今月19日、心が凍る程の大切な資料をパソコンのミス操作で失い、パソコンの修理に依頼した。
どうやら、簡単に回復する状況ではなく、19日の終業近くに、担当者から、「全力を尽くしますので、数日、月曜日迄には」との返事に、祈る想いで、「きっと治してね、お願いします」とすがる気持ちで、帰宅した。
全く、食欲もなく、喉を通らないこと迄は、19日と重複する。
何とか、土曜日は、パソコンは修理の為に、いわば入院していると自覚していた。
処が、今朝何時もの習慣というか、体が覚えているというか、無意識にパソコンのある前に立って、初めて、そうか、パソコンはまだ手元には無いと気が付いた。
苦手なデジタル生活から、逃げたい、出来れば、縁を切りたいすら日頃想っているのに、何と皮肉にも紙資料で調べるとという習慣から、ネットの検索が極自然の生活スタイル、生活習慣になっていたのだ。
相変わらず、朝から、牛乳と茹で卵を食べるのが、気の所為か、消化しているとは思えないのである。
幸いに、午後から、弱い日差しに、毎日日課にしている1万歩から8千歩を目標にしている私は、部分日食も見られるといいなと想い、胃まで到達しない朝食もスッキリすると、散歩に出かけた。
目的のない散歩程、私には苦痛である。
部分日食という目的だが、時間を追って、重い雲が目立ち始めた。
特に、今日の散歩は、「全力を尽くした結果」が、案じられて、何時も散歩とは違い、スマホに表示される歩数ばかりを気にして歩いているだけだった。
すると、歩きながら、バックが非常に重いと感じた。
何時も、iPadとスマホに、多くのカードの入った財布、お薬手帳、手帳等々と持ち歩いているが、今後、カードが全てはスマホで処理されるのも良いなぁと思った。
バックの中で、スマホの歩数は8千歩になっていたので、もう今日は心身共に限界を感じ、踵を返して自宅に急ぐ。
温かい日本茶に、初めてホット息をついたが、直ぐ、パソコンが無事に手元に返って来るよう、願う日曜日を過ごす。