動会が気になり、集中できない。

というのは詭弁であり、毎月月末に、価格不安定な事情に1か月ごとにお財布の収支を確認をしている。

 

先月パーフェクトに終了していたはずのスマホの利用料が、通帳には記載されていることに疑問を持った。

 

手続きをした代理店に連絡を取るも、自動音声による余りにも多いナビに

怒りを覚えるともに体力の限界を感じた。

 

そのようなもやもや状態から脱出するために、地元の小学校の運動会に、

故郷の小学校の運動会が、2019年62年ぶりに帰校した母校の小学校の運動会がオーバーラップする。

 

来賓席の私にも、玉入れの誘いがあり、私は白組を選んだ。

 

玉入れの籠は意外に高く、頑張ってみるも一度も籠には入らない。

 

その後、無様な私の玉入れを見ていた子どもたちから、「下手だなあ、来年は教えてあげるから」と何とも恥ずかしさやら嬉しさに故郷の温もりを感じた思い出がある。

 

地域の元気な子どもたちの声をかき消すかのように、私は利用している通信企業に対する不信感を持ってしまった。

 

後ろ向きな想いを吹っ切る様に、ただ、夕闇迫る中を散歩し続けた。

 

手帳の書き込みを見ると、枠からはみ出るぐらいの動きをしている。

しからば、実りがあったかというと、微妙である。

拘ることなく「バイバイ長月」である。

 

明日から新しい月、神無月が始まる。

どんな月にしようかなと、既に来月に想いを馳せている。 

2023年

9月

29日

柴犬と夕化粧

今夜は中秋の名月と満月が重なるという宇宙ショーを楽しみにしていた。

 

前日の28日に、気まぐれ天気の可能性もありやと、前日の18時ジャストに8月のスタージャンムーンをバッチリ捉えたスポットに足を運んだ。

 

夕刻5時29分日没、5時32分東から月の出、5時40分が目安との情報をゲットしていたが、5時過ぎからそわそわと落ち着かず、早々と目的地で待つことにした。

 

しかし、昨夜と空の表情が違っていることを案じながら、スポットである橋を行ったり来たりしていた。

 

柴犬が、私の目の前で急に立ち止まり、橋の欄干下の柵から頭を乗り出し覗き込んだ。

 

釘付け状態でびくともしない柴犬が川に落ちないかと心配になった。

 

飼い主はリードを手繰り必死の表情をしている。

 

私も思わずその柴犬が関心を持っている川面を見下ろすと、明かりが点いた屋形船が料理の下準備をしている。

 

嗅覚の鋭い犬は、恐らく下準備中の食材を嗅ぎ付けたのである。

 

リードを握りしめて困惑の表情をしている飼い主に、「ワンちゃん、屋形船の食材が気になっているのでは?」と話しかけた。

 

「ああ、そうなんですね」と、笑みが零れた。

 

頑として動こうとしないフリーズした柴犬と飼い主との綱引きが続いた。

 

見あげた空は、夜空にグレーのベールのような雲が広がっている。

 

小一時間、橋の上で川風に吹かれていた私は寒くなり、踵を返した。

 

楽しみにしていた宇宙ショーは叶わなかったが、道すがら今が盛りの白い

夕化粧が咲き競い、私の心を和ませてくれた。

2023年

9月

28日

プライバシー

今日はプライバシーの日と知る。

 

今朝から天気予報で観測史上最も遅い残暑とか、季節外れの暑さとか、1年の内4分の1が真夏日とか、表現は様々だが、尋常ではない暑さには変わりがないという事である。

 

いつもならば、この季節であれば散歩を兼ねて歩く処、まとわりつくような暑さに、地元を巡回しているバスに乗った。

 

運転席の頭上に運転手の名札を見る習慣がある。

 

処が、名札はなく長い数字が並んでいる。

 

どういう事と想った私の正面にチラシがぶら下がっていた。

 

わざわざ眼鏡をかけて読むまでもないが、どうやら法令でプライバシー保護により名札の変更を報知する内容である。

 

私は名前から、誕生した時にどのような想いで名付けたのだろうかと想いを巡らせるのが、ひとつの楽しみだった。

 

世の中が性善説から性悪説を基準に動き始めたようで、とても心が騒ぎ、寂しい気持ちになった。

 

ならば、脳トレを兼ねて並んでいる数字を足し算すれば、良いとの切り替えて目的地まで足し算、掛け算に夢中になり、目的地を通り過ごすところであった。

2023年

9月

27日

日焼けの跡

ラジオ体操に遅れると外に飛び出した私のおでこに、ポツンと水滴が掛かり、目を凝らしてみると、細かい霧雨が降っている。

 

昨日の朝焼けが遅れて、恐らく昨夜から降っていたのだと想った。

 

何となく朝から出鼻を挫かれた思いで、自宅に引き返し遅ればせながらも

ラジオ体操を始める。

 

今日は循環器科と皮膚科の診察日である。

 

皮膚科は散歩による足の裏のカチンカチンになった足裏のタコを退治を続けて入るが、診察台でソックスを脱いだ時に、アッと気が付いた。

 

くっきりと靴下の跡に、これまで気が付かなかった。

 

嘗てゴルフ三昧を過ごして時、左手にグローブをはめているためにくっきりと跡が点いていた。

 

実は左手の日焼けの後は、トップセールスをしている際に、切っ掛けづくりにとても有効だった。

 

お得意先でまず左手の日焼けに気づくことが、後の会話の手掛かりになるという訳である。

 

今の私は過去の経歴とは異なり、毎日朝晩の散歩の証に他ならない。

しかし、継続は力なりで、いまさら、日焼けに構うことなく足腰を鍛えることが最優先である。

 

如何に、今年の夏の陽射しの厳しさを証明するものであり、何時まで続くのだろうか。

 

秋という季節は訪れるのだろうかと、詮方ない想いを問いかける。

2023年

9月

26日

第7回目のコロナワクチン接種

薄ピンクに染まった雲の夜明けを迎える。

朝焼けは雨になると聞いたが、今日はまた夏が戻ってきた。

 

午前中、第7回目の新型コロナワクチン接種を受けた。

 

既に第9波と医療者からの報告もあり、デルタ株、オミクロン株、更に今回のワクチンには新変異株エリス、ピロラを対象にしているそうだ。

 

何処まで新型コロナウイルスは成長し続けるのだろうか。

 

更に、季節を超えてインフルエンザの流行が予想外と報じられている。

 

接種後、15分の経過観察を終えて、帰宅の途中で、図書館よりリクエストしていた図書の連絡が入った。

 

みすず書房、最相葉月著の「中井久夫 人と仕事」で、私は読書の秋と捉えている。

 

自分の時間を少しずつ取り戻し始めている私にとっては、知の栄養補給が必要であり、楽しみでもある。

2023年

9月

25日

デンタルケア

永年、3か月に一度銀座の歯科クリニックに出かけている。

 

毎回、何らかの日頃の歯磨きに対しての結果が表れる。

 

お陰様で、よそ者の歯はなく、自分の歯を守っているが、今回一寸気になる箇所があり、レントゲンを撮り、2週間後に検査をすることになった。

 

やっと内科と整形外科にも目鼻が付き、ほっとするのも束の間、今度は歯科かと、一寸落ち込んだ。

 

今日はもう一つ、雨の日も付き合ってくれた靴がお疲れで、新しい靴を買う予定でいる。

 

銀座時代からの長年のお気に入りの店によると、さすが、暫くご無沙汰をしていたにも関わらず、おもてなしが素晴らしく、気持ちが和んだ。

 

銀座の町もすっかり街並みが変わり、道行く人は海外の人が占めているといっても過言ではない。

 

コーヒーのもてなしを頂き、マロンケーキを三階から眺めながら、懐かしい銀座の想いを味わうことができた。

 

帰宅すると、保健所から健診の封筒が届いていた。

2023年

9月

24日

爽やか爽やか

秋の季語に「爽やか」があるそうだ。

 

今日は、正に爽やかそのもの、これぞ爽やかと言える素晴らしい日曜日を迎える。

 

思い切り空を仰ぐと、先月亡くなられた洋画家の佐野ぬい氏の「佐野ぬいブルー」一色の空が広がっている。

 

天気予報には「特異日」という表現があるが、今日は「爽やか」の特異日だと想った。

 

更に故郷の「あさくちブルー」を思い出し、深呼吸をした。

 

そろそろ故郷の母校ではさつま芋ほりの野外学習の季節でもある。

 

私も旬の力を頂こうとさつま芋を買い求めた。

 

秋を満喫した日曜日になった。

2023年

9月

23日

どんぐりころころ

暑さ寒さも彼岸までというが、今朝、小さな小さな霧雨の中、ラジオ体操に出掛けると、肌寒さを覚えた。

 

やっと、季節通り長く続いた夏日から脱出し、秋のお彼岸の中日、両親の墓参に出掛けた。

 

余りの人の多さに、墓地にもインバウンドの波が押し寄せている様に驚きを感じた。

 

両親の待つ墓地まで、昨夜の風雨の影響で、じっとりと濡れた道にはたくさんの黄色く色づいた落ち葉と、どんぐりが落ちている。

 

両親の待つ墓地までどんぐりころころ状態で、お池はないものの足元にご用心である。

 

どんぐりと云えば嘗てホームコースのゴルフ場にもこの季節になると、多くのどんぐりが落ちている。

 

メンバーの一人から、アフリカにどんぐりを送るお手伝いをしているので

見付けたら拾ってくれると。

 

ハーフ回っただけでも、ポーチがはち切れるほどの収穫だったことを懐かしく思い出した。

 

夜の散歩に出かけると、シャープな月が澄み切った空にとても綺麗。

2023年

9月

21日

辛抱と忍耐

天気予報士が「暑さも今日一日の辛抱です」と報じていた。

 

連日の熱帯夜、30℃を超える真夏日と暑さとの闘いの日が続いている。

 

辛抱という言葉に、母親が病弱な私に「もうすぐお医者さんが来てくれるから、それまで辛抱してね」と。

 

今考えても我慢という言葉ではなく、辛抱という表現をしていた。

 

辛抱と我慢の違いが気になり、先ずはセピア色の愛用の辞書で調べる。

 

辛抱とは堪え忍ぶこと。我慢をすることで、我慢は耐え忍ぶこと。忍耐とある。

 

堪えると耐えるの違いはとさらに進んで深堀したくなった。

 

残念乍ら、愛用の辞書は同列扱いで、こらえる。もちこたえる。なしうる

できるとあるだけだ。

 

不消化気味の私は、ネットで検索をした。

 

辛抱と我慢の違いは、辛抱は好きなことをするためにたえることで、希望や思いやりといった気持ちが含まれるという。

 

我慢は嫌なことを唯々たえることで、不満や我儘といった気持ちが含まれるとある。

 

そもそも母親の発した辛抱という言葉にはどのような想いを以って、私に発していたのかを知ることである。

 

ネットの検索で、病弱な私に辛抱していると、お医者さんがきっと治してくれるから、待ちましょうというと。

 

母親の深い愛情を改めて噛み締めた。

2023年

9月

20日

プラキストン線

明日の「世界アルツハイマーデー」を前に認知症予防について作業療法士の話を聴く機会があり、参加した。

 

豊富なキャリアにより、非常に分かりやすく、日常生活に抵抗なく受け入れ可能で、有意義なひと時であった。

 

脳トレ体操もメニューの後に、参加者同士のおしゃべりタイムでは、津軽の出身者と話をする。

 

今朝ほど、日本経済新聞のコラム欄「春秋」で、津軽海峡には「プラキストン線」と言われる生物分布の境界があると知り、インプットしていた。

 

初めて知った知識を私は、早速津軽出身者に話をすると、青函トンネルの開通時に、北海道のヒグマがトンネルを伝って、青森に出没するのではないかと、津軽の人は案じたという。

 

プラキストン線を知る人から、北海道のヒグマと本州のツキノワグマは交わることがないと、説明をしたという。

 

ヒグマがトンネルを潜って、本州側に「こんにちは」と姿を現すのを想像し、思わず、笑いをこらえるのが大変だった。

 

北海道の人は、本州からツキノワグマが同じく青函トンネルを潜ることは

と、問いかけると、津軽側の話しか知らないという。

 

東北出身の友人に話すと、「そうよ、北海道はひぐま、本州はツキノワグマときまってるのよ」とさらりと交わされた。

2023年

9月

19日

三日月と飛行機と曼珠沙華

昨日の夕刻、散歩に出かけると見上げた空にくっきりとシャープな三日月が煌々と輝いていた。

 

想うと随分月と出会うことがなく、きょろきょろして探していると、すれ違う人が怪訝な表情をして通り過ぎていく。

 

その先に夜間飛行になるのだろうか、ちらちらと明かりをつけた飛行機が見えた。

 

こちらも想うに、験担ぎをするつもりは無いが、今年の長月は、月も飛行機にも見放されているようで、寂しい気持ちになっていた。

 

41日の闘い後の私は、喉元過ぎればといった生活スタイル等々に逆戻りをしたが、月と飛行機の出会いで奮い立つことができた。

 

近くの学校の植え込みには、夕空に季節の花曼殊沙華が茎をのばし、開化している。

 

明日から秋の彼岸入りに律義に開花するとは、温暖化で不安視しているというのに曼殊沙華が咲いている。

 

嘗ての「雑記帳」に曼殊沙華はサンスクリット語で「天界に咲く花」という意味で、花言葉は「また会う日を楽しみに」と書き留めていた。

 

来年、この季節が廻り、曼殊沙華に出会えるとは限らない。

 

この辺りでもう一度、仕切り直しをしようと気付かされた散歩になった。

 

このような気づきから、グダグダと先延ばしすることは止めて、エイヤーとやると決めた私は、自分でも驚くほど、パワフルに、スムースに進めることができた。

 

今夜も日課である夕刻の散歩に出かけると、風が心なしか秋風だった。

 

途中、スカイツリーが見えるところまで足を伸ばした先に、鮮やかでカラフルな光のモニュメントに、心安らいだ。

 

明日は彼岸入り、季節も変わり目、私も変わらなくちゃ。

2023年

9月

18日

真夏日にカイロ

今朝ラジオ体操で、腰痛には湿布より体操とカイロで回復したという体験談に、納得と早速にカイロを貼った。

 

連日の厳しい暑さに冷房を切ることなく続けているせいか、現在の時刻は17時45分だが、不思議や不思議一向に熱さを覚えないでいる。

 

冬季に使用している時は、途中で熱さを感じ取り外すことも少なくないが

今日はまるで、熱さを感じることも汗をかくこともなく、快適そのもので

痛みも左程、感じることなく快適に過ごしている。

 

先の人は、脊椎管狭窄症と診断され、何とか一日でも早く回復したいと図書館で本を探し、数冊の本から、体操を始め、入浴時には痛みが薄れるとの気づきから、カイロを貼ったという。

 

自力で努力すること、3週間で腰痛から解放されたと聞いた。

 

確かに私も、昨年7月に左足の中指にひびが入った時に、ドクターから装具をつけるか、テープで治すかと提示された際に、即座にテープと答えた。

 

スマホにドクターが巻いてくれたテープの写真を見ながら、テープを巻いた体験から、私も自力で治そうと決めた。

 

今週末は秋の彼岸で、「暑さ寒さも彼岸まで」と、天気予報も今日あたりから季節の移ろいを報じている。

 

兎に角、この腰痛にも何らかの私にプラスを齎すためと想い、兎に角3週間頑張るとしよう。

2023年

9月

17日

レシートの赤いライン

今日は1964年、羽田空港までモノレールが開通した日だそうだ。

 

最近早朝からころころとキャリーバックの音が聞こえる毎日である。

 

未だ夏の主役である高気圧が居座る日が続き、先日の15日には東京も雷雲と共に、ゲリラ豪雨と、数時間は凄まじい時を過ごした。

 

朝から、今日は夕刻まで纏まりのない時間を過ごしている。

 

どうも数日前の腰痛が日を追って痛みが強く成り、とうとう、これまで続けていた自炊をする気力が失せ、とうとう、近くのコンビニに走る。

 

季節がら、味付けを濃くしているのか、口に入れると、その味の濃さに、思わす、箸をおいてしまった。

 

嗚呼、やはりやはりと仕方なく、気を取り直して自炊をすることにした。

 

そういえば、最近「食品ロス」が増加しているとの新聞記事を読んだことを思い出した。

確か毎日、茶碗一杯のご飯が廃棄されていると記憶している。

 

年齢的に「勿体ない」時代に育った私もその一人になるのは、心苦しさを覚え、結局、コンビニ弁当を食した。

 

傍らに、コンビニのレシートがあり、間もなく紙切れを知らせる赤いラインに自分の想いを重ね、今日を機にコンビニ弁当をお終いにしようと、決めた。

 

地元の敬老のお祝いに新米がプレゼントされるそうで、私も初めて仲間入りをして、月末に配布される日を楽しみにしている。

2023年

9月

15日

朝のルーティーン

8月7日から毎朝地元のラジオ体操に参加していて、これまでの長年の朝のルーティーンの変化に戸惑いを生じていた。

 

処が、やっと、朝のルーティーンを取り戻したというより、新しい生活スタイルに順応してくれたとほっとした。

 

出来ればこの状態が明日も続くことを願った。

 

不思議なもので、一日の滑り出しがスムースに運ぶのがとても精神的に落ち着き、年甲斐もなく気合が入る。

 

ひとつ落ちこぼれていたのが、毎朝故郷の母校の小学校のブログを開くのをこの数日間、見過ごして居た。

 

新聞で、天皇陛下が13日に、5月に植えたうるち米ともち米の稲刈りをなさったというニュースに、母校の体験学習の稲作を思い出し、慌ててブログを開いた。

 

13日に母校では環境学習として、花をつけた稲の草取りや害虫処理に取り組んだと知った。

 

この環境学習には私自身、コミュニティスクールのお手伝いをしていた時に、提案した経緯を懐かしく思い出す。

 

当時の校長先生が、参観日に父親を誘っていることを知り、稲作時の草取りや害虫駆除に父親にお手伝いしてもらうという提案である。

 

この提案はその後定着し、今日に至っているものである。

 

昨年3年ぶりに母校の稲刈りに帰郷したのも。そのような経緯があり、思い入れも強かったからである。

 

可愛い白い花をつけている稲を、モグラから守るために、ヒガンバナを植えるそうだ。

 

東京でも、いつの間にかあちらこちらにヒガンバナが開花を待っている。

2023年

9月

14日

痛いの 飛んでけ

腰痛を気にしながらも、思い切ってラジオ体操に出掛ける。

 

見あげた空に雲に、街路樹から強い日差しにも何となく秋を感じる。

 

兎に角、痛い痛いとじっとしているより、身体を動かしていた方が痛さを感じず、未だ残っている「断捨離プロジェクト」を出来れば今日中に片づけたいと目標設定する。

 

お陰様で、夕刻までに目標達成して、一寸ベッドに体を横たえた。

 

まだ、体位によってはギクリと飛び上がるほどの痛みが走る。

 

その痛みを避けるようにして一休みして、夕刻6時から地元の病院の健康セミナーに出掛けるつもりでいたが、気が付いたのが7時過ぎだった。

 

嗚呼、嘆くも既に遅しである。

 

これまでにこのような経験はなく、目が醒めてから、何とも言えない自戒の念に駆られるが、ここで落ち込んではいけないと、気持ちの転換を図るために、散歩に出かける。

 

日没が早く成り、心地よい風に季節の移ろいは始まっていた。

2023年

9月

12日

ぎっくり腰?

ラジオ体操も皆勤で、毎日がやっと順調に進み始めたと想っていた朝、すっかり見違えるほど、綺麗になった自宅を保持するために、今朝も、風呂場の掃除をしている時、腰に嫌~な痛みが走った。

 

今日は「ぼっちの会」の折り返し地点の6回目に当たり、今夏の猛暑で参加者に冷たい麦茶を用意している。

 

近くのスーパーで2リットルの麦茶を購入して、ぶらさげた途端、左腰に

ギクリと痛みを感じた。

一過性と思い込んでいたが、それからの痛みは半端でなく、へっぴり腰の情けない状態に成った。

 

一過性と自分に云い聞かせも、ちょっとした体の動きに微妙に反応するのである。

 

折角これまで、体質改善に努めてきた糸がプツンと切れた。

 

しかし、これまでの努力を無にするわけにはいかず、必ず克服できると云い聞かせ、怯むことなくこの1年半近くの自分の時間を費やすした時間を取り戻すためにも、「痛いの飛んでいけ」と闘い続けた。

 

気の持ちようで、体位によっては痛みを感じず、ほっとさせてくれることもあった。

 

まあまあ、我ながら何と賑やかな毎日かと呆れつつも、何らかの理由があってのことと受け入れるゆとりと、何時かはクリアされるであろう日を楽しみに待つとしよう。

 

しかし、予告なくピリッ、ピクリの痛みは辛いものだ。

2023年

9月

10日

防虫剤と枯れ葉

何気なくチェストに防虫剤のから袋に気が付き、ついでに、クローセットも確認すると、カサカサ状態である。

 

気を付けているはずだが、まだまだ季節感が真夏から切り替え出来ない日々が続いているが、どっこい及ばないところで、静々と進んでいることに驚いた。

 

慌てて、空っぽの袋を除去して、新しく防虫剤を補給する。

やれ、猛暑日だの、真夏日だのと言っているが、思わぬところで、季節が移ろいでいる事を教えられる。

 

又、季節の移ろいの変化の気づきに案じることも否めない。

勇逸のメンタル面での救いであり、散歩コースとして必ず利用している公園の枯葉に異常な温暖化を感じ取る。

 

昨年までの枯葉と今年の枯れの葉の違いに心穏やかでないものを覚える。

 

これまでの枯葉は寿命付きた感がありましたが、今年の枯れ葉はまるでカサカサに乾燥しきった状態で、踏みつけようものならば、粉々になってしまうと一歩で、茎の部分に限界を来し、未だ寿命を残しながら、落葉してい舞うという痛ましい現象である。

 

お陰様で、ダイエットの効果は表れるも、何故か、自然界の律義さと不安映差に心痛む日々を過ごしている。 

2023年

9月

08日

台風インニョン

今朝は、窓ふきの効果覿面で小さな小さな糸のような雨が降っているのが良く見えた。

 

廊下に出ると、2か月ぶりに真夏日から解放されると天気予報で聞いていた通り、ひんやりとした外気が気持ちよかった。

 

今日は明日までのデータ化や、来週からリスキリングノートをスタートするために、ゆっくりと、じっくりと、ノルマを課し、進める日と決めた。

 

雨雲が激しく、また静かに降ったりといった繰り返しが続いていた。

 

部屋に閉じこもっている私には、ラジオから刻々と告げる台風接近の状況を察するだけだった。

 

今回の台風13号は、別名台風インニョンと知った。

 

食事の用意をするだけで、黙々と予定は未定ではなく、達成するために、久しぶりに頑張っている自分に驚いている。

 

少しづつ、生活スタイルにも、活気が戻ってきたようで、思わずスキップをしたいところだが、未だ、苦手な動作の一つだ。

 

空腹を覚え、大好きな蕎麦を湯がきながら、今日はこのまま終日声を発することなく過ごしていると気が付いた。

 

もう一息で、目標のノルマから解放される。

 

今日は24節気の白露、気温だけは25℃に届かなかったようで、季節通りの一日になったようだ。

 

明日は台風一過で、爽やかな青空が広がるのだろうか。

2023年

9月

07日

窓拭き

今朝でラジオ体操を始めて丁度1か月になる。

「新しい朝がきた」だろうか、確かに、これまでの朝のルーティーンから

それなりの収穫を感じている。

 

当初は、これまでの朝のリズムが狂い、体調の変化に工夫を考える時期もあった。

 

色々、試行錯誤しながら、「朝起きは三文の徳」を選び、新型コロナウイルス禍の前の時間帯に戻したのである。

 

およそ、半世紀近くの習慣だった起床時刻がベストのようで、9時までには

雑用も片付き、朝の時間を有効に使えることでストレスにならない。

 

というわけで、「新しい朝」をキャッチしたのである。

 

最近、自宅付近での外装工事やら解体工事やら道路工事など、兎に角、風向きで、窓ガラスが土埃に覆われている。

 

兼ね兼ね、見通しを良くしたいと想いながら、思い切って今日はという気力がなかったが、今朝の私は、これから窓ふきをしようと元気が出た。

 

窓ふきで、窓ガラス磨きまでは至らなかったが、見通しは良くなった。

2023年

9月

06日

神経衰弱ゲーム

先週末に、パソコン、スマホのメタボ解消が終了したと安堵するもつかの間で、今後の目標に繋がる資料のデータ化を見逃がしていた。

 

数日前から、気を取り直し今週末にはと馬力をかける。

 

意外や意外、想像以上の大量な量と、既に紙資料として遺してあるものと

パソコン内に収まっている資料との確認作業が進まない。

 

嘗て、編集者時代の私は、校正で誤字脱字を見付けるスピードと正確さで上司から、ご褒美を頂いたこともある。

 

処が、いわゆる突合せ作業に、考えられない時間が掛かり、頭はフリーズ状態で、堂々廻りである。

 

この様は神経衰弱ゲームと似ていると閃いき、発想の転換ができた。

 

嘗て、母親と私はトランプゲームで競ったもので、その中でも神経衰弱で母親に勝つのが何より励みに楽しんだ記憶がある。

 

今週末に台風の接近が報じられており、更にフリーズ状態を溶かすために散歩を兼ねてスーパーに出かけた。

 

店内は既にハロウィンのデコレ―シャンに変わっている。

店頭に並んでいる果物はすっかり秋の味覚に溢れていた。

 

さあ、今週末までには、もうひと踏ん張り、頑張るとしよう。

2023年

9月

05日

35℃を超える暑さ

9時半に自宅を出て、約ゆっくり歩いて30分、約束先に点いた際は、左程の暑さを感じないでいたが、12時過ぎに用が終わった。

 

外に出ると、ぎらぎらとした強烈な陽射しに、ものの数分あるいただけで

ぐっらと眩暈に、思わずその場に蹲ってしまった。

 

嘗て冷房病で入院治療までした私は、未だにかならず、外出するときは、

ジャケットかストールを持参する。

 

今日も、ジャケットを忘れなかった。

しかも黒いジャケットで、背中がカチカチ山状態であり、先日沸騰状態の暑さを、実感した。

 

ニュースで35℃を超える厳しく猛烈な残暑と知ったが、改めて愛用の辞書によれば「秋になっても残る夏の厚さ」とある。

 

暦の上では立秋、処暑と秋だが、今日の尋常でない暑さに首を傾げる。

 

何時になれば「残暑」の季節が来るのだろうか。

2023年

9月

04日

おうちでラジオ体操

昨夜から夜空を見上げながら、明日は雨で独りで自宅でラジオ体操と想っていたが、やはりしっかり雨が降ったようで、6時過ぎ一時、雨が止んだ。

 

目を凝らしてみると、小さな小さな雨粒が絶え間なく降っている。

 

先月の7日から始めたラジオ体操、日曜日はお休みなので、自宅で今日のように独りで続けている。

 

日曜日と今朝のお天気によってのお休みとは若干の違いを覚える。

 

ラジオ体操を離れて、60年近くご無沙汰ですっかり忘れて、間もなく1か月になるが、覚束ないでいる。

 

空を見あげて、深呼吸と言われても、自宅の天井を見るだけだし、外の新鮮な朝の空気とは異なるので、深呼吸はいつもスルーしている。

 

10時過ぎに雨が止んだので、午前の散歩に出かける。

 

天気予報で33日ぶりに熱帯夜が解消されたと聞いたが、背中を通り過ぎるフォローの風からは真夏の風と違い、心ばかり小さな秋を感じた。

 

12号の台風崩れにより熱帯性低気圧に変わり、自宅から見える空が時々青空に変わる東京だが、関東北部では記録的な強い雨が降っているそうだ。

 

夕刻の散歩に出かけると、30℃を超えない暑さとの予報だったが、やはり

30℃になり、まだまだ、秋は遠からじである。

2023年

9月

03日

カバー率?

昨日の日本経済新聞に「カバー率」という表現の単語が気になっている。

 

恥ずかしい話だが、私は昨日初めて知った次第で、新聞の記事によれば「自然災害が頻発するなか、町会などを基盤とした自主防災組織が、どれだけの世帯が組織の対象となっているかを示す充足率」のことらしい。

 

2018年の西日本豪雨で被災した岡山県が約33ポイントでトップ、2位には2016年の熊本地震以後、自主防災組織の設立をしてきたとある。

 

土曜日の朝、新聞を広げるや故郷の地である「岡山県が1位」との活字が目に飛び込んで来た。

 

更に自主防災組織に対して使用している「カバー率」の表現に初めて触れたからである。

 

カバー率という表現は、防災に限らず、各分野で使われていた。

つまり、総数のうちの何割をカバー、補えるかとできるかと表した数値と落ち着くと、朧気ながらクリアできた。

 

1923年9月1日11時58分、関東大震災が発生、今年が100年に当たり、被災を機に、私たちは防災に対する教訓を問いただす日が続いている。

 

その防災に関するカバー率の関連記事が地域経済面に掲載されていた。

 

高齢化が進む中で、若い世代特に記事によれば、小中学校に、建設のプロにより被災時に使うジャッキの使い方とか、家具の転倒防止器具の扱い方などの実践訓練を学びに取り入れるという。

 

ある小学校では「コミュニティスクール」のメニューとして、防災時に必要とされるボランティアなどの数々の活動が紹介されている。

 

コロナ拡大前、故郷の母校の小学校で「コミュニティスクール」のお手伝いをしていたことを懐かしく思い出していた。

 

正午前に外に出ると、散歩コースの公園の方から何やら子どもたちの元気な声が聞こえて来た。

 

地域の児童館による「下町こども工房~トントン じっくり つくりたいじー~」で、子どもたちが木工作品にトライしていた。

 

工具を使う体験は、防災時に役に立つのではないかと思いながら、そっと

頑張っている子ども達にエールを送った。

2023年

9月

02日

データの一元化

第一目標の断捨離プロジェクトの出口が見えて来た。

 

断捨離と、取捨選択を私は同一視している。

 

唯、闇雲に捨てればよいというのではなく、優劣をつけた仕分け作業が前段階である。

 

わが地区の資源回収日が土曜日に当たり、新聞雑誌等々にしても果たして資源ごみに該当するか、一応再度確認することにしている。

 

私は定期的にデータのバックアップを心がけている。

 

何故かというと、現在振り返っても、私の後ろには肉親は誰もいないという立場にいる事を意味しており、4歳から始まる手術は7回経験している。

 

このような事情により、何時なんどき三途の川を渡るかも、或いは天国でボランティアが必要との声が掛かるかもしれないと想うと、常に身辺整理をしておかねばと想うようになっていた。

 

50代前半で両親を亡くしているのも起因しているかもしれない。

父親の几帳面さは半端でなく、恐らく私は刷り込まれているようだ。

 

2020年の手術前に、私はプロにデータのバックアップを依頼し、病室のセーフティボックスに忍ばせていた。

 

3年間のうちにすっかり、メタボになったデータの治療としてバックアップが必要になったのである。

 

今回の断捨離プロジェクトは、見えるもの見えないものなどの広範囲に及ぶ内の一つがデータのバックアップである。

 

未だ、アナログ人間寄りの私は今回も失敗を恐れ、プロの力を借りる。

 

データ資料を渡しながら、恐らく次回はスリム化していると想っている。 

2023年

9月

01日

アップリスキリング

3年前の2020年、私は2014年に自宅で転倒し、頭部の傷を縫合後、ドクターから、左の耳の下に「こぶ」があり、脳神経外科に受診した。

 

その結果1・4センチ大で、20年近くお頭に発症していた髄膜種との診断で

取り敢えず、経過措置を続けていた。

 

6年後、かかりつけの病院に相談した処、MRI検査の画像に何と、3センチ大に育っていた。

 

場所的に限界で、手術をする診断が下された。

綿密な検査後、翌2日の9時からの手術の為に、前日の1日に入院した。

 

8月にカテーテル検査で気に入った病室であり、勝手知っているおり不安はなく、術後、病室の窓から見える景色を楽しみという能天気だった。

 

ベッドの真正面からスカイツリー、飛行機、月と刻々と変化する空と雲のコラボも加わり、最高のホスピタリーに恵まれた。

 

些か前置きが長くなったが、これからが今日、長月に入り、気が早いようだが、2023年も残す処、4が月である。

 

「寛解」して、3年を経て4年目に突入する今日、2020年の12時間の術後何ら、副作用もなく健康を取り戻している。

 

丁度、コロナ禍と重なり、3年間、思うように自分の生活スタイルを不器用な私は保持することができなく、心身ともに苦しんでいた時期と重なる。

 

今年の5月、コロナが2類から5類に移行されたことで、元の日常生活を取り戻せると想っていたが、諸般の事情で、思い通りに成らなかった。

 

やがて「41日間の闘い」に至り、先月、闘いの成果に、怠慢だった日々と真剣に向き合う気力が芽生えたのである。

 

その第一段階が「断捨離プロジェクト」に始まり、次の目標は「アップリスキリング」である。

 

嘗て15年近くコツコツと「雑記帳」と名付けて、自分にとって必要とされる「知の泉」を書き留めていたのである。

 

この3年間にすっかり出し尽くし、「知の枯渇」に気づき、心身ともに何とか正常値を取り戻した今、枯渇を取り脅さなければと思い立った。

 

「雑記帳」に続く「リスキリングノート」により「知の枯渇」から「知の泉」にしたいと想っている。