紫陽花が主役の6月が始まる

先週末、久し振りに肉筆で書いた手紙に、私は心が落ち着いているのが分かる。
然し、何と綴っていく文字が、想像以上に下手になっていた。

想いと文字も、嘗ては同じスピードで便箋上に進んでいったが、何か滑り方がぎこちないなあと、正直、もう一度、私にとっての「新しい生活スタイル」と決めた。

先月末で、ふるさとへの区切りを付けたと、ある種の安堵感があった。
「新型コロナウイルス」によって、致し方のない事情で、心は折にふれ、ふるさとを思い出すが、実質的には、帰れないのである。

何時迄も、もしやもしやと期待感を持っても、恐らく確定するには至ってない。
こんな状態は、私の体調に一番影響を及ぼす可能性があるからである。

さて、先月から解決しなければいけない問題を抱えている。
今月は、その課題を解決する月である。

今朝の日本経済新聞のコラム欄の「春秋」に、与謝野晶子が「六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく」に、私は梅雨時の6月にも様々な感じ方があるものだと思い、文末に、久し振りに俵万智の「思い切り愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花」の方が、何となく微笑み、心和む。