2024年

2月

29日

海老で鯛を釣る

お陰様で、もやもや感も解消、急に食欲が出て来た。

 

夕刻パソコン教室から帰る途中で、空腹感を覚えた。

果たしてリノベーション中の私にとっては、良いのか悪いのか悩ましい問題である。

 

今日は4年に一度のうるう年だし、今夜は食べたいものを食べようと、直ぐに固き決意が消え失せて、スーパー方向を歩いている。

 

公園を横切ろうとしたとき、かのレディが走ってくるのが見えた。

もう、可愛い可愛いの存在で、幸運の女神に見える。

 

瀬戸内で育った私は、白身の魚のお造りと海老、蛸、貝類の握りが好きで気が付くと籠に入っていることが多い。

 

鮮魚コーナーで、今日もワンパターンではあるが、真鯛のお刺身と海老の握り5貫をゲットした。

 

お吸い物も欲しくなり、故郷の香りのする「播磨の雫」という生牡蠣と季節がら美味しい青菜の小松菜を追加した。

 

「海老で鯛を釣る」といったメニューに、頭の奥底には新しいスタート地点に立っていることに対する期待の表れだろうか。

 

明日から弥生三月、「春」になる。

2024年

2月

28日

頑張ろうかな

先週末の情けない疲労感は何処柄やら、身の程知らずのじっとしていられない癖が戻ってきた。

 

改めてマグロちゃんというニックネームそのものである。

 

隣接する図書館の掲示板に、図書館活用講座で「ビブリオバトル」の案内が気になって仕方がない。

 

最近というか久しく小説を読んでいない私は悩んでいるからである。

 

手に取る書籍は哲学や心理系が多く、小説はと、パソコン内のエクセルで

参考文献リストの一覧を見ても、それらしきものは見当たらない。

 

そんな時、私は当てもなく散歩に出かけるのである。

 

久し振りにお馴染みのダックスフンドのレディが私を見付けて、尾っぽをちぎれんばかりに振りながら飛びついてきた。

 

思わず抱きかかえると、視界が広く成るせいか満足げな表情になる。

 

その時、抱きかかえているレディの温もりから、ある小説が閃いた。

 

その足で、図書館に立ち寄り閃いた図書を借りた。

 

既に図書館の開館時刻を過ぎていたが、申し込みフォームを送信した。

2024年

2月

26日

リノベーション

昨夜から、目が冴えて落ち着かない。

 

コロナ禍ですっかりコロナ太りになり、ラジオ体操に行ってもジャンプはどうしてもできなく歯痒い思いをしている。

 

お気に入りのスーツはクローゼットで取り出す機会も程遠く、コロナ禍からは専ら自由が利くゴム入りといったスタイルが続いて久しい。

 

外出といえば、スーパーと散歩にといった程度で、緊張する場が少なく成ったせいもある。

友人たちは全然変わりないと不思議がる。

 

数値的に体重と言い、先日の健診結果で如実に表出している。

 

思い切って20日前に、わがボディのリニューアルを試したところ、その快適さに本格的に70代最後を機に身体的断捨離を決めた。

 

週に一度のペースで、わが身の断捨離、リニューアルがスタートした。

それに追随して、食生活の改善もあり、生まれ変われるといった楽しさを覚えている。

2024年

2月

24日

lineラッシュ

昨日23日の寒さと言い、久しぶりの滝のような窓ガラスの結露に驚いた。

 

気温の変化の激しさについていけなくなった私は、とうとうダウン。

起きるのが辛く、そのままベッドと仲良しをしてしまう。

 

少し休息すればと安易に考えていたが、一向に起き上がる気力がない。

 

しかし、どういうわけか、スマホはlineラッシュで、出来ればもう逃げ出したい位で、休むどころか「既読」だけでは済まないものが多く、疲れた。

 

唯、今夜は小さな満月と言われ、スマホに撮るのを楽しみに、それまでに体調回復を願っていたが、とうとう、寒気を感じた。

 

熱を計ると、微熱程度であったが、起きて満月をスマホにという気力は失せて、只管横になって居たかった。

 

ベランダから空を見あげても、雲が一面が広がっており諦めた。

その後も、lineラッシュに疲れ果てた一日になった。

 

天気予報によれば、25、26日と風冷えが続くそうだ。

2024年

2月

22日

沈丁花の香り

雨天のため、今日のラジオ体操は自宅で済ませる。

 

今年に入り意を決して永年ご無沙汰していたパソコン教室で学び直しを始めて、早や二か月を迎えようとしている。

 

パソコン教室に向かう通りには、様々な花との出会いが楽しく、パチリパチリと道草を楽しんでいた。

 

雨上がりの午後、重苦しい空気を感じながらも、ツーンと鼻に届いたのが大好きな3大香木の一つである沈丁花の花の蕾から発する香りである。

 

やはり温暖化のせいだろうか、すっかり、花と共に香りも全て満足できる成長ぶりに思わず立ち止まり、自然のプレゼントに見とれてしまった。

 

日本経済新聞の夕刊によれば、1989年ら84年ぶりの終値の最高値を付けたとの報道に、実感が伴わないでいるのは私だけであろうか。

 

それよりも、いつもより早い開花に喜ぶより、寧ろ、自然界にも誤算が生じないことを願いながら、香り始めた沈丁花に人災の責任を想い苦しんでしまう複雑な心境である。

2024年

2月

20日

俎板の上のマグロ

相変わらずラジオ深夜便に耳を傾けながら、日付が今日20日に変わったと同時に、ベッドから抜け出しパソコンを開く。

 

昨日から落ち着かないでいた気弱な私?が、深夜にも関わらず、ひとりで

ガッツポーズをした。

 

今回のテーマを400字以内にまとめるのは悩ましく苦しんだのが正直な気持ちであった。

 

当初から決めていた秘かな約束を守りたいとの一心しかなかった。

 

先人の言葉が頭の中を駆け巡る。

 

宮澤賢治の「何か書いてしまったあと 胸につかえたものが残っているようなら それを消してからでないと あと書いてはいけないようです」

 

先日14日の日本経済新聞に掲載されていた19世紀の思想家ヘンリー・ディヴィット・ソローの「振り返らずに後ろを見るくらいに自分を見つめることは困難である」の如き、深みに嵌った。

 

恥を受け入れる、頭をかく、汗をかいても良しと纏めた次第である。

 

採用されたことで、私はこれからも休むことなく泳ぎ続ける力を頂いた。

 

間もなく弥生3月の声を聞くや、年輪が一つ増えて79歳に成るが、年齢に左右されることなくマイウエイであり続けたい、回遊し続けたいと。

2024年

2月

18日

「火焔太鼓」の思い出

嘗て、ホスピスともいわれる緩和ケア病棟で話し相手として、病院ボランティアをしていた。

 

ホールにある落語のCDを楽しみにしている患者様が、私にも同席して落語をと勧められた。

 

必ず古今亭志ん生の「火焔太鼓」を希望する方でした。

 

残念ながら、途中で席を外すことが多く、通しで聞くことがなかった。

今夜も、枕もとでは相変わらず、ラジオ深夜便がBJMで、オールナイトで流れている。

 

18日の1時台、名人芸を味わう・話芸100選で、初代古今亭志ん五の「火焔太鼓」との案内が聞こえた。

 

やっと落ち着いて聞けるというか「味わう」ことが叶った。

 

いつも苦虫をつぶしたような父親だが、頭を和らげるに落語が良いと言って、楽しみにしていた。

 

緩和ケア病棟の患者様を思い出すことが多く、落語を味わっていた方からも色々と活躍した時代の話を遠くを見ながら、懐かしそうに話していた。

 

初代古今亭志ん五による軽快な語り口に、最後の結末の展開が気になり、

すっかり眠気は無くなった。

 

確かに父親曰く、すっかり頭の固さが取れ、その後睡魔に襲われ、目覚まし時計に起こされ朝を迎えた。

2024年

2月

17日

倖せになる絵本

図書館からリクエストしていた絵本を開く。

 

確か先日11日の日曜日、ラジオ体操の始まる前に、NHKラジオで「落合恵子の『大人の絵本』」で、キャッチした絵本で、心待ちにしていた。

 

昨年、講談社から刊行されているが、私は1997年新潮社刊のおーなり由子著「幸福な質問」という絵本である。

 

昨日の健康診断の結果で、私は大いに反省しなければいけない数値が気になって、心が騒いで仕方ない時に、タイミング良く、連絡が入った。

 

何と大好きなワンちゃん、しかもダックスフンドのレディちゃんを彷彿とさせる著者自身によるイラストの穏やかで優しいまなざしを感じた。

 

こんなに愛情を感じる二人の会話に、ガサガサしている私は何時しか笑顔になっている。

 

一つ一つの会話が何とも言えず、地球全体が危なげな揺らぎを感じる時代にあらゆる人にお勧めしたいと思った。

 

 次は、タイトルにも魅力を感じる2018年講談社文庫の「きれいな色とことば」もリクエストの予定でいる。 

2024年

2月

16日

冷たい風

本格的な春までには三寒四温と言われているが、今年のようにころころと猫の目のように変わる気温に振り回されている。

 

特に外出先から帰宅する夕刻は特にジェットコースターのように気温が下がり、風邪をひきそうになった。

 

どうにも寒くて、例え目下減量中でも、風邪をひいたら、何にもならないと、全く身勝手なこじつけが頭を過る。

 

もう、頭の中は「うな重」しか考えられず、今日は逆にエレルギーチャージをするに限ると、足取りも軽く「こんばんは」である。

 

冷え切った体も温まり、ああ、美味しかったと思ったのは束の間である。

 

ああ、何て私は意志薄弱なんだろうと後悔が頭中に広がる。

明日からもう一度、リセット・リセットと反省然りである。

 

ポストに先日の健康診断結果の封筒が入っていた。

嫌な予感に襲われ、封を開くのが怖くもあるが現実と向き合わねばと鋏で封を切る。

2024年

2月

15日

春一番が吹く

今朝、エレベーターに今日は「春一番」名付けの日とある。

 

天気予報士も、関東地方に「春一番」との予報を聞いていたが、午後の外出の予定があり、確かに、時折、強い風に全身を身構えて歩いた。

 

ところどころで自転車が横倒しになっており、ズバリ「春一番」である。

 

何となく体が強張り、疲労感を覚えた。

 

丁度、昨日ラジオ体操で、男性ばかりでなく女性もバレンタインデーよとチョコレートを頂いたのを思い出し、バックからポンと口に運ぶ。

 

体中に広がり、元気が出た。

 

夕刻、レディに会えるかなと公園に出かけると、会えました。

何時しか、春一番の風も収まっていた。

2024年

2月

13日

良い日になった

今日は今年の3月から地域社会の高齢者を対象に月に一度、井戸端会議というか、お喋りの会を立ち上げて、やっと、軌道に乗って来た。

 

他愛ない会話の中から、思いがけない気づきがあり、話に花が咲き、集まった人が笑顔になっていく過程を見るのは、これまでの苦労を忘れる。

 

お互いに気心が知れるまで、昔遊びと言われる綾取り、しりとりゲーム

季節の童謡などを通して、参加者の全員が声を発することから始めた。

 

半年近く続けているうちにお互いが顔なじみになり、ワンチームになり始めたところで、次なる計画に移った。

 

日頃の話題や、自分の近況報告など、自発的に話をする場になってきた。

昼食後の午後の2時間、月に一度、集まった人から思いがけない発見をしたり、ああ、立ち上げて良かったと思った。

 

夕刻、近くの公園で、ダックスフンドのレディが私を見付けて、アイコンタクトを取りながら一目散に短い足で走り寄ってきた。

 

思わず、抱きかかえると、必死に駆けて来たので、心臓の鼓動が私の手に伝わってくる。

 

かれこれ、家族の一員であった犬との生活から凡そ、30年の時が流れ、すっかり犬との関わりが無くなっていたが、今、大体一週間に一度は彼のレディに会うのが楽しみになっている。

 

見あげた空に、スリムな月が輝いていた。

 

午後の交流に続き、レディとシャープな月に心が和んだ。

2024年

2月

12日

春菊に逆さ水

先日、魚肉ソーセージを購入した際に、春菊も買い求めた。

 

無機質で殺風景な部屋なので、春菊、ホウレンソウ、小松菜、パセリを買い求めると、ガラスの花瓶に活け乍ら少しづつ調理をしている。

 

うっかりして、そのまま放置していたところ、ぐったりしてしまった。

「青菜に塩」といった状態である。

 

慌てて、さながら生け花の如く、春菊の逆さ水を試みた。

 

その後、いつものように花瓶に活けたが、青色吐息といった状態になってしまった。

未だ風味も歯触りの感触もあるので、明日中には春菊のゴマ汚しと、三杯酢に、茎は刻んで御御御付けにしようと考えている。

 

生野菜にはもっと気配りが必要だと反省している。

2024年

2月

11日

もう一匹の忠犬ハチ公

2024年の札幌雪まつりも今日で終了する。

 

それで、思い出したのは、東京に5日から6日にかけて雪が降った際に、渋谷の忠犬ハチ公の銅像の前に、雪像の忠犬ハチ公が出現したという話を、

ラジオ深夜便で知った。

 

何でも、もう一匹更に小さいハチ公があったそうだが、残念ながら、3匹目はすぐに溶けてしまったという。

 

慌ててベッドから起きてネットで検索するとアップされていました。

銅像にそっくりで、特徴も良くとらえており、素晴らしい出来栄えに、スマホに取り込んだ。

 

確か、昨年、忠犬ハチ公の生誕100周年だと記憶している。

製作者はそのあたりも心に留めていたのだろうか。

毎日、必ずと言ってよいほど、スマホにアップした写真を見ては、心豊かになる日が続いている。

2024年

2月

10日

旧正月からレッツゴー

今日は2024年、旧正月。

そして新月、今夜はお月様は姿をみせず、明日から少しずつ満月に向かってふっくらを続ける。

 

今年を昭和にすると、昭和99年に当たるそうだ。

 

地方によっては旧盆でお迎えする習わしは今でも健在であるが、それに比べると旧正月は影が薄いように思える。

 

如月2月になって、私の身辺は意外にこれまでとは異なる状況が続いており

次なるリセットの始まりと感じている。

 

今後の努力次第で、自ずと答えは出てくるといった毎日の積み重ねが必要となる。

 

適度な緊張を必要としながら、過ごすのも考えようによっては楽しみに繋がる。

 

2024年も41日を経て、また新しい気持ちになれるという旧正月にとても

得をしたような想いになる。

 

一昨年7月から、整形外科との縁が切れない状態が続いているが、素人判断であるが、体重の増加は二足歩行で支えている足に負担がかかるのは至極当然である。

 

それなりの専門書を読み漁った結果、急激な体重増加は持ちこたえられないと思う。

 

ドクターから足首が細いねと言われたが、恐らく長年の体重から5年近くで増加した体重は足首に堪えているに違いない。

 

依って、減量作戦をプロの力と、自助努力のコラボで始めるのである。

納得できる日は何時頃だろうかと、その日を楽しみにレッツゴー。

2024年

2月

09日

魚肉ソーセージ

昨夕、お世話になっている病院の健康講座で、「高齢者の骨折予防」について帰宅、カルシュームの摂取を心掛けねばとスーパーに立ち寄る。

 

嘗て魚肉ソーセージにはカルシュームを豊富に含んでいると聞いた記憶がある。

 

スーパーは来週のバレンタインデーを前に、相変わらずチョコレートのオンパレードと、3月のひな祭りの雛あられが並んでいる。

 

その一角に「桃の花」も登場している。

 

年々の温暖化ではないが、季節の早撮り作戦もスピードを増している。

 

先日、私は京都の豆富のべっこう飴「鬼の足跡」を見付け、懐かしく買い求めたばかりである。

 

気を付けないと肝心の魚肉ソーセージを忘れそうになる。

 

今日は、昨日買い求めた魚肉ソーセージを頂いた。

実はソーセージは、これまでに買い求めた経験がなく、増してや魚肉ソーセージも然りである。

 

生臭さもなく、さっぱりとした味で、しっかりとした硬さに歯ごたえを感じながら美味しく、レギュラーに加えようと思った。

 

兎に角、歳を重ねるという事は、きょろきょろして骨折をしないように心掛けると共に、私にはもう一つメタボ解消という宿題が続く。

2024年

2月

08日

寓意画

愛読紙の日本経済新聞の朝刊を開いて、目に飛び込んで来たのは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」が掲載されていた。

 

文化面にあらゆる角度から絵画、写真、書等々を10回の連載で紹介しているものである。

 

彼の絵画は美術史家 三浦篤氏による「寓意画をよむ」の第5回に掲載されたのである。

 

私といえば、不謹慎にも彼の絵画にマスクを付けたらといった飛んでもない発想で昨年末「読むカフェ」に「マスク越しのまなざし」と題して投稿したのである。

 

三浦氏によれば風俗画に分類され、裕福な青年が騙されるという危険への戒めという教訓性を含み、よって寓意性を持つ風俗画とある。

 

三浦氏も、女性たちの目の動きの怪しさに触れている点で、良からぬ思いであるマスクをつけたくなるような目の表情だけは、私も同じ想いだったと知り、嬉しくなった。

2024年

2月

07日

自分に投資

一昨日からの雷を伴った雪は水分が多いせいか、自宅の周囲は大きな水たまりができていたが、最近の歩道は吸湿性の敷石を使用しているので、既に乾いており、ラジオ体操にも出かけられた。

 

今日は、主治医のドクターから、昨年末の健康診断の結果についての説明があり、やはり、身体が証明している通りの結果が重なった。

 

何度も、今日から「自炊、自炊」と唱えながら、ついつい、お付き合いが良すぎてわが身に降りかかってきているのである。

 

結果がすべてを示している。

 

もうこれきっり、これっ切りと、自分に厳しくしようと言い聞かせる。

 

自分に投資することもドクターにも報告というか約束をしたのである。

結果を楽しみながら心身ともに軽快な日々を取り戻そうと思っている。

 

暦の上では「春」だが、やはり私にも春の訪れを感じている。

2024年

2月

05日

初めての経験

数日前から、東京都心にも降雪予報が出ていた。

 

しかし、雪にもめげず私はある目的で頭がパンパンになっていた。

 

それは2020年、脳神経外科の術後、リハビリを兼ねた2週間で何と2㎏、体重が増えたまま、新型コロナとの生活状態も愛重なり、日を追ってこれまでに経験したことのない体重が増えて来た。

 

自分の体がこんなに重くなるとは信じられなく、わが身を持て余している日々が続いてきた。

 

人は私を上から下まで見て、「太ってるとはみえない」というが、本当に重くて重くて。

 

人様には見えなくても、「隠れメタボ」だと認識し苦しんでいる。

 

私の個人的判断であるが、皮下脂肪型肥満と言われる「洋ナシ型」だと思っている。

 

4年間の蓄積した下腹部、腰回り、御尻、太ももの脂肪をそぎ落としたいと、とうとう「プロの力」を借りることにしたスタートの日である。

 

初めての経験に緊張するも、約90分後、パンツを穿くとお尻にゆとりを覚えると共に、身体の軽さを覚えた。

 

外に出ると、大粒の雪が舞っており、ダウンにドットコム状に降り注ぎ、傘が重くなるのを感じながらも、心は軽かった。

2024年

2月

04日

つぶらな瞳

此処、数か月散歩コースの公園で、ダックスフンドのワンちゃんに出合っている。

 

犬派の私としては、ワンちゃんとの縁が無くなって久しく、話しかけることもなく無言の自宅との縁が長い。

 

夕刻、考え事をしながら公園を歩いている時に、視線を感じた。

 

何と、あのワンちゃんが私を見付けて一目散に走ってきたその瞳は只管に私とアイコンタクトを取りたくての一途さが伝わってくる。

 

飼い主はワンちゃんの落とし物を処理している最中で、リードが勢いよく伸びているのに慌てていたが、状況を分かり、笑顔になった。

 

全身から、私を迎え入れてくれる表情が、目に表れている。

思わず「わあい、会えた~」と私も全身で受け抱きかかえた。

 

そういえば最近、こんなに私を「ウエルカム」してもらえる相手にはお目に掛からないだけに、嬉しさで胸が熱くなった。

 

ワンちゃんの純粋さに、如何に私は邪心が多いことか。

2024年

2月

03日

カナダも温暖化

嘗て病院ボランティアを募集して間もなく、終末期の患者様に学びたいと

20代の青年が申し出てきた出会いに始まった。

後に結婚をした青年は二人の子どもたちに恵まれ、その子供たちの成長にはとカナダに移住の道を選んだ。

 

今年も今日3日が誕生日の為、欠かさずにメールを送信している。

 

早速、彼からの連絡によれば、カナダも温暖化という。

 

嘗ては東京オリンピックには、帰国したいとの想いもコロナウイルスにより想いは叶わずにいるが、取り敢えず、元気でいる事だけは確認できた。

 

いずれしても、縁ある人が健やかで日常を過ごしている最小限の倖せ度に

良しとしなければと、それは私自身に置き換えても言える。

2024年

2月

02日

一枚のチラシ

毎朝ポストのチラシにも関心、興味を持ってしまう。

 

兼ねてより、ラジオ体操でジャンプができない、これまでの長年お付き合いをしてきた体より、ずっしりと重さを感じ、必死に努力してきた積りだが、改善の兆しは見えない。

 

そんな悩みを解決してくれる悩みに投函されていた一枚のチラシに、私は賭けてみようと思ったのである。

 

素人判断でできる事できないことがあることは周知の事実である。

 

早速ネットで情報の確認後、納得できた。

 

こうした時のネットの便利さも有難かったと共に、慎重に見極める学びも必要であり、これぞ自己責任である。

 

もうそう思った時には案内先の電話にダイヤルをしていた。

 

興味と共に「プロの力」を借りる時に来ていると判断した私は、申し込んだ後の何とも言えない解放感に、「これで良かったのだ」と想った。

 

いずれ、結果報告をお待ちください

2024年

2月

01日

如月が始まる

今日から如月。

2024年を迎えて、早や31日が過ぎた。

 

新しく変わった如月を今日からどのように、作り成していこうかと考えている時間が楽しい。

 

暦の上では春を迎えるが、体感としてはまだ冬として向き合っていかなければとの想いが強い。

 

先月からの目標値である「減」について、今一歩掘り下げようと優先順位を決めようと、頭はクルクル目まぐるしく回転している。

 

ラジオ体操を始めて気が付いたのは、ジャンプができないという現実に、

毎朝、コロナ禍からの体重の増加は、78歳の人世において我ながら驚きをもっている。

 

つまり身軽さが失われてしまったことは悔しく、何としても数年前の体型に戻すことが最優先の目標、課題だと思っている。

 

と、同時スタートしたいのはスマートフォン内の整理を並行しようと。

 

「減の如月」の始まり、始まりである。