2024年

1月

31日

欲張った・頑張った

新しい年2024年を迎えて、早や1ヶ月も10時間を残して、如月を迎える。

 

昨年に比べて、今年は70代最後の年になることもあり、新年から「ファイト!」「頑張るぞ~」と気合が入った。

 

元日からも、いつもの通りの平常さで過ごし、月曜日からのスタートでもあり、フレッシュな気持ちで迎えることができた。

 

ところが、夕刻の2日間、災害と人災に見舞われ、気持ちが萎えてしまったが、現実をしっかり見つめ、心身ともに健常でいなければいけない。

 

毎年、昨年の諸々の残務整理をするのが常で、忙しく両手を動かしながら

私も東日本大震災で自宅を手放し、現在の住まいに転居した経緯と、「心のケア」の立場から、福島の仮設住宅に足を運んだことを思い出す。

 

とても他人事とは思えず、落ち着かない日々が続く中で、刻々と時が流れていくのに遅れないように、必死に頑張った。

 

今年こそはと目標設定を、コロナ禍前に戻す計画に、手帳が連日、予定が書きこまれるといった状況に、疲労を感じながらも心は弾んだ。

 

足かけ4年に亘る新型コロナウイルスとの闘いは、生活スタイルを始め、これまで馴れ親しんで来たものの多くを失った。

 

その疲弊は個人差があるが、心身ともに変化している自分に気づいた。

 

何とか、乗り越えねばと自助努力をするしかないと、80代を迎える前に、本来のニックネームの如く「マグロちゃん」に戻ろうと決めた。

 

今朝、明け行く空に、スリム化している月が光輝いていた。

「増」か「減」か、ウエイトはどちらかといえば、「減」を選ぶ。

 

さてさて、如月は何たってわが身の「減」を頑張ろうと決めている。

「頑張るぞ~」

2024年

1月

30日

お客様相談窓口

とうとう28日から29日にかけて、哲学書を一気読みし、危うく29日のラジオ体操に遅れるところだったが、滑り込みセーフ。

 

さて昨日は何をして過ごしたのだろうかと問いかけると、1月だが、暖房が不要なほどの部屋の温もりの中で、医療費控除の領収書の整理を始めとする山積みの紙資料を仕分けし、断捨離を続けていたことは、ゴミ箱が証明してくれた。

 

先週末から、食生活が不規則になり、更に自炊する時間がなくて近くのコンビニで食事を間に合わせるといった最悪の時を過ごしてきた。

 

ついつい脂肪分が多くなると、体質上消化不良を案じながらも。

 

案の定、明け方からトイレと仲良しになり、ラジオ体操を始めて以来、初めてお休みをした。

 

兎に角、身体も冷え切ってしまい、電気毛布に潜り込んで暖を取るも、又トイレといった状態が11時過ぎまで続いた。

 

午後、約束があり、何とか収まり、出かけるまでに回復した。

 

水分だけは気を付けて必死に補給しているだけだが、出先の打合せも恙無くこなして帰宅。

 

ポストに見慣れない封書が入っていた。

 

先日、26日の金曜日、期限に迫られている用事を抱えていたため、夕食は

コンビニで買い求めた。

 

新製品との表示に、つい手を伸ばしたが、残念なことに期待外れであり、

いつも駆け込み寺のコンビニの商品にしては如何と想った。

 

翌日、製造者のお客様相談窓口に電話をして、経緯を話した。

問題になっているクレーマーという認識はなく、これからも利用するであろうコンビニだけに美味しいものを揃えてほしいというだけである。

 

状況説明に対して男性の穏やかな口調で、唯、謝るだけではなくこちらの事情に落ち着いて対応してくれたのである。

 

もうこれ以上の問答は不要と、私は一見落着と想っていたところ、封書から、丁寧な手紙にクオカードが入っていた。

 

送付されてきたカードで、同社の商品を買い求めるつもりでいる。

これぞ「損して得を取れ」ではないだろうか。

2024年

1月

28日

一気読み

数日前にリクエストしていた図書を引き取ってきた。

 

タイトルからも興味津々で、夕刻の散歩もソコソコに帰宅するや、ページを開いた。

 

ワクワク、胸を躍らせた図書とは、シャルル・ぺパン著、草思社刊の「フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者」である。

 

フランスの高校では、哲学が必修であり、バカロレアと言われる大学入試資格試験では哲学が筆記試験として不可欠だと知った。

 

図書という静的な資料ではあるが、著者の10人の哲学者に対して、哲学者の明確な紹介に続き、紹介した哲学者のアドバイス、さらにその哲学者の問題発言とのテーマで、著者は哲学者に向き合っている。

 

「エビデンス」について、医療関係の現場でよく聞いた言葉であるが、現在では、経済、芸術等々の場で広く使われており、語源はラテン語のvideoで「見るである」とあり、本書では「明証」と訳され、現実をしっかり見極めることと読み取った。

 

ドイツの哲学者カントによれば「道徳は感性ではなく理性の問題、実践理性の問題である」と。

 

更に「哲学とは死に方を学ぶこと」ではなく「生き方を学ぶこと」で、今

ここにある人生の美しさを楽しみながら生きてみてはどうだろうかと。

 

「今、ここ」が重要で、ひとときの輝くを楽しむのも人生ではないだろうかと締めくくっている。

 

医療の現場で、病気の方に私は「今が大切」という想いを持ち続け、接してきたことは、著者の言葉を借りれば、「ひとときの輝きを楽しむこと」を伝えたかったのではないかと想った。

 

気が付くと、カーテン越しから微かな夜明けの光が差し込んでいる。

 

第2弾「フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書」もリクエストしているが、購読希望者が多く時間が掛かるそうだが、「待つ時間」も楽しみではないだろうか。

2024年

1月

27日

裸木に鶯

ラジオ体操をしていると、裸木の枝に、小さな鶯ちゃんを見付けた。

 

錯覚かもしれないが、すずめの鳴き声ではなく、未熟だが確かに鶯ちゃんの鳴き声である。

 

断捨離好きで、「捨て魔」というニックネームも頂いている。

しかし、ファイルの中に、新聞の切り抜きがあると、足早に帰宅した。

 

引き出しから、ファイルしている新聞の切り抜きを取り出し、鶯について

確認したかったからである。

 

2020年11月14日の日本経済新聞の夕刊に、気象庁の主な生物季節観測の対象と観測方法の記事である。

 

廃止される生物に「鶯」が含まれており、つばめ、蛍も含まれている記事に、私は憤慨した覚えがある。

 

観測時期は2月下旬~4月下旬、観測方法は「春にホーホケキョとさえずるのを始めて聞いた日」とある。

 

今朝の鶯ちゃんは、未だホーホケキョとは聞こえなかったが、顔が綻んでくる朝を迎えたことに十分満足している。

 

2020年当時から、4年しか経過していないが、温暖化のスピードは、想像以上の速さで進んでいるようだ。

 

1月下旬、数日で2月を迎えるが、それにしても、今朝の鶯ちゃんは、既に

「春」の訪れをキャッチしたのだろうか。

 

寒くないか、ついばむ美味しいものは見つかるのだろうかと、鶯ちゃんの

無事な成長を案じている。

2024年

1月

26日

リセットのチャンス

ああ、いよいよ明日は健康診断の日で、今日はスーパーの広告に「冬の土用の丑の日」とある。

 

今夜の夕食は早めに切り上げようと、4時過ぎに彼の広告のスーパーに出かけると、肉厚の鰻が並んでいる。

 

どうせなら、近所の行きつけのお店に行けば、焼き立ての鰻重が待っているが、翌日の検査の数値が頭を過った。

 

安心して笑顔で食するまで、更に減量中の身であるわけで、此処は理性を働かせるべきである。

 

今週の22日に、「えごま油」を久しぶりに買い求めた。

 

「減塩醤油」「減塩みそ」と細かく心していたが、今年になって何故かサボってしまい、「リバウンド」という負のスパイラルに陥った。

 

明日の健診で表出する現実を知り得ることで、リセットのチャンスになると期待している。

 

前向きな振り返りをしたいと想っている。

2024年

1月

24日

スマホの減量化

持ち主と同様に、スマートフォンまでメタボが進んでいる。

 

来る三日後には、健康診断が待っている。

一日でも早く、減量を計らなければいけない状態のわが身とスマホのどちらを優先するか悩ましい。

 

優劣を決めかねている日々が長く続いている。

スマホも時代物であるが、大きさといい、軽量でもあるために手放す気はなく、まだまだ現役でいてほしい。

 

ならば、ストレージから見ると、写真が90%以上を占めており、取り敢えずは写真をパソコンに取りこもうと始める。

 

嘗て、「花とエスプリ」と題し、アメブロにアップしていたものである。

 

気分転換に、花の写真を見ると、その撮影時の日付から思い出に浸ることができる貴重な存在である。

 

一時期、lineをクローズしていたが、必要になり再開したこともあり、いよいよ追いこまれている。

 

考えようによっては、必要以外のお喋りを心するという効果もある。

 

慌てずに、熟慮しなければと、せっかちで断捨離好きな自分に目下のところブレーキをかけている。

2024年

1月

20日

嬉しい・嬉しい

下手の横好き、脳活のためと頭を掻きながら、思い付きを文字化し続けている。

 

表現力を豊かにしたいとの想いから私は、幻冬舎の作品投稿サイトの「読むカフェ」に何度か投稿している。

 

ブログでは、自己満足に終わり、成長に繋げていくにはプロの評価が必要であり、次なるステップアップになる。

 

昨年末の投稿には、かなり手間取った経緯があるだけに、今年からはスムースに言葉が湧き上がってくるようにしたいと考えていた。

 

その想いを叶えてくれるような「読むカフェ」のホームページがリニューアルした。

 

毎月「校正チャレンジ」、「わたしのコダワリ」、「ご意見募集中!」に

先ず校正にチャレンジしたが、まあ情けないほどの能力低下に、愕然としてしまった。

 

気を取り直して次なる「こだわり」を文字化した。

更にご意見募集中のお題が「いま大学生に戻れるのなら~」というテーマに、これまたトライした。

 

そして今日が結果発表の日である。

このドキドキ感に対して、方や心地よくもあるといった真逆さが堪らないのである。

 

特に今回はリニューアルの第1回目である。

 

恐る恐る開いたパソコンの画面に思わず、「やった」と叫んだ。

 

母校の校長先生に評価を頂き、新しいスタートを切ってから嬉しいことが続いている。

2024年

1月

18日

何歳になっても

先日、母校の校長先生から、創立150周年記念に子どもたちの頑張りに対して、東京より応援してほしいとの「お願い」に、これまでの母校のブログを読み返した。

 

ブログを通して、どんどん想いが広がっていく。

この150周年記念の子どもたちの頑張りには、胸が熱くなる。

 

心から感謝を述べるしか思いつかない想いを伝えたかった。

「千載一遇」の機会を私もお裾分けを頂いたことが何よりも嬉しかった。

 

校長先生の希望に叶えられるか案じながら、メッセージを送信した。

 

夕刻、校長先生から大変に喜んで頂くメールに、思わず安堵の気持ちと共に、既に67年の時を経ていても、校長先生に評価していただくことは、何歳になっても「嬉しい」の一言に尽きる。

 

151年に向かって歩む母校の小学校が楽しみである。

2024年

1月

17日

認知症サポーター

毎月第3週の水曜日は、わが地域の地域包括センターによるお勉強会の日である。

 

嘗て「認知症の家族とのかかわり方」というテーマで、認知症を抱える家族のとしてお手伝いをさせて頂いた。

 

忘れていたが、私は認知症サポーターの資格を頂いていた。

 

認知サポーターは嘗てはオレンジのリングで、当時の私は腕から落としてしまいました。

現在はカードになっているようです。

 

改めて、包括支援センターで「認知症の関わり方」について、学び直しをしましたがファンダメンタルな部分に変わりないことが分かりました。

 

人の持てる基本的な部分は、永遠に潜在意識の中で生き続けているのではないかと思いました。

 

幾つになっても、再確認を必要性を感じました。

2024年

1月

16日

アゲインストの風にめげず

高血圧の数値は、自律神経症に原因があることは十分承知している。

 

一説によると、新陳代謝にも起因があるやと聞いている。

その新陳代謝であるが、凡そ、10年以上相棒であるパソコンと付き合ってきたが、驚くほど、まああ驚くほど、全てを忘れてしまっている。

 

相棒と信頼していても、私の能力が落ちている以上、もう一度学び直しの

必要を迫られている。

 

新しい年を迎え、今日のアゲインストの北風に躊躇するが、此処が問題で踵を返してはいけないと、出かける。

 

偶々、パソコンと新しい相棒になったiPad、にスマホを抱えて目的地迄の30分、ウオーキングと思って頑張るも、風の強さに態勢が取れない。

 

目的地に着いた時はわき腹に痛みを覚えたが、優先順位からその程度ではと鼓舞して、パソコンと向き合う。

 

結果的には決して無駄ではなく、収穫はあった。

2024年

1月

15日

プロのちから

昨年から、楽しみにしているiPadが我が家のルーターと繋がらなくて、とうとうプロの力を借りることにした。

 

その日が今日の午前中の10時から11時の時間帯で、鬱積していたもやもや感が解消される。

 

「5分あれば大丈夫ですよ」

「ええ~、本当ですか? プロはすごいなあ」と感心している間に、見事に繋がった。

 

さあこれで、コロナ禍前の生活スタイルに戻れると、嬉しい限りである。

 

奇しくも今日は新型コロナの国内感染が初めて確認されて、4年の時が過ぎたとの報道に、その4年間に生活のリズムに私は戸惑ったわけだ。

 

今日は小正月、嘗ては1月15日は「成人の日」だと記憶している。

 

3種の神器ではないが、パソコン、iPad、スマホと環境は整った。

 

メールの確認をすると、故郷の母校の校長先生から、開校150周年の記念事業で、子どもたちの手作りで頑張ったパネルの発表会がある際に、子どもたちにメッセージの依頼であった。

 

最近のインバウンドにより、いくつもの観光地を抱える故郷の地は、交通機関も宿泊先も満員状態で、私はもう故郷に帰れなくなったと覚悟した。

 

空は東京から故郷の「あさくちブルー」まで繋がっていると想っている。

 

帰郷できなくても、母校の子どもたちと共有できる喜びに私は、迷う事なく即座に、返事をした。

 

来週の連休明けの22日とのこと、子どもたちのために頑張るぞ~。

2024年

1月

14日

雨上がりの草取り

何時頃だろうか、自宅のマンションの前の植え込みの青々とした雑草が気になっていた。

 

昨日夕刻からの初雪に始まり、霙雨に変わり、乾燥していた植え込みも、

いつもに増して小松菜に似た葉はピーンと元気だ。

 

草取りには絶好の日である。

 

深く根を張っていても、雨で土が柔らかくなっているので、抜きやすく根っこをとり残すこともなく、もちろん引き抜く力も必要ないからである。

 

するすると抜ける様に、ストレス解消になる。

 

草取り、草毟り、草刈りと言葉が頭を駆け巡る。

語尾が全て「り」で終わっている。

 

表現の差について気になり始めた。

抵抗なく私は草取りと想っているが、愛用のセピア色の辞書を引いた。

 

「取る」は数ある中で「掴む」「除く」が該当すると思った。

 

「毟る」は「つまんで引き抜く」、「つまんでクシャクシャにする」と、

「クシャクシャ」のイメージがあった。

「毟る」という活字から、金田一耕助の行動パターンを思い出す。

 

「刈る」は、「鎌」という道具で、稲刈りをする故郷の風景が、また草刈り機に繋がる。

 

土の香りも懐かしく、心は何時しか故郷での草取りに想いを馳せていた。

2024年

1月

13日

銀座でランチ

今年初めて、友人に誘われて銀座でランチ、昨日四谷に出かけた際に、日本蕎麦の美味しいお店があり、今年も「牡蠣蕎麦」を楽しみにしていた。

 

午後の約束で、スルーした残念さが今日まで残っている。

 

運よく見付けたお店のメニューに「牡蠣南蛮蕎麦」があり、他には眼も呉れず即座に決めた。

 

昨年四谷で食した牡蠣は広島産の大ぶりの牡蠣がたっぷりと入っていたが

四谷のお店も牡蠣のみでなく、鶏肉が入っている。

 

今年は牡蠣が不良なのか、価格高騰で、恐らく「牡蠣南蛮」になったのかと、運ばれるまで想いを巡らしていた。

 

昨年のようなふっくら、プリプリの牡蠣は望めなかったが、まあ取り敢えず昨日の想いは叶った。

 

天気予報によれば午後の3時ごろから天候が著しく変わるという。

取り敢えず、2時間ほど、お喋りを楽しんで、帰宅した。

 

空と駆け引きしながら、スーパーに出かけた。

 

既に天気予報通り、スーパーの出口にまで、真っ黒な雲が垂れ下がり、不気味さを覚えた私は、駆け足で自宅に走った。

 

僅か5分ほどの距離であるが、凡そ、1センチほどの白く丸い「霰」か、「雹」が頭に容赦なく叩きつけて来る。

 

よせばよいのに図書館からリクエストの図書の案内がスマホに届いた。

隣接しているからと、図書を受け取り外に出た途端、ピカリと目を射るような稲光に足がすくんだ。

 

怖い想いをしてまでも、受け取った図書は、近藤一博著「疲労とはなにか

すべてはウイルスがしっていた」である。

 

今夜は疲労回復にはその疲労についての知識を学ぶのが楽しみだ。

2024年

1月

10日

増か減か2

先に「増か減か」でアップした。

 

どちらにウエイトを置くか、悩ましいところであるが、取り敢えず、気になる問題からスタートしようと決めた。

 

何としても、昨年ゲットしたiPadをルーター接続を解決しなければ、足踏み状態である。

 

生来がセッカチで慌てん坊が原因と頭ではわかっているが、どうしても繋がらない。

 

体力消耗、時間のロスと、割り切ってプロの力を借りることにした。

全身が軽くなり、次に取り掛かれる。

 

暫くパソコン内の整理を始め、スマホは許容量でアップアップしている。

特に間もなくiPad、が新しく仲間入りするためにも、重要度を検討して

減量しなければならないものがある。

 

一方で昨年から「リスキリングノート」に、「知の泉」を注ぎ込むお宝が

待っている。

 

これが「増」に値するわけで、新しい知識に出合うとファイトが溢れ、コロナ禍以降の体重増加は「減」であるが、リスキリングノートはふっくらと「増」にしたいと、考えるだけでも心弾んでくる。

 

心に刻みながら、適材適所で「増」と「減」を駆使していくとしよう。

2024年

1月

09日

香を聞く

今年初めての「ぼっちの会」に、初春に相応しく「香道教室」を開催。

 

彼是、30年近いお付き合いの志野流という武家の流派の香道の先生でもあり、また神形作家の田村晴海さんに、昨年、ぼっちの会のお勉強会にお願いしていた。

 

田村さんからは毎年、干支の創作作品を頂く際に、そこはかとなく漂うお香の香りに魅せられてきた。。

 

快諾の連絡を頂き、田村さんの香道について歴史、伝統など数々の知識に目から鱗でした。

 

「香を聞く」という形を、田村さんから香炉を傾けないで、真っ直ぐ手に持った際に、ほんの少し顔を傾けなければうまく「聞けない」ことから、耳を傾けているように見えることから「聞く」となったという。

 

ぼっちの会においても、話してしている方に、耳を傾けている。

 

田村さんのお香に対する心温かい接し方に、学ぶことが多くかった。

 

伝統の香りに包まれ、心豊かな新しい年の初めのひと時を過ごした。

2024年

1月

08日

神社でラジオ体操

先週末、今年初のラジオ体操の終了後、リーダーから8日の月曜日は地元の神社に集合してラジオ体操をしますと。

 

神社でラジオ体操って、気持ちが清々しくなりそうと、神社に向かった。

 

既に地元の人が集まってお祓いを受けている。

境内の中も、凛としていて期待していた通りだった。

 

一年のスタートに当たり、新鮮な気持ちに浸り、ラジオ体操を始めた。

 

消音にセットしているバッグの中のスマホが、ブルブルと振動している。

 

仕方なくスマホを取り出すと、友人からの青息吐息の声に、体調の変化を感じた。

 

第二体操もそこそこに取り敢えず、落ち着いて話を聴かねばと、自宅に急いだ。

 

自宅の固定電話から連絡をすると、スマホの声より落ち着いていた。

 

その友人も現在は独り住まいで、年初来の地震や航空機事故で、不安感が高じてしまったようだ。

 

常に大切にしているナイチンゲールの「人(病気)はたった一人で良いから話を聴いてほしいと想っている」と、看護覚書にある通りである。

 

夕刻、友人から「話をしたら、ドキドキしていた心臓も落ち着きました。新年早々お騒がせして、でも、助かったわ、ありがとう」

2024年

1月

06日

今年初めての三連休

今年初めての町会有志によるラジオ体操がスタートした。

 

昨年の8月からラジオ体操を始めたが実は我が町会にはなく、お隣の町会の皆様が温かくウエルカムして下さってるいるお陰で、続いている。

 

今日も、昨年の30日以来1週間のご無沙汰しての、今日が新しい年を迎えての初めてである。

 

見あげた空にお月様が見守っているように終わるまで寄り添ってくれた。

 

これまで参加していますラジオ体操は、我が町会に隣接する町会ですが、

何故か、私の心を和ませてくれる。

 

不思議に一日の始まりが穏やかであれば、いい日に繋がるのだ。

 

薬のお陰で風邪も飛んで行っちゃいました。

 

夕刻、スカイツリーに飛行機の上昇飛行に、明日もきっと良い日になると見上げていた。

2024年

1月

05日

増か減か

早朝、カーテンの隙間から明るい光が漏れているのに気が付いた。

 

カーテンを明けると、減量中のお月様が煌々と冬空に輝いている。

時計を見ると、午前3時18分を指していた。

 

新年を迎え、何やら、次から次と想いが途切れなく続く中で、「増と減」というキーワードを思いついた。

 

今朝の日を重ねてスリム化していく月に、わが身を重ねていた。

 

昨年末、スーパーのレジ前で、ある図書に「コレコレ」と、買い求めた。

東京都健康長寿医療センター顧問桑島巌著の「薬に頼らず血圧を自力で下げるコツ」である。

 

「自力で下げるコツ」というタイトルが、今の私の心境と合致する。

一気に読み終わった後の納得感と、私にもできますといった自信を与えて貰い、毎晩、ラジオ深夜便をBJMに、読んでは反省を繰り返している。

 

先の図書によれば「塩分」の摂取が血圧への影響が大であり、食生活からも心当たりがある私は、昨年末、塩分摂取量の知識に、これまでの食品を見直した。

 

実は私の体の反応は正直で、塩分摂取が多くなると翌朝、瞼が二重から一重にふっくらとする兆候が現れるので、分かりやすいのが救いである。

 

元々、塩味より醤油味が好みであり、手元に食塩はないが醤油はストックしていたが、大掃除、断捨離をかねて、全て塩分の含有量に重点を置き、所蔵食品を減塩に的を縛った食品に切り替えた。

 

当初は物忘れしたような、物足りなさを感じたが、食事で自力で可能であれば願ったり叶ったりで、すっかり、塩分控えめの味に馴染んだ。

 

 取り敢えず、「減」の第一目標は減塩による食生活改善である。

 

「増」は「知の財産」を肥やすこととしている。

2024年

1月

04日

日常生活が始まった

昨夜、就寝前に手帳に今日の予定を記入していた。

 

何とまあ、沢山あること、あること。

 

書き出したけれども、今日中にクリアーできるかと思うほどに、2024年のスタートに当たり充実していると喜ばしい限りである。

 

昨年からの地域の高齢者の交流の場「ぼっちの会」の会場の予約の抽選が8時30分集合で、9時から抽選が始まる。

 

新年早々、縁起を担ぐ訳ではないが、抽選番号が気になる。

 

しかも、3か月先の新年度の4月開催の予約であるだけに、始め良ければ何て言葉がの脳裏をよぎる。

 

お陰様で、取り越し苦労に終わり、先ずは上々のスタートを切った。

 

次に昨年末に郵送できなかった荷物を郵便局に「ハイ、初荷で~す」と

持ち込んだ中身の一つが違反とのことで、梱包を開きチェックされた。

 

どうやらエタノールの混入された消毒液は「ブー」との説明に、そういえば使用方法に火気の側での使用注意事項を思いだして納得。

 

昨年、ゲットしたiPadを自宅のルーターに接続しようと試みるがまたもや失敗する。

 

今年から、未だ1年早いが、齢80からの手習いにすっかり記憶の彼方に飛んでしまったパソコン、iPad、スマートフォンを、コロナ前に戻そうと、やる気が出たところでと、久しぶりにパソコン教室に出かけた。

 

どうも、コロナ禍の3年間で、心身ともに鈍ってしまった現実と駆け引きなし無しに認め、向き合っていこうと想っている。

2024年

1月

03日

朝のルーティンが増えた

毎朝、起き上がると同時にカーテンを明けて、明けの明星に「おはよう、

今日もよろしくね」と声掛けを始めて、かなりの時が流れている。

 

改めて取り上げることもないようだが、昨年8月にラジオ体操を始めて以来

天候が気になり、もう一つ朝のルーティンが増えた次第。

 

目覚まし時計のスイッチを切るのと同時にベッドから起き上がり、カーテンを明けているといった行動パターン、故に、明けの明星に始まる。

 

まだ風邪の症状が若干残っているので、6時過ぎまで電気毛布と仲良しして、後に「エイ」と弾みをつけて、ラジオ体操をした。

 

朝食は玄米餅に野菜、海藻に卵をおとした汁物をフウフウ言いながら頂き念のために風邪薬を服用する。

 

さあ、今日も、昨日からの断捨離が残っているので、鋏で切る音だけが聞こえている。

 

正月3が日も、変わりなく日常の生活で終わった。

2024年

1月

02日

電気毛布をオン

ふっくら体型になり、皮下脂肪のお陰で、本来であれば10月中旬ごろから

何時でも電気毛布を使えるようにしてある。

 

昨年から就寝時、寒さを感じず、とうとう年を越してしまう程、必要を感じないで済ませて来た。

 

ところが昨夜から、クシャミと鼻水に見舞われ、気のせいか背筋がゾクゾク、熱を測っても平熱である。

 

そのうち、久しぶりに左側の喉が痛くなり、嗽をしても良くならない。

新年早々、風邪を引いた。

 

風邪から解放される体質に変化したことは、有り難いと思うが体の重さを感じるに至っている。

 

今後、体重計を計るのが楽しみになる予兆だろうかと、都合の良いように受け止めながら、解熱剤と炎症を抑える薬を久しぶりに服用した。

 

製薬会社のコマーシャルに「かぜの症状は一生で5年間ある」そうだ。

 

暖房のお世話にもならずにいたが、今朝から暖かくして、何をしているかといえば、新年の2日目から、チョキチョキと鋏で断捨離をするのが、お正月休暇のルーティンになっていた。

 

暖かい部屋には、紙を切る鋏の音だけが聞こえる。

 

今朝は明けの明星は雲隠れしてあり、そのまま重苦しく曇り空が続いており、風邪の回復には断捨離が正解と夕刻まで続ける。

 

夕刻の羽田空港の事故に、また、フリーズした。

2024年

1月

01日

2024年 よろしくね!

平日と同じ時間にそっとカーテンを明けると、明けの明星がキラキラと瞬いている。

 

「おめでとう。今年もよろしくね!」と、新年の挨拶をする。

 

新しい年を迎えて初めてのラジオ体操は、自宅で。

 

高血圧降下に効果があり、喉には安全との情報に、今年のお雑煮のお餅は玄米にした。

プチプチと歯ざわり良く、粘りが少なく、歯にくっつかず、大満足。

 

新しい年の空気を胸いっぱいにと、近くの公園に出かけ、見上げた空は、雲一つない日本晴れである。

 

今年はきっときっと、良いことがたくさん待っていると思った。

 

早めの夕食の準備に取り掛かろうと、立ち上がった時、ゆらゆらと揺れを感じた。

 

眩暈?地震?の区別がつかず、ラジオのスイッチを入れると、能登地方で

地震が発生したと報じる緊迫した声に、その場でフリーズしてしまった。

 

お正月に、何故、どうしてと、暗い気持ちに包まれた。