雨のお江戸日本橋

1944年(明治44年)日本橋が木の橋から石の端に、変えかけられたと、エレベータに「今日は何の日」で知った。

 

嘗て、母親が建材の頃、神田駅から歩きながら、日本橋の老舗のお店を話しながら歩いた思い出を思いだし、朝から、桜散らしで、季節外れの寒さを感じながらも思い切って出かけた。

 

というのは、今年に入って、夢でふるさとの今は亡き住まいや両親のとの当時の生活を思い出す機会が多く、何故だろうと思うのである。

 

今回は亡き父親が、ポケットに小銭しかなくても、銀座八丁を往復、16丁を歩くと、心が豊かになるよと、私に銀座の町の良さを話tくれた記憶もあり、今回は、時には激しく降る雨の中をあるき続けた。

 

気が付くと、日本橋まで歩いていた。

高速道路に挟まれた日本橋だが、さすが歴史を物語る風格はあり、まったく、無意識に、架けられた高速道路に、私も、なんてお粗末な判断をしたのだろうと想いながら、冷たい雨の中に暫く佇んでいた。

 

都市計画というものは、今になって、色々見直しがされているが、「お江戸日本橋」もその代表的な一つである。

 

経済効率ばかりでなく、本来の日本人の感性を取り戻してほしいと願うばかりである。

 

京橋地区から、大型ビルに姿は変わって居るが、環境面における配慮は、銀座地区より、整然と街並みに行き届いているように思った。

 

一方で、老舗と言われる店舗も大型ビルに転居しているのは、一寸残念だと想う反面、安全性を優先するうえでは致し方ないのかと思った。

 

今年最後の桜の花散らしの中を、傘に桜の花びらが数枚、振り払う気にはならず、そっと、チーフに愛おしむように収めた。