早朝、天気予報で、10年に一度の寒さだという通り、起きるまで、暫くは
暖房で部屋を暖めて起きる日が、ここ数日続いている。
ベランダから見える雲は、どんよりとしたグレーの分厚い雲が空を覆いかぶさっている。
今日のような天気は、予報士泣かせのようで、確かに「雪」は降るようだが、どの程度で、時間的にも予報するのが難しいそうだ。
10時過ぎに、約束があり、玄関を出るや、粉雪が舞っている。
予報より以外に早く、杖代わりにもなると、大きな傘を取りに引き返す。
パラパラと、大きな傘に粉雪の量が増えてくるのが分かる。
そのうち、水分の多い大きな雪に変わり、傘に雪の重さを感じる。
おやおや、今日は、本格的な「雪」になりそうだと、注意して歩かねばと
慎重にと、言い聞かせながら歩いた。
今日は選りによって、引き続きもう一か所約束があり、そのまま、雪を踏みしめて歩いた。
彼これ、20年近く前に、私は、昨年と同じような心身ともに、疲労困憊した時に、友人が、実家の鶴岡に帰郷する際に、気分転換に行かないと、誘ってくれたのである。
実は、鶴岡は母親の叔父が嘗て、仕事で住んでいたことを聞いていた私は
即座に返事をしたのである。
母親が、「雪の降る町を」よく口ずさんでいた記憶があり、私も慣れない雪道を歩きながら、何時しか「雪の降る町を」をハミングしていた。
話は前後するが、友人の好意に誘われるままに訪れた季節が、11月初旬で
既に道路を色とりどりの落ち葉の絨毯であった。
友人に、この辺りをモデルにして「雪の降る町を」が作られたと聞いた。
その時に、もしかしたら、母親は雪の季節に鶴岡の叔父を訪ねたのではないかと、友人の話を聞きながら、何故か、よく、母親は口ずさんでいた。
今回、気になって検索すると、作られたのが、1952年とある。
丁度、私が生まれて、7年後の事であるが、母親は、既に鶴岡がモデルだと
知っていたのではないだろうかと。
「雪」は「空からのラブレター」ともいわれるが、今日の4年ぶりの雪は
天国の母親からの「愛情の手紙」だったと想った。