先週末、教育の現場に激震が走り、我が母校の小学校も春休み迄休校になった。
如月から春へと季節が移そうとしている弥生三月の日曜日。
東京は、故郷の青空「あさくちブルー」に、引けを取らない程の高く澄み切った空が朝から広がっている。
目が覚めたいる間は、新型コロナウイルスの情報に、私自身まで、もしかしてヘルペスなど発症するのは、免疫力の低下によるものでと、つい不安ばかりが過ぎる。
自宅に籠もって、自粛するよりは、こんな素晴らしい空の下で、故郷に想いを馳せた方がと、自宅前の公園に出掛けた。
信号を送ると目の前が公園だが、それまで道路一本挟んだだけで、その場がガラリと変わった。
子供たちの元気に弾んだ声と笑顔が輝いているではありませんか。
家族も日頃の不安感を払拭するかの様に、子どもと楽しんでいる表情が伝わって来る。
私もその場で、青空をバック見上げ、何度も深呼吸をした。
当たり前の日常の生活がこんなにも懐かしく感じるとは、私も今回の掴み所のない新型コロナウイルスに疲れを覚えていた。
その時、私は既に約二ヶ月近くで、悲鳴をあげているが、間も無く東日本大震災が9年目を迎える。
被災地の南相馬市の原町中央産科病院の医師で高橋享平をテレビで取り上げた番組を思い出した。既に高橋医師はガンに侵されながらも、被災地に残り、24時間診療を続け、震災後も26人の新生児を取り上げたという。
病と闘いながら、高橋医師が「子どもがいなくなる事は未来がない」との言葉を今も鮮明に私の脳裏に残っている。
今回の状況と異なるが、私には重なって胸が痛くなった。
それだけに、公園の子どもたちの弾んだ声は、未来を感じさせる強さを感じた。