晩秋からの初冬、私の曇りがちな想いに反して連日、快晴が続いている。
残念ながら、昨日の余韻から、私の心は「快晴」には程遠い。
なぜ、なぜという想いを繰り返すばかりである。
相手の事情が分かれば、素直に納得、受け入れる気持ちでいたが、未だに
連絡は受け取っていない。
信じていたお人柄に、何か抜きさしならない事情があっての事と、善意に
推察するように努めている。
想像を絶する事情が生じたと、自分の気持ちをコントロールしている。
相手を信じている私は、私の自惚れだったと、自分に言い聞かせながら、面倒な細かい事務作業に取り込むことで、気を紛わせ続けた。
夜の帳とともに、相手を信じようと善意に気持ちをリセットするが、時々「何故」という想いがぶり返してくる。
嘗て、病院ボランティアで、90歳に近い患者様から、突然、家族からの連絡が途絶えたと、私に、「子供たちに迷惑をかけ続けたから、私の存在が重荷になってきたのでしょうか」と、涙を流された。
自分を厳しく責め続ける患者様に、私は言葉が見つからず、そっと、背中をさすって差し上げるしかできなかった経験をなぜか、思い出した。
来年3月に、77歳になる私は、今後、歳を重ねるたびに、知人や友人が
少なく成っていくのは、致し方ないが、できる限り、明るく、前向きに
人様に迷惑をかけないようにと、自分を鼓舞しようと想っている。
暫くは、「心」の動揺が続くかもしれないが、考えようによっては、良い
経験をしたと考えてもいる。