8年前の私は午前と午後の病院でボランティアをしていた。
午後の方は、終末期の方との「お話し相手」が中心でした。
3月でちょうど10 年を迎えるので、責任者に自分の辞意を伝えて、間も無くのことである。
思い切りカウンターに体をぶつけ、激しく揺れ動く中で必死にカウンターにしがみついていた。
床に落ちた額縁を拾っていると、再度激しい衝撃に見舞われた。
窓から見えるビルも地震の衝撃で揺れているのが分かる。
47年前に父親が建てたペンシルビルの我が家が気になった。
一階のテナントさんが気になり、固定電話や携帯電話にしても通じない。
とうとう私の携帯の電池も切れた。
事情を話し、自宅に急いだ。
案じていた通り、電気関係が切断していた。
工務店も案じ、事情を話すと、明日点検してくれるとの返事に、ホッとするも2階の私の住まいが気になる。
思わず声を失った。寝室の壁は大きくヒビが入り、床にはコンクリートの破片が落ちている。
キッチンは無事だが、風呂場の湯船のタイルが何箇所もヒビが入っている。
余震のせいか、カタカタと隙間がぶつかり合って一晩中続き、眠れない夜を過ごす。
翌日、工務店は私に厳しい回答だった。
父親には申し訳ないが、私は手放す決心をした。
翌日の新聞の広告に、我が家から数分の所にマンションの案内を見つけた。
テナントさんともお陰様で話し合いが進み、私は早速広告のマンションを即決購入した。
3・11から約1ヶ月近くで、現在のマンションに落ち着いた。
落ち着いて半年後、ある日、曾て終末期の方から、自分の生きてきた「証」として、遺したいとの想いのを私に、さり気なく、或いはハッキリと書き残して欲しいと話していた。
そうだ、その方達の想いを実現したいとの想いが私にも日を追って強くなった。
曾て編集に関わっていても、物書きとしてはズブの素人の私は意を決して、出版社に申し出た。
そして「笑顔の力」が生まれたのである。
私の人生にも「3・11」は大きな影響をもたらした忘れることの出来ない日になった。