2024年

5月

31日

メイストームに翻弄

昨日と打って変わった冷たい雨に見舞われ、寒い。

やはり、メイストームと言われるにぴったりの、皐月最後の日を迎える。

 

久しぶりに友人とランチの約束をしたものの、空を見上げながら、ラインでやり取りするも決めかね、約束の時間だけは律儀に進んでいる。

 

ランチ一つでストレスになるとは馬鹿らしく、友人に「私は晴れ女」と、啖呵を切った。

 

不思議や不思議、約束の時刻には、微かだが、お日様も顔を出し始めた。

 

約束のお店で、前日までの高温のせいか、頭上を冷風が勢いよく、くしゃみを連発、手足まで冷たくすっかり冷えてしまった。

 

帰宅して、熱いお茶を立て続けに数杯飲んでも、寒気は取れず、とうとう

風邪の症状になってしまった。

 

お布団をかけて、いつもの風邪薬を飲んでベッドインするしかない。

 

体調は絶好調と自惚れていたが、いまだに我がサーモメーターは調整中であり、メイストームには勝てなかった。

2024年

5月

30日

折り込みチラシ

毎朝ラジオ体操の帰りにメールボックスの朝刊を取り出すのが、いくつかの朝のルーティンの一つである。

 

いつもより手に取った新聞が軽く感じた。

間違いなく感触は正確で、なんと、2週続けて折り込みチラシが皆無だ。

 

これまで長く購読している新聞で、初めての経験である。

 

それに代わり一面広告が広げるや目に飛び込んでくる。

どちらにしても、私は総じて広告はチラシをはじめ、時代の流れ、風潮等をキャッチできるから、楽しみでもある。

 

週末特に金曜日は、不動産や旅行関係のチラシが多く、各社競うように入っているからである。

 

オーバーツーリズムで、故郷も遠くなりつつある一抹の寂しさをチラシが心の隙間を埋め合わせてくれる。

 

因みに、今日は語呂合わせで「ゴミの日」だそうだ。

 

ゴミとして、スルーするか、私のように楽しませていただいた後に、資源ごみとするか、チラシ一つにして個別化される時代である。

2024年

5月

28日

紫陽花の開花宣言

今朝ほど、何気なくラジオを聞いていたところ、気象庁で紫陽花の開花宣言をしたという。

 

桜と同様に、梅雨の花紫陽花も季節観測の一つだと知る。

さらにネットで検索すると、各県の標本木の「真花」が2~3輪咲いた状態になった最初の日だそうだ。

 

ふと、邪な想いが走った。

紫陽花の花のどの部分が花に該当するのか、この季節、話題になる。

 

各県の標本木とやらも、種々雑多なのだろうか。

 

朝から、霧雨が続き自宅で独りラジオ体操を終えた後に、紫陽花の話題に

すでに季節も急ぎ足で、梅雨の季節を紫陽花とともに迎えようとしているようだ。

2024年

5月

24日

医療ボランティアがしたい

午後より骨粗鬆症の治療薬として服用しているが、奥歯が浮いた感覚で、痛みを伴う問い反応が出た。。

 

ドクターに報告、良かれと服用していた薬のうち、一種類を経過観察とし

係りつけの歯科医と相談することになり、まずは一歩改善方向に向かって

前進できた。

 

そうなると、体調の状態が頗る良く、じっとしていられない本来のマグロちゃんが頭を擡げる。

 

嘗て、緩和ケア病棟でボランティアをしていた当時が妙に懐かしく、日を

追って頭の中に広がってきた。

 

まだ、時期が熟してないとは察するも、受け入れ側にノックしておきたいとの想いから、担当者に伝えることにした。

 

どうも、2月末からのエステの効果だろうか、矢鱈に勢いついている今日この頃である。

2024年

5月

21日

高齢者との交流

新型コロナ禍の中、社会との関りが制約される息苦しさに、私は何とかして外の風が恋しく、一刻も早く飛び出したいとの思いが駆け巡っていた。

 

じっとしているのが苦手な私は、マグロちゃんと言われているのに、このままでは失速、窒息死するのではないかともがき続けた。

 

アップアップしている私に友人は、「今の苦しみは生むために必要なのよ

何かを始めようとしているのね」と、さらりと言いのける。

 

その通り、2022年末に地域の独りぼっちの高齢者に、気楽におしゃべりの

できる交流の場として「ぼっちの会」を立ち上げた。

 

敢えて「ひとり」という表現には「一人」と「独り」の両者に拘った。

 

独りぼっちには、身内が少ない、子供たちとは別世帯、日中話し相手がいないとか、一人住まい等々、と相手の気持ちを尊重する場とした。

 

難産だったが、3年目に突入した。

 

こじんまりと「ぼちぼち」と途切れなく続いている。

 

別れ際には、表情が和らいでいるのが何より支えに繋がっている。

 

そんな矢先、5月15日の日本経済新聞の見出しに高齢者「孤独死」1.7万人とある。

 

年間にすれば、約6万8千人の高齢者が独居状態で死亡と続く。

 

背筋が寒くなる想いとともに、紛れもなく私も「独居老人」に仕分けされるわけで、「ぼっちの会」はもしかしたら私が一番必要としている場ではないだろうか。

2024年

5月

17日

ゆで卵の割り方

久しぶりに隣接する図書館の学習室で、昼食までの時間を過ごす。

 

そろそろ、資料整理が追い付かず、只今パソコンがドック入りのため、良い機会と紙資料を抱えて3時間近く、まるで神経衰弱のゲームさながらに

広げた。

 

実は学習室利用の本命は昨日16日の日本経済新聞のプロムナードに、英文学者の阿部公彦氏が、ガリヴァー旅行記の「ゆで卵論争」を読んで大いに関心を持ったからである。

 

早速、ガリヴァー旅行記を借りて、自宅から持ってきた資料は脇に置き、

掲載されている第一遍の「ゆで卵論争」のページを探した。

 

「卵を食べるのに、大きい方の端をまず割るのが大昔からの決まったやり方です」と言い切っている。

 

人生も終末期に達してきた私は未だに、ゆで卵の茹で方が下手である。

茹でている内に、殻に割れ目が入ってしまうのである。

 

よってゆで卵を割るという形態には、私の場合は不可能である。

 

図書館を出て、コンビニでゆで卵を2個購入し、大きい方の端からと、小さい方の端からと試みた。

 

結果として、論争になるほどの違いを感じなかった。

2024年

5月

15日

ノートパソコンが熱中症

いつものように一連の朝のルーティンを済ませ、今日は2か月に一度の循環器内科の診察日である。

 

その前に、パソコンを開いて、メール等の確認をするのも、ルーティンといえる毎日が過ぎるはずであった。

 

ところが、スイッチを入れると数秒で消えてしまう。

 

再起動を試みたり、わずかな知識が頭を慌ただしく駆け巡るも、頑として

作動しないのである。

 

診察時刻も迫り、とりあえず、わが身の健康あってのパソコンも熟せる訳で、後ろ髪を引かれる思いで、病院に急ぐ。

 

循環器内科は、長年の高血圧気味から、やっと、正常値に戻り、薬も少なくなり、適正数値を取り戻した。

 

やはり食事療法をはじめ、努力の甲斐があったと嬉しい反面、相棒のパソコンの具合が優れないとは、一難去ってまた一難である。

 

昼食もそこそこに、買い求めた量販店に持ち込む。

 

連日暑い日が続いているが、なんとパソコンが熱中症になってしまった。

 

専門的には、「熱爆走により、起動後数分で落ちる。本体の廃熱用の『FAN』が作動していないことが発覚」、メーカー修理が必要との診断が出た。

 

とりあえず、専門家の力に委ねるより仕方がない。

 

機械にも当たり外れがあるというが、購入してまだ3年も経ていないのにと悔しさを抑えきれなかった。

 

体調も回復した私は、一時的なパニックになったが、我が家に着く頃には

事実を静かに受け止めていた。

2024年

5月

14日

音楽の力

嘗て、緩和ケア病棟でボランティアをしているときに、音楽療法を取り入れていた。

 

今日の午後、オレンジカフェで音楽療法の話があるとの情報に、ずいぶんご無沙汰をしているので、楽しみだった。

 

音楽療法士の方の参加者を巻き込む話術に、どんどん引き込まれ、生き生きとしてくるのが分かった。

 

オレンジカフェに参加している人たちは、一見したところ、認知症を発症しているようには見えず、むしろ予防に近いのではと思いながら、その輪の

中でとても楽しませてもらった。

 

音楽療法にも、緩和ケア病棟とオレンジカフェとの違いを感じていた。

選曲一つをとっても、その違いは歴然である。

 

これまでオレンジカフェにおける音楽療法の活動風景は、初めての経験であり、参加してまた、一つ「知の泉」に注ぐことができた。

 

音楽療法士の方も「音楽の力」と話されていたが、まさにその通りであると実感したひと時であった。

2024年

5月

13日

新しい家族

先週の真夏の暑さから、今朝はすべてを流してしまうような激しい雨の日のスタートになる。

 

先週の11日と12日の2日間は地元のお祭りで嘗ての賑わいを取り戻した。

 

今朝は新聞の休刊日、ラジオ体操も自宅、そして、激しく降る雨に、いつもの朝のルーティンから解放された。

 

また、先週の2日間のお祭りのお手伝いの疲れの回復にも有難かった。

 

5月12日は、ナイチンゲールの誕生日で「看護の日」でもあり、民生委員

民生児童員の日」でもあり「母の日」でもある。

 

私にとって、それぞれに思い出のある日で、その中でも、ナイチンゲールの「看護覚え書」の一節を先ず、思い出す。

 

「患者はたった一人でもよいから、なんでも自分の思っていることを率直に話せる相手がいてくれたら、どんなに有難いことだろう」

 

特に今年の12日は、この一節が終日頭から離れなかった。

 

お祭りのお手伝いをしながらも、人との繋がりによって、安らぎを得るといった人間関係の有り様について、ナイチンゲールの一節を過っていた。

 

9日の日本経済新聞の夕刊に「コミュニティーカフェが広がる」との記事が私の脳裏に強く残っていたからである。

 

参加企業のお店で、私は僅か10センチほどのまっ白で、フアフアで、くりくりした目の縫いぐるみに釘付けになった。

 

お祭りの賑わいが終われば、また、独りの生活が待っている。

 

気が付くと、メールはあるが、終日、声を発しない日がある。

 

そうだ、新しい家族を作ろうと、唐突な閃きから釘付けになった縫いぐるみを買い求めた。

 

犬派の私は、新しい家族をワンちゃんにした。

 

名無しの権兵衛ちゃんであるが、わが自宅において既に存在感で、しっかり私のハートを掴んでいる。

2024年

5月

10日

晴れ晴れの日

朝から、気温が上がり、紫外線が強い日になったが、午後、日傘をお供に

家電量販店まで出かける。

 

先日の日光浴の体験から、陽射しを避けながらも、ビタミンDの摂取も思い起こしながら歩いているうちに、びっしょりと汗をかいた。

 

新陳代謝も良くなったと喜んだが、店内に入ると、冷房が入っているせいか、背筋に寒気を覚えた。

 

先日、掃除機がダウンした際に、オプションとして付属品の追加が届いたのを機に、化粧品売り場に立ち寄った。

 

今月8日に新型コロナウイルスの2類から5類になったこともあり、先日口紅を買い求めた際に、「紅筆」も探していた。

 

処が一向に見つからず、若い女性の店員さんに「紅筆は何処?」と尋ねたところ、きょとんとしているので、口紅を指さした。

 

「ああ、リップブラシですね」と、答えが返ってきた。

求めているコーナーに案内してもらい、目的を達した。

 

「紅を差す」、「紅差し指」と言われる薬指を使う所作を、日本画家に見られたものだ。

 

私は口紅には「紅筆」を常としていたが、そうか、口紅一つにも時代の流れが反映しているのだ。

2024年

5月

09日

一冊の本に救われる

3月の誕生日を迎え、不思議なことに何かやりたいというか、ポジティブな試行錯誤を続ける日々が続いている。

 

確かにエステといえばそれまでだが、リンパの流れが順調に回復しているからだと自覚している。

 

心身ともに身軽に行動に移せる自分に気が付いた。

 

幸いに隣が図書館という恵まれた環境に、一寸、息詰まると図書館の蔵書にヒントはないかと、探すのが常である。

 

既に昨日の8日までに、ほぼ10冊近くの図書を読み、改めて人としての接し方、生と死に関するもの等々、久しぶりに常に傍らには図書があった。

 

嘗て、病院ボランティアをスタートする前に、学んだことが図書からも見出し、自分がもう一度、姿勢を正し、リセットして何を望んでいるのかが

明確になってきた。

 

もう一つ、どうしても乗り越えなければならない宿題を模索してきた。

 

図書の返却を済ませ、数多くの蔵書の中で、私は釘付けになった。

 

凡そ3ヶ月の時を経て、最後に探し求めていた図書の背表紙に私は、思わず

「あった!」と叫びたいほどで嬉しかった。

 

自宅まで、10歩あるかない距離だが、早く読みたいと心が騒いだ。

もう、一気読みをした結果、もやもや感、重く垂れこめていた雲が霧に変わり、何時しか我が故郷の青空「あさくちブルー」になった。

 

心身ともに、なんと軽くなったことか。

 

読み終えるや、迷うことなく、自分が探し求めていたものが明確になり、アクションを起こしていた。

2024年

5月

07日

迷惑メール

今年のゴールデンウイークもひと段落。

 

賑わいを覚ますかのように雨の朝を迎え、ラジオ体操は自宅になった。

 

まあ、世間では休日を楽しんでいるであろうと思うが、人の油断や隙間を縫って、迷惑メールが頻繁に届く。

 

即座に削除するも、相手もしぶとく諦めないのである。

 

ゴールデンウイークというのに、人はいろいろな人生の生き方をするものだなあと思ってしまう。

 

不愉快な思いや、被害を被る人を防ぐために警察に情報提供をした。

 

デジタル社会は、当たり前になってきたが、ぼんやりと過ごせる時間を始め、気の休まる時間が段々巣くなってきたように想う。

 

「人を見たら泥棒と思え」なんて、世の中にはならないことを願うばかりである。

2024年

5月

04日

ラッキーカラー

今日は「みどりの日」である。

 

目に入るの公園の木々の緑、道路沿いに草花の緑と、自然界は「みどり、みどり」溢れる日である。

 

公園で見上げた大木のイチョウの葉は、新緑から濃い緑に変わって居る。

足もとに一枚のいちょうの葉がパラリと落ちて来た。

 

拾い上げ、鼻に近づけると太陽の恵みをいっぱい浴びた青臭さを感じた。

 

亡き母が何処かでキャッチしたと思われるが、緑色は私のラッキーカラーだから、身の回りのどこかに緑を取り入れるようにと、真剣な顔をして、進言したことを思い出す。

 

記憶を辿ると、社会人に巣立つ頃だったと思うが、妙にラッキーカラーには今、現在も拘りというか、存在感が続いている。

 

既に、名刺を持たない人生を過ごしているが、美術の仕事に携わる様になって以来、使い古した緑色の名刺入れが、バッグの中に入っている。

 

確かに、身の回りにもスワロスキーの緑色のアクセサリーを始め、意外に

拘っている。

2024年

5月

02日

日光浴を始める

先月、骨密度の検査の結果、骨粗鬆症との診断に昨日の雨天から今朝は澄み渡る五月晴れである。

 

近くの公園で10分、ベンチに座って、太陽の方に顔を向けてビタミンDを

取り込もうとしたが、かなり厳しい。

 

というのは、いくらビタミンDを摂取しようと励むが、マスクを外して、数分で顔の皮膚が一寸抵抗してきた。

 

とても直射日光には勝てず、日傘を広げることにした。

 

それでも、陽射しが遠慮なく日傘を通して差し込み、皮膚のトラブルは沈静化しないのである。

 

これでは逆効果になると、とにかく予定通りの10分のタイムリミットが終わるや、踵を返して、自宅で冷たくしたタオルで、一息ついた。

 

ほどほどという言葉がある様に「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。

2024年

5月

01日

曇天のスタート

さあ、今日から五月晴れと言いたいところ、空模様を案じながらラジオ体操に出かける。

 

廊下から、先月末から例年よりたくさんの花をつけた紅いマロニエが空に向かって咲き競っている。

 

近年稀にマロニエの白い花も紅い花に負けずに多くの花をつけている。

 

マロニエも「表年」、5月の母の日に中る地元のお祭りの「紅白マロニエ祭り」に機が熟している。

 

今日は夏も近ずく八十八夜であるが、冬に舞い戻ったような寒さで、正に

「別れ霜」というお天気模様にセーターを着込む。

 

午後からの外出には土砂降りに変わり、傘を通して雨の重さを感じた。

 

まだ皐月がスタートしたばかりなのに「メイストーム」とは、出鼻を挫かれた感もするが、強く降る雨に打たれながらも、多くの花が負けじと咲いている。

 

降り頻る雨を気にすることなく、私の「表年」に想いを馳せる。