悲喜交々の日

今朝でヘルペスの抗生物質の服用が終わる。
一つ、気持ちが軽くなると、これまでグズグズと進まなかったが、頭のモヤモヤした曇りが晴れた。
皮肉にも朝から雨雲が重くどっしりと居座っている。

ましてや新型コロナウイルスに神経質になり、気持ちの落ち着き先が見つからない処に、厚生労働省の推計式から総務省の人口推計をもとに算出した「流行ピーク時の1日あたり患者数の推計人数が掲載されている。

確かに情報発信や情報提供は必要であるが、体調に不安を感じている私には、痛く敏感になってしまう。
遣り場のない処に、この情報は、必死に前向きに強く気持ちを奮い立たせている私にはかなり厳しく堪えた。

然し、一方では、予定が遅れている整理をしようというスイッチが入っている。
そういえば、昨日の日本経済新聞の夕刊に、2000年3月10日で、東海道・山陽新幹線の食堂車が廃止されたという記事を思い出した。

少し前に、国際的にも活躍した菅井汲との思い出の一つであるレリーフ製作について記したが、1996年5月に亡くなった菅井汲の葬儀に、父親と共に参列した。

未だ、今の年金生活で無く、現役だった私は、恐らく父親との最後の旅行になると思っていた。
グリーン車の父親は、素直に喜んでくれた。
更に、食堂車で「海老フライと確かフランスパン」にワインも加え、グラスを合わせた凡そ4年前の記憶が懐かしく思い出していた。

これから葬儀に向かうには、些か不謹慎な気持ちが過ぎらない訳では無いが、これっきり最後だろうとの想いが強く、今は懐かしい思い出としての満足感に至っている。

東海道新幹線の利用者が現在50パーセント近く減少しているそうだ。
未だ、先の見えない自粛生活が続くとの見通しだが、私は、3月末の最終近くに、母校の会議の予定がある。
叶うならば、母校の会議迄には、あさくちブルーの母校に帰れる様にと、お願いだから叶えて欲しい。

今日は、ワームムーンと言われる3月の満月 だが、残念ながら夕刻から激しい雨が降り、今日は悲喜交々の1日で終わった。