昨夕の「絵本の読み聞かせボランティア」の講座を受講して、改めて、私が記憶している絵本を思い出しながら、つくづく、コロナ禍における、子どもたちの成長期における弊害を感じていた。
手元の資料から取り出してみると、私は母親から溢れんばかりの図書というか、絵本や児童書によって、何とか、小学校を卒業できたといっても過言では内と、「読書の知から」というか「図書の知から」というか「絵本の知から」を身を以って体験した。
昨日の講座から、推薦図書にいくつも私は支えられてきたと気付く。
未だに健康に対する自信はないが、声は多く入れ歯もなくなく発声には自信がある。
嘗て、病院ボランティアでは、病気の方に対して愛読書を読んで差し上げ
喜んで頂いた。
既にサイドテーブルにはセピア色に成った愛読書が積んでありも、現在の
体力では読める状態ではない方に多く接してきた。
特に時代小説には、掲載された初回にルビは振ってあるのだが、次ページからはルビが振ってなく、私は必死に頭をフル回転して思いだそうとするが限界である。
患者様はにやりと私に対して、「どこが読めなくなったのかな」と。
私が、「此処です」というと、嬉しそうな表情を浮かべて教えてくれるのである。
それこそ、まだ、私のように未熟な存在にルビを振ってない立場のある人に、「まだ、自分は必要とされている」という生きがいともとれる表情を
するのである。
今、私は小学生と未就学児対象の講座であるが、その学びから、高齢者や
病気の方を対象にした「読み聞かせ」を、体験を通してと考えている。