話せばわかる

今日は岡山県出身の犬養毅の1932年に暗殺された5.15事件の日である。

母校の小学校の校長室にも、犬養毅の言葉がある。

 

残念ながら帰郷時に、関心がなく、岡山県の教育関係には、同様に近い額装で収められていると聞いた。

 

奇しくも今日は検索すると、日曜日で総理公邸でくつろいでいたそうだ。関心のあるかたは、検索すれば、孫の評論家の犬養道子氏による経緯が分かる。

 

嘗て父親から、正に暗殺される身に在りながら、向き合い続け、「話せばわかる」と言ったそうだと話してくれた。

 

いかなる時も、動揺せずに、先ずは相手に向き合う姿勢を私に残してくれたように、やっと、その言葉の深い意味と度量を教わったような気がして

今、私の置かれている環境の支えになっている。

 

まして、61年ぶりにふるさとの母校の小学校に掲げてあるという経緯からも、ふるさとの賢人の生きざまを、慌ただしい東京生活でともすれば、

自分を見失いがちである。

 

更に、長く続くコロナ禍で、落ち着きを失いがちな私には、とても、父親に会いたいと願った日になった。