嘗て、人事異動と死亡欄は欠かせないで、必ず新聞に目を通していた。
いつ頃からだろうか、コロナ前までだろうか、葬儀の案内を多く見かけたが、最近は、葬儀告別式は親族だけで済ませ、「お別れの会を行うが日取りは未定」とある。
現在、これまで、コロナで延期していたが、このところ、新聞紙面に「お別れの会」のお知らせを多く見かけるようになった。
先月、美術商時代にお世話になったお得意先の社長様が亡くなった。
その後、「お別れの会」のお知らせには、嘗ては「お別れの会」が、交流の場でもあったが、今はコロナ禍を意識して、当日の会食はなく、マスク着用、検温といった内容が記載されていた。
一昨日、瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなられたと報じられた。
その訃報に、私には瀬戸内晴美さん時代を思い出していた。
当時、「銀座百点」の編集時代は、円地文子先生の仕事場である川口松太郎氏の住まいでもあるところの、「川口アパートメンと」にお伺いしたことを思い出した。
聞くところによれば、著名人が多く入居していたと聞いていた。
円地文子先生にお願いしていた原稿が出来上がったというので、私が頂きに伺ったところ、円地先生が「今まで、瀬戸内さんとおしゃべりしていたのよ」と、さりげなく話された。
確か、記憶が確かではないが、江戸川橋からだったか、春日駅からだったか、先輩から「椿山荘の近くで、川口アパートメントといえば、知らない人はいないから、行ってらっしゃい」と。
この地域は、坂が多い土地だなあと思いながら、坂に沿ったように、その
川口アパートメントが目に入った。
まだ、当時としてはマンションという表現はなく、「アパートメント」と
聞くだけでも、私は、その豪華さというか、存在感に驚いた。
瀬戸内晴美先生とは、夢遥か、淡い通り過ぎた一陣の風のような思い出でだけだが。
瀬戸内寂聴さんの「お別れの会」が、後日、東京で開かれる予定とある。
近年、活躍された方々の訃報に、一時代の終焉というか、新しい世代への交代期なのか、一抹の寂しさを感じる。