61年ぶりのふるさとの学び舎から2年後

今日の私は、日常の喧騒に戻っている東京の街を歩いていた。
唯、人とすれ違う時は、コロナ前と違い、お互いが無意識に距離感を保っている。
2年前の前日、母校の駅の一つ手前である、金光教本部のある山陽本線の金光駅で降り、文政十年創業の和風旅館に宿をとった。

前日も翌日の16日も「あさくちブルー」で、母校の小学校に近ずくにつれ懐かしい記憶にある懐かしいふるさとの香りを感じた。

すっかり、61年前の面影はなく、モダンで明るい校舎に変わっていたが、玄関前の二宮金次郎の像に、確か卒業式に友人と像を背に 写真を撮った記憶が蘇った。

PTAの70周年記念に、3月に私の拙著がソフトカバーから、文庫版に刊行された「笑顔の力」から、一歩踏み込んで『笑顔の持つ底力』というテーマだった。

61年ぶりに母校の小学校の校長先生、教頭先生を始め、心温かいもてなしに、なんとも言えない幸せを感じ、すっかり、忘れない母校になった。

帰京後の凡そ2カ月後の、2018年8月14日の日本経済新聞のコラム「春秋」に、島崎藤村、室生犀星、坂口安吾の三氏のふるさとへの想いが紹介されていた。

夫々がふるさとに対する想いに、慌ただしい都会の喧騒の中で、2年前の日を思い出していた。

やはり、私は島崎藤村の「血につながるふるさと  心につながるふるさと  言葉につながるふるさと」が今も正直な実感として思い出してしまうのである。

コラムによれば、「地元の小学校の講演で、この言葉を述べ、しばし絶句し、故郷への思慕をあらわして、これほどいちずな物言いはない」と。

東京の街を歩きながら、61年ぶりに帰郷後、新たにこれまで、感じた事のないふるさとへの思慕を強く覚え、今はふるさとに一途な想いでいる。

然し、凡そ60年近く過ごし、生活の拠点の東京もある意味でふるさとと思わなければと、現実を受け入れるよう、自分に言い聞かせている

室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの/そして悲しくうたふもの」なのか。