2024年

10月

31日

神無月はミステリアス

美術の商いをしていたころ、神無月といわれる10月が決算月だった。

 

必ず、筆記具のボールペンのインキがなくなる、会計伝票が、小切手の用紙切れ、珈琲豆がなくなるといった事態に陥る。

 

後にワープロも同じくインクリボン切れになるといった具合である。

 

偶然といえばそれまでだが、商いを続けていた25年近く毎年、決まって同じことが起こった。

 

ミステリアスとも思ったり、「吉」なのか「凶」なのかと、決算月になると慮ったりもした。

 

が、20年近く経った今年2024年の神無月の10月に同じようなことが起こったのである。

 

愛用しているパーカーのボールペンのインク切れに始まり、銀行の通帳の記載項目もお終い、ストックしていた数種の具材や調味料がなくなった。

 

齢を重ねてきた現在、「吉なのか凶なのか」と、ミステリアスな偶然に、想いを馳せ、むしろ楽しんでいる。

2024年

10月

27日

この一行に逢いにきた

今日から来月9日まで2024年の読書週間が始まる。

また、今日は文字活字文化の日だそうだ。

 

毎年、読書週間の標語を楽しみにしている。

今日のブログに取り上げた「この一行に逢いに来た」で、「一行」を探す旅にでも出かけたくなる。

 

怪我をして以来、疲労を感じることが多く、ついベッドに横たわってしまうが、睡魔には襲われることなく、むしろ頭は冴え冴えとする。

 

そのような次第で、図書館にリクエストしていた図書は途切れなく、早く読みたくてベッドにともいえる。

 

どちらか言えばこれまでとは異なるフィクション系を読んでいた。

 

今回の骨折により、メンタル面が薄弱になっていることに気付いた。

 

もともと、自律神経のバランスを来すタイプで、順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏の図書にヘルプを求めるのが常である。

 

どうも、この数日間、張りつめていた糸が切れた状態が続き、このままではまずいと思った。

 

つまり、救急隊にお礼、リハビリという骨折もセカンドステージに入ったこともあり、達成感なのかバーンアウトなのか或いは空の巣症候群なのか複雑極まりない。

 

「休養」というプレゼントを頂きながら、十分に生かせないままでいる。

 

そろそろ、リセットしなければと思っていたところ、図書館からリクエストしていた小林弘幸氏の三部作の連絡があった。

 

気持ちが逸り、エレベーターを利用するほどに慎重だったはずが、階段を使用していた。

 

私が称する三部作とは2020年のコロナ禍、その後の生活スタイルの変化、更に5類に移行後も続くコロナ禍による体調の変化を取り上げている。

 

「整える習慣」「リセットの習慣」「はじめる習慣」である。

 

私は75歳という後期高齢社会に突入する時期と重なり、幾つも思い当たる箇所がある。

 

読書週間の期間中、私は「三部作」の旅に浸りたいと思っているのだ。

 

まさに今年の読書週間の標語「この一行に逢いにきた」といえる。

2024年

10月

23日

陽と陰・温と冷

リハビリの帰路、長年利用していた銀行口座の利用がなくなり、解約手続きをすると決め、銀行に立ち寄った。

 

窓口で趣旨を伝えると、対面での手続きは予約制との説明があり、ベンチを見ると、私と同等の年齢の人が目につく。

 

「お客様、スマホをお持ちですか」と、「ええ、まあ、物騒な世の中なので記録を残しておきたくないのですが」「わかりました」

 

奥から担当者が出てきて私の不安を一掃するかのように、実に優しく丁寧な応対に、スマホでトライすることにした。

 

システムに乗れば手っ取り早いが、何しろ利き手の右手がままならず、入力ミスをするも、おだやかに付き合ってくれる。

 

解約の手続きなど、ウェルカムではないのに、さすがと解約するのを止めようかなと思うほどの、素晴らしい女性の行員であった。

 

それで、思い出したのは、先月9月のことである。

先日の転倒で上の前歯が一本ぐらついているし、歯科医より指定のオーラルケアを続けている商品が残り少なくなった。

 

スーパーに買いに行くと、令和の米騒動と同じく売り場から商品がなくなっている。

 

売り場には入荷の予定が表示されていたが、少なからず、不安を抱えたまま自宅で、製造販売元のお客様相談窓口に電話をした。

 

さすが大企業、恐らくAIの応答と思われる音声で、企業姿勢を延々と流され、パソコンでの問い合わせを勧めてくる。

 

私も手が動けば、パソコンを利用したいところだが、それが叶わない状況のために電話を利用したのである。

 

延々と続き、やっと終わったと思った途端、実に事務的な返事がかえってきた。

 

確か「このお電話はお繋ぎできません…」だったか「このお電話にはお答えできません…」と、そのあとの内容にも愕然とした思いが強く、久しぶりに私は「瞬間湯沸かし」状態になったからである。

 

先の製造販売会社は、信頼しているだけに怒りを覚えたのだった。

 

企業の「陽と陰」というか、「温と冷」を味わった。

2024年

10月

22日

ありがとうございました

今日、22日で点字ブロックに躓いて転倒、骨折して2か月になる。

医療者の尽力により、リハビリまでたどり着いたが、忘れてはいけないもう一つの存在、救急隊である。

 

今日はお天気も良く、当日搬送してくださった救急隊にお礼に出かける。

足元の点字ブロックにはナーバスになるも、感謝の想いを抱え、目的地に歩みを進めた。

 

当日の担当者がいてほしいとの想いで、受付で訪問の目的を伝えた。

 

運よく当日の担当者に会うことができた私は、心から感謝の気持ちを伝えると、私の回復を喜んでいる表情が受け取れた。

 

「今、救急車が出払っていますので、気を付けて」と担当者の一人が玄関まで見届けてくれた。

 

恐らく、私のような行動をとる人は少数だと思う。

 

嘗て、2015年に発刊された拙著「医療ボランティアをめざす人に今伝えたいこと」の執筆中に、パジャマの裾を踏んで、自宅の壁に転倒した。

 

その際にも救急隊にお世話になり、搬送された救急センターで髄膜種が発見された経緯があり、お礼に行った。

 

ちょうど、署長さんが対応してくださり、感謝の気持ちを、いま待機している署員に伝えてほしいという。

 

拙い私の話に見る見るうちに固い表情から、生き生きとした表情に変わってきたことを私は忘れることができなかった。

 

感謝をされて不愉快な想いをする人はいないと思う。

それは病院ボランティアをしている時、私自身は身をもって感じていた。

 

見上げた空は私の想いと同じようには素晴らしい「ブルースカイ」が広がっていた。

2024年

10月

20日

親指の存在

今週の火曜日からリハビリが始まったが、意外や意外、親指が硬直状態で

前進のために不可欠といえど、痛みに悲鳴をぐっと抑えて耐える。

終わるとぐったりと暫くは虚脱状態に陥る。

 

果物、葉物野菜等など「皮をむく、切る、カットする」作業を始め、ボールペンなどを握る作業がおぼつかない。

 

しかし、ここでたじろいてはと、期日前投票会場に出かける。

無効票になってはと、投票用紙を前に緊張が走る。

 

いやはや、親指がいかに多くの日常生活に不可欠であるかを思い知らされる日々が続いている。

 

これは、ちょっと恥ずかしい仕草だが、「歯」を使ってカットする作業をしている。

然し、かつて、繕う際に「糸切り歯」で、作業を終えた糸を切っていた。

 

まさに、その行動を思いつくことなく、自然に「歯」でカットしている。

 

まあ、私にしてはコロナ禍で新しい生活スタイルを歩み始め、地に着き始めた矢先、私はさらに「新しい生活リズム」と向き合っている。

2024年

10月

17日

スーパームーンに想う

7週間の骨折体験に、ベランダから見える夕刻からの素晴らしいショウタイムを楽しめることに感謝している。

 

まだリハビリが始まったばかりであるが、取り敢えずセカンドステージに進んだ

 

素人ながら、7月末からこれまでにない体調の変化に右往左往していた矢先に、思いがけない転倒というハプニング。

 

強がりでも負け惜しみでもなく、痛い思いはしたが、この痛みが自分を見つめ直す機会に繋がったのである。

 

今回のことがなければ、もっと厳しい状況が待っていたかもしれないからである。

 

ベランダから日没が早くなった空をベランダから見上げるのが、夕刻のルーティンになっている。

 

4年前の2020年9月に、私は3センチ大に育った髄膜種の手術を今回の救急でお世話になったかかりつけの病院で行った。

 

12時間の手術を終えて個室に戻ってきた窓から、夕刻になると羽田空港から離着陸する飛行機のライトがキラキラと輝き、後にお月様が顔を出すといった素晴らしい住環境で入院生活も苦痛を感じなかった。

 

いま、4年の時を過ぎて、じぶんの足で自宅から同じ風景を見つめている。

ましてや15日は十三夜、今夜はスーパームーン。

 

79歳最後の年に、転倒骨折という体験を通して、これまでのような我武者羅な人生から、自分を労わるというか、与えられた命を大切にするということを学んだ。

 

昨日、朝夕の散歩も再開した公園には大好きな金木犀の花が小さな花を零れんばかりに咲いていた。

 

玄関前の植え込みの山茶花が白い花を一輪、楚々と咲いていた。

 

自然の移ろいを静かに受け入れる素直さに、私もこうありたいと想う。

2024年

10月

15日

転倒・骨折物語

まだまだ熱く暑い日が続く8月22日、午後3時20分ごろ、自宅まで残すところワンブロックというところで、道路工事を終えて、真新しい点字ブロックに躓いた。

 

一瞬の出来事で、身を立て直すことはできず、まったく体重のすべてを垂直に点字ブロックに倒れこんだというものではなく、打ち付けた。

 

「アッ、いけない、やっちゃったア」と、すぐ立ち上がった時、既に反対側の道路から二人の若い女性が何か叫びながら、道路を横切り駆け寄ってきた。

 

「凄い出血です。救急車を直ぐ呼びましょう」と、もう一人の女性はまたティッシュペーを渡しながら、「水を買ってきます」と反対側の自販機に

走っていた。

 

二人の女性の絶妙な手当を目で追いかけていた。

「エッ、救急車ですか」「凄い出血ですよ」といわれたが、まだ私には今起こっている状況の判断ができなかった。

 

私はバックからハンカチを取り出し、こっぴどく打ち付けた前歯付近を抑えてたハンカチがみるみる血に染まる出血のスピードに、初めて事の重大さを認識した。

 

二人の親切な女性に「救急車を呼んでください」と。

 

あと、100歩も歩けば我が家だが、その手前の区民館のロビーの椅子によっかり、救急車を待った。

 

時間的に10分ほどで、救急車が到着、二人の女性のお名前を伺うも、それより早く病院にという言葉を残して去っていった。

 

救急車にかかりつけの病院を指定したところ、即座に受け入れてもらい、

10分ほどで、病院に着いた。

 

もう、大丈夫と、我に返ったとたんに、パソコンを持っていた右手の親指がふっくらと腫れ、痛みがある。

 

様々な可能性を考慮して克明に検査が始まり、検査結果が出る頃には帳が下り、帰宅するタクシーの車窓からは街灯の明かりが目に入った。

 

入院にはならず帰宅できたことは、私には安堵するとともに次のステップへの励みになった。

 

幸いに掛かりつけの病院で、すべての病歴のカルテがあるため、来週からの治療計画もセットされた。

 

来週から更なる専門外来による検査が続き、親指を2か所の骨折で手術をするという診療計画のもとで、回復へ向けての歩みが始まった。

 

8月29日に親指の手術を終え、手術時に2本の金属で固定されていたが、時を経ること、10月3日に金属を抜き、9日よりリハビリが始まった。

 

転倒時に投げ出したパソコンを恐る恐る開いたところ、「ようこそ」との

挨拶に、ホットした。

 

凡そ、7週間語久しぶりにお休みしていたブログを始めるに至った、相棒のパソコン復活の記念日である。