「リンゴの唄」に始まって

現在、私は「医療コミュニケーションと」言うテーマでホームページを開設して、久しくなるが、「言葉は『魂の架け橋』」と「青空と星空のコラボ」の二種類がある。

その内の「言葉は『魂の架け橋』」の方は、毎月月末に、「青空と星空のコラボ」は毎週末に更新をする様に心掛けている。

今回、前者を「リンゴの唄」についての入院中の高齢の女性の方との関わりをアップする際に、これから取り上げる前哨戦を思わせる疑問というか、迷いを持ったまま、書き上げたのである。

私の迷いを察したかの様に、11月3日の日本経済新聞の日曜版の文化面に、漢字学者の阿辻哲次氏による「遊遊漢字学」と言う連載がある。

私が「リンゴの唄」を「歌う」或いは「唄う」と文字化するのかを考え迷って、実に双方を使用するといった狡い方法で纏めた事が、尾を引いていたのだ。

阿辻哲次氏の記事によれば、「歌」の他に「唄」「謡」とあり、一般的に「うたう」は「歌う」で、「謡」は謡曲とか民謡に、「唄」は「小唄」や「長唄」などの伝統的な邦楽にと。

更に、「唄」はもとは仏教の儀式で僧侶が朗誦する仏教専用の「うた」で、一般人は口にするものではなかった。
「流行歌」を絶対に「流行唄」と書かない背景には、「梵唄」がもつ荘厳なイメージが作用しているのかもしれないと結んでいる。

急に、サトウハチロー作詞、万城目正作曲の「リンゴの唄」はと早速検索すると、戦後のヒット曲の第1号で、日本の楽曲とある。ジャンルは歌謡曲になる様だ。

話が飛躍するが、林檎については、童謡詩人の武内俊子作詞による「りんごのひとりごと」を病気がちの傍で良く歌ってくれた記憶がある。

ついつい、武内俊子氏迄検索は止まらなくなって、何と、私と同じ「猩紅熱」で入院生活をしていた昭和15年頃は、林檎は簡単に手に入るものではなく、私の時代も勿論入手が難しくまた林檎は高価であり、病人食と言うイメージもあった様な記憶ある。

直ぐに彼方此方に気が散る性分から、確か、「かもめの水兵さん」もと思い出したところ、矢張り記憶に間違いなく、武内俊子作詞であった。

病弱だった私が、小学校の学芸会に初めて参加出来た忘れられない思い出が、何と「かもめの水兵さん」だったのです。
「リンゴの唄」から思い掛けない迄に話題が尽きなくなった。

「リンゴの唄」の女性は数日後、旅立たれたと報告を受けているので、私としては自己弁護する訳では無いが、「歌って、唄って」で良かったのでは想っている。

また、「リンゴの唄」に始まり、これ程までに深く学ぶ機会を与えてくれた今は亡き高齢の女性の方からのプレゼントと有り難く受け止めている。