手綱を緩める

三日坊主に終わらないように、学習室に図書館開館以来、11日の火曜日から14日までの午前中は、通い詰めた。

 

お陰で、数年前は正月の3が日に片付いたはずが、何と、一日伸びた。

しかし、二年近く、目をつぶってやり過ごした案件が終わり、ホット胸を撫で下ろした。

 

残すは、今年の目標をクリアするところまで漕ぎ着けた。

既に、セピア色になった資料もあるが、やっと、向き合えるところまでに

進んだ。

 

そのタイミングを知ってか、知らずか、友人から、「今日は小正月だから

最後の女正月をしない」との連絡に、一にもにもなく承諾した私だ。

 

些か、疲れを覚えていた私は、自ら、意志の弱さを見せるのは我慢していただけに、助かったと内心思った。

 

しかし、コロナ禍でもあり、お互いの距離、換気に配慮し、マスク越しで

食する何と味気なく、侘しく、友人の心づくしの手料理も半減する。

 

口を揃えた「こんな状態がいつまで続くのかしら」と。

いくら言っても、詮無きこととわかっていても、零したくなる。

 

しかし、こんな他愛ないことで、気持ちが晴れるとは、単純化もしれないが、兎に角、マスク越しであれ、肉声で、話すことがこんなに、和むのかと、思い知らされた小正月の人間らしいひと時を過ごした。