「青天の霹靂」いう言葉はあるが、遠い存在にしか考えていなかった。
これまで、私がもがき苦しんだ原因は、堅炭の様な下心というか、また日の当たる場所の夢が燻っていたからだ。
しかし心身ともに白旗を揚げていた私は、事あるごとにその想いを削除して来た。
不思議なもので、野心と言うか自己顕示欲から解放され、心身ともに快復途上にある自分を受け入れた。
その矢先に、2017年の嘗てご縁のあった出版社から、2012年ソフトカバーで刊行した「笑顔の力」を
文庫本にとのお誘いの電話から始まった。
もちろん私はメジャーではなく、ただ「体験」のみしかないが、もう一度最後の挑戦と承諾の返事をした次第である。
これが、第1の「青天の霹靂」である。
2017年も押し迫った12月末、お世話になったドクターから、これも思いがけなく「医療接遇」の講師依頼が、外出先から帰宅した私もとにメールが届いていた。
一瞬、私に何故?、出来るかなと戸惑いました。
講師依頼を受けることは、その為に私が何倍かの準備を要求されることと言えます。
何処かで私を心に留めて下さった好意は、素直にお受けしようと。
年が改まって、医療スタッフの皆様に日頃の体験を通しての話を中心に話しを進める内に、医療の渦中に
身をおく立場である一方で、異なる私の目線に理解を示しているスタッフの表情が読み取れる。
これが、第2の「青天の霹靂」の霹靂でした。
さて第3は腰抜かす程の「青天の霹靂」が起こった。
年が改まった1月下旬に、約60年前に卒業した岡山の小学校長からのメールでした。
今年がPTA創設70周年記念に、2012年に幻冬社ルネッサンスから刊行した「笑顔の力」を手にとってくださって、「笑顔に秘められた力」についての講演依頼でした。
驚くと共に、いつかはそろそろ年齢も考えてご縁のあった先々には、ご挨拶をと思っていながら実現しないままでいました。
なかなか難しいテーマですが、折角の帰郷も兼ねたチャンスに、喜んで引き受けようとの想いが強くなる自分がいました。
奇しくも、期せずして幻冬舎から「笑顔の力」の文庫本の見本が届きました。
こちらも、ブログ用にと彼方此方でパチリパチリと写しまくっていました花の写真のうちの一点が表紙カバーをに採用されるという幸運に恵まれた。実は私も気に入っていた写真でした。
僅か5ヶ月の間に、思いがけないことが続きました。正しく「青天の霹靂」と言える。
これらを珍しく振り返るというか遡ると、自己顕示欲からも遠い存在になろうと決意していた私に、何という温かいエールが届いたのだ。
人は必要とされる時は、相手が声を掛けてくれるのではないかということ。
その為に、いつでも対応出来るように、準備して静かにその時のために準備しておくことを気付かせてくれた。今、私はこの歳になって、この一連の「青天の霹靂」によってまた教えられた。